表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

第九篇 反転

その一


 が、慕蓉麗動かず。と思うと、突然剣を演舞台につきたてるや、無手となって迫る二剣を軽やかにかわす。

 劉晶の差し出した剣を引き寄せたのは、自分の気を見せ付けるためだったのか。舞いを舞うように黒袖をひらめかせるその姿、まるで黒蝶のように艶やかで、剣を花に見立て、どれにとまろうかと選んでいるかのようにも見える。

 龍玉と虎碧の攻めとてまずくない。ぴったりと息を合わせ、前後左右から挟み撃ちにして素早く立ち回り、剣のひらめきやむことはない。だが慕蓉麗はその上を行っていた。

 周囲は歓声轟き、慕蓉麗の勝利と、龍玉と虎碧の生贄を求めてやまず。見守る周鷲らは、気を張り巡らしながらどうすることもできない。

 だが何を思ったか慕蓉麗は、かっと目を見開き虎碧を鋭く睨みつけたかと思うと、突き立てた剣のもとまで引きこれを抜けば、突然自分の首を刎ねるような仕草をする。

「碧い目の、女狐め!」

 黒き瞳に紅蓮の炎があがっているかのように、慕蓉麗の眼差し鋭く。龍玉と虎碧あまりのことに動きをとめ。周囲はなぜだと騒然とする。

「なぜ本気をださぬ。この私をもてあそび、侮辱するのか」

 その言葉に虎碧は驚くとともに、ぐっと喉を詰まらせる。

「……」

「な、なにわけのわかんないことを。ふん、首を刎ねるんなら、さっさと刎ねな。その方があたしらも楽でいいや」

 龍玉口をとがらせるも、虎碧は押し黙っている。

「虎碧よ、お前の力はその程度ではあるまい。殺生をいとい私に情けをかけるのは、屈辱であると知っているはずだ。それを承知でなおも手加減をするというなら、龍玉の言うとおり楽をさせてやろうか」

「……」

 押し黙るままの虎碧。龍玉は「首を刎ねろ刎ねろ」と吼えたけり、とどまるところを知らない。

「そういうお前だって、剣を使わないじゃないか。人の事を言えた義理か!」

「違うわ」

「え?」

 慕蓉麗の無手は手加減ではないと見る虎碧に、龍玉はぽかんとする。

「慕蓉麗さん、あなたから得体の知れない気を感じるわ……。剣よりも無手の拳法か掌法の方が、より強く闘えるのね」

「いかにも」

 今にも首を刎ねんとしそうな慕蓉麗、鋭く頷く。

「え、え、どういうことさ」

「ふん、目上の龍玉がわからぬとはな。八つにして悟りを開き成仏した龍女もこんな女に名前を使われて、いい迷惑というものだ。龍玉の名を返上して、いっそ『我不是龍女 如是我不成仏』(我かの龍女ならず、我かくの如く成仏せず)と名を改めたらどうだ」

 慕蓉麗、わざわざお経の一節のような長い名前を勝手に決めつけ、あきらかに馬鹿にしたように龍玉に笑いかけると。剣を放り投げた。とともに、劉晶跳ね飛び、宙に舞う剣を上手く鞘におさめ着地。

 慕蓉麗もさることながら、それに仕える侍女劉晶の腕前も相当なもので、讃える歓声があがる。周鷲らじっと成り行きを見守る。

「負け惜しみを。あたしらに勝てそうにないから、そんな下手なことを言っていじけて自害しようとしたくせに」

「余興は終わりだ。龍玉、まずお前から死ね。見せてやろう、蜘蛛巣教なくとも技いまだあることを」

 虎碧ただならぬ拳気を感じ、

「龍姉 小心!」(龍お姉さん、気をつけて!)

