9 彼女を救う力
皆がいい人だから、こうなった。自分ではもうどうしようもない。だから諦めてくれ。
晃の頭の中で『神』の言葉が巡る。
「納得できません」
声が震える。
「もしそれが本当なら、あなたは何の落ち度もない姫理を殺し、誘拐し、意に沿わぬ役割を背負わせようとしていることになる」
『おっしゃるとおりです』
ふざけるな。
怒声を弾けさせる代わりに唇を噛み、晃は右拳を振りかぶる。力任せに、『神』を殴りつけた。だが拳は『神』を透過し、虚しく空を切った。
自分の拳の勢いに振り回され、晃は『神』の背後に倒れ込んだ。『神』は微動だにしていない。
もう一度、今度は背後から殴りかかる。
それでも結果は同じだった。
漆黒の地面に額をこすりつけ、唸り、顔面を怒りで紅潮させるだけに終わった。何の手応えもない。
『神』が晃に言う。
『我はこのような存在ですので、あまりご無理をされないよう』
――それは、不本意な確信だった。
『ここが異世界で、神を名乗る男の話は真実なのだ』ということを晃は悟った。
「ちくしょう」
姫理が苦しんだ時間は何だったのか。
ふざけるな。ふざけるんじゃない。こんな結末、誰が認めるものか。
「どうすればいいんだ。どうやったら姫理を元に戻せる。救えるんだ。教えろ。教えろよ!」
叫ぶ。立ち上がり、『神』を真正面から睨みつける。視界に映った『神』の表情は深い疲労と哀愁を滲ませたままだった。
『神』は答えた。
『我は貴方に、このまま元の世界へ戻ることを勧めます。後は、時が解決してくれるでしょう。忘却が貴方を救うのです』
「あんた、どこまでッ」
再び強い怒りが湧き上がる。気遣うように『神』は続ける。
『我に、この世界に、十分な力が蓄えられていたのならば、貴方の要求を最大限叶えることができたでしょう。ヒメリ殿とともに貴方を元の世界に帰還させることも不可能ではなかった。しかし、今の我にその力はない』
晃は虚を突かれた気持ちになった。
「それじゃあ、方法はあるのか。姫理を救い、一緒に帰る方法が」
『あります』
はっきりとうなずく『神』。
『ヒメリ殿を人間に戻し、なおかつ貴方がた二人を元の世界に送り返すためには膨大な力――魔力を行使する必要があります。それはこの世界の魔力量そのものです。しかし現在、魔力は減退の一途を辿っています。人間ひとりふたりがいくら魔力を振り絞ったところでどうにかなるものではありません。方法はひとつ』
『神』は掌をかざした。
『魔力の源である世界樹を生み出し、この世界に魔力を横溢させること。そうすれば、我は貴方の希望を叶えることができます』
「その世界樹とやらを生み出す力がないと言うのですね。『神』と自称するほどの、あなたに」
皮肉を込めた晃の問いかけに、『神』は眉ひとつ動かさずうなずいた。
『世界樹の元となる純粋な『種』は、我が元の世界から呼び寄せた人間――すなわち転生者の身体の中でのみ作ることができます。そして彼らを依り代として種は発芽し、世界樹となるのです。貴方とヒメリ殿を救うには転生者の犠牲が必要ということです』
「何てひどい世界だ。歪にも程がある。ちくしょう」
晃は毒づいた。そうでもしなければ怒りと不安でどうにかなってしまいそうだった。
『世界樹の種を生み出す素質は、すべての転生者に備わっています。しかし実際に種を生み出し、さらに世界樹と変化するには、真にこの世界を愛し、世界のために身を捧げても良いという覚悟が必要です。世界樹が生まれるか否か、この世界に魔力が溢れるか否かは、転生者の心次第なのです。これは我にはどうしようもありません。長い年月が必要となるでしょう』
「長い年月って、どのくらいだ」
『さて。見当も付きません』
もはやどんな文句をぶつけるべきかもわからない。
ただ、『神』の口ぶりとやつれ具合からいって、魔力も世界樹も不足しているという話は本当なのだろう。
そもそも、なぜそのような不確実で曖昧な手段に世界の存亡を託すのか。
『選べないのです。アキラ殿』
心を読んだように『神』は言った。
『我に与えられたのは貴方がた日本人を、死をもってこちらに呼び寄せること。その者が世界樹となるかどうかは転生してからでないとわかりません。それが正しいのか、そうでないかは我には論評できません。そういうものだからです。そして転生させなければ、我と世界は滅びます。もちろん、そこにいた者たちも全て』
「……理不尽だ」
『ゆえに運命なのです』
『神』はそれ以上の事情を語る代わりに、こう提案した。
『もし、それでも異世界に降りることを望むならば、我は貴方に様々な恩恵を授けることができます。あらゆる生命を凌駕する身体能力、絶対的な支配力、そして他の追随を許さない高水準の魔法能力。これらの力があれば、旅の負担は大きく軽減されるでしょう』
「生き残る力、か」
『最強になる力です。これは、我からのせめてもの詫びの印』
「それで異世界で遊んで、誰かが魔力を満たしてくれるまで待てって言うのかい」
『そう考えて頂いて構いません』
温厚な晃も、自分が叫ばず暴れずにいることが不思議になるほど怒っていた。
『神』からお墨付きを得た最強の力で敵をなぎ倒していくのならば、それは楽しいだろう。爽快だろう。鬱憤晴らしにはちょうど良いかもしれない。まさにゲームだ。
自分だけが楽しむのならば、それでいい。
だがそれは、晃が求めるものとは根本的に違う。
「ひとつ、質問があるのだけれど」
晃は自分の考えを『神』にぶつけた。
「姫理を救うためには世界樹を生み出す必要があると言ったね。そして世界樹は、転生者の中にある世界樹の種から発芽する、と」
『はい』
「ならば、俺の中にある種をコピーして世界樹を量産することは、可能か」
相手はしばらく黙ったままだったが、その表情は意表を突かれた者のそれだった。やがて彼は首を縦に振る。
『ですが種を複製する力を創造すれば、その分、貴方に恩恵を授けることができなくなります。それでもよいのですか』
「あなたの言う恩恵は俺が求めるものじゃない。俺は恩恵などいらない。姫理を救うために必要な力が欲しい」
『わかりました』
『神』の体が白い光に包まれる。その眩い輝きに晃は腕で顔を覆った。
『我に残された力を使い、貴方の希望を叶えましょう』
直後、『神』が無数の光糸となって晃に集まる。心臓に太く長い針が刺さったような激烈な痛みが襲ってくる。晃は苦悶の叫びを上げ、耐え続けた。
やがて光が収まったとき、晃は膝から崩れ落ちた。貪るように呼吸し、体内の血が大きな音を立てて流れていく様子を確かめる。
『神』の姿は霧のように薄くなっていた。手足の一部はすでに闇に呑まれている。ノイズ混じりの声で『神』は言った。
『我に貴方を援助する力はほとんど残されていません。一度異世界に降りれば、辛い旅が貴方を待ち受けているでしょう。元の世界に帰る道も、強者として生きる道も捨てた貴方は、自分の力で世界樹を増やしていかねばなりません』
「ああ。わかっている」
『神』の姿が薄れていく。同時に晃の足元に光の粒子が生まれた。漆黒の空間が白く染め上げられていく。無重力の中に投げ出された浮遊感に次いで、意識が遠くなる。
『転生者には、お気を付けて』
完全に意識を失う直前、晃は『神』の声を聞いた。
2015/11/13 加筆修正
2016/2/15 加筆修正