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第七篇 心いずこに飛ばんとするか

その一


 さて虎碧と龍玉である。

 蜘蛛巣教四天王との闘いが泥沼化するかと思われた時に、かろうじて終わることが出来て。新たに出会った周鷲ら主従と空路、南三零夫妻とともに最寄の町へと急ぎ走った。もっとも、虎碧と龍玉がいた町は、世話になった宿屋の主一家が惨殺されふたりに疑いがかかってしまったため、戻ることかなわず。

 そのためやむなく、別の町を求めね阿ならなかったが。幸い周鷲が闘いの前日までやっかいになったという村名主の村が近くにあり。周鷲は引き返して事情を話し、一行はその名主の食客として世話になることとなった。

 が、そこでいたずらに日を費やしてしまっている。

 というのも、虎碧は慕蓉摩に血を吸われたことが心に堪え、腑抜けになってしまい、

「こわい、こわい」

 と身体を震わせ、そう繰り返すばかり。

 腕の傷は癒えたものの、心の傷容易に癒えず。碧い瞳は今にもこぼれ落ちそうなほど溢れた涙に濡れては、波打つ涙にゆらゆらと揺らされるばかり。

 やはり、いかに武技に長けるといえども穢れを知らぬうら若き乙女、よもや同じ女に言い寄られるように襲い掛かられたうえに、生き血をすすられたこと、操を穢されること以上に心に杭を打ち込まれるような衝撃を受けたこと察して余りあった。

 おかげで夜は言うに及ばず、太陽ののぼる明るい時間になっても幽鬼におびえるようにぶるぶると震え、部屋からめったに出ることはなかった。

 龍玉はこの変わりように頭をかかえた。

「あんなにしっかり者の虎妹フーメイが、どうすんのよ」

 自分たちは慕蓉麗と闘うために明山に行かねばならないのに、それどころではない。首根っこひっつかんででも連れて行ってもいいが、堪えきれずに、恐怖にぶち切れてどこぞへと逃げ去ってしまいかねないとも限らない。

 こんなんだから虎碧は話にならず、それぞれの今までのいきさつや自己紹介は龍玉がひとりでした。

 周鷲は拳を握りしめ、

「許すまじ、邪教」

 と強く苦い口調で言い、虎碧に同情することはなはだしい。

 周鷲は庸州太守の御曹子という身ながら、蜘蛛巣教と闘うために旅をしていたという。丞相の子息である秦覇が、何を思ったか同志となれと誘いをかけてきた。が、邪教とかかわりをもっていることを嫌いそれを突っぱねたのだが、案の定命を狙ってきたので、鈴秀と木吉のふたりとともに蜘蛛巣教と闘うために旅をしていたというわけ。

 一州の太守の御曹子が、家を抜け出しわずかの共と旅をするなど突飛というかあまりにも無謀というものだが、周鷲の胸に燃え上がる熱血おさえがたく、父と母、妹が心配するだろうとおもいつつも、書置きを残して旅立ち、ところどころで信徒たちと渡り合ったが。

 やはりいかんせん、わずかの人数ではどうしようもなく、さあどうしようと困り果て、かといって帰るに帰れず征くにゆけず、と葛藤をかかえる羽目となった。

 そんなときの、出会いであった。 

 名主の屋敷の庭で、鈴秀と木吉を相手に、迷いを振り払うように武術の修練に励み汗を流す。無手で三人、思い思いに拳、脚を繰り出す。

「ええい」

「やあ」

「とおう」

 気合の一声が響き、風を切る拳と脚は目にもとまらぬ速さ。そこに主従なく、互いに心技体を高めあい、身体をぶつけ合う。

 が、その脳裏に浮かぶは虎碧の揺れる碧い瞳。

 あっと思ったのもつかの間、周鷲、木吉に襟をつかまれさっと背負い投げを食らい投げ飛ばされて、ひっくり返される始末。

 気がつけば鈴秀のいかつい顔がのぞきこんでいる。

「ご油断めされるな。これが実戦であれば若の命はすでにありませんでしたぞ」

「ああ」

 気まずそうに頭をかきながら立ち上がる。従者ふたり手を貸さない。己で立ち上がるくらい自分でしてもらわねば、これから背負うであろう様々なものに押し潰されてしまう。

「いざ」

 まだまだ、と周鷲手ごわい従者ふたりに挑みかかり。従者ふたりは容赦なく、ことあるごとに若い主を地に伏せさせる。

(おかしいな)