 と叫ぶが、黒い影はさっと龍玉の目前まで迫り、その掌するどく顔面を打たんとする。

 龍玉かろうじてかわすも、掌の切る風の破片もまた鋭い刃となって、髪の毛を数本断った。

 背後より虎碧援護に刺突にて迫るも、これに気付いた慕蓉麗、なんと左手の指二本で剣先をつまんで離さない。

 髪の毛一本の差で掌から逃げおおせた龍玉、剣先を掴まれた虎碧を視線を交わす。

「昇龍女!」

 剣に気を込め、気合のひと振り。たちまちのうちに竜巻が巻き起こって、慕蓉麗に迫り。虎碧柄より手を離して、身をかわして逃げる。

 が慕蓉麗、冷笑を浮かべ右の掌をかざすと、竜巻はみるみるうちに掌に吸い込まれてゆきあとかたもなくなった。

「な、そんな馬鹿な」

 新しく編み出した必殺技を、こんなかたちで消されて龍玉の衝撃は大きかった。

「残念だったな。もう少し修練を重ねれば私とて逃げざるを得なかったが、まだ未熟なところが多い」

「ッく……」

 指先でつまんだ剣を放り投げて虎碧にかえし。余裕しゃくしゃくの慕蓉麗。ばっと両袖を勢いよくひろげれば、谷に吹く風がひるがえったようにうずまき。袖からの掌を出し、ゆるりとまわす。

 白き肌の、ゆるりとまわる掌は幾重にも連なりの、まるで白蓮華のよう。

「見せてやろう。一族の女のみに伝えられる秘技、白紅蓮掌びゃくぐれんしょうを」

 秦覇不適に、慕蓉麗がかわいいとばかりに笑う。

 空路と南三零、ぴくりと眉を動かす。いよいよあやうい気が慕蓉麗からたちこめるのを覚えるのだ。

「白紅蓮掌? ふん、邪教にくせにいやにお上品な名前じゃないか」

 龍玉は忌々しく言う。虎碧は黙って剣を構えるのみ。

 にらみあったまま動かない。いや、動けないというか。龍玉と虎碧のふたり、慕蓉麗につけいる隙を見つけられない。

「ふん、この技を受けてもなおそう言えたら褒めてやる」

「あんたに褒められてもうれしかないね」

「嬉しくないか。強情なお前らしいものいいだ。白紅蓮掌は会得難しく、ほれ、あそこにひかえる摩と辺はまったく体得できずそのため妖術に走ったのだ」

「べらべらとまあ。おしゃべりをするための掌法でもあるまいし」

「その通りだな。では受けるがよい、白紅蓮掌を」

 減らず口を叩く龍玉に向かって、黒い影がさっと目前に迫るや、二つであるはずの掌は蓮華の花びらの数ほど増えてたように見え、またそれは輪を描いて花咲かす蓮にも見えて、龍玉の鼻っ柱を叩き潰そうとする。

「!!」

 かわす暇なく両腕を十字にかまえて顔面を守り、咄嗟に後ろに跳躍するも、その掌打烈しくどんと後ろにふっとばされ、演舞台から落ちそうになる。

「くっ」

 あやうく縁をつかんで、さっと演舞台に立てば。今度は虎碧が慕蓉麗の掌法と闘っていた。

 ゆるやかに、ゆとりをもって舞を舞っているように見えるがその実掌の動き間断なく、相手に休み暇を与えることなく攻め立てる。


その二


 虎碧剣を手にしながらも、一切の反撃なさず、ひたすらに慕蓉麗の掌をかわす。 

 龍玉、ごくりと唾を飲む。

 慕蓉麗は気に食わないが、伊達や酔狂で相手を脅すような女ではないことはわかっている。その彼女が、渾身の力を込めて虎碧の顔面といわず腹といわず、的確に急所となる部分を狙い打ちする様は、さすがの龍玉とて寒気を覚えるのだった。

 もしこれを食らえば、蓮華のように咲き誇る白い肌の掌は、相手の血によって紅く染まること間違いなく。

 名前が示すとおり、闘い済めば掌は紅白の蓮華の様をあらわすだろう。

 しかしそれ以上に驚いたのは、渾身の力で掌を繰り出す慕蓉麗の攻めをかわす虎碧の動きだった。

 慕蓉麗もまた舞うような華麗な動きだが、虎碧の動き黒髪流して軽やかに掌をかわしているよう。

 迫る掌を、すうと風にしなる柳のように身をかわしてやりすごし。

 命のやりとりであるにもかかわらず、一滴の血もいまだ見ず。見目麗しい美女ふたりが、天地の神々に舞いを奉納するかのようにも見え。

 観衆も思わずうなりをあげた。

 これに怒ったのは、慕蓉麗であった。 

「本気を出せ! あのときの虎爪式はまぐれではあるまい」

「……」 

 虎碧無言。ただ掌をかわす。

「虎妹、やっちまえ! 遠慮するこたあないんだよ!」

 ええいじれったいと、龍玉剣をかざしつっかかる。虎碧それにあわせ、やむなしと口をつぐみ、これもまた剣を繰り出す。だがやはり、慕蓉麗さるものでひらりひらりと難なくかわし、かすりもしない。

