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第十一篇 王道の君

その一


 庸州の地がある。

 中原の西南に位置する。州の中央には盆地が広がり、内陸の地にもかかわらず温暖にして肥沃な農地を持ち。古来より庸州は「天賦の地」と呼ばれた。

 州都は郭政かくせいといい、旧辰の都より西南におよそ千里(一里はおよそ400メートル)。

 太守は旧辰建国以来、都より遣わされた周氏一族がつとめ。現在の太守は周思。言わずと知れた周鷲の父にして、名君として中原に知られた人物であり。

 人は敬意を表して、周思を「王道の君」と呼び慕った。

 齢五十を過ぎ初老の影が見え始めても、その姿凛として、目の輝きは青年のごとし。

 青年の心そのまま、まっすぐな人であった。

 こんな話がある。

 州都の郭政にたたずむ邸宅の自室が老朽化により、改装をすることとなった。職人たちは周思を慕い、より豪華な装いにしようとしていた。が、それを聞いた周思、

「無用である。生活をするに必要なものがそろっておれば、それでよい。人民あっての我である。なんで人民を上より見下げて、我のみ贅を好もうか」

 と言って。職人たちに対し、気持ちだけいただければそれでよいとして、簡素な改装とした。

 また地場産業を発展させるにおいて、農に一番の重きを置いた政策を執り。そのおかげで、庸州の人民は餓えることを知らず、農を下地にした産業政策は功を奏して中原においても一二を争う豊かな州となった。

 農は食をはぐくみ、食は人をはぐくむ。農をおろそかにするところ、かならずや人は餓えて、すべてに行き詰まりが生じる。

 周思はそれを肝に銘じて、太守としての責務を全うする努力を怠らなかった。

 それに伴い、人民の心も豊かになり。多くの人民が文化を学び体得する余裕が出来、庸州より端を発した文学作品や楽曲作品などが、中原の人民たちの心を潤すということも多々あった。

 なにより、周思が太守を務めている限り飯が食えるという信頼感が、太守を慕う気持ちを生んでいた。

 大衆は愚にして賢である。上に立つ者が自らの役目を自覚しそれを全うせんとすれば、かならずや人は心を開いて寄せてくれる。

 その平和である庸州はいま危機に瀕していた。

 都にて政変があり、なんと丞相の子秦覇が天下を覆して自らを「天帝」と宣し、混沌を旨とする無策政治を執り。そのため、都から端を発した波乱は各地に広がり眠れる群雄を呼び覚まして、戦国の世が蘇ろうとしているという。

 しかも、天帝こと秦覇は天下の大乱よりも百万の大軍を率いて庸州を攻め滅ぼそうとしているという。

 天下は乱れている。乱世である。

 眠れる群雄はこの機に乗じて旗を揚げて自らを王と名乗り、あるいは望んで秦覇の下に身を置き戦力となる将軍や太守があるという。

 で、庸州そのものが、逆賊として征伐されようとしている。 

 周思の子、周鷲、天帝に逆らい徒党を持ってその大志に立ちはだかろうとする。天帝、天下を獲った暁に周氏一族また縁者に州の人民を討ち、その血をもって天地の神々に捧げるという。

「馬鹿な」

 それしか言葉が出なかった。

 なにもかもが突拍子過ぎて、理解するにはあまりにも現実離れしている。

 そもそも、天帝、竜馬を従え都に降り立つ、ということ自体があまりにも現実離れしていている。秦覇は、神にでもなったのか。

 ともあれ、庸州が危機に瀕していることは事実で。周思は胸に滲み出る苦悩をおさえながら、防戦の指揮を執らねばならなかった。

 だが、郭政に届く戦報はことごとくが無残な敗戦の報告ばかりだった。

蓉晃ようこうの城は、陥落……」

 と血みどろの姿で報告を終えて、息絶える者すらあった。

 それでも報告が来ればいいほうで、戦況をうかがいに遣に出た者で帰ってきたものは少なく。ほとんどが、行く先で姿を消している有様。

 突然暗闇が天より落ちてきたようなものだった。

 その暗闇に追い立てられるように、庸州各地の人民の多くが流民となって、郭政になだれ込んできていた。

 これらが語ることは凄惨を極めた。

 天帝率いる「天軍」が来るところ、人はおろか犬にしても猫にしても、小鳥にしても、生けるものこれことごとくが殺戮され、屍累々と地を埋め。

 「天賦の地」はいまや、血を池となし、屍を塚とし積み重ねられ。地獄そのものへと変貌している、ということであった。

 周思は、今まで積み重ねたものが、一気に崩れ去る絶望に身を裂かれる思いをしながらも、

「民たちを、城に」

 と門を開いて、これを受け入れた。家臣たちは、流民の中に敵兵が紛れ込んでいれば大変と反対をしたが、

「たとえそうであろうと、なんで民を棄てられようか」

 と苦渋を顔ににじませて、言ったのであった。

 無論それに対しての備えはして、厳重に厳重を重ねた警戒をしたが。

(ほんとうに、大丈夫だろうか)