 鈴秀と木吉、周鷲の相手をしながらどこか不審なものを感じる。どこか精彩を欠いている。何があったのだろう。どこも怪我などしていないというのに。

 その目はどうにか鋭くふたりを見据えているも、心ここにあらずと、地に足つかぬようにふらふらしていることもままあった。

 が、それでも。

「えやあ」

 と鈴秀叫べば、周鷲その脚を避けきれず後ろへ吹っ飛ばされた。

 それを眺める一組の男女。

 究極淑女の異名をとる青い衣の南三零。

 となりは赤と黒の服を着た男。三十に入るか入らないか、色白で涼やかな眼差しに男にはもったいないほどのしなやかな柳眉。二枚目といってもいい端正な容姿の持ち主だ。

 これこそ誰であろうといえば、かの鉄仮面の空路であった。


その二


 噂では顔の傷を隠すために鉄仮面をかぶっていると言われていたが。空路のその端正な面持ち、傷を隠すどころか、堂々とお天道様の下で顔を出さねばもったいないほどのいい顔で、見ようによっては女と見紛う(みまごう)こともありそうだ。が、顎にうっすらとある髭剃りのあとが、空路が男であることを物語っている。

「あの若様……」

「惚れたな」

 南三零がぽそりとつぶやけば、空路これに応えて言う。

「どうも、周鷲殿は、碧い目の娘さんに惚れちまったらしい」

 初対面の印象では、熱血ほとばしる好青年の印象があったのだが。自分たちが出る前までの、あの込み合った中で視線をかわすうち、知らず知らずのうちに芽生えたようだ。しかし周鷲はまだそれに気づいてはいないと見える。

 鈴秀と木吉を相手に拳、脚をまじえるその動きはどこかぎこちなく視線もさまよい気味で。自身それを深くいぶかしんでいる模様。

 そうとは知らない虎碧、あてがわれた部屋で出された茶をすすり、窓の外を静かに見ている。

 外は陽光に照らされ草葉は緑に輝き、ときに小鳥がさえずりながらはばたき窓を横切ってゆき、なんとものどかそうではあり。童心あるものなら外の空気を吸わずば窒息してしまうと言わんがばかりに、山野を駆け巡り野生への回帰に胸焦がすであろう。

 が、虎碧は外へ出たいとは思わなかった。そこに童心なく、あるのは恐れ。

 龍玉はそばにいて共に茶をすすり、心配そうに虎碧を眺めている。

(心をひとつにしなけりゃいけないときに……。これじゃ慕蓉麗と闘うどころじゃない)

 知らずに歯軋りし、龍玉は茶碗を思わず砕いてしまいそうなほど握りしめた。

「ねえ、龍お姉さん」

 虎碧の呼ぶ声。龍玉ははっとして、なに? と応える。

「小鳥が可愛いわね」

 窓の外、黄色い小鳥がちちちと鳴きながらぱたぱたとと羽ばたいていった。

「そ、そうだね」

「今日もお天気もよくて、小鳥も楽しく飛べるでしょうね。……いいなあ。どうして、わたし小鳥に生まれなかったのかなあ」

「……」

「小鳥に生まれていれば、嫌な思いもしなくていいのに」

 とため息つきながら言ったとき、はっと振り向き戸を凝視する。龍玉も気配を察し、戸を凝視すれば、戸を開ける洒脱な若者。名主である豊大人の息子、豊八ほうはがにこにこしながら、

「お邪魔かな」

 と言いながら、点心(軽食)の饅頭を手に部屋に入ってきた。龍玉は眉をしかめ、あからさまに嫌そうな顔をする。

「邪魔だよ」

 と言ってやりたかったが、さすがに名主の子息にそこまでは言えない。

が、豊八は知らぬ顔して虎碧の方ばかり見ている。物憂げに力の抜けた、寂しげな顔。豊八は点心を差し出し。

「どうです、お腹空いていませんか?」

 と言うと、

「ありがとよ」

 と言って龍玉その饅頭をむんずとつかみ、おもむろにもぐもぐと食い始める。豊八、これにはすこし困った顔をした。

(この女、ぱっと見はきれいだがとんだ女狐だ)

