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第十二篇 牙城に牙旗立つ

その一


 暴風巻き起こす魯墾に、長元の唸る方天画戟、龍玉の必殺技「昇龍女」の竜巻ぶつかり合って怒号、怒涛のごとく轟きあう。

 人非人針受けた魯墾の暴威は、まさに人でありながら人に非ず(あらず)の力あり、長元と龍玉の二人渾身の力をもって立ち向かうも、その勝負はなかなかつきそうになかった。

「な、なんでえこいつぁよお!」

 方天画戟ひとたび唸れば、これ旋風となってあらゆる悪人を吹き飛ばしてきた長元ではあったが、初めて接するその力に驚きを禁じえない。

 龍玉もそれは同じ。かつて自分を捕らえていたときの魯墾とはまるで別人のようだ。そのさらに醜くなった容姿に、その非人の力に、どう見ても正気と思えぬ狂気の眼差し。ふたりを、人間ではなく、まるで肉食獣の獲物となる小動物にしか思っていないかのようだ。

(邪教は人を、ここまで歪ませてしまうのか)

 暴風叩き割って方天画戟、魯墾の横っ面をなぎ払おうとする。が、その丸太のような太い腕、がっしとその柄を掴む。

「むお!」

 得物をつかまれ、長元一瞬動きが止まる。魯墾も同じく。その一瞬の隙を突いて、龍玉すかさず「昇龍女」を巻き起こし魯墾にぶつけようとする。

 だが方天画戟を放すその手は、今度は竜巻に向かい唸りを上げてぶつけられれば、たちまちのうちに竜巻は暴風にあおられ四散し、消え去ってしまう。

 そこへすかさず長元、方天画戟を今度はその太い腕にぶつけようとするが、その裏拳、方天画戟を。しかも刃を、弾き返す。

 弾かれて、やむなく後ろへさがり体勢立て直す長元ではあったが、その刃が裏拳に弾かれたことには驚愕とどまらなかった。

 裏拳は鋼鉄にでもなったか、傷一つないではないか。

「化け物め!」

 と毒づこうと、それは結局魯墾への褒め言葉になってしまう。

 だがそれで逃げるような長元と龍玉ではなかった。むしろ強敵なればこそ、と勇を鼓して立ち向かう。

(お師匠様は言った。強敵に打ち勝ってこそ、まことの勇士となることが出来る、と)

 ふと、脳裏に浮かぶもの。 

 ぎッ、と歯を食いしばり。龍玉は長元とともに魯墾を倒すべく、さらなる激闘数十合を重ねるのであった。

 その一方、五人を相手の慕蓉瞑。余裕しゃくしゃくの表情を見せて、己を囲む五人をもてあそぶことに興じて、また愉快そうであった。

 が、空路に南三零ら、相手に苦戦しつつも何かを含んだ表情で、それぞれが目配せし。何を思ったか慕蓉瞑と距離をとり。自分がやられない程度に、慕蓉瞑を取り囲み、その足取りを封じ込めようとする。

 また別では、虎碧と周鷲を引き離した三人娘。華と兎は虎碧を攻め立て、慧は周鷲を攻め立てるも。華と兎はその攻めをかわされてばかり、なかなか相手をしとめられず。慧は周鷲の反撃を受けて、たじたじとなり、下がり気味。

 剣を手にしつつも、周鷲これをもって慧を斬るをためらい、とっさに鞘におさめ。攻めを拳、脚に切り替えて慧に迫る。

 その実力は周鷲が勝り、相手を追いつめるのではあるが、どうにも勝負を決するに至らない。

「きゃっ」

 と慧が悲鳴を上げれば、風を切り唸りを上げる拳とっさに下がるという始末。

 これに「ちぇっ」と苦くしたうちする周鷲。

(邪教の徒とはいえ、女の子を殴るなんて、俺には出来ない!)

 慧の瞳は、自分をしとめられず戸惑う周鷲を映して、じわりと揺れた。

 虎碧は華と兎の攻めをかわすばかりであったのが、周鷲の様子を見て、これはいけないと逃げの一手をやめた。

「破ッ!」

 と、空を揺らす一声。そして風を切る左掌。

 それとともに、華と兎はそろって、

「きゃあ!」

 と悲鳴を上げて吹っ飛ばされて、地に伏した。その脇を虎碧駆け抜け、周鷲を襲う慧に迫る。慧ははっとして虎碧に備えるも、その備え虎碧にはなきがごとく、簡単に隙を突かれてわき腹に左掌打ちつけられて、いともたやすく吹っ飛んだ。

 このあっけない様に驚きつつも、

「虎碧さん、かたじけない」

 と周鷲礼を言って、三人娘に目をやった。三人娘は虎碧に吹っ飛ばされて、うめきなががら地に付しているが、手加減してかさほどの打撃はなく、命には別状なさそうだ。

「あの三人の子たちは捨て置いてもいいと思います。大きな人は龍お姉さんと長元さんに任せて、私たちは空路さんたちに加勢しましょう」 

 やはり一番の強敵は慕蓉瞑と見抜いて、虎碧は周鷲とともに慕蓉瞑に当たろうとする。

「ふん、なんと不甲斐の無いことよ」

 無様な呈の三人娘に冷笑を浴びせる慕蓉瞑。それから、きらりと光るものが飛んだ。それは空路らの脇をすり抜け、三人娘に迫る。

 華と慧と兎、もだめだと観念し、目を閉じる。

 だが、きん、と何か弾く音がした。それは、周鷲が剣を抜き様に慕蓉瞑の放った毒針を弾き返したのであった。

「おのれ妖女め、味方に毒針を放つなど、なんとむごいことをするのか!」

 正義の怒りに燃える周鷲は、慕蓉瞑に怒りを、三人娘には哀れみを向けるのであった。

 三人娘は、最初こそ周鷲をかどわかし秦覇の側に引き入れるのが役目であり、そのためなら自らの身体をもってそそのかすことにも躊躇はなかった。無論そこに愛情はなかった。

 だが、周鷲が三人娘を哀れんで命を助けたことに、それぞれが、何か、心に変動をきたしていた。

(もう私たちは助からない) 

