表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
語り部は僕に告ぐ  作者: 網野江ユウイ
2/13

Story:1

 昔はここも東京と呼ばれていたことがあったらしい。歴史は嫌いだが,まあ,20年位前のことなら覚えていられる。もっとも、20年前に起こった事故のことは,過去に起こったこととしてニュースで聞いたくらいにしか記憶にない。それも,物心ついてからの記憶なので,概要しか知らない。ただ言えるのは、昔ここで何かしらの事故があり,それは未曾有の大事故と言われ,研究所が1つ吹っ飛んだその跡地にこの旧23区,現在の新科都市区(しんかとしく)である。



「――なんて調子で物語なら始まるんだろうけどよ。」

 と呟いて少年――盾山竜海たてやまたつみは仰向けにごろりと寝転がった。放り出された筆記用具が勢い余って机から転がり落ちて自分の腹の上に落ちて,更に勢い余ったのか床の上にまで転がった。それを無造作に学習机の上に放り投げて彼は深い溜息を吐いた。

 夏の暑い盛り、クーラーが壊れて温い部屋、床もさほど冷たくない。やる気がストライキを起こしたとしてもさほど不思議ではないこの環境で竜海は試験勉強に励んでいた。数式と格闘すること2時間,流石に集中力が切れ始め,首筋を伝い落ちる汗に限界を感じてついにシャープペンシルを放り出したところである。こんなサウナみたいなところで我慢大会などせずに図書館にでも行けば良いのだろうが,この時期かつこの暑さ,同じようなことを考えた大学生でごった返して混雑しているであろう図書館に乗り込んで知り合いと顔を合わせるくらいなら,いっそ家の中にいて熱中症にでもなった方がマシだ,と思うあたり彼の人見知り度合いが知れようというものだった。

 この新科都市区にある大学に入学して四ヶ月,一人暮らしにもようやく慣れ始めて,コンビニ弁当漬けからそろそろ自炊にでも切り替えようか,食費節約のためにも……と思い始めた矢先にやってきた前期期末試験である。自炊なんかする暇もないし,そもそもスキルがない。帰省した時にお袋にレシピを仕込んでもらおうそうしよう,などと思いながら結局ここ一週間立て続けにカップラーメンとレトルト食品を食べる日々である。

「あ……っつい……。」

 そしてそんな中,風通し最悪の彼の家の夏の生命線とも言えるクーラーが壊れた。前の住人……いや、その前の住人の頃から使われていたのだろうか,旧型の更に旧型のエアコン。よく今まで動いてきたもんだと,壊れた時にはそんな感想を抱いたくらいだった。こちらは買い替え必須である。古すぎて修理業者に「部品,製造停止になったアンティークものばっかり使ってますねえ」なんて冗談めかしく言われたくらいである。つまり,修理不可能ということである。バイト代はそこそこ貯まっているから買えないこともないのだろうが買いに行く暇がない。つまりここ一週間,真夏日の続く中,風の通りもしない窓を開けながらクーラーのない家で過ごしているのである。試験なんか早く終われよもう……とため息を着く日々であった。

「剣野の家にでも押しかけようかなぁ。」

あいつの家なら,冷房効いてそうだし。ていうかそもそも自宅生だしな,よし,押しかけようこのままじゃ熱中症で倒れてもおかしくないぜ。そんなことを思った竜海はサークルの同期の顔を思い浮かべてぼんやりと呟いて体を起こす。

「あ、」

 そう思った瞬間には視界がグラっと揺れて床の上に逆戻りだった。したたかに床に打ち付けた後頭部がえも言われぬ痛みを伝えてくる。外でけたたましく鳴いている蝉の声が普段以上に頭に響いた。あぁ,そういえばしばらく水分摂ってなかったんだっけ,そんでもってこの暑い部屋に朝から閉じこもってるもんな……明らかに打ち付けた以外の痛みを伝えてくる頭にのんきにもそんなことを思う竜海であった。まったく,朦朧としていているのに随分冷静なものだ。