 しかしそれは腹のうちでぐっとこらえて、

「おふたりとも、いつもお美しい」

 とお決まりのおべっかを言った。龍玉は「ふんッ」とすまして、黙々ともぐもぐ饅頭を食う。ばつが悪そうに苦笑いして豊八、

「虎碧さんも、食べませんか?」

 と今度は虎碧のそばにより点心の饅頭を差し出す。

 だが、

「すいません、今はおなかは空いてないので」

 と丁重に断った。虎碧は、豊八の笑顔の奥に、なにやらただならぬものを察して、なるべくなら関わりたくないと思っていた。龍玉もそれは同じだった。だからわざわざ嫌われるように、豊八にあからさまに嫌な顔をし、いやしいところもわざわざ見せた。

 が、豊八それでもめげずにねばる。

 思い切りはいいようで、虎碧が戸惑いの目を彷徨わせているのもかまわず、まるで公主(お姫様)に仕える者の様に片膝ついて。

「外を眺めておりましたか。何が見えますか」

 などとぬけぬけと言う。点心は膝の上に置き、さりげなく饅頭を取って虎碧の手の上に乗せる。

「最近食の進まぬ様子。それでは身体を壊してしまいますよ」

「は、はあ」

 仕方ない、と思ったそのとき、また部屋に来る者があった。新入りの雇い人で、田六でんろくという。

「ぼっちゃまぼっちゃま、ご主人さまがお呼びですぜ」

「なに、父がか。しかたないなあ」

 と言い、豊八は点心を虎碧の膝の上に置き、

「どうぞ、私の真心です」

 と言って部屋から出て。田六がそれに続く。龍玉舌打ちし見るのも汚らわしいとその背中から目をそむけ、虎碧膝の上の点心の饅頭をどうしたらいいか迷っている。

 だがそれよりも、気になることがあった。

 豊八は気配を察すことができるのに、何故か田六は気配を察することができなかった。これには、不気味な気分を覚えずにいられなかった。


その三


 一見ただの人のように見えることが、さらに不気味さを募らせた。

(もしや邪教の信徒か)

 慕蓉麗の手のものが、巧みに身を隠して二人を見張っていることは容易に想像できる。

 それがうまく名主の子息に取り入り、何かをたくらんでいるのだろうか。それは周鷲らや南三零、空路たちも同じようで。

「あの田六というやつ、怪しいぞ」

 とひそかに話し合い、おそらくここでもひと波乱あるぞと、用心の心構えを忘れない。いやむしろ、秘密裏に始末してしまおうか、とさえ龍玉は言った。

「さすがにそれは……」

 もし堅気であったらどうするのか、と周鷲は言って反対したので今は様子見だ。が、機会あればいつでも始末するつもりでいる。

 周鷲と従者ふたりの修練を一通り見て、空路と南三零は館の中に戻り。名主の雇い人に頼んで茶を、あてがわれた部屋に持ってきてもらい、しばしの一服。

「さて困ったものよ。これから邪教と一戦をまじえるのに、皆の心が一致団結をせぬでは話にならん」

「そうですね。虎碧さんひとり怖がるだけならどうにかなっても、若様は虎碧さんにほの字で、龍玉さんはぴりぴりして気が散ってばかりいて」

「七人のうち三人もがそうでは、どうあってもしくじるは必定。ただでさえ難しい相手であるのに、さてどうしたものか」

「ねえ、あなた」

「ん、なんだい」

 南三零はおしとやかな顔を思案させてうつむき、しばし沈思させていたが、自身の考えをまとめるためにと、空路に、

「そもそも、わずか七人で一大邪教と闘おうというのが、無謀というもの」

 と言った。

「そうだ。単純に数の上でおおいに不利だからな。いくらあの慕蓉麗との約束があるとはいえ、さて邪教の信徒どもがわずか七人の敵を目の前にしておとなしくするはずがない」

「わたしたちが、軍隊をもっていたら、少々の不利や不測の事態も乗り越えられると思いませんか?」

「そりゃあ、そうだなあ。軍を率い兵法をもって邪教を攻め落とす。それが理想だ、が。……阿三、何を考えている」

「いえ、この村の少しはなれたところに岡豊山こうほうざんという山があったと思いますが」

 空路これを聞いて、茶を飲む手を止めるのもおろか息をするのも忘れたかと思うほど考え込んだかと思うと、「あっ」と何かを思い出したらしく、そうそうと言ってしきりに頷く。