 邪教の中で育った三人娘は、哀れなことに、我が主から毒針を放たれたことによりゆくすえを悲観してしまった。

 主に睨まれれば、あるのはむごい死のみ。という絶対君主制の邪教の中で、それを骨髄にまで染み入らせて育った三人娘だった。

(どうせ死ぬのなら……)

 三人それぞれが目配せして、「うん」とうなずき合って、意を決して立ち上れば。だっと、主の慕蓉瞑目掛けて駆け出した。

 まさかのことに、周鷲や空路らは止める暇もなかった。さっと脇をすり抜けられ、見れば三人は主であるはずの慕蓉瞑に対し、渾身の力を持って掌打を浴びせようとするではないか。

「馬鹿な、よせ、やめろ!」

 周鷲驚き、咄嗟に駆け出す。さっきまで自分に襲い掛かってきていた三人娘ではあったが、ひとたび哀れをもよおせば、これらの死せることを見過ごすことは出来なかった。

「おのれ、裏切るか小娘ども!」

 毒針を放ったのも棚に上げて、三人娘の裏切りに怒れる慕蓉瞑、まず慧に烈しい掌打を打ちつけた。胸を強く打たれた慧は血を吐きながら、吹き飛ばされて地に伏したが、その苦しさをこらえふたたび立ち上り慕妖瞑に向かう。

「ええい、我らも行くぞ!」

 木吉、三人娘の裏切りのわけがわからないながらも、敵の共食いに好機を無理にでも見出し、大刀を振るい駆け出した。残りの一同も、一斉に慕蓉瞑に迫った。

 三人娘は慕蓉瞑に刃向かい、掌打を喰らいはためく袖で打たれいかに傷つこうともひるむことなく、かつての主にしがみつき、動きを封じるのに必死になっていた。

 これに空路に南三零の夫妻に、鈴秀、木吉、黄安尊、そして周鷲に虎碧が連綿と得物を振るって襲い来る。

 妖術を会得しその力量も高い慕蓉瞑ではあったが、ことに三人娘の、華と慧と兎の命を捨てた捨て身の攻めには手こずってしまわざるを得ず、その腕をつかまれ、足もつかまれ、動きはままならず。

 ふところから松明を取り出し顔を焼き、本来の力を引き出す妖術をこなすのもままならず。

 うぬら、と喚くも聞き入れられず。そこへ、七人に一斉に襲い掛かられては、なすすべもなかった。

「早く、早くこの妖女を!」

「しとめてください!」

「周鷲様、早くして! 私たちも、もうもちません!!」

 傷だらけになりながら慕蓉瞑にしがみつき、早く早くと三人娘は叫ぶ。

 放せ放せとわめきながら、慕蓉瞑はその冷たくも美しい顔をゆがめて、自分に襲い来る相手の攻めを目を見開き瞳に映し出しながらもがいたすえに。

 鈴秀の大刀の一閃、妖女の首を刎ねた。


その二


 慕蓉瞑は敗れ、哀れな末路を辿ってしまった。

 虎碧はその哀れな様に、目をそむけた。

 周鷲は三人娘のもとへと駆け寄った。

 三人娘は慕蓉瞑が斃されてから、寄り添うように、地に倒れ込み、傷だらけで虫の息だった。

「しっかりしろ!」

「周鷲さま……」

 周鷲の呼びかけに、兎がかすれるような声で応えた。華と慧は、もう声も出ぬらしい。

(なんということだ)

 無理をせず、倒れたままでいればよかったのに。そうすればいずれ大局は決し、慕蓉瞑は退かざるを得ないようになったのに。

 事実、周思と周菊率いる城兵たちは勢いを増して天軍を討ち追い払おうとしている。にもかかわらず、三人娘は命を賭して主に刃向かい、周鷲らに勝機を与えたのであった。

 邪教の中で育ち、主に見捨てられた者の、もう生きてはいけないという、そのいらざる絶望感を、周鷲は察し。それゆえに、三人娘がそうしてしまったことに心を痛めて、涙すら浮かべていた。

「嬉しい。周鷲さま、わたしたちのために泣いてくれるのですね。どうか……」

「無理に話すな」

 虎碧に南三零と空路も駆けつけ、三人娘の様態を診る。どうにか助からないか、と。だが、華と慧と兎は、嬉しそうに微笑み、首を横に振った。

 声の出ぬ華と慧に代わり、兎は言葉を継ぐ。

「どうか、私たちのことを忘れないで下さい」

 そう言うと、兎は瞳を輝かせて、静かに目を閉じて。こと切れた。

 同じように、華と慧も、こと切れていた……。

 周鷲は泣いた。

 本来、自分はこういった人々を助けるためにいるのではなかったのか。と、自分を責めた。

「虎碧さんは、若様についてあげて下さい」

 そう言うと南三零、夫の空路とともに、魯墾へと向かった。

 魯墾は長元と龍玉を相手に暴れまわっている。それよりやや距離を置いて、鈴秀に木吉、黄安尊が控えている。

「助太刀無用!」

 と長元叫ぶ。その叫びを受け、空路と南三零も戦局を見守ることにした。

 虎碧は、涙を流し、自分を責め続けて戦うどころではない周鷲のそばにいて、魯墾と長元、龍玉の戦いを見守った。

(大丈夫そうね)

