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三冊目+第八章:記憶

読んでくださる読者様に感謝を申し上げます。

前作の感想もたくさん頂き、いつも励ましになっています。あいかわらず更新は遅いですが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

男は毎日14時に店を訪れた。

決まった時間に訪れて、決まった時間に帰って行く。

「ここは、どこですか」

「ここは自殺屋です」

そんなやりとりも決まって男が訪れた時に行われた。


男は店に来て、まずカウンターに立ち寄る。カウンターの隅に置かれたメモを確認するためだ。

まだ何も書かれていないメモの横には、男がどこまで本を読んだのか書かれたメモが束になっている。

男が忘れてしまうからと、店主が考えて置いているものである。男はメモをしばらく見て前回読んだ本のタイトルを覚えてから本棚に向かう。前回読んだものは左から3つ目の棚の上から2段目一番左の本。本来ならその隣の本を取りに行くべきところを、男は一番左の棚に向かった。

手にとったのは、左上の一冊目の本。

この行動は毎回のものだった。どんなに先の本を読み終わっても、その次に行く前に一番最初の本を開く。店主はカウンターに座ったまま、男に声をかけた。

「いつもその本をお開きになりますね。何か気になることでもございますか」

店主の問いかけに振り返ると、男は手に持った本を棚に戻し、しばらくの沈黙の後返事をした。

「……確認するためです」

その返事の意味はよく理解できなかったが、店主は唯、そうですかと答えて読み途中の本に目を戻した。


夕方になり、男はメモに今日読んだ本の置き場所とタイトルをメモして帰っていった。ソファに置かれた本を棚に戻すために、店主はカウンターから立ち上がる。本を棚に戻した帰りがけ、一番左の棚、一冊目の本を開く。表紙を開いたそこから、一枚のメモが滑って床に落ちた。拾い上げてみると、そこに書いてあるのは名前。あの男の名前である。

男は確認するためだと言っていた。

記憶が曖昧なこと、忘れてしまうということ。いつどんな記憶が消えるかわからない恐怖。それは本人にしかわかりえないことだろう。もしかしたら、いつか自分の名前さえも忘れてしまうかもしれない。そんな不安を抑えるために、このメモを毎回見て確認しているのだろう。自分自身の名前をではなく、まだ自分が自分を覚えていることを。

店主はメモを戻し、本を棚にしまって店の奥に姿を消した。


「人間の記憶というのは、存外適当なものです」

店主の声に、少女は静かに顔をあげた。店主の表情は、どこか寂しいような、悲しんでいるような、それでも、微笑んでいる。

「はっきり覚えているようで、そうでもなかったりする。辛いことほど、強く記憶に残り、嬉しいことほど、段々とかき消されてぼやけてしまう。それは辛い経験のほうが心に受ける衝撃が大きいからです。どんなに嬉しかったことも、辛いことがあればそれに塗りつぶされてしまいます。それも悲しいことかもしれません。けれど、彼は辛いことすらも、覚えていられなかった。彼には、苦しんだ記憶も、喜んだ記憶も、何も残らない。それは悲しみというよりも、恐怖に近かったのでしょう。何を思っても、いつか全て消えてしまう」

少女はカウンターに置かれたメモを見つめて、ただ黙っていた。店主の話に聞き入っているというよりも、何を言っていいのかがわからない。

記憶が消えてしまう。それもぷつりと、糸が切れるように突然。いつ忘れるのかわからない恐怖。そしてその恐怖さえも忘れてしまうということ。そんな状態で生き続ける、苦しみ。少女には想像がつかなかった。

「……その人、どうなったんですか」

ようやく出てきた言葉で、店主に問う。店主はメモの文字に触れながら、言葉を返すためにゆっくりと口を開いた。

「亡くなりました」

「自殺したんですか」

「いえ、ご病気で。結局最期まで彼の記憶は曖昧なままでした。ですが、一つだけ彼が最後に思い出したことがありました」

少女はなんだろうかと首を傾げる。

「彼の奥様のことです。彼が記憶を失うようになったきっかけだったそうです。奥様を病気で亡くし、それ以来彼の記憶障害が起こったようです。それすらも忘れていたのに、彼は最期にそれを思い出した。奥様が迎えにきたからかもしれませんね」

少女は店主の言葉を複雑そうな表情で聞いていた。それは男にとって幸せなことだったのだろうかと、考えた。

それはどうなのか、男以外に知ることはできない。

「さきほど嬉しかった記憶は、辛い記憶にかき消されてしまうと言いましたが。当然逆もあります。脳に焼き付いていた辛い記憶が、以外とあっさり消えてしまうこともあります。それには、長く生きること、時間が必要ですがね」

店主は静かに笑って、メモをカウンターの引き出しの中にしまった。

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