「あー……。」

 どうやらちょっと行動を起こすには手遅れだったらしい。さっきよりも更に朦朧とした意識で体の横に転がっていた携帯を手に取り,竜海は先ほど思い浮かべた同期の携帯を呼び出した。携帯画面に何やら警告のようなメッセージが出ているが,この際気にしない。数コール電話が鳴って,思っていたよりあっさりと相手は電話に応じた。

『もしもし?』

「あー……ヒロ?わりい,適当にスポドリ2Lのボトルとアイス買ってウチまで来てくんね……?」

『……は?』

「冷たくて水分補給できればなんでもいいわ……でもスポドリ希望……。」

『は……?』

 鍵なら開いてる,金はあとで払うから。そう呟いて竜海は電話を切った。



「なんでもっと早く連絡しねぇんだよ。」

「いや……気づいたときには手遅れだったっつーか。」

「ったく……お前はアホか,それとも鈍感なだけか?」

「……どっちも?」

「だろうな!聞いた俺がバカだったよ!」

 20分後,竜海はスポーツドリンクとアイス,保冷剤を買ってやってきた剣野洋つるぎのひろに説教をくらっていた。同じ大学のサークル仲間,というか同期。見るからにスポーツマンだがなんの因果か文化系サークルでパソコンの画面とにらめっこしているのであった。

 後一歩で熱中症,というところで不審がりながらやってきた剣野に助けられた竜海は返す言葉もなくぼーっとしながら保冷剤を額に乗せて床の上に寝転がっていた。

「で?大丈夫か?救急車呼んでやってもいいんだぜ?」

「いらねーよ。ヒーリングシステムで十分だろこの程度……。」

「その警告を無視してたのはどこの誰だっけ?」

「無視してたんじゃねえよ,気づかなかったんだよ。」

「一緒だボケ。」

 ヒーリングシステムとはこの街を管理する衛生システムだ。居住者の健康状態を複数の機器を用いて定期的にチェック,異変があったらそれをこちらに報告し注意喚起・適切な応急処置方法の提示,場合によっては医療機関などに救急の出動要請を自動的に送るといったものだ。このシステムの開発・普及によって一人暮らしのお年寄りなどの孤独死率はかなり激減したという。システムを導入した住宅は,エアコン内部やテレビ,インターホン,照明などのあらゆる場所にありとあらゆるセンサーが取り付けられていて,常時居住者の健康状態をチェックしている。異変があっても90%の確率で的確に診断し,本人や関係者,関係医療機関に警告メッセージを送ることができる。……竜海の場合その警告メッセージを携帯で受け取るようにしているのだが,まあ気づかなければ気づかないで,それにほとんど気づかないのがこのシステムの唯一であり最大の欠陥である。そーいやさっき携帯に警告メッセージが出てたのはそれかぁ,なんて間の抜けたことを言ったら剣野にノートでひっぱたかれた竜海であった。

 科学が発達したことで,情報統括技術も目覚しい発展を見せたこの街は,様々なシステムの試験運用を行う場でもあった。陰惨な事故が起こって既に20年,人口は以前のこの地域よりむしろ少し増えたくらいだった。性別,国籍,年齢……一つの街として成立する大きさであるこの場所はあらゆる角度からデータを収集し,実証実験を行うのに最適な条件だった。既に確立されたシステムの改良,新たに生み出された統括系統の実用化試験……そんなものがこの街には溢れている。なかでもこの街の中枢システムを司るのはこの衛生システムである。

 次いで人間の移動と利用交通機関を観測・予測して混雑状況を趣味レートした上で最適なロードマップを利用者に提示する移動管理サービス。これによって交通事故は80%減少した。車や人通りの多い場所は避けつつ,かつ最短ルートを提示してくるこのシステムによって渋滞は過去に語り継がれる伝説と化した。そもそも,オートメーションモービルの開発によって人間が運転する車など見かける方が珍しくなったとも言えるのだが。

