表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

第五篇 新教主

その一


 ここは明山、鳳鳴谷(ほうめいこく)。大陸の東北部、北の大河の下流域にある山で。てっぺんに雲かかる明山の中腹に、谷がありそこを駆け抜ける風の音が、まるで谷に落ち込んだ鳳凰が歎くような重さや悲壮感をたたえているところから、その名がついた。

 それは、はるか昔より谷に鳳凰が眠っているという伝説にも由来する。

 ともあれ、この明山鳳鳴谷には、小さな集落があった。常に鳳凰の鳴くような風にさらされながら、その集落の人々は、細々としながらも田畑を耕しながら……。ということはなく、山奥の人の少ない谷間の集落にもかかわらず、人々はやけに明るく元気で、享楽にふけり谷には風に負けじと笑い声が高らかと響いていた。またよそから千客万来で、そのにぎやかさはますます派手なものになってゆく。

 その象徴のように、切り立った岩壁を背にして豪奢な建物が集落を見下ろしていた。

 大きな門には、来客を見下ろすような大きな扁額がかかげられ、それには金泥で蜘蛛巣教と描かれていた。

 そう、この明山鳳鳴谷は、蜘蛛巣教の根城だったのだ。

 館の広間には、数多くの信徒らがつめかけて、新教主の即位式を心待ちにしていた。

 広間の奥の上座には、まるで皇帝が愛用するような玉座がたたずみ。これに腰掛ける新教主を静かに待っていた。

 ざわざわと、広間に人の声がざわつく中、突如現教主慕蓉武時の側近が声も高らかに、

「ご教主さまの、おなりー」

 と叫べば、場内どっと沸いて、

「教主さま万歳、万歳、万々歳!」

 という万歳の大合唱が起こった。万雷の万歳合唱の響きも心地よさげに、胸を反って慕蓉武時はうしろに側近ふたりをしたがえて玉座まで進む。側近はなにやら鳥かごらしきをもっていたが、よく見ればそれは鳥かごにしては変に小さく、さらによくみれば、中にあるのは愛らしい小鳥ではなく、黄色いまだら模様のあるどす黒い蜘蛛ががさごそとうごめいていた。

 これが、蜘蛛巣教がご本尊とあがめる神蜘蛛であった。

 もうひとりの側近は、両の手で大事そうに一剣をかかえている。

 その向かい側から、新教主となる慕蓉麗が、剣を持った侍女と、男をひとりひきつれ慕蓉武時と対面する。

 慕蓉麗が現れて、場内は「おお」という喚声につつまれた。旅をしているときは黄色のひとえという服装であったのが、新教主となってからは、黒一色。

 果てのない漆黒の闇を思わせる慕蓉麗のまとう黒は、その白面の美貌とあいまって、見るものを本当に闇に引き摺りそうな魅惑があった。

 さすがに慕蓉武時も、その姿に息を呑む。

 それより、後ろに控えている男にも心を動かさずにはおれなかった。この男もまた白面の美男子であるとともに、氷のような冷たさをたたえていた。

 なぜなら、その男は丞相の御曹子の秦覇であったから。

(なぜ秦覇さまほどの男が、この若い娘の後ろに従えておるのか)

 と思うと、慄然とする。御曹子が新教主とつながりがあるなど、慕蓉武時はつい最近まで知らなかったのだ。丞相およびその御曹子は、なにかこの教団を使いたいような事があるのだろうか。ならなぜ慕蓉武時にではなく、慕蓉麗に御曹子が近づくのだろうか。

(江湖にくだって種まきか、ふん、ふしだらな御曹子じゃわい)

 しゃくでもあってか、そう思うことにしていた。

 どっと喚声が沸く。

「新教主さま、未来永劫美しくあらんことを、万歳、万歳、万々歳!」

 慕蓉麗の容姿に魅入られてか、信徒たちは声あらん限りに万歳を合唱していた。万歳と唱える対象が、あっという間に変わって、慕蓉武時は笑顔の裏で苦虫を噛み潰す思いだった。

 なにより、慕蓉武時は慕蓉麗の教主になることを喜んではいない。

 かつて、前教主であった慕蓉万谷ぼようばんこくを暗殺して、他の信徒とともに、いかさまをして一年間の旅を過ごし、教主の座を奪ったのである。慕蓉麗は慕蓉万谷の一人娘だったのだから、それは快く思えないものだった。ちなみに、他の信徒とはあの慕蓉四天王のことだ。