 二対一ながら、勝負は一進一退。

 天望党は素直にこの仕合を楽しみ、周鷲らは手に汗握る。それを察してか察せずか、虎碧ささやく。

「本気を出せば、あなたは死ぬわ」

 その言葉、慕蓉麗を挑発するに十分で。

「面白い!」

 嘲笑うかのように、慕蓉麗は本気を出せとさらに迫る。龍玉は、虎碧と行動をともにして長いが、そういえば、まだ本気の虎碧を見たことがない……。

(一体、虎妹の力とは……)

 おおらかでおおざっぱな性格から、あまり人にあれこれとものを尋ねない龍玉だったが、このときばかりは、相手を殺すことを恐れて本気を出さない虎碧に対し、

「なんでよ!」

 と胸倉をつかんでやりたい気持ちにさせられた。

(ちぇ)

 どうにも、虎碧は本気を出しそうにない。

「やめだやめだ!」

 さっと後ろに飛びさがり、もろ手を広げて叫び。一方的に決闘をやめた。

「話にならん! こんな馬鹿げたことを、いつまでも続けられるものか」

 とさっさと演舞台より降り立ち、秦覇の前まで来ると跪き。

「身勝手な振る舞い、万死に値すること百も承知。されど……」

 と詫びる。

「よい。相手があの様では無理からぬこと」

 と言い、秦覇は立ち上がると演舞台の虎碧と龍玉を見据える。龍玉は秦覇の目から見ても、たいしたことはない。だが、虎碧に関してはその奥底からただならぬものを覚えるのだ。

 碧い目が、戸惑いに震えている。

(この娘、面妖な)

 疑問は残るものの、小娘一人にかまけている暇なない。彼女のことはまたあとからでも、どうとでもなるというもの。と自分に言い聞かせ、周鷲をかえりみれば、じっとこちらを睨みつけている。

 他の面々は、かたちはどうあれ龍玉と虎碧が無事なことに安堵しているようだ。

「やはり我々はこうしてなごむよりも、戦場にて刃を交える方がよいと見える」

「なに?」

 周鷲、秦覇の穏やかならぬもの言いに眉を吊り上げる。

「猶予をやろう。茶番劇はやめ、我らこれより都におもむき天下をいただきにまいる。その間、鷲弟らはいそぎ下山し、備えをするがよい」

「なんだと……」

 言っている意味が理解しきれないという顔をしながら、周鷲は立ち上がりながら秦覇とにらみ合う。

「もう一度言おう。山を下り、いそぎ郷里へと帰って我らとの合戦に備えよと言うのだ。天地の神々は女ふたりだけの生贄では満足できぬそうなのでな」

 怜悧な秦覇の瞳が、冬空の月のように冷たく光る。

「我らの天下を取ったあかつきに、天地の神々への供物としてお前たち一族はおろか縁者領民にいたるまでことごとく、その血を天地に捧げる」

「何ぃ……」

 低くこもった声で周鷲は唸った。言っていることは大仰だが、秦覇からはそれを実現しそうな覇気がただよっている。

「行くがよい」

 そう言うと秦覇はそっぽを向いて館に向かい。後ろに慕蓉麗が付き従いまたその後ろに侍女劉晶。それからも、四天王に三人娘、司馬良といった面々が秦覇について館に向かい。あとには周鷲や空路らがのこされた。