 そしていっそ過剰なくらいの全自動防犯システム。人々の行動を長年収集したデータから統計的に予測し,不審人物をあらかじめマーキング,警察機関に情報を伝達しておくことで未然に犯罪を防ぐ,あるいは有事の際の即刻対応可能な状況を作り出す。各個人宅の玄関にはこの予測システムに基づいた防犯設備が備えてあり,不審な動きを見せた人物には電気ショックなどを与えたり,捕縛網を発射したりすることで,犯罪者になると思しき人物を捕縛できるようになっている。ただ,あくまで統計的なデータが元になっている為に,検挙率こそ上がったものの冤罪である場合が増加したのではないかと未だに人権団体からの根強いシステム廃止論が強いものでもある。

 だがしかし,これらのシステムの登場と普及によってこの街の生活レベルは格段に向上した。渋滞などによるストレスは完全に解消され,犯罪などは犯す方がハイリスクであることから自然とその発生の抑制を余儀なくされ,自身の健康は常に優良な状態を保つことができる。たとえところどころに欠陥が残っていたとしても,老若男女問わず,この街に住んでいる実に97%がこのシステムの内2つ以上を利用しているという現実がここにある。

 すべてが管理され,整然と淡々と通り過ぎていくこの街。異常は起こるまでもなく未然に防がれる,平和と平穏を具現化したような街,それがこの新科都市区である。

「まあ,無事でなにより。」

「助かりました。」

「うむ,よろしい。とりあえず,お袋には許可とったから,クーラー直るまでウチに居候でもしてろ。あと早急にクーラーは直せ,修理業者の手配くらいしろ。」

「マジで?いいの?あと,クーラーはもはや修理じゃなくて買い替え必須らしい。」

「あっそ……まあ,とりあえず居候すんのはいいってさ。」

 そのかわり,滞在場所は俺の部屋だから,妹の部屋じゃねえからな。とふざけ半分に彼は付け足したのだった。


 20分後,竜海は最小限の荷物をまとめて剣野と共に自分の部屋をあとにしていた。うだるような午後の暑さの中,システムの熱中症注意の文句だけが電光掲示板越しにこちらに呼びかけてくるのを,どこがBGMのように聞き流す。陽炎が立ってゆらゆらしている道には人はほとんどいないし,清掃ロボも出ていなかった。多方,暑さで出動できないとAIが自己判断したんだろう。そんな中をいっそ揺らめく陽炎にでもなりたい,と言いたげな表情で歩く竜海が重い口を開く。

「暑くね,今日。」

「気温も紫外線強度も観測史上最高だとさ。」

「その観測史上最高って毎年っていうか毎週聞いてるような気がするけど,あれか?あと20年もしたらこの世界がオーブンにでも変わるってことなのか?」

「そこまで飛躍しなくてもいいと思うが。」

「もう少し日が傾いてから家出たほうが良かったんじゃねえの?」

「それもちょっとは考えたけどさ,あの部屋にいても暑いだけだろ。少し暑さ我慢して駅まで歩いてクーラー効いた電車乗ってさっさと移動しちまったほうが涼しいと俺は思ったんだが。」

「ま,それは言えるかもな。けど,リアルに体中から水分と塩分が奪われていくのが分かるのもどうかと思うな……。」

 アスファルトからの照り返しに肌を焼かれながら駅までの道を歩く。靴の中は既に蒸し焼きの釜の中の様に熱くなっていた。格安物件を選んで探した竜海の家は少々駅から離れている。とは言っても縦横無尽に張り巡らされた移動システムのこと,駅から遠いと言っても200m程度だ。一昔前だったら駅から200mなんて近い方に入ったのだろうが……。いっそ腹立たしいくらい突き抜ける青空を恨めしそうに見上げて竜海は溜息を吐いた。いつもならさして遠くもない駅からの道のりが,世界最大の砂漠を横切っているかのように,長い。