 と、その戦いを予測し。周鷲のそばで、どう言葉をかければよいのか戸惑いながら、静かにたたずんでいた。

 地に膝をつけ、周鷲は三人娘のなきがらに向かい、

「すまなかった」

 と詫びるばかり。

 その震える背中は、小さく見えた。 

 すると、周鷲何を思ったか、おもむろに剣を右手にもち、自分の左腕を傷つけるではないか。

「いけません!」

 虎碧は慌てて、周鷲に後ろから覆い被さり、右手首を掴んでひねれば。周鷲するりと力が抜けて、剣は手から落ち乾いた音を立てて横たわる。

 その身体はぶるぶると震えて。虎碧はその震えをとめるように、しがみついていた。もし放せば、何をするかわかったものではない。

 互いの頬と頬が、少し擦れ合い。しがみつかれた周鷲の鼻腔を、ほのかに甘みを含んだ匂いがくすぐる。

 それは身体の、胸奥の奥底にまで、染み込んでゆき、なにもかもが包み込まれて、溶け込みそうだった。

 このまま、何もかも溶け込ませるに任せていたい思いに、周鷲は駆られた。

「いかん」

 はっとして、周鷲は慌てて立ち上る。虎碧は咄嗟に少しさがった。

 それから、互いの目と目が合う。

 黒き中にもたぎる炎を秘めて輝く周鷲の瞳と、その奥底にあるものを包み隠すように碧き瞳揺れる虎碧の、互いの視線まじわれば。

 何か、瞳と瞳を通じて、心に透き通ってゆくもの。

 胸奥に閃き合って、それは自身に何かを見せようとしているようで。それを見たくなる思いに駆られる。

 だがここは戦場。

 いつまでも見つめ合うことは許されず、周鷲は剣を拾い上げると虎碧を一瞥して、父と妹とのもとへ馳せともに戦う。

 虎碧は周鷲の背中を見、距離をとって後を追った。

 魯墾は長元と龍玉が当たっている。助太刀無用とのことにて、他の面々は雑魚の掃討にかかる。 

 三人娘のなきがらは、戦場の街の中、静かに永遠の眠りについていた。

 その寝顔は、周鷲に見送ってもらったのがよほど嬉しかったのか、とても安らかなものだった。


その三


 慕蓉瞑討たれ、無残かばねはそのまま捨て置かれて。

 それを横目に、兄よりことの次第を聞いた周菊に命じられて、その侍女五人、三人娘のなきがらを薙刀構えて厳護する。

 魯墾といえば、人非人針を受けて人以上の力を得たが。やはり、人が人を超えるなど到底無理なことであった。

 その拳、暴風を巻き起こすといえど、それとともに身体は破壊されるの一途を辿ってゆく。

「うごがああーー!」

 と獣そのものとなって、長元と龍玉に襲い掛かるたびに、その肉体に浮き出る血管は裂け赤い血を噴き出す。

 長元と龍玉、無論これを見逃さない。

「むっ!」

「長元さん、これは」

「わかんねえが、こいつは長くはもちそうにねえな」

「だね」

 なかなか攻めあぐねたが、好機到来! と龍玉舌なめずり。

「長元さん、こいつはあたしにやらしておくれ!」

「心得た!」

 さっと方天画戟を引っ込め後ろにさがる長元。龍玉は魯墾を見据えて言う。

 なるほど限界が近いか、動きも最初よりのろい。きらりと、黒い瞳は輝き勝機を見出す。

「あんときゃよくも、あたしをさんざんいじめてくれたね! この借りは倍返しだよ」

 だっと駆け出し魯墾に迫る。その横っ面目掛けて拳が叩きつけられようとするが、龍玉股割りと両脚を両に広げて太ももを地に着けて、すかさず頭を下げれば。

 頭上を暴風駆け抜け、髪の毛数本ちぎれた。だが魯墾もさるもの、龍玉の顔面めがけて、咄嗟の右膝蹴り。が、予想通りと龍玉笑みをたたえ、膝目掛けて刺突を食らわせれば。

 魯墾の膝小僧は剣を突き立てて鮮血に染まったまま、ぶうんと振り上げられる。 

 おっと、と龍玉後ろへのけぞりながら膝小僧に突き刺さる剣にぶら下がり、さらに力を加えれば膝小僧からすねにかけてまっぷたつに割られどっと鮮血ほとばしる。

 ほほう、と長元感心しきり。

 ことに身体の柔らかさを生かし股割りの両脚広げをこなしながらの武技に、に思わずうっとり。

 だが魯墾はそうはいかず、さすが超人の力を得ようと足を割られては痛みをこらえられず、

「うぎゃああ!」

 とわめき、右足を真っ赤にしながらのけぞるも、龍玉の剣いまだこれを逃さずさらに圧力を加えて足を切り裂こうとする。

 で、動けば動くほど血は噴き出て、龍玉は返り血を浴び。その白面を朱に染める。

 が、その血のぬめりに動じる龍玉ではなかった。好機に気をよくしさらに攻める、はよいが、調子に乗りすぎ力を入れすぎ。

 ぽきり、と愛剣は音を立てて折れた。

「ありゃ」

 こりゃいかん、と慌てて逃げる。魯墾龍玉を追いたいが足が痛んで踏ん張れず、それどころではない。いまこそとどめをさすとき、であったが、剣は折れてそうもいかない。

「さあ困ったね」

 と返り血を浴びた顔で苦笑し、あたりを見回す。長元が、

「俺の得物を貸そうか」

 と言おうとしたが、目ざといのも龍玉のよさであった、すぐさま三人娘のなきがらを護る侍女の薙刀を見るやさっと駆けて、侍女に何のお伺いもなく、

「借りるよ!」

 と薙刀をふんだくり、魯墾目掛けて駆け出す。

 魯墾は恨めしげにわめいている。

 どうして自分がこうなったのか、わかってないようだ。

(哀れだな、やつはあの妖女の捨て駒にされちまったんだ)