長元ちょうげんのやつ、確かあれは岡豊山のふもとの生まれであったな!」

「前にお会いしたとき、岡豊山に帰って山賊稼業でやっていくかとかなんとか言っていたと思いますが」

「そうだ、そうだ。あいつも江湖をさすらいながら、いつか男を上げて故郷に錦をかざるなど、大仰なことを言っていたな」

「もし、これが実現していれば、岡豊山に長元さんの山賊たちがこもっているとも考えられませんか」

 空路、妻の言葉を聞き、はっとする。

「お前、もし長元が山賊をやっていたら、それを軍隊に仕立て兵法をもって邪教に立ち向かえばいいと言いたかったのか」

「ご明察、その通りでございます。山賊と言えど、義侠心に厚く弱きを助け強きをくじく長元さんに着くのなら、きっと信頼できる人たちでしょう」

「うーん、なるほど。あいつは江湖の義気に溢れた男。幇(組織)もきっと義賊であろうし、おそらく蜘蛛巣教と闘うことも考えているかもしれん。……、よし、ひとつ賭けてみるか!」

 そうと決まれば、思い立ったが吉日。思えば、偶然にも岡豊山にほど近い村に立ち寄れたのも、なにかの天意かもしれないと思った。

 ふたりは部屋を出て、これを周鷲らや虎碧、龍玉に告げようとする。そのとき、廊下で田六とすれ違い、どうもと互いに会釈をする。

(あなた)

(うん)

 仲よさそうに手をつなぐと見せて、指の力の入れ具合で互いに注意をうながした。

 話を聞いた周鷲と鈴秀に木吉、それはいい、と嬉々として賛同し。次に虎碧と龍玉にこれを告げようとする。

 そのとき、身振り手振りを交えながら話す南三零、さりげに両手の指を六本立て、次に八本立てた。

(八、六? あ、豊八と田六のことか!)

 気をつけろ、と。

 豊八、虎碧が腑抜けなのをいいことに下心いっぱいに言い寄り、それを田六がけしかけているようであり。良い印象は持っていなかった。それよりも、まさか豊大人の子息が、そんな、人の弱みにつけこむようなやつだとは周鷲思いも寄らなかったようで。

 忸怩たる思いもまた同情と同様にはなはだしく。それど同時に、胸に穏やかならぬ気持ちも芽生える。

 なにより、田六、この者なぜか気配を察すること難しい。何かしらの武技を身につけているようだが、さてどうであろう。ともあれ、特に用心すべきなのは間違いなかった。

 そして次に虎碧と龍玉にこのことを告げねばならない。頼りになる友軍が出来るとなれば、すこしは安堵するかもしれない、と一同祈るように期待し。また周鷲、その碧い瞳に喜色浮かぶ様を思い浮かべ、知らず胸を弾ませる。

 頬は知らず上気しほのかに紅く染まっていた。それを見抜いた南三零、これが若様の心配の種だと、内心心配していると、周鷲は知らない。

 で、ふたりにこのことを告げれば、龍玉は予想通りに得たりと頷いたが。虎碧、どこかうわの空。

 まさか内心、

(わたしは残って豊八さんのお世話になろうかしら)

 などと、突然そんなことを考えているなど思いもよらない。あれから饅頭を食べ終えたとき、腹いっぱいになれば人間まず喧嘩はしないもので、心に少し余裕が出来た感じがした。

 その余裕にひたるうちに、もう慕蓉麗との約束などほっといて、ここに残ろうかという思いがふと頭をもたげた。

 豊八はその性格に多少の難あれども、財産もあるし洒脱でそれなりにいい男でもあるし、世話になればのんびり暮らせるかもしれない、と考えるようになっていた。

 やはりここでも、虎碧はうら若き乙女であった。人間としての経験はまだ浅く、目先のことにとらわれ、己の中の弱い心に満腹の余裕の隙を突かれて、つけこまれたかたちであった。


