第四篇 日を産むめおと
その一
そのときであった。
周囲の空を揺るがす笑い声が響きわたり、一同ぎくりと度肝を抜かれる。まだ人がいたのか、と。戦いの最中とはいえ、周囲には気を配り、人がいればすぐにわかるようにしていたにもかかわらず。
「なかなか面白いな。俺たちも混ぜてもらおうか」
「いえ混ざりましょうよ、あなた。弱きを助け、強きを挫くはわれらめおとの信条ではありませんか」
「そのとおり! 弱きを助け強きをくじくわれらが侠気、邪教を見ては黙ってはおれんのだ」
と言うや、山陰の樹の上よりさっと飛び降り、地に降り立つ一組の男女。
男は赤と黒の二色の色合いの服をまとい、背には赤い盾を背負い、顔は漆黒の鉄仮面で覆われていた。
女の方は色白で柔らかに微笑み、上品で清楚な顔立ちで、身にまとう青いひとえも上手く着こなし、淑女の風情があった。が、これはひとえと同じ青色の盾を左手に持っていた。
「ほう、これはこれは、『鉄仮面』の空路さまに、『究極淑女』南三零さまのご夫妻ではありませんか」
突然の出現に、あたりの空気はぴんと糸が張られてそれに縛られるように一同の動きが止まり、しばし休戦状態となる。
慕蓉瞑は、ふたりを知っているのか、冷たい笑みを浮かべながらも、親しげに挨拶をしていた。
「英傑夫婦ふたりあらば、そこに日が産まれて昇る。と言われておられる『鉄仮面』と『究極淑女』のおふたりにお会いできて、光栄でございまする」
とうやうやしく、ぺこりと一礼をする。
「なんの、堅苦しい挨拶は無用!」
言うや「鉄仮面」空路と「究極淑女」南三零は盾を思いっきり勢いよく、天空目掛けて放り上げた。赤と青の、二つの盾は仲良く並んで太陽の光に反射し、まるで太陽がまた二つ産まれたようであり。まさに、さきほど慕蓉瞑が言ったように、日を産んだようであった。
「お見事!」
二つの太陽となった二つの盾の飛びっぷりに慕蓉瞑は喝采を送る。
「まだまだ!」
空路と南三零夫妻は腕を伸ばし、盾に気を送り込む。すると、盾は意志あるもののように風を切り唸りをあげて、慕蓉瞑向かって飛び掛ってくる。ともに鋼鉄を鍛え上げて造られ、縁は鋭く、当たれば両断は間違いない。
が慕蓉瞑は歯牙にもかけず、盾の迫るに任せていた。気がつけば空路の赤い盾は喉元に、南三零の青い盾はへそのあたり目掛けて迫っていた。
慕蓉瞑はくすりと笑い紅を塗った唇をゆがませると、軟らかに身体をくねらせ、飛んでくる盾をひょいとかわした。盾の速さと勢い、目にも止まらぬほどで常人ならばかわすことかなわず、両断されていたであろうものを、慕蓉瞑はこともなげに寸前でかわしたのだ。その動体視力、四天王だけあって尋常ではなく。
龍玉と虎碧、周鷲は相手とにらみ合ったままその技量に唖然とする。もしこれが自分なら、避け切れず両断されてたろうに、と思っていただけに驚きも半端でない。
「わたくしは『太陰魔女』とあだ名される者、おふたりが日を産み、それが輝けば輝くほど、また太陰(月)も輝きを増すというもの」
空路と南三零夫妻が盾をあやつり、ふたたび慕蓉瞑に向かい盾を唸らせたとき。慕蓉瞑はふっと笑うと、おもむろにふところから何かを取り出した。それは松明であった。慕蓉狗はそれを見た途端、彼もまたさっとふところから火打石を取り出し、すかさず慕蓉瞑のもつ松明に火をつける。
その間にも盾は唸りをあげて、慕蓉狗と慕蓉瞑に迫るが、ふたりはそれをさっさっとかわし、まるでかわしついでに舞でも舞っているようだ。