 長元魯墾に哀れをもよおすも、今さら詮無きことであった。龍玉は目を爛々と輝かせて、魯墾を見据えて、

「昇龍女!」

 と薙刀に気を込め振るって叫べばたちまちのうちに竜巻が巻き起こり、魯墾を飲み込み天高く舞い上げる。

 恨み募る昇龍女、竜巻は真空の魔風となって魯墾を切り裂き、その五体をばらばらにし。

 竜巻おさまったとき、その太い腕や脚に、醜い顔がぼとぼとと先を争うように地に落ちた。

 さすがに長元、これには生唾を飲み、ちょっと、引いた。

 龍玉の目は復讐を成し遂げた快感に酔い痴れるように、輝き揺れていた。

(そういう目をする人だったのか……)

 侍女たちも龍玉を恐れて言葉もない。

 哀れな魯墾は五体をばらばらにして地に転がる。

「長元さん」

 快感に浸ってか、猫なで声が入った声で長元に呼びかける龍玉。

 呼ばれた長元、不覚にもどきりとする。

(いい女だと思ってだが、こりゃけっこうやばい類の女か……。。いや、だからいい女だったのか)

 長元とて江湖を渡り歩き海千山千の者たちと交わってきた。女も知らぬでない。それだけに、龍玉の内に潜む「やばさ」を察し、「飲まれない」ように知らずに身構えながらも、

「おう」

 と快濶に応じ。

(昔何があったか知らねえが、このままじゃ龍玉さん、どうなるかわかったもんじゃねえ。やれやれ、『手間』のかかる……)

 と内心そんなことを考えていた。


その四


「さああとは、雑魚どもをちゃちゃっと片付けようかね」

 ふっと妖艶に微笑むと、薙刀を返しもせずだっと駆け出し乱戦の中に突っ込む。

 長元も方天画戟をひっさげそれに続く。

 周思は二剣を振るい、城兵たちを激励、叱咤しながら指揮を執り。王道の君とともに戦わんと、兵たちもよく働き、また民といえども武器を持って戦えるもの、また郭政に身を置く任侠の侠客たちも土着流れ者の別なく得物を手に、技の限りを尽くして戦った。

 その甲斐あって戦局はおおいに有利に動き、また慕蓉瞑や魯墾を討たれたことで流民に紛れ込んでいた天軍の兵らは士気を挫かれ我先にと逃げ出す者が続出する始末。

 いや、流民に紛れ込み城内に乱入するといえど、その数は策に十分であったろうか。城に紛れ込み、掻き乱すだけ掻き乱したあとで、さっさと退散するつもりだったか。

 いや、それにしては、慕蓉瞑はでしゃばりすぎた。まさか自分たちの手で城を落とすつもりだったのか。落せると思っていたのか。

 周思は戦いながら戦局を見定め、どうにも腑に落ちぬものを感じて仕方なかった。

 周鷲に周菊、空路に南三零、鈴秀と木吉、黄安尊らも、同じことを感じていた。

 とはいえ思案するのは後にして、敗残兵の掃討および駆逐に当たった。 

 雑魚どもはのれんに腕押しと押され、たわいもない。

 やがては逆らう者はなくなり、生き残ったものは降り縛を受け一箇所に集められ、沙汰待ちとなった。

 周思は戦いが終わったのを見計らうと、兵らをまとめ編成をしなおすために、邸宅周辺に集めさせた。

「敵の襲来、これで終わりというわけではないはずだ。次は大軍で押し寄せると心得て、城の備えを堅め、片時も油断するな」

 と邸宅の前に居並ぶ城兵らに向かい、周思はそう叫び。また側近らは郭政の城中に指示を触れ回した。

 城兵らは「はっ!」と威勢のよい返事をし、各所にちらばっていった。

 それから、近しい者をともない周思は邸宅の広間にゆく。

 上座にはもちろん周思が座し、周鷲は妹の周菊、家来の鈴秀、木吉、黄安尊らとともに父の眼下に跪いている。その少し後ろにいる好漢女傑に周思は目をやると、拱手し、

「わたくしは庸州太守、周思でござる。助太刀、かたじけない。出来ればご尊名をうかがえまいか」

 と言うと。

「鉄仮面、空路!」

「その妻、究極淑女、南三零!」

 と跪きながら抱拳礼をとって、空路と南三零が名乗りを上げる。続き、

「ご夫妻の舎弟にして岡豊山の義賊、大旋風、長元!」

 と同じように長元が名乗りを上げる。

「大龍女、龍玉!」

「虎碧です……」

 長元に続き、龍玉が威勢よく名乗りを上げるが、虎碧はしおらしく、静かに名乗った。

 笑みを絶やさず、周思はうなずき。

「かような好漢女傑にご助力いただけ、周思感謝に堪えません」

 と言い、ささ、と一同の手を取るように立ち上るようにうながした。

「おそらく、道中愚息がお世話になったかと存ずる。この周思、ご厚意にどう報いればよいか」

 周鷲は父の言葉を聞きながら、黙って跪いたまま。

 空路、鉄仮面の顔をまわして一同に視線を送り、笑くぼをつくり、

「なんの、若君の悪逆に挑み、義に厚くその勇ましきことまことに天晴れと共感し。少しでもお力添えをせんと、お供をさせていただいておるまで。なんで見返りなど求めましょう」

 と言った。周思は笑みをたたえつつも、あやうくつきそうなためい気をこらえる。

「左様でござるか……、ともあれまずはなんぞおもてなしをと思いましたが、この有様では、どうにも」

「そのお気持ちだけで十分でございます。ご遠慮なさらず、我らを一兵卒と使っていただければ」

「そうですよ。あたしらはそのつもりで来たんですから」

 龍玉だ。彼女は得意げな笑みを見せ、どんと拳で胸をたたいてみせる。虎碧は義姉の無作法に微笑みながらも苦笑している。

 が、周思、龍玉を見て、何かはっとしたような表情を見せたかと思うと。これ、と近習の者を呼び何か耳打ちすると、その近習の者は邸宅の奥へ走ってゆき。しばらくしてから、一枚の紙を持ってきて周思に渡す。