 慕蓉麗が教主になると言い出したときは驚きもしたが、例の掟もあるし、その一年間で敢え無い最後を遂げるだろう、と高をくくっていた、が。

 どうしてどうして、見事慕蓉麗は一年間を戦い抜いて生き延び、教主の座を得ることとなった。慕蓉武時はそれでますます落ち着かない。

 もちろん暗殺のことは秘密にしているが。

(この小娘、やはり父の死をつきとめ、敵討ちを果たす気か)

 と内心は戦々恐々としている。それに加えて秦覇の存在が、慕蓉武時の心をさらに重くした。

 無論それに備えていないわけではない。さっきから、後ろの側近に目配せをしたくてたまらないのだが、下手にそれをして相手に気付かれれば元も子もないのでこらえている。

 場内に集まった信徒の中に、四天王と三人娘もいる。それを思い、心を大きく持って慕蓉武時は新教主の即位式に望んだ。

 慕蓉武時、麗のふたり、玉座の前にて対面すると。場内の信徒どもも厳粛になり、しわぶきひとつなく、静寂があたりをつつんだ。

 慕蓉麗は静かに跪いた。慕蓉武時は、神蜘蛛の入ったかごを側近より受け取り、たかだかとかかげ上げると。

「我が教の志、若い者に託すときが来た。こたびの新教主の即位に、神蜘蛛さまも喜んでおることであろう」

 と宣言すると、かごを慕蓉麗に渡し。つぎに一剣を受け、これもたかだかとかかげ。

「これは代々教主に受け継がれる鳳鳴剣。ひとたび鞘から解き放たれれば、そのうなり鳳凰のうなり、一切を打ち砕く神力がある。これも、若い者に託そう」

 と剣を渡そうとするとき、慕蓉麗の黒い瞳が鋭く光った。と思うと、さっと右手を伸ばし剣の柄に手をかけ鞘から引き抜こうとする。

 すわっと後ろの側近ふたりがさっと慕蓉麗に飛び掛る。

「やはり慕蓉万谷の死を知っていたか!」

「その通り。父の仇、今こそ討たん!」

 咄嗟に後ろに飛びさがりながら、慕蓉武時は側近の後ろに回りこみ。慕蓉麗は側近にはばまれ剣を抜ききれず、やむなしとかごをぽーんと放り投げ、これも後ろに飛んで秦覇と並ぶ。そんなこともあろうかと思ってか、

「ご教主さま、これを!」

 と侍女は咄嗟に自分の持っていた剣を慕蓉麗に差し出す。それは一年間の旅をともにした、慕蓉麗の愛剣だった。

 慕蓉麗黙って頷き、剣を受け取り側近に斬りかかり。秦覇もこれに加勢し、こちらは無手で側近に挑みかかる。

「こ、これはどうしたことだ!?」

 場内の信徒たちは、突然のことに驚くばかり。まさか新旧教主の交代の折りに、新旧教主が突然乱闘するなど、前代未聞だ。しかも、新教主はご本尊である神蜘蛛の入ったかごをぽーんとこともなげに放り捨てたのだ。

 これは一体どうなってしまったのだろうか。わけもわからず、信徒たちはぎゃあぎゃあ騒ぎ出し、どうすればよいのかわからず、おろおろする始末。

 その混乱に乗じて暴れだすものあり。慕蓉四天王であった。これに三人娘も加わり、場内たちまち修羅場と化した。


その二


 慕蓉四天王と三人娘、ひと暴れするとだっと上座の方に駆け出しすかさず慕蓉武時を取り囲み、鉄壁の守りをなす。

 やはり慕蓉麗に組する者もあったのだろう、慕蓉狗が「うおぉっ!」と吼え猛り、少し暴れるそぶりを示した途端に、得物を振るって襲い来る者があった。

 さてこそこれも反逆か、慕蓉武時教主に可愛がられている四天王に仇なそうとするなど、問わずとも反逆であると示されているようなものだ。

 相手は引っ掛けられたと気付いたが、遅きに失し、慕蓉栖のもろ手より繰り出される活死人指はまず目を潰し、それからそのまま後頭部までを貫いた。

 それから場内慕蓉武時と麗の二派に分かれての大乱闘、修羅場は阿鼻叫喚に包まれる。

 さて、ぽーんと放られた神蜘蛛のかごであるが、すかさず兎が拾って大切にかかえている。信徒にとって、ありがたい毒をめぐんでくれる本尊だから、粗末に出来るはずがない。しかし慕蓉麗は粗末にした。