 鳳鳴くように吹く風は、早く帰れとうながすように一同の頬をなで髪を流してゆく。

 龍玉演舞台より飛び降り、虎碧がそれに続く。

 視線は虎碧にそそがれる。

 はじらうか、虎碧視線を避けるようにすこしうつむく。

 見れば、龍玉は闘い済んで気が抜けたか途端に肩で息をし汗もしたたり乱れた髪は肌にはりつくというのに、虎碧は何一つかわらない。

 誰も、なんと言っていいのかわからなかった。

 周鷲、沈黙に耐えられずか、戸惑いに揺れる虎碧の碧い瞳を見つめて、

「ゆこう。父や母の待つ庸州へゆこう」

 と一同の真ん中に立って、そう呼びかけた。すると、虎碧一歩さがる。周鷲それを見逃さなかった。

「虎碧さん、おれには妹がいるんだ。兄のおれがいうのも何だが、いいやつなんだ。きっといい友達になれると思う」

「……」

 虎碧、黙して語らず。

 他も黙っている。

 わざわざ明山まで出向いて、こんな成り行きになろうとは誰が思おう。ことに、虎碧はそうなったことを、恥じているようでもあり、申し訳なく思っているようであった。

 それだけに、周鷲の心遣いが辛い。

「虎碧さん、ここは急を要します。まずは山を下りて、周鷲さんの言うとおり庸州にゆくしかないでしょう」

 南三零さとすように言う。このままでは、てこでも動かず山の石に同化し風に吹かれてしまいそうだった。龍玉も舌打ちしつつ、いこう、と言い。

 ここまで来て出番の無かった長元、彼も戸惑いを隠せないが虎碧を責めるようなことはせず。方天画戟をぶうんと一つ勢いよくまわして、地に突き立て。

「しんがりはおれが。さあ、いったいった!」

 とわめき、下山をうながす。「まかせたぞ」と空路はいい、先頭に立って一同を導くように、鳳鳴谷を出て、明山を下りてゆく。

 ころばないように足取りを気をつけながら、飛び降りるように駆け下り。もうすぐふもとだ、というとき突然、くうも裂けよとばかりに凄まじいまでの獣の咆哮が聞こえたかと思うと。一同を影が覆った。

「なんだ!」

 と空を見上げれば、頭上高く、魔神・竜馬が天を駆けるように飛んでゆく。これなん妖術を極めた司馬良の変化した姿なのは言うまでもない。

 その頭上に、まるで大地に足を踏みしめるようにして堂々と仁王立ちするひとりの王者然とした、若き剣士の姿があった。

 秦覇であった。

 それがはるか頭上の上を駆け抜けるや、一陣の風一同にぶつかり、皆吹き飛ばされぬように足を踏みしめる。が、心うわの空の虎碧、風に揺られてたおれようとするところを、周鷲あやうく支えて助ける。

 どうも虎碧、心に腑抜け癖がついてしまったようだ。

 それはともかく、平時なら知らずいまこのとき、冷やかすものなどあるわけもなく。照れを覚えつつ、周鷲は虎碧の手をとり山を駆け下った。

 握ってわかった。小さな手だ。

 この手で剣を握り、ひとりあてどのない旅をしていたのだ。途中で龍玉と出会ったとはいえ、それまでどんな思いをして旅をしていたのだろう。それに、どうしてひとりになったのだろう。

 慕蓉麗が求めるほどの力を持ちながら……。

「武、必ずしも己を助けると限らず。むしろ災いを招かんとすること多し。ゆえに道を学び、武徳を積むべし」

 かつて鈴秀と木吉がそう教えてくれたことがあった。

 虎碧は過去に、「武、必ずしも己を助けると限らず」といったことがあったのだろうか。 

 いやそれよりも。

「なんでえあのデカブツはよお!」

 しんがりの長元が叫ぶ。


その三


 いましがた向こうへ飛び去った竜馬を見て仰天しているらしい。

「あれは噂に聞く魔神変か。まさかそれを会得した者を傘下に入れているのか、秦覇は」

 空路が忌々しくうなる。妖術使いの類は四天王をはじめ幾度かまみえたことはある、しかし伝説の秘技である魔神変はとうに消えうせていたと思っていただけに、心穏やかならぬものがあった。