「龍玉どの、と申されたな」

「はい……」

龍沙尼りゅうしゃにどのという尼御前をご存知か」

「……」

 龍玉、沈黙。そしてかすかにうなずき、

「わたしの師匠です」

 とつぶやくように言った。

「龍沙尼どのは、重い病にかかりながらも、龍玉という娘を探して旅をしておった。そしてここ郭政に着くなりたおれられた」

「……」

 周思のもつ紙片に、皆が視線を注ぎ。黙って周思の言葉の続きを待っている。これが龍玉と何の関係があるのだろう、と。

「たおれた尼御前を家中の者が見つけ、捨てるに忍びずお世話をさせていただいたのだが、このお手紙をしたためられ、龍玉という娘に渡してほしいと託された後に、息を引き取られたのじゃ。尼御前のお話によれば、口元にほくろのある、利発そうな娘であるというが、龍玉どのはまさに、尼御前どのの語られた龍玉どのと同じじゃ」

 周思はすっと手紙を龍玉に差し出し、龍玉は戸惑いながらもその手紙を受け取り紙面に書かれた文章に目を走らせる。 

 だが、ふん、と鼻で笑ったかと思うと、折りたたんで懐に押し込んだ。


その五


(な、なんと無礼な)

 周思様より手紙を受け取りながら一瞥しただけで懐に仕舞いこみ、しかもこともあろうに、師匠が病を押して弟子を捜し求めながらたおれたことを聞いても、鼻で笑うとは。あまりにも人倫にもとる無礼ではないか。

 と鈴秀や木吉、黄安尊は言いそうになった。文武なにかしらの特技に長けたものには必ず師匠があり、師弟というものの重みやありがたさを重々承知していた。

 が、察した周思これを目で抑えたので、口をつぐむしかなかった。

「師弟の間柄は、他者が口を差し挟むことではない。ともあれ、ささやかながらのおもてなしをして、一同のご助力を請いたい」

 これ、と近習の者にあれこれ言いつけると、近習の者たちは奥へと行き、それから数人の召使いたちが酒や点心を運んでくる。

「無作法ではあるが、この広間で車座になり皆と酒を酌み交わそうではないか」

 周思は椅子から立ち上ると子や家来たちの並ぶ中に歩み寄りどっかと腰を下ろすと、周鷲に周菊はそれぞれが父の右と左にすわり、それから鈴秀らや空路らが円になって車座になって座り。酒や点心を円の中に置き、ささやかながら酒宴がはられた。

 周鷲と空路は、ここに来るまでのことを周思に話した。

 自分たちが来たときには、秦覇率いる天軍の狼藉目にあまりこれを打ち破りながら郭政に来たこと。この後から、長元の子分忠澄率いる歩兵隊が来る手はずになっていることなどなど……。

「秦覇は、帝に天下を譲らせるようなたわ言を申しておりましたが、よもやそれが現実のものとなるとは。そうと知っておればまず都に馳せ参じましたものを……」

 空路に周鷲は無念そうに言う。

 いかに秦覇が力を得ようとそこまでは出来まいと高をくくっていたのがいけなかった。

「帝を」

「左様。都は、いま、秦覇の手によってどうなっていることか」

「そうか……」

 周思は、押し黙った。にわかには信じられないことだ。だが、信じざるを得まい。今までの報告で、何度秦覇の名を聞いたことか。そのたびにまさかと思ったが、それは真実であったということか。

 いままで、朝廷に忠誠を尽くしてきた。なにより辰帝国は生まれたときからこの地上に君臨していた。これが亡くなるなど、どうして信じられよう。辰亡くなる事は、この世が亡くなる事に等しいものをおぼえるのであった。

「いかん!」

 広間に怒号が響く。

「帝が、国が秦覇によって亡き者にされたというのに、どうして我らがのんきに酒など飲んでよいものか!」

 周思は、子や家来らが目を見開き驚くのを知らず、碗を割りそうなほど力強く握りしめていた。空路らはその痛切な表情になんと言葉を掛けてよいのかわからず、じっと成り行きを見守っていたが。

「いや、飲もうぞ。国のため民のために、おおいに飲もうではないか」

 おもむろに、周思は懐から匕首を取り出すと、何を思ったか自らの左腕を傷つけると、血を碗の中に滴らせた。

 一滴、二滴、酒に落ち込んだ血が、じわあ、と広がり溶け込んでゆき、やがては赤く染まる。 

「我も」

 周鷲は父の意を受け、彼もまた自らの腕を傷つけ血を酒に滴らせれば、妹の周菊はもちろん家来の鈴秀らに、空路、南三零夫妻、長元、龍玉も同じように腕を傷つけ酒に血を滴らせた。

 虎碧も同じく、腕に傷をつけて、酒に滴らせた。血といえば、慕蓉摩に血を吸われたことは覚えている。今思い出しても、凄くいやな思いがするが、皆がすること、そうは言えない。

