第八篇 いざ往かん明山鳳鳴谷
その一
庄屋の村から岡豊山はさほど離れておらず。わずか二日ばかりで着いた。で、着いてみれば、
「ほ~」
と周鷲と鈴秀、木吉は思わず声を上げる。
北方を城壁のように山々が連なり、それを後ろにして小高い山がこぶのように盛り上がっている。これが岡豊山だ。そのふもとに、小川がさらさらと流れている。
その小川を濠の代わりとするように、岡豊山には、なるほど山塞が建てられ山の木々から威風も堂々とのどかな田園風景を見守るように屋根を覗かせている。
「いやまあ、よく作ったもんですなあ」
「こうも堂々と山塞の屋根を見せ付けて、まわりはのどかなままとは。あっぱれな義賊かな」
と鈴秀と木吉は感心しきりだ。
周鷲は好漢とよしみを結べることに、心弾む思いで。空路と南三零は昔馴染みとの再会にこちらも心弾む思いだ。
龍玉と虎碧も、頼もしい援軍を得られるとこれも心弾む思い。
そしてその期待は裏切られることはなかった。
空路と南三零を先頭に山に入り、山門の見張りに取次ぎを頼めば、転げ落ちるように若い豪傑風情の男が子分数人を後ろに引きつれ駆け下りてきた。
「あ、兄貴! 姐さん! おひさしぶりでございやす!」
まさに地に額をこすりつけて、空路と南三零を拝み倒す。他はこの頭の低さにびっくりして開いた口がふさがらない。義賊を結成し周辺の盗賊山賊を成敗して、郷さとの人民から大侠と敬われていると評判の、あの「大旋風」長元が、である。
「お、おめえら何をしている。このお方たちこそ大恩ある『鉄仮面』『究極淑女』のご夫婦だぞ」
と言うや、子分たちもえっと驚き一斉にへへーとひれ伏す。最初鉄仮面をつけた異様な男を見て、まさかと思いつついぶかしんでいたのだが、親分の恐縮のしように子分たちも恐縮することはなはだしい。
「長元、お前さんはいつも大げさだなあ。まあ頭を上げなって」
「そうですよ。私たちの仲ではありませんか」
と言ってしゃがみこんでそう言う夫婦に、長元はますます恐縮し。自ら一同を山塞へと案内し、そこで歓待の宴をもよおすこととなった。
大広間での木の床に座布団を敷いて、円陣を組むようにしてすわる。真ん中には周辺でとれた山の幸と酒がてんこ盛り。それでも一応礼儀をわきまえ、空路と南三零夫妻らは北の方角を上座にして、空路の隣に長元。他好きなところにすわった。
龍玉と虎碧、周鷲に鈴秀、木吉ら初対面の面々はそれぞれに山塞の者たちと自己紹介をしあい、それまでの蜘蛛巣教とのいきさつを話した。
「なるほどそういうことがあったんですか」
正義感の強い性格らしく、龍玉と虎碧が明山鳳鳴谷に出向きそこで慕蓉麗と闘う約束をしているのを聞いて、これを助けずにはおれるものか、と熱を上げて応援を申し出た。
「おれたちもいつかは邪教と一戦を交えねえと、とは思ってはいたが。いやはや邪教もえらいひでえことをしやがるもんだ。もしおれが龍玉さんや虎碧さんに助太刀をしてもらったら、泣いて喜ぶぜ」
と空路に酒を注ぎながら言った。
「そうだよ、そうでなきゃあねえ。いや別に礼がほしいわけじゃないよ、困ったときゃあお互い様ってやつさ。それなのにあの慕蓉麗って女はさあ」
と龍玉初っ端から酒をたらふくくらい、できあがって。虎碧ときたま服をこっそり引っ張って、自制をうながす。
周鷲に鈴秀、木吉の主従も酒を飲み山塞の男たちとよしみを結び、談笑を交わす。長元には忠澄という子分頭がおり、これも話してて気持ちのいい好漢であった。
酒が入って盛り上がるうちに、長元は聞いてもいないのに空路と南三零とのことを語りだす。
「おれはねー、昔はばかでねー。ちっと強いのを鼻にかけて悪ぃことして、いい気になって。そんな時に、兄貴と姐さんに叱ってもらって。それがなかったら、今のおれはありやせんでしたぜ」
と酒で赤くなった顔をさらに真っ赤にして、照れくさそうに頭をかいた。
空路は鉄仮面を取り酒を飲みながら、まあ昔のことさ、と長元の肩をたたく。鉄仮面・空路、別に顔を隠しているわけではないようだ。