その四


「どうしたの、虎妹! ぼーっとしてさ」

 龍玉の声にはっとして、目を見開きうなずくも、やはりうわの空。

 これを見た南三零は、いち早く虎碧をここから連れ出さねばと考えた。大人に世話になり、食うに困らない環境が腑抜けを一層加速させている。

 強引だが、外に連れ出し多少の修羅場を踏ませるうちに、闘いを思い出すかもしれない。 

「思い立ったが吉日といいます。今すぐにでも、岡豊山に向かいましょう」

 と、南三零は言った。龍玉もこれには賛成した。

 周鷲は虎碧の様子を見て、急ぎすぎだと思わないでもないが、ここにいても、いつかは豊八の毒牙にかけられるかわかったもんじゃなく。

 彼女を命を懸けても守ろうと思った。

 虎碧は、

「え、そんな」

 と言いたそうな顔をした。が、他の者たちは構わず岡豊山に行く気満々で、とどまるつもりはないらしい。

「さ、いこう」

 龍玉は虎碧の手を掴みやや強引に立ち上がらせると、一同豊大人のいる書斎まで出向き、岡豊山行きのことを伝えると、

「なんと、岡豊山の長元殿を知っておられたか」

 と驚く。大人の話によると、数ヶ月前に岡豊山に江湖の侠客らしき人間たちが二、三百ほど集まって山塞を築くや、あたり周辺で悪さを働いていた盗賊山賊どもを一掃し。また豊大人らここ周辺の庄屋たちに、我ら義賊となって弱きを助け強きをくじく任侠道を貫いてゆくのでどうか安心してほしいと、土産を持参してあいさつ回りをしたというではないか。