 なにより、脳裏に烈しく閃く者があってそれが虎碧の脳髄を引っ掻き回すようだ。

 周鷲はそれに気づき、とめようとしたが、察した虎碧は笑顔になって、かまわずに腕を傷つけるのであった。

 その白い細腕から、赤い血がしたたり、碗の酒を染める。周鷲は思わず眉をしかめる。

 周菊がそれを見て、何か気づくようだった。

「この、血涙に染まった酒を、帝に、辰に、民に捧げようではないか」

 と碗を上げて、周思は一気に飲み干す。一同も続いて一気に飲み干した。

 それぞれが、飲み干した碗をかかげる。

「亡き辰のため!」

「民のため!」

 誰からともなく、轟く言葉が、広間に響く。

「我らが命を賭して、辰の、民の仇討ちを!」

 酒に己が血を滴らせること、これまたたく間に郭政に伝わり、心ある者は同じように真似て、血を滴らせた酒をあおり、来るべき戦への士気を高めるのであった。

 そのころ、秦覇は怒涛のごとき勢いで百万の軍勢を進軍させ、庸州を「死地」へとかえていった。

「我天帝なりせば、この天地我が物にして我が意のままにすること、これ理にかなうものなり」

 と唱えながら。

 秦覇は、庸州をこの地上から抹殺する決意であった。

 なぜそこまでする。と疑問を抱くものがないわけではなかった、だがその疑問は多大なる苦しみをともなう無残な死を招き寄せるものであった。

 何人かの者が、やりすぎではございませぬか、と秦覇に奏上したが。

「されば黄泉で庸州人を出迎えて慰めよ」

 と、これをことごとく湯をたぎらせた鼎で煮殺したかと思えば、狩りで鹿を追うようにならず者に追いかけさせて弓矢で射殺したりして、恐怖でもって心ある者の口をつぐませた。

 そんなことだから、軍規もなにもあったものではなく、秦覇率いる百万は、軍隊というより数を頼みにひたすら殺戮を繰り返す狂気の集団となっていた。

 旧蜘蛛巣教こと天望党の面々は、道徳など面倒臭いもののない好き放題に生きられる「理想の世界」を築けるものと狂喜し、殺戮強姦略奪に励み、我が世の春を謳歌していた。

 狂気は伝播してゆく。最初こそこれをむごいと思う心があったとしても、上から下までがそれをしてもよいという雰囲気になればほとんどのものが我を狂気に染めてゆく。

 着いて行けない者は、物言わず去った。

 もはや道徳は邪魔なものとなった。そして弱肉強食の混沌が、この世の常識としてすり替えられていった。

「これぞ人ではないか」

 と秦覇は唱えて。

 道徳という建前を振りかざしながら、裏で不道徳を働く人々。秦覇はそれを何度も見てきた。汚し、と眉をひそめ、ならば潔くありのままの人の姿をするべきであると思うようになった。

 己の心が発するままに生きるのが、人として潔い姿であると。それゆえに、江湖にくだり、邪教を目にしたときの新鮮な驚きと喜びは、今も色あせてはおらず。日が経ち天帝となった今も、赤々と燃え上がっていた。

 百万の軍勢の中央にあって。白馬にまたがり、多くのむくろを踏み越えて、秦覇は腰に佩く鳳鳴剣の感触を確かめながら、天帝として、創世主として新しき世を誕生させる喜びを感じていた。


その六


 百万の軍勢、血の河、かばねの山なす庸州の地を突き進む。

 軍の中央、鉄甲兵の厳護する白馬に天帝あり。

 百万の軍兵地を埋め尽くし、歩を進めるたびにかばねを踏みしだき。

 また天帝乗る白馬もかばねを踏みゆく。

 その先鋒、天帝の露払いと破壊に励む。

 破壊され廃墟となった城、立ち上る煙。四方より聞こえる庸州人民の慟哭、悲鳴。そして、断末魔の叫び。

 どこからか男のだみ声の笑いと、女のあえぎ声とうめきの混じったような声がしたかと思うと、途端に女の声は消え入るようになくなり、二度とその声は聞かれなくなった。

「おい慕蓉栖、食いもんもって来てやったぞ」

 と慕蓉狗が、人肉をむさぼる慕蓉栖に、何かを掲げた。手の甲より伸びる鉄の爪の先に、人の首がふたつ。それを腕を振って投げてよこす。

 慕蓉栖はそれを受け取ると、リンゴでもかじるように頭をかじり、脳漿を丹念に味わっていた。それを見て慕蓉狗は、

「さて俺はもういっちょ遊んでくるか」

 と言うと、狼のように軽やかな駆け足で何かを見つけて駆け出す。それは兵士が少女を捕まえたところだった。

「やいやい! 俺様によこしやがれ!」

 と兵士から少女を奪い取る。兵士は不満そうにしたが慕蓉狗が相手では渡さざるを得ず、どこかへとゆく。少女は慕蓉狗の腕の中、あがきながら身も世もなく泣き叫んでいた。

「そうそう、そうでなきゃあ、面白くないってもんだ」

 と服を引き裂きお楽しみとしゃれ込もうとしたところ、

「お待ち!」

 という女の声。慕蓉摩だった。

 少女は救いを求めて女をまじまじと見やる。慕蓉狗はちぇっと舌打ちして、慕蓉摩に少女を渡して、新たな獲物をもとめて廃墟をさまよった。

 慕蓉摩は少女を優しく抱きしめて、頭をなでる。少女は女が助けてくれたと、安堵の笑みを浮かべる。

「ふふ、あなた、美味しそう」

 きらりと妖しく光る慕蓉摩の目。少女は安堵感吹き飛んで、身を裂くような恐怖に襲われるや、絹を引き裂くような悲鳴を上げる。

 その喉もとに、慕蓉摩は歯を立てて、皮膚を裂き生き血をすする。

 悲鳴とともに口から血があふれ、血を吸われる感覚を覚えながら器官までが裂かれた感覚もして。満足な息も出来ぬまま、少女は身体をびくんと震わせて、ごぼごぼと血が口の中に溢れるに任せて、慕蓉摩に抱かれて窒息死した。