 魔神変が地に埋もれようとしたのは、ひとえに慕蓉武時の素質もあったからなのだが、秦覇はそれを掘り起こすように手に入れてひのもとに出した。

 なるほど、この竜馬一騎あれば平和に慣れた都の弱兵など敵ではあるまい。

 天駆ける竜馬風に乗り、まっしぐらに都を目指す。ということは、後ろから地を駆けてゆくであろう、天望党の者たち……。

「これは急がねば庸州に着く前に、やつらに追いつかれ殲滅させられるやもしれませぬ」

 木吉が忌々しくうめく。猶予をやろう、と秦覇が言ったとしても、そこはもと邪教の集まり、さてやつらは秦覇のように猶予をくれるであろうか。

 距離的に言えば庸州よりも岡豊山の方が近い。

「ここはひとつ、おれの岡豊山に行くのがいいと思うぜ。兵隊どももいるし、おれがいる!」

 しんがりから、長元空くうを揺るがすように吼え猛る。

「そうですな、わたしもそれがよいと思います。空路どの、南三零どのは、いかがか」

 鈴秀は長元に賛同しながら、空路と南三零に意見を聞けば。めおとともに、異議なしと頷く。

 龍玉は剣を握りしめて、口元のほくろも艶やかな美しい顔を知らずにゆがめ、一同の中で山を駆け下りる。

 そうするうちに、どうにか町にたどりつき、宿に駆け込み長元の子分十人と合流する。幸い彼らには害は加えられなかった様だが。

「あの老人、さっきここへ来たと思ったら、『お前たちを哀れんで言う。今日より天望党に加わるべし。否であらばその命風前の灯』などとほざきよりまして、それからどこぞへいきやがりましたが。親分、何があったんですえ?」

 と不審な顔をして言う。

 長元、方天画戟をぶんと唸らせ、どすんと地に突き立てる。

「おめえら、まさか天望党なんざに入りてえなどと言うんじゃねえだろうなッ!」

「め、めっそうもねえ。ただ山で何があったのか知りてえだけでがすよ」

「後で教えてやっから、とにかく山へけえるぞ。さあ急いだ急いだ!」

 長元親分の威厳轟かせて、子分どもに帰り支度をさせて、一同岡豊山へ急いだ。

 で、幸い無事に山へ帰り着き、忠澄以下の子分たちに庸州いきを伝えた。

 岡豊山は木々が生い茂っているとはいえ、山塞の前に、木々の間を縫うように山の好漢たち三百が一同に集められた。

 親分長元をはじめ、恩ある空路に南三零、また周鷲に鈴秀と木吉、そして龍玉と虎碧。これら三百の好漢たちの前に勢ぞろいしている。

 この突然のことに、山の皆が驚いたのは言うまでもない。そして山でのことを聞いて、もっと驚いた。中には腰を抜かし、がたがた振るえているものまであった。無理もないことであった、邪教がそのまま丞相御曹子秦覇の配下になって党をつくり、その中には妖術使いもおりまたそうでなくても慕蓉麗に劉晶のような想像を絶する手練れがそろいもそろっている。これが天下をとって、庸州の領主やその縁者領民ことごとく殺しその血を天地に捧げる、などと。親分からまことしやかに語られれば、度肝を抜かさずにいられるものだろうか。

 だが長元百雷のごとく叫んだ。

「いまこそおれたちの『侠』を示すときじゃねえか。弱きを助け強きを挫き、漢として任侠道をまっしぐらに突き進む、ってなあ」

「そうだ! 親分の言うとおりだ! この世に悪のある限り、おれたちゃ闘い続けると天地に誓ったじゃねえか。今こそおれたちの出番だぞ!」

 長元に続き忠澄叫ぶ。

 今までやくざ者として日陰に隠れるようにして生きてきた彼らだった。機会があればお天道様の下を堂々と歩けるようになりたかった。

 今こそ、その機会だ。と忠澄は続けて言う。

「庸州といえば、名君の誉れ高き周思さまの治める地。考えろ、日陰者のおれたちが、周思さまとともに戦うのだぞ。こんなこと、今まで考えたことがあるか」

 ざわざわと、ざわめきが広がる。

 周鷲は父が名君名君と言われることに、こそばゆいものを覚えるとともに、息子の自分はどうだろう、と考えた。

 秦覇の挑発を受け、自分の立場も考えず危険な旅に出てしまった。

 ただ、旅に出たからこその出会いもあった。

 ちらりと、虎碧の横顔を覗いた。

 まだあどけなさののこる碧い目の少女は物憂げにうつむいている。

 これから起こるであろう多くの殺生に心を痛めているのだろうか。それと、わざわざ明山まで出向きながら、あんなかたちで反転することになってしまったことに悩んでいるのだろうか。