 と心配する家臣の憂いは、無残にも、当たってしまった。

「申し上げます。流民の中に敵兵が紛れ込み、州都各所に火を放ち、殺戮をおこなっております!」

 と、城兵が駆け込んできた。

 周思、いよいよ覚悟を決めた。

(もはや、これまでか……。否! 否! まだ終わったわけではない。我はまだ戦える!)

 名君に合わぬ甲冑姿で、小姓に持たせていた剣をもぎ取り。

「されば我が身を賭けて、民を救わん」

 と指揮を執っていた州都、郭政の中央にたたずむ太守邸宅より駆け出そうとした。家臣たちは目玉が飛び出すほど驚き、

「大事な君の身、どうか血気にはやり遊ばしますな」

 と言って押しとどめた。

 銅鑼、戦鼓の響きに、人のおめき、州都に轟き。耳を突き刺し、心を貫く。

「何を言うか。この一大事に、亀のように首をすくめ逃げるが君の道と言うか、うぬらは」

「仰せはごもっとも。されど、我が君に万一のことがあれば、あとは誰がここを守られまするか」

「我死すとも、我が子、周鷲がある。若きが後に控えておるならば、この老いたる身を、なんで惜しもう」

 家臣たちは、その言葉に胸を打たれた。置手紙を残し、家来二人とともに姿を消した我が子を、周鷲を、周思はまだ信じているのか。

 そのときであった。

「父上、ここはわたくしがまいります!」

 そう言って出てきたのは、小柄ながらも甲冑姿勇ましい少女であった。その甲冑は鮮やかな黄色い装飾をほどこされ、勇にして可憐、そして誇り高く。

 毎年九月九日の重陽ちょうようの節句に飾られる菊の花を思わせた。

 少女は、黒真珠のような瞳を輝かせて、周思を見つめていた。後ろに控える侍女は、少女のものであろうか、女性用の細い薙刀を持ち静かにたたずんでいる。

 これなん周思の愛娘にして、周鷲の妹である周菊しゅうぎくであった。名を菊とするのは、九月九日の重陽の節句に生まれたことにちなんだものであった。

 またそこから、重陽公主というふたつ名もつけられていた。


その二


 周思は愛娘の姿に強く心えぐられるものを覚えた。

「ならぬ、小菊シャオチィ。そなたは、母を守りなさい」

「いいえ、苦しむ人民を目の前にして、どうしておとなしくしていられましょう」

 周菊は父の言葉を右から左へと聞き流し、侍女から薙刀を受け取ると、外へと駆け出す。

 兄周鷲とともに武芸を研鑽し、その腕前は十七の少女にしては上々ではあった。

 しかし、相手は突如降って沸いたように現れ地獄を作り上げた天軍である。無事でいられるわけがないと、父は咄嗟に後を追った。

 周思とてかつてはふたりの子に武芸を教えていた身である。その腕前も、君といわれる人にしては相当のものであった。

 かといって、家臣たちがこれを黙って見送るわけもない。

「ええい、止むを得ん。我が君と重陽公主をお守りするのだ」

 と周思が武芸において一番信頼する家臣の黄安尊こうあんそんは声を荒げて得物である大刀をひっさげ、周父子に続いた。

 この黄安尊はいま四十五歳。若き日より大事にしていた大刀一つを得物とすることから「黄一刀こういっとう」というあだ名があった。

 かつては郭政で豆腐を売り歩いていた豆腐屋であったが、その身のこなしは見事なもの。

 天秤棒を肩にかけて、棒につるした盆の中の豆腐はおろか浸し水も一切揺らさずに歩くことができた。いや、たとえ走ったとしても盆の豆腐も浸し水もまったく揺れない。

 商売の最中、盆をつるした天秤棒を肩にかけたまま盗人を追いかけこれを捕らえたということがあった。

 そのときも、盆の中の豆腐は無事で、浸し水はまったく波が立っていなかった。

 たまたまその現場に居合わせ、これは只者ではないと見抜いた周鷲は、黄安尊に乞うて周家に仕えるように仕官をすすめた。

「あっしはただのしがない豆腐売りでさあ。太守様にやとってもらうなんざ、柄じゃありやせんから、堪忍しておくんなせえよ」

 と最初は断った。だが、かえってその謙虚さが周鷲の心を掴んで、何度も何度も黄安尊の豆腐屋に足を運んで頭を下げて、仕官してほしいと頼み込み。