 存分に血をすすると、少女の死体を放り投げて、口元に顎、むなもとを真っ赤に染めて慕蓉摩はうっとりと血の後味を堪能する。

 その足元にころがる少女の死体に、頭を食い終えた慕蓉栖がにじりより、腹は底なしとばかり少女の死体をむさぼりはじめ、細腕を骨ごとばりばりと噛み砕く。

「あら、まあ。くいしんぼさん」

 慕蓉栖をいとおしげに見つめていると、胸の奥底から響く心臓の鼓動が強く早まり、下腹部から言いようもない熱い者が込み上げてくる。

 慕蓉栖が歯を立てて細腕を食いちぎると、血が溢れ、その鮮血が溢れて滴るを見ると、一度癒したはずの渇きに再び襲われ。体はぶるぶると振るえ、自制が効かなくなってきて。

 がばっと少女のなきがらにおおいかぶさるや、食いちぎられた腕の付け根をくわえて血をまたすすりはじめる。

「ちぇ、くいしんぼはどっちだい」

 いつの間にもどったか、立ち去ったはずの慕蓉狗が皮肉るが、慕蓉摩は聞こえずとひたすら血をすするが。慕蓉栖は獲物を奪われたと憤慨し、伸ばした指を慕蓉摩のうなじめがけて突き出す。

「邪魔をおしでないよ! 彊屍キョンシーなんかにゃ用はないわ!」

 さっとなきがらから離れて、慕蓉栖と五手交える。ともに必殺の技を繰り出し、本気で相手を倒すつもりでいた。

「あーらら。食いもん取り合うなんざ、はしたねえ」

 慕蓉狗は皮肉と軽蔑の嘲笑を浮かべて、つきあってられねえとその場から離れてゆく。死地となった今いるところで、何か面白いものはないかとうろうろする。

 生き残った者たちは手当たり次第に殺されてゆく。隅に隠れていた父と子が、兵士に引っ張られて路地に引きずり出されて、

「どうかお助けを」

 という哀れを含んだ声をあげながら、子供の前で首を刎ねられ。父親の無残な最期を見て、子供は狂乱して泣きじゃくるが、それにも無慈悲の一刀ひらめき、小さな頭を刎ねる。

「うぬら!」

 という怒号のあと、わっと、兵士たちが崩れるように倒れる。

「ほう」

 見れば、手練れの拳法遣いが、最後の悪あがきをしている。これは楽しめるか、とその拳法遣いのもとまでゆく。

「お前たちを道連れにしてやる」

 と拳法遣いは慕蓉狗に襲い掛かるが、

(なあんだ)

 その足取りを見て、ひどくがっかりすると、面倒臭そうに相手の攻撃をかわし。そのついでに、隙を見つけ鉄の爪を腹に食い込ませる。

 うっと拳法遣いは腹に激痛を感じ、口から血を吹き出す。慕蓉狗は、ふん、と鼻で笑い「おうりゃ」と腕を上げる。無論鉄の爪が腹に突き刺さった拳法遣いも一緒に上がった。

 拳法遣いは慕蓉狗に持ち上げられ、ばたばたと手足をばたつかせ腹からは血がとめどもなく滴り落ち、口から血を吐き。それが慕蓉狗に降りそそがれる。

「わ、きたねえ」 

 と言うや、思いっきり頭から血にたたきつけて、頭を砕いて殺した。

「くそ、いまいましい」

 血をぬぐいながら拳法遣いの屍骸を後にして、廃墟をさまようと、向こうから数人こちらにやってくる。あれは、と思ってみれば、それは慕蓉瞑とともに郭政に行った者たちではないか。なんだかひどく狼狽した様子だ。

「おう、どうしたってんだ」

「あ、慕蓉狗さま」

 その者は、慕蓉狗を見て震え上がり、声を出すこともままならぬ。なにかあったな、と慕蓉狗の目が鋭く光った。

「おい、瞑姐さんはどうしたってんだ。なんでてめらそんなに慌ててるんだ」

「そ、それが、慕蓉瞑さまは……」

「討たれてしまいました」

「なんだと!」

 ありえないことを聞き、慕蓉狗はきょとんとしてしまった。で、ふと気配がすれば、それは顎から胸元までを真っ赤な鮮血に染めた慕蓉摩だった。

「お、お姉さまが討たれたですって! そんな馬鹿なことがあるものですか」

 結局慕蓉栖との決着つかず、獲物は仲良く分けた慕蓉摩であったが、あらぬことが聞こえて渇きを満たすどころではないと、慕蓉狗のところまで飛んでくる。

「お姉さまの力を持ってすれば、いかに郭政の守り堅かろうが、赤子の手をひねるも同然のはず。討たれるなど、そんなことがあってたまるものですか」

「し、しかし、本当に討たれちまったんです。郭政の連中、思ったよりやりますぜ」

「それに、助っ人まできやがって。ほらあのいつかの、碧い目の娘っこの連中でがんすよ、あれが突然やって来て……」

 碧い目、と聞いて慕蓉摩はわなわなと震える。

「お、お姉さま!」 

 と慕蓉摩は悲痛な声を上げると、突然の掌打を繰り出しその者たちを打ち殺してしまった。秒殺といおうか、避ける間もなく、またたく間に顔は打撃でひしゃげもとの形をとどめずざくろのように砕かれて、ばたりと倒れ臥す。

 それに、まだ食い足りないか慕蓉栖がすかさずやって来て、大口開けて屍骸をむさぼる。

「ありえない、ありえない。お姉さまが負けるなど、ありえないわ!」

 慕蓉摩は血の涙を流して嗚咽する。それは魔鳥が鳴くかのように、不吉な哀音に濡れていた。


その七


「くそ、瞑姐がやられちまうなんて!」

 慕蓉狗は狂ったように雄叫びを上げると、手の甲から生える鉄の爪をふりかざし、目に付く人間をことごとく切り刻み殺しまくった。

 慕蓉栖もあたりの人間という人間を捕まえては、大口開いて噛み砕て肉塊にしてゆく。

 慕蓉摩はとうに正気をなくして手当たり次第に、殺しを繰り返して全身を朱に濡らせた。

「何をする。我らは味方だぞ!」

 と天軍の兵は言うも、おかまいなし。

「うるせえ! 黙って殺されやがれッ!」

 と慕蓉狗は鉄の爪を兵に見舞った。兵の首は三つに分かれて血を撒き散らしながら宙に飛んだ。

(まさか、腹いせに俺たちを殺しているのか)