 そういえば、相棒の龍玉とは、あれからぎこちなく、話もしない。龍玉は怒っているのかもしれない。

 他は、どう考えてるのだろう。ひとつ言えるのは、心はなかなかひとつにならないということだ。

 それは空路と南三零も察していたし、鈴秀と木吉も案じているところだ。

 長元は単純であるようだが、江湖を渡り歩き市井の人々と交わり深かっただけに自分でも知らずに人を見る目が鋭くなっている。

(龍玉さんと虎碧坊、なんか仲悪くなってねえか)

 と心配している。

 だがその心配は後回しだ。今は子分たちをその気にさせて、庸州へとなだれ込む気にさせねばならない。

 ことは急を要する。長元は声高く吼え猛りながら、話を周鷲につなげた。

「若ッ! なにか一言!」

 と突然ふられ、えっと驚きながらも、彼らが助太刀にまわってくれるのだと思うと込み上げてくるものがあった。

 ここは、イッパツ決めねば。

 剣をたかだかとかかげ、声も高らかに訴えた。

「我に続く者は、応とこたえよ。続かぬものは、否とこたえよ!」

 まるで岡豊山の好漢たちを子分か家来に見てるような物言いだが、周鷲咄嗟に言ってしまった。必死だった。

 物憂げな虎碧、周鷲の声の響きに何かを感じたか、顔を上げて周鷲の横顔を見つめている。途端に、「応!」と岡豊山が男たちの怒号に揺れた。

 鋭い眼差し、天を仰いで。空の向こうへ志を寄せる。というような一句でも出来そうな、周鷲の姿。

 やはり血筋か、周鷲から若くも鮮やかな覇気がほとばしり、それは男たちを感じさせるに十分だった。ことに敏感なたちなのか、長元めをかがやかせ。片肌ぬいで、

「おおーー!」

 と自分の立場も忘れて子分以上に吼えた。気がつけば、皆周鷲を中心にして気持ちを繋げようとしていた。

 そばで微笑ましげに空路と南三零がこの光景を見つめている。

(幸いなるかな。周鷲の若君、まこと名君の血を引く御曹子なり)

 名君の子だからといって、二世も名君とは限らないが。周鷲に関しては、その心配はなさそうだ。

(秦覇め、目にもの見せてくれん)

 周鷲は奮い立つ心燃え上がらせて、これからの戦いに思いを馳せる。


その四


 それから、岡豊山は上を下へひっくり返すようなてんてこ舞いで総出で出立の準備にとりかかり。翌朝、日の出にいななく騎馬のひづめも高らかに鳴らし、周鷲率いる岡豊山の好漢たちは庸州向けて疾駆した。

 のどかな田園風景の中を、数十騎の騎馬隊が土ぼこりをあげて隊列をなして駆けている。付近の郷さとの人々は何事かと仰天したものだった。

 だが空路や南三零の助言あって、あとで郷さとの人々に、事情を告げてまわった。いわく、お国に一大事あり、我ら義をもって馳せ参じん、と。

 これに人々は驚きおろおろするのも道理。お国の一大事と聞いて、なんぞ戦乱でも起こるのかと心穏やかではなかった。が、まさに国は乱れようとしていた。

 ただ、長元の功績あって、あたりは穏やか。お天道様の恵みの光を受けて、山々や田畑は緑に光り、山の麓の小川はさらさらと流れゆき。小鳥は唄をうたって羽ばたいて、のんびりと木に止まってくちばしで見繕いをして。

 国が乱れようとするなど、にわかには信じ切れなかった。いや、国とは、一体なんであろう。

 馬を駆けさせながら、詩心ある南三零は思わず、

「国滅ぶとも山、巍々(ぎぎ・高く大きいさま)としてそびえ、河は絶えず流れる。風吹き荒れて国が興るも、滅ぶも、風の過ぎしのち、これことごとく夢のよう……」

 とうたった。

 騎馬隊のあとに、得物を携え旅装をした徒歩立ちの好漢たちがつづく。岡豊山の好漢たち皆が馬を持っているわけではない。馬ある者は先に庸州へと駆け、後から忠澄が徒歩立ちの者たちを率いて、現地で落ち合うことになっている。