 がごの中の神蜘蛛は、何が起こったのか理解するはずもなく、もぞもぞとうごめく。それをちらりと慕蓉武時は愛おしそうに見つめる。 

 やはり慕蓉武時もこの神蜘蛛をありがたがっている。百年前の教祖の時代より品種改良に品種改良を加えて、これ以上にない猛毒を産み出す毒蜘蛛にまで仕上げ。それを神に祭り上げているうちに、慕蓉一族および信徒どもは、この蜘蛛を本当に神と思うようになっていた。

 だが、慕蓉麗は刺すような冷たい視線で神蜘蛛を睨み、それを神と崇める叔父の慕蓉武時には軽蔑の眼差しを送る。

「うぬ、おぬし、わしに逆らったのみならず、神蜘蛛さまを粗末に扱うとは、なんという罰当たりなことを」

「ふん、馬鹿馬鹿しい。ただの蜘蛛ではないか」

「なんと、その言い草はなんだ! いやもういい、おぬしが我が教の反逆者であることは明々白々。その五体を切り刻んでくれよう」

「できるものなら、やってみるがいい!」

 そう叫ぶのは慕蓉麗と並んでふたりの側近と相対する秦覇であった。辰帝国の丞相、重要人物の息子が何を思ってそう言うのであるか。

麗児リィアルは俺の妻になる女だ。もし指一本でも触れてみよ。たちまちのうちにその者命を落とすことになるぞ」

「や、ややや、それはどういうことだ」

 恥ずかしげもない秦覇の言葉に、慕蓉武時らは呆気にとられてしまった。丞相の御曹子が、邪教教主一族の娘を妻にする!? そんな馬鹿な話があるのか、と。

 慕蓉麗は、やはり羞恥心があってか頬がやや赤らんでいた。どうも、彼女もそのつもりでいるらしい。

 めったなことで男に惚れることのない娘が、秦覇には羞恥心をのぞかせている。これは、やはり、ほんとうだろうか。

 が、そこはやはり狡猾な慕蓉武時。咄嗟に機転をきかせて、

「ふっはははは! あらおかしや。丞相の御曹子が江湖の娘を妻になど、あろうはずがない。そうか、おぬしは御曹子をかたる偽者か。ならば遠慮はいらん、慕蓉麗ともどもなます斬りにしてくれる!」

 しゃ、と鳳鳴剣を抜き放てば、剣は冷たくも鮮やかに青光りし、血を求めるかのように唸っているようにすらその威厳を感じる。それを采配代わりに、慕蓉武時は四天王に「かかれ」と命じる。

 慕蓉魔と瞑は慕蓉麗に、慕蓉狗と慕蓉栖は秦覇にそれぞれ襲い掛かる。それらの間から、きらりと何かが光った。

(むっ!)

 秦覇すかさず手品のように袖から一切れの赤い布を取り出し、それをひと振りすれば、きらりと光ったものはちりんちりんと床に落ちる。それは蜘蛛巣教名物の毒針であった。

 それから慕蓉狗と栖にかかられ、それをまた布であしらっている。

 人狼、六屍合体と恐れられたつわものである、それを布切れひとつであしらうなど、四天王と入れ替わったふたりの側近は目を丸くして秦覇の戦いぶりを眺めている。

 なにせ布とくればひらひら舞ってつかみどころが無く、そうかと思えば気を込められて鋼のような硬さになって、びしっびしっ、と慕蓉狗と栖の手や足や、鼻先を打ちつけるのだ。

 なによりもそれを操る秦覇の器用さ、強さといったら。涼しげに扇子を振るようで、余裕しゃくしゃく。屈辱を感じた人狼と六屍合体ではあったが、怒れば怒るほど秦覇にあしらわれて。

 はたから見ればまるで犬か猫が人間にからかわれているようだった。

 これは、虎碧らとはまるで格が違った。あのときの戦いで、四天王を呼び戻した信徒らは、まさか四天王が、という思いで固唾を飲んで成り行きを見守るしかなかった。

(同じ御曹子でも、秦覇さまは周鷲などとはえらい違いじゃ) 