 さっきまで略奪に強姦や殺戮を満喫していた天軍の兵たちは慕蓉の三人の狂態に度肝を抜かれ、我先にと逃げ出した。

 これは秦覇の軍勢の先鋒で、数にして五万はいるはずだ。

 その五万はいる天軍先鋒ではあったが、享楽にふけていてばかりで軍隊としての機能は無きに等しかった。だから、大将がとち狂って自軍の兵士を殺しまくるようになってから壊滅状態となり、ちりじりばらばらに逃げ出してばかり。

 それにくわえて慕蓉四天王は妖術を心得て人並みはずれた力をそなえていた。これが牙をむけば、ひとたまりもなくなすがままだった。誰もこれに抗い返り討ちにしようとするものはなかった。

 堕落した軍隊に、狂った大将。この組み合わせは、何かのきっかけで簡単にもろくも崩れてしまった。

 やがて、後に残骸と屍と慕蓉の三人だけが残された。

「ふん、腰抜けどもめ!」

 慕蓉狗がわめくと、全身血に濡れた慕蓉摩ははっとしたように弾かれて、だっと駆け出してゆく。郭政にゆき、慕蓉瞑の仇討ちをするつもりだ。

「摩姐さん、俺も行くぜ!」

 と慕蓉狗と慕蓉栖も続いた。

 そのころ、郭政では。

 それぞれの血を混ぜた酒をともに飲んで辰とその皇族、殺されたものの仇討ちと、一致団結を誓い合ったあと。休む間も惜しんで周思は守備を固めるための手配のため、黄安尊ら家来を連れて、忙しく立ち回った。

 空路と南三零夫妻は守備の役目を買って出て、周思らに付き添い。龍玉は、何でか鼻をぐずぐずいわせながら、どこかへと身を潜めてゆく。

 これを見た長元は、むう、と少し考えた後酒の入った徳利を持って龍玉の後を、少しはなれてつけてゆく。

 で、周鷲は周菊とともに父より「母を守れ」と言われ、奥の間へゆき、母と久方ぶりの再会を果たした。

「鷲児!」

「母上!」

 周鷲は母の唐夫人と会うなり、がくりと膝をつき、こらえきれず涙を見せた。唐夫人も突然消えた我が子との再会に打ち震えて、こらえられぬ涙を流しながら我が子の手を握るのがやっとで、言葉もなかった。

 虎碧は少しはなれたところで、周菊とともに周鷲を待っている。

 つい先ほどまで、戦いの喧騒に包まれていたのがうそのように静まり返って、違う世界を行ったり来たりしているようだが。

 この今の静けさも、いつまで続くことか。

 母と子が再会にむせぶ奥の間から少しはなれたところの部屋で、少女がふたり、くうの流れに身を寄せ瞑想をするように静かに控えていた。

(お母さん、か……)

 と思うと、知らずにため息をついてしまった。これを察した周菊は、疲れているのかと気を使って、笑顔を見せて、侍女にお菓子か何か、軽い食べ物を用意するように言いつけた。

「虎碧さん、お疲れですか」

「あ、いえ。お構いなく……」

 虎碧は周菊の笑顔と好意にすこし戸惑いつつも、周鷲の言葉を思い出した。

「いいやつなんだ。いい友達になれると思う」

 と、周鷲は言った。なるほど「重陽公主」のふたつ名が示すように凛として、いまだ武装していながらも楚々として明るく、菊の花を思わせる少女だった。その笑顔から、両親の愛情を受けて育ったことをうかがわせる。

「ねえ、虎碧さん」

「はい」

 はっと、周菊の視線が目に付き刺さるようだった。自身の碧い目を、じっと見つめていた。やはり碧い目は珍しいようだ。

「その碧い目、とても素敵ですわ」

「え」

「お生まれはどちらですの? はるか彼方の異郷の地には、目の色、肌の色も違う人々があるといいますけれど……」

「これは……」

 周菊は、ときめきに目を輝かせて、碧い目をじっと見つめている。いつぞやのように、妖女といわれることはなく、よく思ってくれているようだが、虎碧には出生を聞かれるのは、辛かった。

 が、やはりそこは花園育ちのお姫様であった。人の出生を聞くことが、時として人を傷つけるということに気付かぬらしい。龍玉は、言いたくなきゃ言わなくていいよ、と言ってくれたが、周菊はそうはいかないようだった。

 周鷲もそれを聞きたかったのだが、今までのごたごたで聞く機会を逸してしまっていた。

 なまじ教養もあり隠し事やごまかしが苦手な虎碧の性分、その碧い目はみるみるうちにうるんできて、今にも泣き出しそうだった。それをこらえようとすると、知らずに顔が赤くなる。

「あの、その……。周鷲さんも、同じことを……」

 何を思ってか、考えていたと思います、と続けようとしたが、あのとき、じっと瞳を見つめられたことを思い出すと、さらに顔が赤くなる。

「え、お兄さま……」

 周菊は虎碧が兄の名を出して顔をさらに赤らめるのを見て、はっと思い至った。

(ま、まさか、虎碧さんは……)

 そう思うと、胸は弾みときめいて、ぱっと菊の花が咲くような笑顔を見せた。そういえば、虎碧は周鷲のそばに、ずっといたではないか。また周鷲も虎碧を遠ざけようとしなかった。

「ねえ虎碧さん!」

「は、はい!」

 突然弾むような声で呼ばれて、虎碧はびっくりして返事をする。周菊、きらきらと笑顔が輝いている。

「お兄さまのことが、好きなんですか!?」

「ええ!」

 これには虎碧、呆気にとられて目を見開き、金縛りにあった。


頁二に続く

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