 さて虎碧ら一行が明山から岡豊山へと至るまでの間、竜馬に乗る秦覇は目を輝かせながら下界を見下ろしていた。

 冷たい風が全身を打つも鍛錬を積んだ身には堪えず。

「まるで人が虫のようだ」

 とつぶやく。

 果てのない蒼き空を、白き雲が群れをなして泳いでいる。その下で、巍々としてそびえる山々があり、河は地を裂いて流れてゆく。人はその間間に住処を作り、こぢんまりと生きている。空から、そう秦覇は見た。

 ただ、空らか眺めるその景色の荘厳さよ!

 この下界で人は幾度も争い、興亡を繰り返してきた。それを自然は見下ろし続けてきた、あるがままの姿で。

 古来より人は自然を畏れ敬いながらも、よりかかるようにして生きてきた。

 見よ! あの巍々たる山々の威風堂々たる姿を。万年雪を受けながらも、天を貫くように頂上をかかげて堂々とそびえるさまの、なんと神々しきことか。

 いかに人の言葉をもって罵詈せんとも、山の高きことは変わらず。揺らぐこともない。むしろ言葉を弄し山を罵詈する人こそ、その心揺らぎ、低きこと蟻の如しではないか。

「我、巍々たる山となりて、頂上天を突かん」

 と秦覇は空の上で吼えた。

 それは天地の神々へ挑もうとしているようでもあった。

 やがて都が見えた。

 高き城壁に囲まれ、壮大な建築物が軒を連ねて、この世の栄耀栄華を極めつくしたその威容といえど、空より見上げればなんと小さくささやかにして、かわいらしいことか。

 竜馬は都の中央にたたずむ宮廷めがけて急降下する。

「あれはなんぞ」

 都の人々は、突如空より竜馬が姿をあらわしたことに驚き、空を見上げて恐慌に陥る。

 都の兵たちも得物をかまえて、空を見上げる。しかし、伝説や神話でしか知らぬ魔神がこの現実世界に姿をあらわしたことに驚愕して、何の役にも立たなかった。

 中には腰を抜かして、がたがた振るえるものまであった。 

「何をしておる。立て、立たぬか!」

 と将軍が叱咤するも、効き目なし。

 竜馬かまわず、宮廷に向かい。宮中の人々は魔神の姿に気を飲み込まれて、恐怖を通り越して唖然とするしかなく。

 宮廷女官の悲鳴が響き、すわやと近衛兵が靴音も高らかに各処に配置し竜馬向けて剣や矛を突き出すも、魔神の姿を前にして木偶のようになすすべもない。

 だがさすが帝を守り遊ばすために選りすぐられた精鋭ぞろいの近衛兵たちであった、勇敢なる若武者がひとり弓矢をかまえ、竜馬むけて矢を放った。

 矢はひょうと飛び、竜馬の腹へと若武者の心そのもののようにまっしぐらに迫ってゆく。

 その刹那、竜馬より人影飛び出すや見事な動きを見せ矢を掴み取るや、そのまま地上向けてまっさかさまに落下してゆく。

「人が!?」

 まさか人が乗っていようなど思いもせず、驚きはさらにつのり近衛兵たちは思わず後ろへ一歩たじろぎながら、さらに十重二十重と驚きを重ねてゆく。

「あ、あれは、秦覇どのではないか!」

 ひとりが声を上げると、他からも次々と声が上がる。

 確か丞相御曹子は、病に伏せて療養中であると、父秦亮より伝えられているはずであった。

 それが、なぜ。

 疑惑と驚愕がないまぜになって、近衛兵たちは動くに動けなかった。

 空飛ぶ竜馬より飛び降りた秦覇は空歩術をもちいて、宮廷の中庭の築山へと降り立った。築山ものどかに盛り上がって、目に優しい緑したたる緑園にも、鉄甲凱燦たる近衛兵が待ち構えていた。

 秦覇は築山の頂上で彼らを見下ろし、左手に矢をつかみ、右手は腰に佩く鳳鳴剣を抜き放ち。

「帝はいずこにありや」

 と気を張り巡らせて大喝した。


第九篇 反転 了

第十篇 覇道をゆく に続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