 おかげで平穏な日々を過ごせ感謝している、と大人は言う。周辺の人民は彼を大侠、あるいは「大旋風」と呼び慕っている。

 その言葉に、空路と南三零は得たりと微笑んだ。

 国の役人は威張り腐るばかりでいざというとき役に立たん。ならば江湖の侠客が仁義をもって民を助けずして誰が助ける、とよく長元は言っていた。

「ことは急を要しますな。では、我らとしてもゆっくり見送っていきたいのじゃが、そうもいくまい」

「申し訳ありません。このお返しは必ず」

 周鷲は頭を低くして詫びるが、大人はなんのと笑う。

「お気になさらず。好漢、志を持てば時間は惜しいもの。心強い援軍を得れば、邪教とも戦いやすいじゃろうて」

「ありがとうございまず。では、我らは仕度ができ次第出立いたします」

「うむ。まだ陽も高い。ゆくなら今でござるな」

 戸惑う虎碧を置き去りに話は進み。旅支度を整え、空路は鉄仮面をつけて、さあ出立。とぼとぼ歩く虎碧を真ん中に、一同岡豊山を目指す。

 出立からおよそ一刻ほどすれば、村を出て人通りのない山道に入る。そのときであった、後ろから追いかけてくるもの。

 豊八と田六であった。

「まってくださーい」

 と、物見遊山に遅れたような、のん気な声で一同を呼ぶ。腰に一剣を佩き、荷が多くそれを田六に担がせているところを見ると、まさか、

「どうか私たちもご一緒させてください。微力ながら粉骨砕身させてもらいます」

 と案の定であった。

 まさか世話になった大人の子息に、お前は虎碧に下心をもっているだろう、と直に言えず。一同迷惑顔をして、これを迎えた。

「豊八君。悪いが君の申し出は受けられないよ。あまりにも危険すぎる」

 周鷲は苦く思いつつ、体よく追い払おうとしたが。

「なんの、自分の身くらい自分で守ります。言ってはなんですが、私はお金を持っていますので。道中食うことや宿にこまることはないと思います」

 と、厭味なことを言って食いつこうとする。が、本人これを厭味となんとも思っていない。天然の気を見せた。

「いやしかし」

 となおも周鷲は断ろうとし、しばらくは行かせろ行かせないの押し問答が繰り広げられた。虎碧はそっぽを向いて、道端で腰を下ろし休んでいる。そばには龍玉。

 ときたまそれをちらと見る豊八。

 押し問答が繰り広げられ、豊八の後ろに控えていた田六はむっとした顔つきをし、

「やいやいやい、ぼっちゃんがご好意で申し出ているてえのに、それを突っぱねるなんざああまりにもひどいんじゃないかい」

 と、周鷲に食って掛かる。

「何を」

 と周鷲も負けじとにらみ返す。豊八は田六と一緒になって詰め寄るかと思ったが、

「よせ、周鷲君は私の身を案じて言ってくれているのだ。無礼はならん」

 と、意外にも豊八は田六を叱った。武芸の心得が無く足手まといになるのをわかっていながら追いかけてきたのは、田六にせかされたためだった。そのため、周鷲の申し出に対し胸のうちでほっとしてさえいた。

 とはいえ、虎碧には未練があるようで、ちらちらと龍玉を恐れつつもちら見している。これに田六がいらつき、主に食って掛かり。今度は主従で押し問答だ。

「なにを言ってるんですかぼっちゃん。ここで引いちゃあ男がすたるってもんですぜ」

「しかし。やはり私がついていったところで足手まといが落ちだろうし。ここは……」 

「ここはもそこはもねえってもんだ。ぼっちゃんも男でがしょう。今うざがられても、後でいいところを見せることもあるでしょうに」

「でも……」

 豊八、ちらりと虎碧を見る。そっぽを向いている。胸の中で、何かが崩れる音がした。

(やはり、虎碧さんは私に振り向いてはくれないか)

 最初こそ虎碧の碧い目を珍しいと思いつつも、彼女を可憐と思ったが、それ以上に特別な感情は湧かなかった。それを焚きつけたのは、田六であった。

「ぼっちゃん、あの碧い目の可愛いお嬢さんをものにしてえと思わねえですか」と。

 豊八も恵まれた環境に生まれ世間の泥臭さを知らずに育ったので、あの手この手で虎碧にけしかけるよう焚きつける田六の言葉に簡単に乗せられた格好であった。まさか自分を騙したり付け込んだりする者があるとも知らず。

 いつしか虎碧に対して下心を持つようになってしまった。

 が図らずも周鷲の制止でそのことに気づきつつあった。

(そういえば、田六はどうしてしきりに私に虎碧さんに迫るように言うのだろう)

 何か、はっとした顔をする豊八を見て田六は苦い顔をする。

 で、途端に怖い顔をしたかと思うと、いきなり

「こん餓鬼が!」

 と後ろから左腕を豊八の首に巻きつけて羽交い絞めにし、右手にはいつの間にか短剣を持ち豊八の顔に突きつける。


その五


「なにをする!」

 突然のことに周鷲も驚いたが遅きに失し、みすみすと豊八を田六に人質に取られてしまう格好になった。虎碧も驚き立ち上がり、いつでも助けに行けるよう身構える。ただ、龍玉は知らん顔だ。鈴秀に木吉、空路に南三零も身構えているが、どこか冷めたような顔をしている。

「甲斐性のねえぼんぼんだぜまったく。人が親切にお前さんを男にしてやろうと骨を折ったってえのに」

「ど、どういうことだ」

「どうもこうもねえ。おいらは蜘蛛巣教の信徒さ。お嬢さまに楯突く女狐どもを見張ってろって言われてそうしてたら、それだけじゃ面白くねえんでちょっとてめえで遊んだってわけさ」

「な、なに!」

 事の真相を聞き驚きに耐えない豊八。まさか新入りの雇い人が邪教の信徒とは思いもよらない。虎碧も周鷲も驚愕という顔をし。他は、やはりそうであったかと確信をする。

「そうそう、いいことを教えてやるぜ。蜘蛛巣教はなくなって、新たに秦覇さまを盟主にして、『天望党』が出来たんだ。女狐のお出迎えが終わったら、おれたちゃ大望を抱いて天下に打って出るんだ」