 黄安尊も、周鷲の熱心さに負けて、ついに周家に仕官することとなった。そこで、かつては江湖に身を置いていた武芸者であった過去を打ち明けた。ときとして、得物である大刀を振るって武芸の腕前を披露することもあり、また周鷲と周菊に稽古をつけたこともあった。

 周思は我が子のわがままに苦笑する思いをしつつも、苦手な宮仕えを真面目にこなす黄安尊を大事に扱った。

 で、黄安尊も黄安尊で、自分を大事にしてくれる周家に恩を感じ命ある限り仕えようと心に誓ったのであった。

 仕えるうちに荒い言葉遣いが直ったのも、周家への忠誠の現れであったろう。

 ともあれ、周鷲の目は確かであった。

 邸宅を出れば、かつて平和であった州都郭政は戦乱の様相を呈しており。その中で、太守周思と周菊と、城兵たちが必死の思いで流民の中に紛れ込んでいた天軍の兵と戦っていた。

 むごいものであった。

 天軍の兵らは、相手が誰であろうと、構わず殺す。女であろうと老人であろうと、子供であろうと。泣き叫ぶその悲痛な声を耳にして、悦にひたり、剣や刀で斬り、槍や矛で突き。

 溢れる血を浴びては、また悦に入って、殺戮を楽しんでいた。

(な、なんという非道の所業か……)

 黄安尊は総毛逆立つものをおぼえ、歯を食いしばってから、

「うおおおーー!」

 と雄叫びを上げて、地を蹴り戦乱の中突っ込んだ。

 空を厚い雲が覆い、お天道様の恵みの光りはさえぎられて。この世界が、日陰そのものになったようだった。

(周思さまご一家のおかげで、俺は日陰者だったのを堂々とお天道様の下を歩けるようになったというのに。なんという、無残なことか!)

 黄安尊、怒りの一振りを敵兵に見舞いに見舞い、次々と天軍どもをなぎ倒してゆく。 

 周思は大小の剣を左右の腕にて強く握り、周菊は薙刀を振り回し菊の花回り舞うように戦う。

 天軍の兵らは、まさか太守父子が自ら迎え撃ちに来るとは思いもしなかったようで、その奮戦を目にしながらも、

「あれは、周思に周菊じゃ。これを討てば褒美は思いのままぞッ!」

 と狂喜し、蟻が群がるように殺到した。

「させるか!」

 と、これに立ちはだかるは黄安尊。

 周父子に群がる天軍の兵を、片っ端から返り討ちにしてゆく。

「黄安尊よ、わしの身を案じることはない。そなたは自分の身を第一に戦うがよい」

 周鷲は頼もしい家臣の奮闘に勇気付けられ、それと背中を合わせて、群がる敵兵を二剣でなぎ払う。

 周菊もまた、少女の身ながら家来たちに助けられて勇戦すること頼もしい。

 太守父子と黄安尊の奮戦。それは、郭政の人民たちを勇気付けるに十分であった。まだ傷浅く手足が自由なものは、得物を手に取り城兵たちとともに、天軍と戦うのであった。

「太守さまが戦っておるなら、わしらも戦うのじゃ!」

「そうだ、太守さまあっての俺たちだ、今こそご恩をお返しするときだ!」

「郭政っ子を、なめるなよ!」

 さっきまでやられっぱなしであったのはどこへやら、郭政の人民は勇気を奮い起こして天軍相手に果敢に戦うのであった。

「な、まさか、どうして!」

 これに仰天したのが、天軍であった。

 いかに強いといっても、流民に紛れ郭政に入ったその数は人口に比べれば格段に少なく、衆寡敵せずの様相を呈していた。

 数が不利でもこの作戦に従事したのは、それまでの連戦連勝に気をよくして、庸州をなめきっていたこともあった。

 庸州人民は恐怖におののき、もう抵抗する気力もないだろう、と。だから、郭政も簡単に陥落する、と。

 しかしそれは大外れに外れた。

 天軍の兵らは、慌てふためいて、郭政より逃げようとしてさえいた。だがそれを阻む者があった。


その三


 それは郭政の人民ではなく、明らかに天軍の兵と思われる者であった。その黒装束の男は、服の天高くそびえるような巨躯を軽々と転がし、扇のように手を広げては逃げる天軍の兵を片っ端から、素手で顔を掴んで握りつぶす。