「それからおりゃあ、今までの罪滅ぼしと思って『侠』の道に生きることをお天道様と、兄貴と姐さんに誓ったんでさ」
「よせやい。聞いてるこっちが照れくさくなるじゃねえか。お前さんが人生まっとうに生きてくれりゃあ、こっちは言うことはないよ」
空路整った顔をほころばせて、顔を真っ赤にする長元の肩をたたいて、ほれと酒瓶を差し出す。
「こ、こりゃあ、もったいない」
とやっぱり長元小さくなって酒を受けて、一気に飲み干す。
「あっはっは。長元さん、あんた面白いひとだねえ。どれ、今度はあたしの酒も受けておくれよ」
と龍玉も酒瓶を差し出す、一緒に大杯もだ。虎碧隣で、それはちょっとととめようとしている。
「これはありがてえ。龍玉さんみてえなべっぴんさんにそう言ってもらえるなんざ、男冥利に尽きるってもんだ」
「はっは、それは飲み干してから言いな」
長元大杯を受け取り、龍玉いたずらな笑みでこれになみなみと酒を注げば。長元これも一気にぐびぐび飲み干し。ぷはー、と大息吐いて大杯をかかげる。
「いよー、男前!」
どっと歓声があがり。龍玉もやんやと囃し立てる。周鷲らも忠澄と盛り上がって、この日は飲めや歌えやの、にぎやかな日だった。
で、翌日。
二日酔いを残しつつも、昨日宴をはった大広間で邪教との戦いについて今回は真面目な討議がおこなわれた。
蜘蛛巣教はなくなり、かわって秦覇を盟主と仰ぐ「天望党」が出来たと言うことは田六から聞いてたいそう驚いたものだったが。これを長元たちに聞かせると、やっぱり同じように驚くものだった。
「秦覇といえば、丞相の息子じゃねえか。それが邪教とつるんでんのか」
「そうだ。しかもおれに同志になれと誘い、断れば命を狙ってきた」
周鷲眉をひそめ、苦く言う。
「秦覇は、謀反をくわだて国をひっくり返す気だ」
「なんだそれ?」
丞相の御曹子が謀反を起こすという話に、長元も信じられなさそうにしている。が、実際に信徒から出たことなので、信じるしかないというか。
「ともあれ、あたしらと慕蓉麗のこともあるんでね」
以前ふたりが慕蓉麗とやりあったとき、龍玉は毒針を受け危うい状態だったが、虎碧の奮戦あって毒消しをせしめることができた。もっとも、あとで明山に出向き慕蓉麗と仕切りなおしの闘いをすることになっている。
しかし教はなくなって、秦覇が実験を握っているとは。田六の話も大雑把だったので全体像はつかめず、なんだか煙に巻かれた思いだ。
「おれたちも邪教の動きは見張っていたが、やつらも馬鹿じゃねえから、そう簡単にどうぞと見せてくれるわけじゃねえ。が、まさかなくなっていたなんざ夢にも思わなかったぜ」
長元太い眉をひそめ、腕を組んで思案にくれる。鉄仮面なき空路整った顔を落ち着け、
「うまく隠していたもんだな」
とぽそりとつぶやく。
そのとき、
「親分」
と子分がやってきて、手紙を差し出す。
「妙なやつがやって来て、手紙を渡してくれと」
「何?」
長元は手紙を受け取りながら、どんなやつだ、と子分にたずねるが、
「それが、あっしらも怪しいと思ってとっつかまえようとしたんですが、これが素早いの何の。手紙を残してとっとと逃げられちまいまして」
大広間に緊張が走る。長元は手紙を開いて読めば、目を見開き、
「こりゃあ、龍玉さんと虎碧さん宛てだ。差出人は、慕蓉麗だ」
と言うと、龍玉驚き手紙を食い入るようにながめ、虎碧も緊張の面持ちで隣でながめる。
その二
手紙には、こう書かれてあった。
慕蓉麗記す。
我との約束、よもや忘れておるまいが。我が教の方で異変あり、我教主とならずも、丞相御曹子秦覇様を盟主と仰ぎ天望党なる幇(組織)をつくり天下に大望を抱くものなり。
されど秦覇様のお許しを得て、天下に打って出る前の前祝いにご両人歓待の備えをしてお待ちいたしておるゆえ、ご友人たちとともに明山に来られたし。
いつぞやの雪辱を、ここにて晴らさん。
と達筆に書かれてあった。