「……。本気か?」

 周鷲らはと突然のことを聞き呆気にとられる。田六は図に乗り得意満々になって、「ああ本気だ」と言い、短剣の横面でぺたぺたと豊八の頬をたたく。

 秦覇を盟主にした天望党など、邪教がなくなりそんな集まりが出来ているなど夢にも思わない。なにより、秦覇の名を聞き周鷲は思わず歯軋りする。

「さあて。このぼんぼんをどうしようか。お前さんらが庄屋んちを出るなら、おいらもおいとまだが、置き土産にぼんぼんの首を掻っ切ってやるってえのも乙だと思わねえか」

「ひいいい。そ、そんなむごいことを」

 田六の言葉に豊八は恐慌に陥る。

「あららぼっちゃん、愛しのあのコの前でみっともねえ」

「そ、そんなこと言ったって」

「へん、こんなザマじゃ生かしてもしょうがなさそうやね。さっさとやっちまった方が世のため人のためになるってもんだ。親父も最初は泣くだろうが、あとで、早く死んでくれてよかったよかったと喜ぶさ」

「そ、そこまで言うのか」

「ああ、言うさ。なあ、青い服のお姐さん。あんたも同じだろう」

「そうだね、さっさとやっちまっておくれ。いや、人の弱みにつけこむような男なんざ、むしろあたしがやりたいくらいさ」

 最初から悪い印象を持っていた龍玉は、剣を抜き今にも豊八を刺し殺さんがばかりに、怖い顔をして睨みつける。田六やんやの大喜び。

「おお、いいこと言うねえ。なんなら、やらせてやろうか」

「そりゃいい。その後であんたをやるのも、ひとつの手ってもんだね」

「おりゃ簡単にはやられねえぜ」

「じゃあぼんぼんを始末した後で確かめてみようか」

 龍玉、剣を手にずかすか進み出て、豊八に迫る。

(ああ、確かに私は世に言うぼんぼんだが、まさかここまで悪く言われるとは。それに気付かず、のうのうと暮らしあまつさえ田六にそそのかされて、虎碧さんの弱いところにつけこもうとしてしまい、なんて馬鹿だったんだろう。なら、虎碧さんも私のことを嫌っているだろうし、むしろ、死んで詫びるしかないのかもしれない。なら、死のう。生きていたところで、私に何の価値があるというんだ)

 あまりの言われように豊八は落ち込むのを通り越し、かえって覚悟を決めてしまった。なので、目を閉じ黙って龍玉に刺し殺されるのをまっている。 

「よせ」

 と周鷲はとめるも、龍玉これを払い豊八を刺し殺そうとする。

「覚悟を決めたかい。いい心がけだ。じゃあ、やるよ」

 龍玉は剣を構え今にも豊八にとどめをさそうとする。周鷲と鈴秀、木吉に空路、南三零は、「やりすぎだ」と止めに入るも、龍玉さっと剣をひと振り、制止を振り払おうとする。

「止めるな! こんな汚い男に、女がどれほど泣かされたかわかってんのかい。どうせこいつも生きてりゃ女をたんまり泣かせるんだ。なら今のうちにやっちまったほうがいいに決まってるじゃないか!」

(まだ女は知らないけれど……。龍玉さんの言うとおり、生きていれば女の人を泣かせるだろうし、恨みも買うだろうな)

 すでに覚悟を決めている豊八、止めようとする者がうざく感じられる。

「皆さん! 止めないで下さい。私は死んだ方がいいんです。龍玉さんのご親切のおかげで、こうしてまだ罪浅き身で死ねるんです。むしろ生半な情けで私を生かす方が、かえってむごいとは思いませんか」

「ええ、ごちゃごちゃうるさいぼんぼんだな。面倒だ、おれがさっさと始末してやらあ」

 田六、短剣で豊八の喉を掻っ切ろうとする。

 龍玉遅れじと剣を繰り出す。

 周鷲らさせじと、理も非もなく殺生を急ぐ田六と龍玉に飛び掛り、これを止めに入ろうとする。

 そのときであった。

 突然風を切って飛来するものがあるかと思えば、龍玉の剣を持つ手に当たり動きを止め、田六の短剣に当たりこれを砕いて次に持ち主の額に当たって、田六「いてて」とうめきながら豊八から離れて。

 それは石のつぶてであった。周鷲ら「あっ」と驚く間もなく、つぶてに続いて風を切るは、虎碧。

 剣は手放さずとも石の当たった右手をかばう龍玉の脇をもすり抜けて自分に下心を持っていた豊八の脇をもすり抜けて、田六に迫るや素早くツボをつく点穴てんけつ術を施して、動きを封じて。