 その握力は尋常ではなく、捕まれば逃げることは出来ず。その顔はざくろが砕けるように、砕かれる。

 だがその男の顔もひどく醜い。不細工などというものではなく、丸坊主のその顔には古傷が無数に走り、まるでひびが走っているようだ。

 今もひとり、顔をむんずと掴まれ、手足をばたばたさせている。

「ふん、役立たずの意気地なしめ!」

 男が叫ぶとともに、掴んだ顔も潰され、ばっと赤い血が噴き。男の手も真っ赤に染まる。

 そのむごたらしい殺し方に、周菊は思わず目をそむけ。周思と黄安尊はさえも、眉をしかめ知らず殺された敵兵に同情してしまう。

「天軍に天望党あり。天望党に魯墾ろこんあり! 魔手凶悪、魯墾とは俺様のことだ!」

 がはは! という耳障りな笑い声がとどろき、そのついでに足元の屍を力いっぱい踏みつけに踏みつけ、その五体をぐしゃぐしゃにする。

「見てはいけません」

 気分を悪くした周菊をかばい、黄安尊が前に立ち魯墾が見えないようにする。

 やはりまだ十七の乙女である。いかに勇ましく戦おうとも、その凶悪さに心を握りつぶされたようだ。が、それでも疑問はあった。

(天望党?)

 周父子に黄安尊ら郭政の者たちは、天望党を知らない。だが魔手凶悪の魯墾と名乗る男の様子から、まっとうな幇(組織)でないことは容易に想像できる。

 そんな凶悪犯罪者そのものの、この男の口から、天を望むなど。鴉が鳳凰と伴侶になることを望むような、なんとも似合わぬ話ではないか。

 そういえば、天軍の者たちのほとんどは流民に紛れてぼろをまとっていたので気付くのが遅かったが、どれもこれもが、凶悪犯罪者のような顔立ちをしている。

「ふむ、天望党を知らぬと見える。じゃが、もうすぐ死ぬ身だからな、知ったところでやくたいもねえってもんだ」

 また、がはは! と耳障りな声で笑う。勢いをつけた郭政の人民たちではあったが、この魯墾にはさすがに怖じて、踏みとどまってしまう。

 魯墾、周思を睨みつける。

「てめえが周思てえのかい。ふん、なにが『王道の君』だ、ふざけやがって。そんなのただかったりいだけじゃねえか。てめえをぶっ殺して、この世の風通しをよくしてやるぜ!」

 魯墾は真っ赤に染まったもろ手を広げ、だだだ! と周思目掛けて駆け出す。

 周思、二剣をかまえこれに備えるも、さっと大刀をかまえ魯墾に立ちはだかるは黄安尊。

「我が君には、指一本も触れさせぬ!」

「ええい、雑魚はどけい!」

 唸る豪腕めがけ大刀を振るい、黄安尊必死に戦う。

 彼とて手練れあるのはたしかだが、魯墾もさるもの、天望党に魯墾ありと自ら名乗るだけあり大刀を上手くかわしてはすかさす豪腕を唸らせる。

 かといって、黄安尊苦戦をしているわけでもないようだ。十分相手の動きを見切って、攻めをかわしつつも、大刀を繰り出す。

 勝負は互角といったところか。

「黄安尊、そやつは任せた。他は我らが片付けよう」

 黄安尊が魯墾の相手をしている隙に、周思は人々をまとめて反撃に出ようとする。

 戦いの勢いはこちらにある、それを殺いではならない。とにかく勢いに乗って、天軍を追う払うのだ。

 反転攻勢と、太守父子が先頭に立って戦うことに勇気づけられた郭政の人々は、我も続けと一致団結して怒涛の反撃を開始した。

「む、むむ」

 魯墾、思わず動揺してしまう。己の豪腕をもって一気に盛り返そうと思ったが、思いっきり当てが外れた。まさか郭政の人々がここまで太守の言うことを聞こうとは。魯墾は、それがどうしてなのかさっぱりわからず、黄安尊から離れることも出来ず。

 味方がばたばたやられてゆくのを横目に戦いながら、胆の冷える思いだった。このままいけば、黄安尊と戦ううちに孤立し。たとえ相手に勝ったところで、後に控える周思たちにやられてしまうのは火を見るより明らかだった。