「あとどんくらい?」

「50m」

「あ,ほんとだ」

「ぼんやりしすぎだよ,目の前に見えてただろ?」

「見えてなかった。蜃気楼でもたってたんじゃねえか?」

「寝ぼけたことを言う前にお前の部屋のクーラーを直せ。クーラーが直っていればこの炎天下の中出かけなくて済んだんだからな。」

「ウイッス。」

 あまりの暑さに言葉少なになりながらもようやく駅にたどり着いた二人は,入場ゲートに新科都市区共通の住民パスを通し,ホームに上がる。ホームにも不気味なくらい人気がなかった。そのせいだろうか,強い日光を反射して,真っ白に塗装されたホームの壁と転落防止ゲートの金属光沢が投げてくる反射光がいつも以上に目に刺さる。多方システムの警告に従って屋内退避でもしているのだろうと,竜海は思った。ある意味彼もそれに従ってはいたのだ,屋内に不快指数の高さが屋外よりたまたま高かっただけで。

「電車,あと何分で来るんだ……?このままじゃ蒸し焼きになっちまう。」

「少し自分のスマホを見ようという気はないのか盾山よ。」

「無い。」

「清々しい返答をアリガトウ。」

「うむ,くるしゅーない……で,あと何分?」

「自分で見ろ。」

「ちぇー。」

 容赦のない友人からの返答に渋々と携帯をカバンから取り出す竜海。移動システム画面を呼び出して表示を見ると,後1分とのこと。まあ,耐えられない時間ではない。Tシャツにじんわりと汗が滲んで,蝉の声がやたらとうるさく聞こえる昼下がり,大学生男子二人が駅のホームに佇む姿は少々シュールだった。

「ん……?」

「どうした,竜海。」

「あっちのホーム,人がいないか?」

「あ?……あぁ,いるな,確かに。」

「いつ来たんだろう。」

「多方俺らが見てない時に来たんだろ?別に珍しくもなんともないと思うが。」

「そうか……?」

 にしても,こんな見通しのいいところで来たことに気づかないなんてことがあるだろうか。強い日光の反射で見えなかったか。

 反対側のホームにいたのは同い年くらいの女性だった。白い半袖のカットソーに黒いタイトなミニスカート,足元はちょっとした軍用ブーツのように見えた。全体的に華奢な見た目と銀色のようにも見えるその長い髪と何より――

「なあヒロ,あの人,赤い目してねえか?」

「見間違いじゃねえの……?カラコンとかさ。」

「カラコン……かなあ。」

 それにしては少し違和感がなさすぎる。驚くくらいその体に馴染んでいるのだ。何より,これだけ離れた距離からでも彼女の目が赤いとわかるほどこちらをじっと見つめているということに気づくのに,2人はかなりの時間を要した。そして気づいたら電車が来る旨を伝えるアナウンスが駅構内に響き渡っていた。それが一気に2人を現実へと引き戻す。数瞬後には電車が生暖かい風を纏ってホームに滑り込んできて,数人の乗客と2人を入れ替えて扉を閉めた。

 電車の中から反対側のホームを見た。

「あ、」

 竜海は間抜けな声を上げた。間違いなく,彼女と目があったのだ。ルビーの様に透き通ったその赤い目が,竜海の黒い瞳をしっかりと捉えた。

「――……」

「おい,竜海?大丈夫か?」

「今,あのホームの女の人,何か言わなかったか?」

「え?」

 その言葉に剣野も反対ホームに目を向ける。だが。

「……いない?」

 電車が通り過ぎたわけでもなく,ホームから降りたわけでもないのに,その姿はまるで幻の様に忽然と消えていた。

「……気のせいだろ。随分とリアルでわかりやすい素敵なホラーだな。」

「気のせいとホラーが噛み合ってないけど,大丈夫ですかヒロさん。」

「ダメです。涼しくなりました。」

「どんな心霊現象ですか。」

 わけのわからないことになった二人を乗せて,電車はダイヤ通りにホームから滑りだした。


 3つほど駅を飛ばし,電車を降りる。うだるような暑さはほんの少しだけ和らいでいた。日が傾いたせいだろうか。

「さっきのアレ,マジで幽霊だったのかな。」

「幽霊なんてあってたまるかよ,この科学まみれのこの街で。」

 剣野はそう言うがその声にはどこか自信がなさそうだった。非科学的とは言え,幽霊の出ることがこの街では否定しきれない。いつの時代でも科学では説明のつかないなんとやらは存在してしまうのである。そしてそれは,この街だったらなおさらのことだった。否定しきれないその理由。それは。