 とも、思っていた。あちこちに散っている信徒をこの明山鳳鳴谷に呼び戻すための遣いの旅をしているときに戦いの場にでくわして。

 あんな奴ら、敵ではない、と思ったからこそ割り込んで四天王らを呼び戻したのだが。

 その信徒はこう思った。

(同じ誰かの下につくなら、秦覇さまと慕蓉麗さまの下の方がよいのではないか)

 慕蓉武時は妖術を身につけ、四天王にそれを授けたくらい、強いといえば強いが。根は狡猾で、すべては自分のためで、自分のことしか考えていない。えこひいきをするし、今まで散々こき使われ、大事にされたことがない。それを思えば、慕蓉武時のような自分勝手な人間を主と仰ぐのは、もう嫌になるもので。

 もっとも、邪教の人間といえばそんな自分勝手な連中ばかりなのだが、そんな奴らであるから、好き嫌いの感情に素直であり。利害に敏感になる。

 見れば、慕蓉武時と四天王らよりも、慕蓉麗と秦覇たちの方が有利な展開だ。

 慕蓉麗に剣を渡した侍女であるが、これは華と慧の二人の娘にかかられて、無手の拳法ながら、それをひとりで堂々と相手している。

 華と慧の二人の娘は渾身の力で剣を振るい侍女、劉晶りゅうしょうをしとめようとするが、劉晶うまく剣をかわしつつ、隙を見つけては拳を浴びせ脚を見舞う。その動き軽やかで疾風のごとく。次第に二人は髪を振り乱して、打撃を受けもして、へろへろになりつつあった。

 劉晶、伊達に慕蓉麗の侍女はつとめていない。

 で、その主の慕蓉麗。これもまた鮮やかに舞うようで。慕蓉摩と瞑を軽くあしらい。まるでいい大人が黒い蝶々とたわむれているような錯覚すら覚えるのだが、たわむれているのは黒い蝶々こと慕蓉麗で、摩と瞑は攻めども攻めども、慕蓉麗に指一本触れられない。

「まだわたしには触れておらぬ。今なら間に合う、その辺でやめておけ」

 慕蓉麗は言う。もし自分に触れれば、秦覇さまのお怒り天を突くばかりであると。

「何を言われるかと思えば、とんだ自惚れ言を。瞑お姉さま、どう思われますかこのお転婆娘」

「我ら慕蓉四天王の恐ろしさを知らぬと見えます。所詮花園育ち。野生で育った我らに適うものですか」

 慕蓉摩と瞑は強気を言うが、強がりでもあった。内心は慕蓉麗の華麗な動きに舌を巻き、

(敵ながら天晴れ!)

 とさえ思い、知らず知らず惚れ込んでいるようだった。そのせいか、動きは鈍りつつあった。

「愚かな。秦覇さまは仰ったことは必ずおこなうお方だぞ。わたしは、お前たちを惜しめばこそ言うのだ」 

 惜しむ? 我らをか。

 慕蓉麗の言葉が、四天王に耳に飛び込み、耳朶に染みとおる。慕蓉武時にさえ言われたことのないことを、新教主となりながらも教に反逆したこの慕蓉麗は言う。

(ほんとうだろうか?)

 と疑わぬわけではない。だがしかし。

「お前たちを惜しむ思いは俺も同じである。慕蓉武時など、小さな邪教の教主で満足するような小人。それがお前たちに何を言って、どう接したか思い起こしてみよ」

 四天王や三人娘は、秦覇に言われて今までの教主の振る舞いを思い起こし。慕蓉武時は、ぎくりとして、

「ええい、そんなたわけた事など聞くでない。こやつらを討てば、褒美は思いのままぞ」

 と喚く。

 それに対し、冷めた反応を見せたのは慕蓉瞑であった。まだ普通の女性の姿であるところから、本気で闘ってはいないようで。早く本気になって慕蓉麗を斃せ! と教主はすこぶるご不満のようすを顔に描いておいでであるようだったが。

 教主の意に反して、慕蓉瞑は一旦攻めの手を止めた。続いて慕蓉摩も動きを止めた。それを機に、場内一時休戦状態となった。

 新旧教主らの闘う上座の展開が、信徒たちは自分たちの目先の戦いよりも気になった。

「我らの受けた恩は、忘れませぬ。ただ、仇が、恩を越えておりますれば」

 冷たい吐息を漏らすようにつぶやくのは、慕蓉摩であった。

 慕蓉武時は、その言葉を聞いてますます苦い顔をし、同時に真っ青になってきていた。慕蓉摩は、さらにこの場の空気を凍りつかせるかのような、冷たい声でつぶやくのであった。