 反転攻勢の勢い怒涛のごとくの郭政の人々は、夜明けの暁を見る思いで、このまま天軍を追い払うかのように見えた。

 ふと、一人の城兵が路地裏で身を縮める、白い衣の女を見かけた。じっとしたまま、動かない。

(おびえているのか)

 女の様に哀れをもよおした城兵は、路地裏に入り女に声をかけた。

「もう大丈夫だ。このまま天軍なる曲者どもを追い払ってやるからな」

「いいえ、それでは困ります」

「なに?」

 消え入るようなか細い声の、その言葉に不審に思ったのもわずかの間、喉に走る冷たい痛み。

 城兵は顔を真っ青にして、がたがたとふるえて、

(こいつも、曲者か!)

 と急いで逃げようとしたが、路地裏から出たところで、大量の血を吐いてたおれ、そのまま絶命した。

「なにごとだ!」 

 仲間の城兵や郭政の人々が駆け寄って、その死に顔を見て彼らもまた顔を青ざめさせたと思ったら。その中の数人が途端にどたばたとたおれてもがきあえいだかと思うと、大量の血を吐いて、これも絶命した。

「なんだこれは」 

 反転攻勢の最中、亀裂が走るように悲鳴が響く。

 路地裏から白い衣の女が出てくる。それは髪に毒草のトリカブトをかんざしのように飾っている。これこそ誰であろう、慕蓉四天王の一人、慕蓉瞑であった。

 その美しい顔を氷のような冷たさを秘めた笑顔で満たし。驚く周囲を見渡すと、魯墾と黄安尊が戦っているところまで、足音もさせず砂埃も立たせず、さっとそよ風がすぎさるように駆け出した。


その四


 白い衣がまるで泳ぐように戦乱の郭政の城塞都市を駆けてゆき、魯墾と黄安尊のもとまでやってくる。

 魯墾これを見て、狂喜する。

「姐さん、こいつ手ごわいぜ。針を、針をたのむ!」

 慕蓉瞑、その言葉を聞き、にこりと微笑む。

「針とはなんですか、針とは。人非人針にんぴにんしんと言いなさい」

「そ、それだ。それを!」

 黄安尊、戦いの最中に妙な女がやって来て魯墾となにやら話しているのを見て、やつの味方が加勢に来たかと苦い顔をする。

 すると、慕蓉瞑の手がさっと振られたと思ったら一筋光が走り、魯墾の首筋に当たった。

「これでお前はいよいよ魔神の力を得て強くなりますよ」

 氷のような冷たい笑みで、冷たく言い放った。

 どういうことだ、と黄安尊が思う間もない。突然魯墾が身体をびくつかせたかと思うと、傷だらけの顔に血管が浮き出て、とたんに、

「もががが!」

 と地を転がり手足をばたつかせてもがき始めた。

 黄安尊はそのただならぬ様に驚き、知らずに一歩下がってしまう。

 女は、人非人針と言った。飛び針の暗器(飛び道具)に何かを仕込んだのか、点穴による作用なのか。それとも両方なのか。 

 かと思うと、なんとその身体は見る見るうちにさっきよりも大きくなってゆき、体つきも、さらに筋肉が増したようで。

 魯墾は人でありながら、人でなくなっているようだ。

 それに伴い、顔も、ただでさえ醜いのがさらに、ほんとうに悪鬼にでもなったかのようにゆがんで、正視するのもはばかられるほどとなった。

 それを、慕蓉瞑は可笑しそうに眺めている。

 戦慄した。

 今まで出会った事のないような、強敵だ。あの女は。

 周囲も、敵も味方も、魯墾の変わりように胆をつぶしてか、呆然とそれを眺め戦いの手を休めているほどだ。

「さあ、ゆきなさい」

 そっとささやく慕蓉瞑。魯墾はその言葉を受けてか、もがくのをやめさっと立ち上がり、獣のような叫び声を上げてあたりかまわず破壊の限りを尽くしだす。

 わっ、と周囲にいた者たちは逃げ出すが、悪鬼と化した魯墾に捕まるや紙くずのようにぐしゃぐしゃにされてしまった。

「貴様の相手はおれだ!」

 黄安尊大刀振りかざし魯墾に斬りかかるも、正気を失った魯墾は太い腕を振り回すばかり。うるさいハエを振り払うように、黄安尊を近づけない。

 その魯墾のゆくところに、二剣を振るう我が君がいる。

(いかん)