「何をしている、ぼーっとしてないでこやつらを始末しろ!」
火のついた松明を手に、慕蓉瞑が叫べば、さっきまで金縛りにあったように動かなかった慕蓉摩と慕蓉栖に、華と慧と兎は、はっとして攻撃を開始し、激闘は再開される。
松明の火は彼女の精力を吸い取ったか、ぼっと燃え盛りその顔を覆ったように見えた。
「あなた!」
「むっ!」
空路と南三零は咄嗟に盾を手元に呼び戻し、隙なく構えて慕蓉瞑の動きをうかがっている。松明の火で己の顔を焼くなど、ありえないことだが、それが慕蓉瞑のやり方のようだった。
「……。あっ!」
「か、顔が」
龍玉と虎碧は、慕蓉瞑の顔を見て驚き。一瞬動きを止めてしまう。そこへすかさず三人娘と慕蓉摩に攻められ、あわてて防ぐ。しかし、防ぎながらも、慕蓉瞑への驚きに心は早鐘を打ちつけ治まらない。
「正体を現したな、『太陰魔女』め!」
「月が夜毎に姿を変えるように、あなたも姿を変える。まさしく、『太陰魔女』ね」
空路と南三零は構えていた盾を慕蓉瞑に放った。二つの盾は、慕蓉瞑の「三つの顔」のうち左の顔と真ん中の顔の二つの顔に迫った。そう、慕蓉瞑の顔は、三つに増えていたのだ。三つとも美しい顔をしており、ひとつのときと違いなぜか三つの顔は慈母のような穏やかな顔をしている。が、それでもひとつの身体に三つの顔というのは不気味なもので、皮肉にも穏やかな顔が見る者の不気味さをさらに増していた。
三つの顔は盾が迫るや、かっと目を見開かれて、すかさずその手は松明の火をかざす。火は龍舌のように伸び、盾を飲み込もうとする。
「むおお!」
空路はうなって、盾を龍舌と化した火にぶつけようとし、南三零は咄嗟にかわし手元に戻す。
火と赤い盾が、唸りを上げてぶつかる。すると、火は上下に裂かれ慕蓉瞑は一歩下がりながら火を治め。盾は一部を焦がして赤い塗料が剥がれたのみならず、その部分が溶けているようでもあった。慕蓉瞑は気で火をあやつるのみならず、その火力までを自由に出来るようだった。
「なんの、これしき」
空路は自分の赤い盾が焼かれてもめげずに、気を振り絞って慕蓉瞑向かい盾を打ち放ち。南三零もそれに加わり、夫婦二人三脚で慕蓉瞑を攻め立て。
慕蓉瞑は火を龍舌のようにあやつり伸ばして、夫妻の盾と一進一退の攻防を繰り広げている。三つの顔は、余裕綽々と穏やかな微笑をたたえていた。
虎碧は腕の痛みをこらえながら戦いつつ、慕蓉瞑らの様を見て戦慄を感じっぱなしだ。
(もうこれは、人間じゃない)
かつてその碧い目から妖女と無理解な誤解を受けたこともあったが、それは異民族の血が入っているからで、虎碧はあきらかに人間の少女である。しかしながら、慕蓉四天王はそろいもそろって妖魔、天魔のたぐいではないか。
まさに蜘蛛巣教は、妖術をつかう邪教であり。慕蓉麗はそれを束ねる教主となるのだ。
虎爪式で一度勝ったのは、まぐれだったのだろうか。
ともかくも、知らぬということほど怖いことはない。自分たちは、そんなとんでもない連中と戦おうとしていたのだ。
ということがわかったところで、何があるのか。この命はいつまでもつのか、それはわからない。
突如現れた空路と南三零の夫妻は味方のようだが、ふたりは何者なのだろう。周鷲と同じように、蜘蛛巣教となんらかの係があるのだろうか。
ふと、南三零と目が合った。彼女は虎碧にやさしく微笑んだ。盾を飛ばしながら。