龍玉読みながらわなわなと震え、虎碧は息をするのも忘れたかの様子だ。
それから手紙を回して読む。その間、耳に痛いほどの沈黙が降り立ったようだ。
なにもかもが、向こうにお見通しだ。こっちはなにもわからないのに。
「面白えじゃねえか」
長元が言う。
「来いってんなら、来てやろうじゃねえか」
「しかし、罠があるかもしれません」
南三零が思案顔してそう言うが、虎碧も思案顔しつつも、
「いえ、罠はないと思います」
と言う。一同、どうしてと続きに耳を傾ける。
「慕蓉麗はわたしに負けたことを深く根に持っているようですが、卑怯なまねはせず、皆さんが見ているところで堂々と雪辱を果たすつもりでしょう。あの人は、誇り高い性格のようですし」
「誇り高いといってもねえ……」
龍玉は慕蓉麗が信用できないようだ。
「あの鼻っ柱の高さは、どんな手を使っても、って感じだねえ」
「……。いや、行ってみましょう」
と言ったのは、木吉だ。
「敵は思った以上にこちらの動きを見張っているようです。ということは、我々は網に囲まれているも同然。ならば、悪あがきはやめ、相手が我らを食うために網を取ったときに勝機を見出すしかありますいまい」
と言い。鈴秀、もっともなことだと頷く。ふたりはこの中で一番最年長だが、それだけに経験も豊富だ。
「むしろこうして手紙をよこしたのは、もっけの幸い。行き先はとうに決まっておりますれば、おのずとやることも見えてくるというもの」
周鷲は、そうか、と言って閃いたように右拳を握って、左手で叩かせあう。
「秦覇もキザな野郎だが、あいつも誇り高く卑怯を嫌う。なら虎碧さんの言うとおり罠はあるまい。堂々と乗り込んでやればいい」
「左様。若もようやくものがわかるようになりましたな」
「欲を言えば、我らの言いつけを聞いて無謀な旅路につかねばもっとよかった」
「それは、いいっこなしだ……」
鈴秀と木吉の言葉に、周鷲気まずそうに苦笑いする。ともあれ、長元をはじめとする岡豊山の好漢たちとも知り合え頼もしい援軍も得た。何を恐れることがあろうと、次はどのように乗り込むかが討議される。
この山には三百の兵がある、とはいえそれを全部持って行くわけにはいかない。
「そうだな、信用出来る者に留守を預け。十人ばかり腕の立つ者を後詰めに控えさせてもらい、我ら先頭を切って明山にゆく。これでどうだな? 長元よ」
「兄貴の言うことなら、何でも聞きやすぜ。ですが、数が少なくはねえですか?」
「いや、あまり大所帯すぎるとかえって動きが鈍る。こういう時は控えめにして、いざというとき逃げる手助けをしてくれりゃいい」
「なるほど、さすが兄貴。しかし兄貴が負けるなんて考えられねえから、子分には暇な思いをさせちまうな」
「褒めても何も出んぞ」
空路ふっと笑い。南三零もつられて微笑む。それを見て長元、
「あっしも是非ご一緒させてくだせえ。いつかは、兄貴と姐さんの役に立ちたいと思っていたんだ」
と仏様でも拝むように、空路と南三零に懇願する。
「いいだろう、もとよりお前さんを頼りに来たんだから、一緒に行くといい」
「ありがてえ。おれを頼りにしてくれてたなんて、こんな嬉しいことはねえぜ。いざとなりゃあ、兄貴の身代わりになって死んでも本望だ」
「なんだお前、おれが死ぬとでも?」
「め、めっそうもねえ! たとえばの話ですよ」
長元の慌てぶりがおかしく、どっと笑いが溢れた。それからさあ仕度だと各々旅支度をはじめ、長元は忠澄に留守を預け、腕が立つ者を十人選りすぐり、さっそく下山し明山へと向かう。
山の者たちは手を振りながら、旅立つ一同を見えなくなるまで見送っていた。
その三
明山への旅は何事もなく順調そのものだった。が、それがかえって不気味でもあった。旅路の一行はつねに見張られているという緊張感を持ち続けて、一歩一歩を踏みしめてゆく。
十人を越える大所帯の旅だった。しかも皆がそれぞれの得物を手にした武芸者風情。こういう場合は目立たないために変装しばらばらにゆくものだが、どうせすべてお見通しだろうからと開き直り、ひと塊になって明山を目指す。