「……事故の被害者,ねえ。20年近く経ってから化けて出てくるもんか?さすがにねえだろ……?」

「案外出てくるもんだぜ。」

「やめてくれそういうこと言うの。夜寝られなくなるだろ。」

 その大きな理由はこの街があった場所でかつて起こった未曾有の大事故。人類史上最悪最大規模の事故と揶揄されたその事故は,たった一つの科学研究所が中心となって起こったものだった。

 2010年某日,国立科学振興研究所『爆縮』事故は起こった。その当時の最先端科学を「科学国家プロジェクト」の一環として行っていた,東京にある国立の研究所だ。数々の学術的価値ある論文を次々と発表しその存在が世界的にも注目され始めたちょうどその頃。その矢先で,悲惨な事故は起こった。原因はわからない。だが,地上5階,地下5階,鉄筋コンクリート作りの堅牢な建物が突然敷地中央に向けてまるで吸い寄せられるように『縮小』,次の瞬間には跡形もなく周囲半径15kmを吹き飛ばしたのではないか……と言われている。その結果研究所内は愚か,周囲7km圏内に生存者はなく,被害総額は莫大。最終的に正確な死者の数は明確に分かっていないが,日本の人口の一割が死亡したのではないかとまで騒がれた事故であった。現場検証を行おうにも証拠らしい証拠は何一つ残されておらず,ただただがれきの山だけが転がっているその焼け野原を,人々はぼんやりと眺めるだけだった。もっと恐ろしいのは,その爆発跡に一切の動植物が存在しなくなってしまったことだった。この地はしばらく一切の生命活動を停止していたのである。世界各国の研究機関がこの地を訪れ様々なサンプルを持ち帰り,様々な実験・検証を行ったが,どの研究機関から出された発表もまちまちの結果で結局正確な原因は分からずじまいであった。事故から2年後,国は大規模政策として周辺地域に住んでいた住人を一ヶ所に集め,事故現場近くの区域にまとめて定住させた。いつしかそこは様々な研究機関が立ち並ぶ科学地区となった。そしてその地区を中心に広がったのが,この新科都市区である。――というのが一般的に歴史で竜海たちが習ってきたことだった。

「遺体回収もできないほどに散々な事故だったなら,当然身元不明者が出てても不思議じゃないし,供養されてなくても当然だよな……。」

「幽霊の話はもうやめろって言っただろ……。」

「あれ?ヒロ,こういうのダメだったっけ?」

「勘弁してください盾山サマ……。」

 友人の少々意外な一面を見た竜海であった。

 そんなことを話しながら駅から歩くこと400m。いつの間にか整然と区画整理された高級住宅街に二人は足を踏み入れていた。人通りが少なく閑静な住宅街,よく見れば最新の防犯システムを取り入れている住宅も少なくなかった。目の前に見えるそこそこ大きな一戸建てに向かって迷わず歩を進める剣野の後ろを,竜海は面食らいながらついていく。

「……何,お前んち豪邸だったのか,剣野くん。」

「やめろよ気持ち悪いなその呼び方。あれだよ,この地区の居住者募集がかかった直後に土地買ったらしくて。お袋曰くスッゲー格安で手に入ったって。」

「金持ちだなぁ。」

「一応お袋が新科都市区専属の研究員だからな……そっちからの援助もかなりあったらしい。」

「お前の母ちゃんすげえな……。」

 そんな竜海の言葉に,剣野は「言ってなかったけ?」と首をかしげた。もちろんそんなこと一度も聞いていない竜海である。彼曰く,新科都市区に存在する研究所員とその家族が新科都市区に住まう場合は一定の援助を受けられるらしい。研究者がこの土地から離れていくことを防ぐ為に金をばらまいているだけだとも揶揄されたものだが,今となっては日本の建トップクラスの研究所の95%,日本の研究所全体の87%がこの地区に存在しているため,離れる方が面倒なのである。そのためかほとんどの研究者が自然とこの地区に居住,以前に比べたら援助はだいぶ簡素化したらしい。