その笑顔の優しさ、「究極淑女」というに相応しいものであった。
その二
「ほらほら、碧い目のお嬢さん、よそ見しちゃだめよ!」
慧がすかさず拳を放ち、それをかわせば鷹の爪のようにまた自分の腕をつかもうと慕蓉摩の魔手が迫っり。咄嗟に左手で裏拳を繰り出し、その手首を打ちざまに脇へ避け、蹴りをわき腹にお見舞いする。
だが相手もさるもの、すぐに下がって蹴りをかわす。
「碧い目のお嬢さん、この変態女は私がお相手するわ」
南三零だ。慕蓉瞑は夫にまかせ、自身は慕蓉摩の前に立ちはだかる。そうすれば案の定、
「生娘でない女にゃ用はないよ!」
と毒づく。
苦笑しつつも南三零は淑女らしい笑みを浮かべ、それでいて盾を宙にはなって、縦横無尽に飛び駆けさせつつ。
「あなた、女性の身でなんて下品なことを仰るのです」
と慕蓉摩に苦言を呈する。
慕蓉摩はひらりひらりと盾をかわすも、かわしてばかりで攻めに転ずることがなかなか出来ない。表面上は平静をよそおっているが、内心けっこうあせっているようで。思わず皮肉をこぼす。
「ふん、淑女ぶって嫌な女だね。でも、夜になっても淑女でいるのかしら、ねえ」
「まあ。あきれた」
「なにが、まあ、あきれた、よ。『鉄仮面』とは夫婦でしょう。なら夜にすることといえば……」
虎碧は龍玉、周鷲とともに三人娘と対峙しながら、耳に入る慕蓉摩の言葉に、顔を赤くし。
「ま、碧い目のお嬢さんったら、純情ぶっちゃって」
「やあねえ」
「ふんだ、こんな小娘に若様をとられてたまるもんですか!」
というようなことを三人娘に言われる。さすがに虎碧もこの勘違いな発言にはあきれるとともに、怒りを覚えたらしく。
もう、知らない! と頬を膨らませて。
「いーだ!」
とやりかえす。かたわらでそれを見た龍玉と周鷲、南三零は、
(三人娘が移っちゃった)
と苦笑する。が、それは虎碧もまだまだあどけない少女ということで、周鷲は心なしか、虎碧の「いーだ!」に、なぜか胸に清清しいものを感じてしまった。
いやそれよりもなによりも、三人娘の勘違いな発言のたびに、どこか甘酸っぱいものも覚えてしまうのは、どうであろう。
他では慕蓉狗と慕蓉栖が、鈴秀と木吉のふたりと烈しくやりあっている。最初は人数的に不利であったが、空路と南三零の夫婦が助っ人に現れてくれたおかげで同じ人数になり、それぞれ一対一となった。
「まったく貴方はいささか乱暴な心で、いけませんわ。人間詩心が必要ですわ」
南三零だ。なんだかんだと食って掛かる慕蓉摩と戦いながら説教をしているらしく、すう、と深呼吸をしたと思ったら。
「春の宵、そのひとときは千金に値し。雲宵に染まり黒鳥のごとく飛ぶ……」
いにしえの詩人、蘇横波の詩を口ずさむ。無論、盾を飛ばしながらだ。
「華は清く香り、夜空の月、楠のかげうつす……」
詩を吟じるそのうた声は、おもわずうっとりするほど澄んだ美声で。これが戦いの最中でなくば、どれほどよかっただろうか。
盾を飛ばす南三零の動きも、軽やかな詩の音律にのって舞を舞っているようであり。盾はさながら淑女とたわむれる蝶のようであった。
「月あかり、道を晴らし……」
(『究極淑女』が詩を吟じる……。聞いたことがある、これが『詩蝶盾』というものか)
慕蓉摩は詩を耳にしても楽しくなくて、必死にそれをかわしながらこの技の名を思い出す。江湖に「鉄仮面」と「究極淑女」の名はいくらか通っており、慕蓉四天王もちらりとその名を聞いたことはあったが。
