二冊目+第一章:立寄
初投稿から二か月も放置して申し訳ありませんでした…。オフに余裕ができた時に更新していきたいと思います。
穏やかな一日の始まり。
寒かった冬も通り過ぎ、段々と春が近づいてきた。
桜はまだ咲かないものの、暖かい陽射しが落ち、草の薫りを乗せた春風が吹き抜ける。
決して広いとはいえない路地裏に、他の民家に混じって佇む一軒の古びた店。
木の枠に擦りガラスのはめ込まれた引き戸が開き、中から男が姿を現した。
真っ黒な着物を羽織り、頭には同じように真っ黒な帽子を目深に被っている。
男は店の中から看板を出し、青々とした空を見上げて呟いた。
「いい天気ですね」
憂鬱だ。
明るい街とは反対に、朝からぐったりとした顔で歩く男がいた。アイロンもかけていない皺だらけのワイシャツに、くたびれたグレーの背広。
顔色は青白い。
男は十メートル歩くごとにため息をつき、ずるずると体を引き摺るように人の波を抜けていく。
「面倒臭いな……」
誰にも聞こえないような声で呟き、男は道の端に寄って足を止めた。
壁に寄り掛かってぼうっと雑踏を眺める。
なにもかもが面倒臭かった。
体が怠く、仕事に行く気になれない。
「…死んじまうか……」
虚ろな目でぽつりと呟くと、男は一度腕時計を見て再び歩を進め始めた。
街を抜けて人気の少ない路地に入る。
しばらく歩くと、ポケットの中で携帯電話が振動した。
画面を確認すると、会社の同僚の名前が表示されている。
恐らく来ないのを心配しているのだろう。
男は一度は出ようとしたものの、考え直して通話終了ボタンを押した。
静かになったそれを再びポケットに戻し、またゆっくりと歩き始める。
見たことのない景色の道に入ると、古びた家屋の前を一人の男が箒で掃除していた。
竹箒のかしゃかしゃという音が妙に心地良い気がして足を止める。
すると、掃除をしていた男が顔を上げてそちらを向いた。深く被った帽子の下に、少しだけ瞳が見える。
「こんにちは」
「……どうも」
お互いにぺこりと会釈をする。
暫く固まったままで見合っていると、男は箒を家屋の壁に立て掛けながら口を開いた。
「お仕事に行かれるのですか?」
「あ………いえ…」
手に持った黒いバッグに視線を落としてゆっくりと小さく首を横に振る。
まさか自殺をしに行くとも言えず、口を固く結んだ。
その様子を見て、男は引き戸をからからと開けてそっと手招きをした。
「少し寄って行きませんか」
突然の誘いに困惑しながらも、別に急ぐこともないかと男の方に向かった。
扉の近くに古い看板。
自殺屋と書かれたそれが、風に吹かれてキィと音を立てた。
店の中は殺風景だった。
あるのは、小さなカウンターと黒い革のソファ、それと本棚。
男の背丈よりも大きな本棚が、店の奥の暗闇へと続いていた。
「あの…ここって何屋なんですか?」
「ここは、自殺屋です。私はこの店の店主です」
店主の言葉に、男は驚いたように眼を見開いた。
インターネットで自殺屋というものの紹介をみたことがある。
つまりここは、自殺を勧める店なのだろうか。
「勘違いなさらないでくださいね。ここは自殺をお勧めする店ではありません。自殺について知っていただくための店です」
「自殺について…知る?」
「……自殺をなさるのですか?」
突然の店主の問いに、男は戸惑った。自殺を考えたのは本当についさっきのことであり、当然誰にもなんの相談もしていない。
ましてこんな見ず知らずの人物に、たとえずっと前から自殺を考えていたにせよ、話すはずがないのだ。
「ど…どうして…」
「自殺は悲しい行為です。なぜ自ら命を断とうとするのか…それはとても勿体無いことです。…よろしければ、店を借りてはみませんか」