長元は長い方天画戟を肩にかけて、悠々と先頭を歩き。たまに道案内約の子分に、
「親分、そっちじゃなくてこっちでがすよ」
と言われて慌てて戻るということが時々あった。
ともあれ、数日して、難なく明山のふもとの町に着いた。日も暮れているので宿をとることにした。
町は邪教の本拠地明山のふもとだけあって、町に介入すること多々あるようだ。一見普通に人々の営みがあるありふれた町のようだが、人々の顔は暗い。それとも、やけに刺々しいか、いやにいやしい明るさが覆っていた。
生きるためには何をするもおかまいなしで、それが出来た者、出来なかった者との二つに分かれている模様。
役場もあり役人もいるのだが、邪教の息がかかっているのは想像に難くない。
だがその邪教はなく、秦覇が実権を握り党派を組んでいることを、この町の人たちは知っているかどうか。
そんな町に大所帯の旅の集団が来た、しかも皆武芸者となれば緊張が走るというもの。だがここでも慕蓉麗の手配がまわっていた。
七十を過ぎたろうと思われる白髭の老人がうやうやしく近づいたかと思うと、
「旅の皆様、お嬢さまのお言いつけで……」
と宿まで案内してくれた。いろいろいたれりつくせりで、まず一階の食堂ではすでに料理や酒がかまえられておりこれで一同をねぎらうという。毒はない証しに、老人がすべてを一口ずつ口にして毒見をする。
「皆様にはけっして危害を加えぬこと、秦覇様の名に誓ってもよろしゅうございます。いや、秦覇様から直々のお達しでございます」
疑う者たちをさとすように、老人は言った。
秦覇の名が出たことに、周鷲と鈴秀、木吉は驚き顔を見合わせた。もしここで警戒を解かずにいつづければ、あとで秦覇に侮られることは間違いなかった。
「なんぞ英雄好漢たるもの、敵を恐れて酒も喉に通らざることあるべきか」
と意を決した周鷲は先に食堂の真ん中の卓の座席に座り、酒を飲み箸をつかんで肉を口に運ぶ。それを見て長元、
「おっと、先を越されちまった」
と周鷲の真向かいに座り、競うように酒を飲み、飯を食いだせば。龍玉は虎碧の手を引いて、周鷲と長元のある卓にゆき、特に龍玉意気揚々と
「長元さん、またあたしの酒を受けてよ」
と言う。虎碧それを聞き、仰天する。周鷲、虎碧が来てどきどきする。
「お、龍玉さん、ありがてえ」
長元嬉々として龍玉の酒を受け。周鷲と虎碧も交えて、四人は酒をすすめあってはの飲み比べに興じるのだが、虎碧酒は強くなく。それを察して、さりげに外し三人で飲んだ。
それから一行は覚悟を決めてそれぞれ席に着き、腹を満たしていた。老人は丁寧に一人ひとりに挨拶して回り、望むなら女も用意するとまで、こっとりと言う。
さすが長元が選りすぐっただけあって、もちろん彼らはこれを断ったのは言うまでもない。が、食事や酒に毒も盛らず、賓客扱いされることがかえって警戒心を呼び起こしているようだ。
それを意に介する様子も無く、
「今宵ごゆっくりと休まれましたら、あすの日の出とともに山をのぼり鳳鳴谷までお越しあれと、お嬢さまからのおことづけでございます」
と老人は言うと、使用人を残して姿を消した。
翌朝の、日の出。長元の子分十人は宿に残して、一同は明山をのぼった。
身体はすこぶる健康で調子がいい。ほんとうに毒をもっていなかったようだ。それどころか、秘蔵の漢方薬でも混ぜたかいつもより元気な気もする。
山は岩山で、のぼり始めれば岩石に囲まれたようになり、人の気配がなくなり、切り立った崖をのぼるような箇所もあり険しいものの、人ひとりは歩ける道が整備されており、また罠も仕掛けられていなかった。それでも、足をすくわれこけそうになることもあった。
虎碧などは一歩進んで足を踏みしめたとき、丸石を踏んでしまって、
「きゃ」
と声を立てて石に転がされてこけそうになってしまった。そこを周鷲が咄嗟に手を伸ばし、虎碧の手を掴んで転倒を防いだものだった。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です。……ありがとうございます」