いざ対面してみれば、人の噂にのぼるだけあってなかなかの絶技。
「ふん、まったく馬鹿馬鹿しい。これこそキザってもんさね」
とかなんとか、大声を上げて詩を吟じるうた声が聞こえないようにする。どうにも詩が耳に入り込むと、思わず身体が詩にあわせて舞ってしまいそうになるが。もしそんなことになれば、かわすもままならず、それこそ盾の餌食である。
「究極淑女」が詩を吟じれば、餌食となる者はこころを縛られ、人形のように操られる。そのうた声に、気を込めているのは明らかだ。
しかしこの技は南三零の言うとおり、詩心と、それを吟じられるだけの教養が必要とされる。この「詩蝶盾」は、「究極淑女」南三零ならではの技といってもよい。
味方にとっては風流で且つ強力な技だが、敵にとってこれほど厭味でやっかいな技もない。
一方慕蓉瞑とぶつかる空路の盾は、龍舌のような火のためうかつに近づけず、互いに攻めきれない鍔迫り合いのような状況となっている。
これでは埒が明かないと、空路は縁のすこしこげた盾を手元に戻す。慕蓉瞑は火を落ち着け、じっと相手の動きをうかがっている。
三つの顔はひとつのときと違い落ち着き払って、静かなものだったが、左側の顔がおもむろに口を開いた。
「さすが音に聞こえし『鉄仮面』どの。お噂にたがわぬ強さ」
「ふん。おぬしの妖魔っぷりには負けるわい」
空路が応えると、続いて右側の顔が言う。
「妖魔、そう、わたしたちは人であることを捨てました」
続き真ん中の顔。
「道を究めるために。貴方のお顔には、わたしが哀れであると書かれておりますが、それは見当違いというもの。まこと哀れなのは、人であることを捨てきれぬお弱い貴方たち」
言い終えるや、三つの顔が同時に微笑んだ。鉄仮面の下で、空路の顔は眉をしかめ舌打ちする。
「そうそう、もうひとつお噂が」
と、これは右側の顔。
「そのお顔には、古傷がおありと聞き及んでおります。どうですか、一歩勇気ある前進をなされれば、そのような古傷などなんの問題でもなくなりましょうに」
「余計なお世話だ。それに、その噂は違うな」
「ほ、ではどのようなわけで」
「おぬしに言う必要はない!」
大喝一声、渾身の気合をこめて盾を打ち放つ。
盾はうなりをあげ、三つの顔と胴を切り離そうと迫る。だが慕蓉瞑は火を落ち着けさせたまま、動じない。
ばかりか、横を向き左側の顔を盾に向ける。すると、右と真ん中の顔はどこかを見て微笑み、左の顔はかっと目を見開き、がっきと歯で盾を受け止めた。
と同時に、ぶおんっ、と空を打ち砕く拳が右側の顔に迫ってくる。空路は盾を飛ばし、それをおとりにして相手の気をひきつけ、自身盾の後から飛び掛って拳法で慕蓉瞑に一撃を食らわす魂胆であったのだ。
が慕蓉瞑もさるもの、すぐに相手の動きを察し拳をかわす。余韻が髪を揺らすし、頬を撫でる。
左の顔はべっと盾を吐き出すように口から放し。空路はすかさず第二撃を繰り出しつつ、盾を自身へと引き戻す。
相手も黙ってはいないもので、お返しと左の掌を繰り出し。すんでのところで左手に持った盾で掌を防ぎ、拳もかわされ、やむなく距離をとる。と見せかけて、咄嗟にしゃがみこみ、下蹴りを足首に見舞う。
が慕蓉瞑は飛び上がり様に蹴りを繰り出し、つま先で鉄仮面で打ち砕こうとする。
それを盾が防ぐ。
強い衝撃が走る。
それでも盾を離さず、踏ん張りつつそのままえいっと押し返す。