「10年以上の定住が条件で,新築一戸建ての斡旋があったくらいだからな……この国のどこにそんな金があったんだって,お袋言ってたよ。」

「言うだろうな……家,でけえ……。」

「全室クーラー完備ですよー,はい,いらっしゃい。」

「お邪魔します……。」

 これ,家賃払ってもいいからこいつの家に居候したほうがいいんじゃないか……?素直にそんなことを思う竜海であった。



 場所が変わって,竜海が密閉された部屋の中で剣野に発見される一時間程前。ここは新科都市区の中でも限られたごく一部の人間しか立ち入ることのできない最奥部。ここは,事故から数年してから唐突にコンクリートの壁に覆われた。何も知らされることなく異様な速度で進んだその工事と同時にその周辺部では一挙に都市開発が進行した。街が栄えるにつれて,少しずつこの壁の奥のことは忘れられはじめた。そして今,円形に作られたこの年の中心に限りなく近い部分,より具体的にいうのであれば国立科学新興所跡。未だにいたるところにがれきがそのまま放置されていて,地面の土がむき出しにされている半径2kmの円形のこの場所で,拳銃が火を吹いていた。その先には一人の少女。白銀の髪に紅の瞳。黒いミニスカートと白い半袖カットソーからのぞく華奢な手足,だがけして小柄ではないその体躯。見上げる空は清々しいほどの夏空だというのに,壁の中の空気はどこか澱んで視界が悪かった。

「ユノ,大人しくこっちへ来てくれ。この壁の中は君にとって何不都合のない世界だろう?今を変える必要なんてどこにもない。」

「……そうね,そうかもしれない。けれど私は!」

 ユノ,と呼びかけられたその少女は自分に向けられた拳銃にも動じず持ち主の男の目ををキッと睨みつける。触れれば割れそうな緊張感,次の瞬間拳銃が悲鳴にも似た銃声を上げて空気を切り裂いた。狙いは少女の眉間の中央,少し銃を触ったことがある者ならまず外すことのないその距離。だが,ユノの体からは血の一滴すら飛び散らない。

「……チッ。」

 男の舌打ちだけが空気の中に虚しく響いた。

「恨むならこの私を作った人間を恨むことね。私は変える。このままここに甘んじている,いつまでも守られたままのあなたたちとは違うわ。」

「……それはどうかな?」

 遥か遠くから響く爆裂音,レーザーのように赤いラインがユノの体を貫いた。陽の光を受けて幻想的に輝くユノの髪が散った。

「有効射程距離圏ぎりぎりからの射撃,さすがのお前も気付けまい。」

 勝ち誇ったような男の表情。大きく跳ね上がるように宙を待ったユノの体を眺めて恍惚とも言える表情を浮かべて拳銃を下ろす。そして,その足をユノに向かって一歩踏み出した。

「――あなたの感覚ならね。」

「……!?」

 宙を舞っているユノの口角の端が釣り上がり,にやりと笑った。次の瞬間,男は後頭部に強烈な衝撃を感じて意識を手放す。いつの間に背後に移動していたユノが振り下ろした拳銃のグリップの底が強かに男の後頭部,次いで手刀が延髄に強烈な一撃を振り下ろしたのだった。ユノには,傷一つついていない。白い肌は眩しいほどに輝いていた。

「残念だったわね。強くなるのはあなたたちだけじゃないのよ。」

 そう呟いたユノの姿は一陣の風と共に砂埃に紛れるようにして掻き消えた。あとには,気絶した男だけが残った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