と言い合ってからはっと何かに気付いて、ふたりは顔を赤くし。何かをこらえているようであった。
ともあれ、鳳鳴谷までもうすこしというところで、
「お待ちしておりました」
と、昨日の老人が待ち受けていた。龍玉と虎碧に周鷲は驚き、長元は方天画戟をかまえたものの。空路に南三零、鈴秀に木吉は落ち着いたもので。
「いやかたじけない。ではご案内願えますか?」
と抱拳礼をし礼儀正しく頭を下げた。
「お安い御用じゃ。ついてきなされ」
老人は笑みをたたえ、一同の先頭に立って案内をする。この間にも罠も襲撃もなく、やすやすと鳳鳴谷まで来れてしまった。
谷は風が吹き、その風吹く音は悲壮感をたたえ。まるで鳳が鳴いているように聞こえないでもない。
「なるほど鳳鳴谷」
空路はぽそっとつぶやいた。
その谷に、集落があり。大きな館がある。信徒たちの集落で、館はかつて蜘蛛巣教の教主の住んでおり、大きな門には金泥で蜘蛛巣教と書かれた扁額があったのだが、今は外されてない。
その門には、かたわらに侍女をしたがえた黒服の美女……。
「あっ!」
思わず声を上げる龍玉と虎碧。
これなん一同を待ち受け、また龍玉と虎碧と雌雄を決せんと意気盛んなる慕蓉麗と、その侍女劉晶であった。
その四
以前会った時よりも落ち着き払った態度で、それが威厳あるように見える。それどころか、一同を、龍玉と虎碧を見かけると抱拳礼をし、
「よく参られました。慕蓉麗でございます」
と言ってうやうやしく頭を下げた。
(これが、慕蓉麗!?)
龍玉と虎碧おおいに驚くも、相手が礼儀正しくするならこっちもせねばとふたりも、もちろん一同も抱拳礼をし、礼儀正しく頭を下げて挨拶をする。
「虎碧です」
「りゅ、龍玉です……」
変な感じだ、と思いつつ挨拶を返すと。慕蓉麗は「どうぞ」と手招きし劉晶をしたがえ、老人にかわって門の中へと案内する。
中に入れば、大きな庭が広がっている。その庭に、人の背の高さほどの、木でできた円い演舞台がずんと置かれてあった。朝だというのにものものしく十数本ほどのかがり火に囲まれて、その演舞台には陰陽図が描かれいる。
また演舞台を四方より取り囲む観覧席もあり、整然と人々が座っている。館側の観覧席には、秦覇の姿が見受けられた。
「し、秦覇!」
「久しぶりだな、周鷲よ」
顔を見合わせて、秦覇冷たく笑い、周鷲一気に心の火が燃え上がるのを感じた。
他の者たちも、駒がそろったと緊張が走る。
無論ここには四天王とかの三人娘に、司馬良もおり、秦覇の両側にひかえて慎ましやかにたたずんでいる。それ以外の人間の姿は見えず、席は空き余裕で演舞台の仕合を観戦できそうだ。
で、虎碧は慕蓉摩をみると背筋が寒くなるのを禁じえなかった。が、こらえて我慢する。
慕蓉麗は軽く会釈をして「失礼」というと、ひょいと軽やかに舞い上がって演舞台の上に乗った。
「龍玉殿、虎碧殿も、どうぞ」
と上から逆手で招く、ふたりは顔を見合わせ跳躍して演舞台の上に乗った。
「約束通り来ていただけて、嬉しく存じます」
「そんなお堅い挨拶はいいから、さっさとやろうじゃないか!」
血の気の多い龍玉はさっと剣を抜き、今にも飛び掛らんばかりだ。虎碧は柄に手をかけ、いつでも抜ける体勢で相手の出方をうかがっている。
「はやるお気持ちはわかりますが、まずは、落ち着かれませ。我が主、秦覇さまよりご挨拶がございまする」
うやうやしい慕蓉麗に龍玉と虎碧、調子が狂う。あのときのような高飛車な態度で来ると思っていただけに、これはおおいに拍子抜けさせられた。
が、そのうやうやしさが、どこか彼女の大きさと威厳を感じさせもし、また、なにか雰囲気も変わったようだ。あの氷のような冷たさが、いささか温められて角が取れたというか。
(あっ)
龍玉、慕蓉麗を見るうちあることに気付く。
(こいつ、女になった!?)