慕蓉瞑は盾を踏み台にし、ひらりと後ろへ飛び跳ね、くるりと一回転をして着地。松明をかかげ、龍舌の火を放つ。
盾でそれをふせごうとした空路であったが、あにはからんや、龍舌の火はくねっと曲がり虎碧めがけてほとばしった。
「しまった!」
慌てた空路はすぐさま龍舌の火を追ったが、その勢いまさに天空駆ける龍のよう、人の足で追いつけるものではなく。
虎碧もはっとしたが、その隙を突いてすかさず地に伏せた兎がその足をつかみ、動きを封じた。
その三
龍舌の火が、虎碧に迫る。
その時。
「昇龍女!」
という大喝が響くや、虎碧とその足をつかんでいた兎は、ぶわっと突如巻き起こった竜巻に吹っ飛ばされる。
火は、竜巻に掻き消される。
どん、どん、と虎碧と兎は尻餅をついて着地し。いたた、とつぶやきながら起き上がった。幸いにもかるく腰を打ったくらいですんだようだ。
龍舌の火、虎碧に迫るを見て龍玉は咄嗟に必殺技『昇龍女』を放ったが、うまくいった。
「おのれ、忌々しい女狐め。邪魔をしよって」
仏のような微笑をたたえていた顔は、さっと鬼のような怖い顔に変わった。
「そこまで!」
突如として響く声。
この戦い、なかなかケリが着きそうになく、泥沼になるかと思っていたが。まだ誰かいたのか。と、驚くやらうんざりするやら。一同周囲を見渡す。そうすれば、慕蓉四天王と三人娘はにやりとし、龍玉と虎碧らは驚愕し身を固める。
いつの間にか、周囲には数十人もの武芸者があつまり、一同を取り囲んでいた。それらは皆まっとうな面構えはしておらず、ことごとくが邪教の教徒らしく男も女も皆悪辣な面構えであった。
慕蓉瞑らはそれらを見て、何か言おうと口を開こうとしたが。
「何をこんなところで遊んでいるのか、慕蓉四天王。麗お嬢さまはめでたく、ご教主さまにおなりあそばしたというのに」
ひとり、白髪頭の老教徒が叫ぶ。
龍玉と虎碧は、慕蓉麗が教主となったというのを聞き、穏やかではない。それこそ、教主とおなりあそばした麗お嬢さまとの戦いに臨んでいたのだから。
邪教徒らは、龍玉と虎碧らに冷たい視線を放っている。その気になれば、一斉に飛び掛って始末しようとするのか。
空路と南三零も、この新手にはさすがに胆を冷やし。南三零は詩を吟じるをやめ、盾を構え成り行きを見守っている。
周鷲と鈴秀、木吉も、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
慕蓉瞑は鬼となった三つの顔を落ち着け、済ませ顔で、老教徒を見据えていたが、ふっと済ました笑いを浮かべると真ん中の顔が口を開いた。
「そうでした、迂闊にも忘れていましたわ。これから急ぎ明山に戻り、ご教主に拝謁せねばなりますまい」
「しかり、しかり。麗お嬢さまが我が教のご教主となられ、このたび華々しく式を開くよし。そのめでたい時に、そなたら四天王は我が教の柱とたのむ豪傑がおらねば、酒なくして宴をひらくようなもの。早く明山に戻られませい」
「かしこまりました。今より急ぎ明山に向かいまする」
「うむ、我らもこれより明山に向かう。ともにゆこう。そして、新しき門出を祝おうぞ」
まるで龍玉と虎碧らなどないかのような話しっぷりだ。
龍玉は無視されていることにむっとして、手を動かそうとするが。それを察した周鷲はすかさず彼女の鞘をつかんで、首を横に振って自制をうながす。
