三冊目+第七章:涙
2日後、男は再び自殺屋を訪れた。
店主が店の扉を開けると、目の前に男がぼうっと木のように立っていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
店主が微笑んで言うと、男はじっと店主の顔を見つめたあと、こくりと一度頷いて店の中に足を踏み入れた。
中に入った男はきょろきょろと店の中を見まわし、本棚に向かった。
本棚の前で足を止めて店主を振り返る。そして、口を開いた。
「ここは、どこですか」
店主はまっすぐに男の顔を見て答える。
「ここは自殺屋です。あなたは2日前にこの店を訪れたのですよ。………覚えていますか」
店主の問いに、男はしばらく自分の足元に視線を落としたり店主の顔を見たり店の中を見回したりをしたあと、ああ、と小さく声を上げて頷いた。そして、黙って本棚に向かう。店主は黙って男の背中を見つめる。
男は本棚の一番左上の本を手に取り、その場にしゃがみこんで表紙を開いた。数ページ進んではまた最初に戻り、それを何度も繰り返す。
店主は黙ってその様子を見ていた。静まり返る店の中に、捲った時に紙が擦れる音だけが、妙に大きく響く。
一定のリズムで繰り返されていたその音が、ぴたりと止んだ。店主は男に歩み寄り、隣に座り込んだ。
「どうなさいました」
「………自殺が…したくて……なんで僕は、ここにいるんでしょう」
男はそう呟くと、持っていた本の表紙をこつこつと爪で叩いた。手から本を落とすように離す。店主が本を拾い上げると、男はそれを目で追いながら自分の左手の甲に手を伸ばした。
爪を立て、力を入れる。ざりざりと鈍い音を立てながら、皮膚が引き千切られていく。男の爪の間に削られた肉と滲んだ血が蓄積し、みるみるうちに両手が血に染まった。
それでも男はその行為をやめようとはしない。店主は黙って手を伸ばし、男の右手を止めた。
自分の手を掴んだ手をたどるようにして、男は店主の顔を見る。そして、口を開いた。
「こうすれば、忘れないんです。痛みが、自分が何を考えていたのか教えてくれる。何か残さないと、忘れてしまうんです」
「………」
「こんなことを繰り返さずにそのとき死んでしまえばいいんですけど……わかっていても死ねないんです。なぜなんでしょう」
男はぼうっと左手を見つめたまま、震える声で呟いた。それは、店主への問いなのか、自分自身への問いなのか。
気だるそうにため息をつき、男はその場に横になった。店主は立ち上がり店の奥へ姿を消すと、箱を持ってすぐに戻ってきた。横たわる男のそばに座り、左手の治療を始める。
黙って手当てをしていた店主は、ガーゼを張り終えると、男から視線をはずしたまま声を発した。
「死にたいと思っていても死ねないのは、あなたが心のどこかに、死にたいという気持ちと一緒に『生きたい』という気持ちも持っているからですよ。その気持ちが完全に消えてしまうまでは、生きてみませんか」
男の目から涙がこぼれた。理由のわからない涙だったが、男はそれを拭うこともせずに横たわったままぽろぽろと涙を流し続けた。