虎碧は態度の変わり方以外に気付くことはないようだが、龍玉はさとくも気付いてしまった。
慕蓉麗からただよう温気というか、大樹の陰に寄り添っているようなやすらぎというか。それは、ただ女になっただけでなく、心許せる男がいるということなのか。
龍玉の推測であるが、当たらずと言えども遠からず、という確信はあった。
演舞台を取り囲む観覧席の人々は、信徒であった者たちなのは言うまでもない。三人演舞台にのぼってから、周囲はにわかにざわつきはじめ、いまかいまかと闘いを待ち焦がれている。
「ご一同様、お席をご用意いたしております。こちらへ……」
と周鷲らに話しかけるのは劉晶であった。一同固唾を飲んでついてゆけば、なんと秦覇らのとなりではないか。なるほど、秦覇のいる観覧席は空いて余裕があったが、そのためであったか。
「鷲弟、隣に来ないか」
秦覇だ。親しげに周鷲に語りかける。しかも、相手は剣を持っている。その剣はもちろん鳳鳴剣だ。
鈴秀と木吉が心配そうに見る中、周鷲は口をつぐんで考えたが、頷いて隣にすわる。もちろん、自分の剣をたずさえて。
「秦覇、お前とは義兄弟の縁を切ったんだ。なれなれしく鷲弟などと呼ばないでほしいものだ」
「つれないことを言うものだ。かつては、互いに大志を語り合ったではないか」
「かつてはな」
「怒っているか。あのときのことを」
「まあな」
「そうか」
それきり言葉は交わさず、黙って演舞台を眺める。秦覇は慕蓉麗としばし見詰め合ったかと思うと、立ち上がって右手をかかげる。
「天も照覧あれ。いまここに、我が同志麗とえにし(縁)ある龍玉と虎碧を血祭りに上げて、諸天の神々に捧げん」
秦覇の声高らかに響くや、どっと観覧席の天望党の者たちから歓声があがった。龍玉に虎碧、周鷲らは、この闘いが生贄の儀式だということに、度肝を抜かれる思いだった。
それにかまわず劉晶がおもむろに演舞台のそばで剣をかかげると、慕蓉麗は左手を伸ばし指先まで気をめぐらせば、鞘から弾かれたように剣が跳ねあがってその左腕に飛び込む。
はっと、龍玉と虎碧も剣を抜く。
それにともない、周囲の歓声は一段と高まり、は天にも届きそうな勢いだ。空路に南三零、周鷲に長元らは固唾を飲んで見守るしかない。
それを横目に、秦覇が「静粛に」と叫ぶと、周囲は水を打ったようにしずまり。ぴたりと歓声はやまって、次の言葉を待っている。
(これが、邪教であった者たちのあつまりなのか)
その統一された行動、もとが自我の強い者たちで構成された邪教であったとは思えぬほどだ。いかに秦覇が旧信徒たちの心を掴んだかいやでもわかった。
「言うまでもないが、この闘いにおいては他者の手出し無用」
龍玉と虎碧の闘いについては、こうなることは先刻承知であったから、何も言えない。ただふたりの勝利を祈るしかなかった。
龍玉はあれからの修練で新しい技を覚えた。虎碧は腑抜けになっていた時期があったとはいえ、その潜在的な能力は計り知れない。事実、慕蓉麗を負かし、田六を一瞬にしてその動きを封じ込めたその技のキレ。
三人剣を構えて、人形のようにじっとたたずんでいる。ときおりそよぐ風が、それぞれの頬をなで髪を流し、袖、裾をはためかせる。
(このまま動かなければ、人形のように可憐なのに)
周鷲は我知らず、胸のうちでささやき。それに気付くと、鼓動が高鳴ることを覚えて、拳を握りしめる。
すると、一瞬空気が秦覇に吸われるように流れたかと思うと、
「はじめ!」
という大喝。
それとともに龍玉と虎碧はだっと駆け出し剣を閃かせる。
第八篇 いざ往かん明山鳳鳴谷 了
第九篇 反転 に続く