二冊目+第二章:幸
久しぶりの更新です。
前回からかなりの時間がたってしまいました。
待っていてくださったかたには本当に申し訳ないです。
オフが落ち着いてきましたので、これからは出来るだけ更新をしていきたいと思います。
幸福を探すより、不幸を探す方が簡単である。
「どうぞお座りください」
店主に促されるまま、男はソファに腰を降ろした。革の冷たい感触が、手の平を伝う。
男が膝の上で手を握り合わせたのを見てから、店主はソファの向かいにあるカウンターに向かった。
古びた椅子がぎしりと軋む音が店内に響く。
「さて… 様」
沈黙を破った第一声が、自分の名前を言い当てる一言だったことに、男は背中を跳ねさせて驚いた。
つい先程出会ったこの男に、名前を言った覚えはない。
驚きと妙な恐怖に表情を歪ませる男に、店主は微笑んで一枚の紙を出した。
「申し訳ありません。実は先程、貴方の鞄からこれが落ちました」
店主が差し出したのは、男の名刺だった。本来ならこれで驚きも恐怖も消えるのだろうが、男はどうしても店主に対しての違和感を拭いきれなかった。
何かが、何かはわからないが、おかしい。
「お返し致しますね」
店主から差し出された名刺を受け取ると、それがぐにゃりとやわらかく感じられた。
指と名刺が溶け合ってしまうような感覚に、思わず手を離す。
ぱたりと音を立てて床に落ちたそれは、硬かった。
恐る恐る手を伸ばして拾うと、もうそれは『名刺』だった。
「どうなさいました?」
「…いいえ、何でも……あの、それで…どうして俺を?」
男の質問に答える前に、店主は立ち上がり本棚に向かった。
一つ目の棚の一番上から、一冊の本を取り出す。
「ここは先程申し上げたように、自殺について知って頂く為の店です。貴方のように自殺を考える方にこの店を貸し出し、これらの本を読んで頂きます」
店主が持っているのは、黒のハードカバーに、赤い文字で『自殺とは』と書かれた分厚い本。
厚さからして、500ページほどだろうか。
「本を…読む?」
「はい。ここにある本は、全て自殺に関する本です。これを読んで貴方が自殺を考えなおすか、そのまま自殺をなさるかはわかりませんが」
中々過激な言葉とは反対に、店主は穏やかに微笑んでみせた。口元は笑っていても、その眼に光は無い。
それでも恐怖は感じなかった。感じるのは、恐怖よりも寧ろ哀しさ。
「……でも、俺もう疲れてしまったんです。毎日同じことの繰り返しで、会社に行けば上司にこき使われるし………もっと幸せな人生を送りたかったんです」
「…誰でも皆そんなものですよ。一日一日、大体同じようなサイクルで回っていく。そのサイクルの中に、時折大きなイベントが起こるのです。人生とはそう作られているのです」
そう言われても、男は納得できなかった。毎日同じことの繰り返しならば、この先生きる意味は何なのだろうか。
「それなら、どうして俺たちは…人間は生まれてくるんですか」
おもしろくもない人生を送るために生れてきたわけではない。
この世に存在するからには、何か自分の存在理由が欲しかった。
「生きるためです。この世に存在するために。この世で、この世界で心臓の音を響かせるために、私たちは生まれ、毎日を過ごすのです。……それよりも大きな理由がお在りでしょうか?」
生きることが、存在理由。男は店主の言葉に目を見開いた。そんな理由は聞いたことがない。
何でも勝ち組と負け組に分けられる世界。
何か人とは違う存在理由、この世に特別な形で必要とされることが、生きることだと考えていた。
特別な存在理由をもつ人間が存在するとしても、この世に生まれた人間が共通のものとして持っている、理由。
生きる こと。
この世に生を受けた人間が、背負った使命。
そして必ず訪れる死。それもまた、使命。
そのどちらも全うすることが、本当の存在理由なのではないだろうか。
「…生きる、こと」
「…幸福でないことは、不幸ですか?不幸でないことは、幸福ですか?…それは、貴方が判断してください」
「 !」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには息を切らせながら走ってくる同僚の姿があった。
気づけばいつの間にか、たくさんの人で溢れ返る街に戻ってきている。
「お前何してんだよ!携帯も連絡つかねぇし!部長めちゃくちゃ怒ってるぞ!」
「………なぁ」
「なんだよ」
「…お前さ、今幸せ?」
唐突な男の問いかけに、同僚の男は全くわからない、といった顔をしてみせる。
頭でも打ったのかと心配そうに首を傾げながらも、うーんと唸り声をあげた。
「いや、幸せ…ではないかな」
「じゃあ不幸か?」
「………不幸、でもないな」
なんか変だぞ、大丈夫か?と訝しげに顔を覗き込んでくる同僚の顔を一度見てから、男はよく晴れた空を見上げた。
自然と口元が笑みの形に変わる。
自殺を考えた自分が、馬鹿らしくなった。
「そうだな、不幸じゃないな。毎日同じだけど、それも一瞬しかない時間だもんな」
生きること。
それは人間が抱えた、最大の存在理由。
二冊目 完