戦いは泥沼になろうとしていた。よくわからないが、邪教徒らはここから離れそうな気配だから、それに任せよう、というのだ。
龍玉も幸いに気付いて、動きを止める。
すると、邪教徒たちはさっと潮のごとく引いてゆく。四天王も、さっきまで戦っていた相手を無視し、明山に向かい。三人娘はそろって虎碧にあっかんべーをして、立ち去ってゆく。
あまりの速急な展開に、残されたものたちは急な静寂の中、ぼーっと呆然としている。一体、今までの戦いはなんだったのだろう、と。
(さすが邪教、人を食ったことをする)
と空路は鉄仮面の奥で眉をしかめる。
しかし、助太刀に入る前に、周囲に気配がないか十分に確かめたのに。後から来たにしても、気配を察知できなかったとは。なかなか達者なものたちだと、感心をし苦々しくも思う。
江湖の旅の最中、偶然戦いの場に通りすがって、しばらく様子を見てから助太刀に入ったのだが。よもやかの邪教、蜘蛛巣教に新しい教主が誕生したとは、さすがに知らなくて。
(これは、ひと波乱あるか)
と戦慄する。
邪教の常として、新しき教主は己の存在感を示すため、江湖にその毒牙を向け、猛威を振るおうとするだろう。
「ふう」
気の抜けた虎碧はへなへなと足がなえて、そのまま座り込み。すぐに龍玉と周鷲が、
「怪我の具合は?」
と駆けつける。龍玉はともかく、周鷲まで来たことに、虎碧は少なからず戸惑いを覚えた。変な勘違いなことを、さんざん三人娘に言われたのだから無理もないことであった。
それから南三零もやって来て、
「若様、私たちがお嬢さんのお怪我の具合をみますから、どうかお心を安らかに」
といって、さりげに間に入りこみ。虎碧の服の袖をまくりあげ、怪我の具合をみる。周鷲は南三零に言われたとおり、あとを任せて空路に向かい抱拳礼をする。空路も周鷲に抱拳礼を返す。
(あの女の人は、なんでわざわざ俺とあのこ……)
の間に入ったのだろう。と考えようとしたが、ふと思えば、まだ名前を知らない。自分は名乗ったが、慕蓉四天王のせいで相手は名乗る暇がなかったのだ。
ともあれ、周鷲は南三零によって虎碧から引き離されたような気がしていた。なんでそう考えるのかは、わからないけれど。
「助太刀かたじけない。それがしは周鷲と申します」
さすがに空路と南三零の名は知っている。会ったのは初めてだが。
お互いにあらためての自己紹介をしあっているうちに、鈴秀と木吉も周鷲のもとまでやってきて。主の少しうしろで一礼をし、自己紹介をする。
「それがしは『鉄仮面』空路。周鷲どの、お初にお目にかかります。貴方の勇敢な戦いは、尊敬に値します」
「いや空路どのにそう言っていただけるのは、畏れ多い」
「いたいっ」
と周鷲と空路の対話に割って入る声は、虎碧だ。
腕の傷に、膏薬を塗っているらしい。龍玉はしっかり者の虎碧が「いたいっ」と言ったことが、気がかりだった。腕を噛まれたことが、こたえているのだろうか。
幸い傷はあまり深くなく、やがては治るだろう。が、痕には残るかもしれない。
南三零は、龍玉とともに傷をみてて、思わず眉をしかめる。
腕は噛み付かれたはずなのに、歯形はなく、傷はまるで刃物で切ったかのようにすっぱりと切り傷ができている。それこそ歯を刃物のようにして、腕に切り傷をつくりそこから血をすすっていたのだ。
まったく、奇妙な技を使うものだが。
だからこそ、邪教の教徒なのだろう。
第四篇 日を産むめおと 了
第五篇 新教主 に続く