「はぁっ!」

 と気合の一声、胸板に蹴りを入れて、後ろに吹っ飛ばす。

 かと思えば、何が起こったかわからず呆然とする豊八の前まで進み出るや、手を広げてこれをかばうではないか。

 誰も虎碧を止められなかった。気がつけば、という感じだった。石つぶても虎碧が放ったものだ。

「やめて! 豊八さんを殺さないで」

 これには周鷲や豊八ももちろん、龍玉が一番驚いた。

 信じられない! と目を見開き、痛む右手をおさえながら虎碧を見ている。豊八もなぜ自分を助けてくれたのかわからず、心ここにあらずだ。

「こ、虎碧さんどうして私を……」

「私は、私は、闘いを恐れて、豊八さんのお世話になってのんびりしたいと、こっそり考えていました……」

 恥じ入るか細い声で、虎碧は言った。

「私は、豊八さんのこと、全然なんとも思ってません。むしろ利用しようとしていました。なのに、豊八さんばかりが責められるのは、見るに耐えません。豊八さんの罪を責めるなら、私の罪も責めてください」

「……」

 一同、

(そ、そんなことを考えていたのか)

 と驚きを通り越し唖然とする。

「そうね、女狐って私のことを言うんでしょうね」

 それから、しーん、と重い沈黙が垂れ込めた。

 虎碧は、自分の腑抜けさがいかに皆に迷惑をかけたかと、痛悔の思いに駆られ。むしろ彼女の方が自害するのではと思わせるほど、恥じ入り身をぶるぶる震わせている。

 恥を感じるは龍玉もこれ同じであった。もし短気で豊八のみを殺めて、虎碧は不問となればこれほど馬鹿馬鹿しい話もない。

 戸惑う龍玉と恥じ入る虎碧をを見かねて、南三零が声をかける。

「龍玉さん。虎碧さん。もうやめましょう。人は時として過ちをおかすもの。それをいちいち問うていてはキリがありませんし、人はことごとく死なねばならなくなります」

 龍玉は身を硬くする。彼女自身も後ろめたいことがあるからだ。ならば、豊八に死ねというならまず自分がしめしをつけねばならくなってしまう。

 何も言えず。そうするうちに痛みも引いて、剣を鞘におさめて、大きくため息をつき、うつむきかげんに無言。

 虎碧も手を広げたまま無言。豊八らも、皆無言。

 南三零がその代わりにと口を開く。

「さあ、豊八さんも、何も言わずにお帰りなさい。これまでのことは忘れましょう。私も忘れました」

 豊八、こくんと頷き、小走りで帰ってゆく。振り向きもしない。

 それを一同見送り、さあ次は田六。こいつは、とどめを刺そうか、という声があがったが。

「虎妹は殺生が好きじゃないから、命は助けてやろう」

 と龍玉は言う。ほんとは殺したいが、今はそれを言えない。ただなまじ助けても邪教の信徒であった男、このままで済ませるだろうか。

 点穴をされ身動きが出来ず、苦しそうにうめいている。内心、

(こ、この娘っこ、なんて強えんだ。なるほどお嬢さまが一目置くだけはある。余計なことをするんじゃなかった)

 とひどく後悔している。が、それを言うこともできない。

「虎碧さんはお優しい。だがこやつ、今までひどいこともしているであろうから無罪放免も許しがたい。そうだな、ここはひとつ、あとは天に任せてみるか」

 と空路が言う。妻南三零に、鈴秀と木吉、それはいいと賛成する。点穴術も時間が経てば解ける。それまで田六の運次第というわけだ。そのあとで、仕返しに来なければよし。仕返しに来れば、そのときこそほんとうにたおす。

 周鷲に虎碧の若い方は少しかわいそうな気もしたが、空路の言うこともっともと、結局は賛成した。

「田六さん、幸運を祈っています」

 虎碧はそう言って、皆とともに岡豊山へと向かう。

 行くしかないか、と。

 そうでなければ、自分の心どころか、めぐり合えた人たちすらどこへと飛んでゆくかわからないから。


第七篇 心いずこに飛ばんとするか 了

第八篇 いざ往かん明山鳳鳴谷 に続く

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