「わたしが、人であることを捨て、永きにわたる美しさを欲するのは、あなたがわたしから奪った亡き夫のため。気付かれておりましたか、慕蓉武時さま?」


その三


 慕蓉武時は全身が凍りつきそうなほど、胆の冷える思いをした。己に忠実であると思っていた四天王のひとり、慕蓉摩からそんなことを言われようとは。

(こいつ、気付いておったか)

「叔父上、今までどれほどの者をどれほど葬られたか、覚えておいでですか? いえ、覚えておりますまい。今まで食した米粒の数を覚えておられぬのと同じように」

 慕蓉麗の冷たい言葉が追い討ちをかける。

 教主の座を掠め取り(かすめとり)、またそれを保つために、数多の血を流した。兄の慕蓉万谷を手はじめに、外部の敵はもちろんのこと、己の意に添わぬ同族や信徒たちを暗殺してきた。

 その中には、四天王の身内もいた。が、それは秘密にしておいははずだ。

 なのに、漏れてしまったというのか。

「わたくしが何も知らないと思っておいででしたら、それはお間違いでございますよ。夫は抜け目のないひとでしたから、ちゃあんと、誰が己を殺したのか残しておいてくれてました」

「で、それを私に教えてくれたのでございます」

 慕蓉麗と慕蓉摩は互いに目配せして、してやったりと笑みを浮かべている。慕蓉武時は、思っていたよりもかなり前から、図られていたことを、嫌でも悟らざるをえなかった。

「まあ、世に言う芋蔓式というもので、ひとつ謎が解ければ、後はつぎからつぎへと」

 慕蓉摩は会心の笑みだ。

「ど、どうやって。慕蓉世露ぼようせろはわしがやったという証拠を残したのだ」

 あたりは一瞬にしてざわめいた。慕蓉一族の者たちが次から次へと不審な死を遂げていったことが、かつてあった。その犯人が、あろうことか教主の慕蓉武時であったなど、信徒の誰が思おうか。

 葬式のたびに、涙を流し仇討ちを誓ったというのに。

 だが仇討ちは全然進まず、敵は容易ならざるものと思われていたが。あにはからんや、まさか教主慕蓉武時であったとは。

 四天王の残り三人、慕蓉狗、瞑、栖は慕蓉摩をじっとながめて成り行きを見守っている。この三人は、慕蓉武時の傲慢さに内心苦い思いをしつつも、多大な恩恵を受けもしたので忠誠は誓ってはいた。

 しかし、慕蓉摩は違っていたようだ。

「ほほ。自ら罪をお認めになりましたね。わたくし欲しさに、夫を亡き者にして。なおかつ、わたくしに永きにわたる美しさをお与えになられました。が、乙女の血を好むようになるなど、あなたも思いもしなかったようで、わたくしとても嬉しゅうございます」

 ひと目で心を奪われそうな、絶艶なあやしい笑みをうかべる。慕蓉武時は、「うむむ」とうめいている。

 慕蓉一族は、その純血を保つため、親族同士で夫婦となることが多かった。ゆえに、親族内で、男や女の奪い合いがあったりした。慕蓉武時もまたそのように、同族の慕蓉摩に横恋慕し、これを奪おうとその夫である慕蓉世露を殺害したのであった。

「妖術をもってわたくしに永きにわたる美しさをお与えになられたとき、わたくし、ひそかに吸血鬼になるように、自分で仕込んでおりましたの。その方がさらなる美しさをたもてるというので」

 慕蓉武時は、慕蓉摩の血を好むを思い起こし、ぞっとする。いつだったか、慕蓉摩に妖術をほどこし、永きにわたる美しさを保てるようにした。だが、その彼女が、突然召使いの少女の喉笛にかみつき、恍惚とその血をすするのを見て、しくじったと思った。

 いかに美しくとも、人間の血をすする化け物を自分の女にすることは出来なかった。だがそれは失敗ではなく、慕蓉摩自らがほどこしたものだったという。

「美しいわたくしを目の前にして、手も足も出せぬあなた様を見るのは、ほんに楽しゅうございました。おそらく、夫も草葉の陰で楽しんでおることでしょう」

「ええい、そんなくだらぬことを……! 慕蓉世露はいかに証拠を残したというのだ!」

「まあまあ、そうお慌てになりませぬよう」

 と言いながら、慕蓉摩は懐から何かの箱を取り出し、蓋を開け中のものをつまんで取り出せば。それは四枚の人間の爪であった。古いもののようだが、誰の爪であるというのか。

「なんだそれは」

「よくよくご覧遊ばしませ」

 慕蓉摩の差し出す四枚の爪。その一つ一つを見て、慕蓉武時はますます驚愕の色を浮かべた。

 爪には、一枚一枚に、それぞれ「慕」「蓉」「武」「時」と刻まれていた。

「これは夫の爪でございますわ。いまわの際に、己の爪に刻むほどのものとなれば。疑う余地はございませぬ」

「おおお、おぬし、それで、それで、すべてをわかった上で、わしに仕えていたのか」

「はい」

 うろたえる慕蓉武時に、慕蓉摩は手を口元に当てて、感極まってか、艶絶極めて微笑む。肌はぬめのように白く、髪の黒さも艶を増し、黒く丸い瞳も魂を果てなく吸い込んでゆきそうで。

 いまからしとねをともにするかのように、誘惑しているようだった。

「いつ仇をとろうかと思っておりましたが。あなたがわたくしを求めながら得られずに、身悶えするのを見るのがあまりにも楽しくて、つい、先延ばしにしてしまいましたわ。ほほほ……」

「もういいだろう」

 秦覇だ。慕蓉狗と栖をあしらった赤い布を手に持ち、慕蓉武時に迫る。

「色々と余興が過ぎた。慕蓉武時よ、年貢の納め時である。神妙にせい」

「ほ、ほざけ若造が。わしは慕蓉武時。うぬごとき輩に」

 言いながら、慕蓉武時ははっとした。誰も自分を助けようとはしない。皆、秦覇と慕蓉麗の威風に吹かれ、なびいているようだった。

 今の慕蓉武時のうろたえよう。それに対して、秦覇と慕蓉麗の立ち居振る舞い。比べてみれば一目瞭然。どちらに仕えた方が得をするか。結局は邪教の信徒である、まず第一に己の利害を考える。

 その時、さっと慕蓉麗から針が飛んだ。毒針だ。

「ひえっ」

 もはや教主の威厳もあったものでなく。腑抜けとなった慕蓉武時は悲鳴を上げて慕蓉麗の針から逃れるばかり。

 さすが妖術をもちい教主の座におさまっていただけに、針はどうにかかわせた。それでも慕蓉麗は許さず、雨あられと針を浴びせ、慕蓉武時はひたすら逃げる。

「見苦しい奴。潔くすれば、せめてもの情けで丁重に弔ってやろうものを」

 秦覇は汚い物をみるような軽蔑の眼差しで慕蓉武時を見据える。

 さすがここまで踏みつけにされて、慕蓉武時も、きれた。

 開き直ったか、さっきとは打って変わって姿勢を正し、迫り来る針を袖で打ち払う。

「ふ、ふふ。もうこうなれば、あとは野となれ山となれよ」

 もう理も非もない。一旦静まり返っていた大広間は、また「わっ」と混乱の兆しを見せ始めた。

 秦覇と慕蓉麗、劉晶はそんな慕蓉武時の様子を見、侮らず構えを改めた。

(ついに手負いの獣となったか)

 慕蓉麗は、仇ではあるが慕蓉武時を哀れに思わないでもなかった。しかし、その手には鳳鳴剣がしっかと握られている。

 それにくわえ、慕蓉武時は妖術にも長けている。慕蓉麗が父の仇討ちのために、教主になるための一年間の修行の旅をしたのも、慕蓉武時の強さに対抗できるだけの強さを身につける必要があったからだった。

「ゆくぞ」

 鳳鳴剣をかかげ、慕蓉武時が吼えた。とたんに、風が巻き起こったかと思うと、その手に握られていた剣が、鳳凰の雄叫びを思わせるような叫びを発し。

 くうを揺らした。

 秦覇は、目を輝かせた。

(これぞ我が求めし鳳鳴剣) 

 それを察し、慕蓉武時は「ぐふふ」と不気味に笑った。

「坊主、これが欲しいか。なら力づくで奪うことだな。ぎひひ……」


第五篇 新教主 了

第六篇 魔神 に続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