 ええい、と駆け出そうとしたとき。立ちはだかる慕蓉瞑。

「どけい!」

 と叫ぼうとしたとき、ぞっ、と背中に走る悪寒。思わずたじろぐ。

 慕蓉瞑はにこりと微笑み、黄安尊を眺めるのみ。その瞳の奥に、計り知れぬ闇を見た思いがし、そこからさらに自分の目を通じて心に入り込み、縛り付けられるようだ。

 周囲が修羅場と化す中、黄安尊と慕蓉瞑はにらみ合ったまま動かなかった。

「むっ!」

 周思、二剣を振るい自ら天軍と戦う中で、人ならぬ人と化した魯墾が猛然とこちらに突っ込んでくるのを見。それに備えようとする。

 が、魯墾ゆくところさえぎる者ことごとく血風を吹かして吹き飛ばされるばかり。逃げ遅れた城兵ひとり、無残に蹴り殺されてしまい。また踏みつけにされ、かばねは紙くずのように踏み砕かれてしまった。

(むごい)

 まさに魔手凶悪。

 その残忍さに限りなく怒りを覚えるも、さて己が勝てる相手かどうか……。

「これは人ではない。まさに悪鬼羅刹のたぐいじゃ」

 周思すら戦慄を覚え、逃げ出したくなる衝動に駆られてしまう。黄安尊は謎の女とにらみ合ったまま動かない。いや、動けないのか。

「父上!」

 周菊だ。 

 魯墾の様に恐れを覚えつつも、勇を鼓して薙刀を振るって立ち向かう。

「小菊!」

 娘が悪鬼に立ち向かうを見て、

「うぬの目当てはわたしであろう。来い、相手してつかわす!」

 と叫び。暴風となって血を振りまく魔手に、敢然と挑みかかる。

 だがしかし、地力でとうていかなわぬ相手。父子とも、荒れ狂う魔手をかわすのが精一杯で、かすり傷ひとつつけることすら出来ないでいた。

 魯墾、ただ狂ったように魔手を振るう。「太陰魔女」慕蓉瞑、魯墾にいかなる術をほどこしたのか。

「おのれ悪鬼め、太守さまを傷つけること許さぬ!」

 城兵たちや、郭政の人々は、己自身もその魔手を恐れながら周思を守るため勇を鼓し魯墾に挑みかかってゆく。

「いかん、逃げよ!」

 周思の叫びむなしく、彼らは魯墾の魔手に打ち砕かれていった。天軍はその様を見て、勢いに乗り殺戮をほしいままにする。

(そんな……)

 周菊は目に涙を溢れさせた。もはや打つ手なしか。このまま、天軍に皆殺しにされてしまうのか。

(お兄さま、お兄さまがいたら……)

 きっとこんなやつら追い払ってくれたろうに。

 それを嘲笑うように、女の高笑いが響く。

 まさに魔女が天より降りてくるかのような、絶望感に上から下へ叩きつけられるような、耳障りな笑い声だった。

「諦めてはいけません。せいぜい抗い、我らを楽しませてくださいな」

 そう言うと、身動きできぬ黄安尊を前に慕蓉瞑高らかにまた笑うのであった。


その五


「そうですね、太守さまにはとくと絶望して、苦しんでから死んでもらいましょう。魯墾や、まずこの菊のような、可憐な重陽公主から始末しておしまいなさいな」

 正気を失っているはずの魯墾だが、慕蓉瞑の言葉は通じるようで。どどど、と暴風かはたまた猛牛のように、命じられるままに周菊に突進する。

「あ、ああ……」

 薙刀を構えつつも、魯墾の立てる地響き心も響き。恐怖に足もすくみ身動きも出来ず、突っ込んでくる魯墾から逃げることも出来ず。周菊は理も非もなく目を閉じ。

 周思は二剣をかざし、娘をかばい魯墾の前に立ち塞がった。動けない黄安尊、このままでは父子ともやられてしまう、と胸に絶望感が溢れるのをどうしようもなかった。

 そのときであった。

 修羅場と化した郭政の街に、騎馬の一団がなだれ込んでくるや。

「昇龍女!」

 という声が響くとともに突如として竜巻が巻き起こり、天軍の者どもこれに吹っ飛ばされてゆく。それからもさらに、青と赤の盾が騎馬の一団より飛来するや天軍の者たちをなぎ倒してゆく。

 さらにまた、騎馬の一団から方天画戟を振るう豪傑抜け出し先陣を切って天軍を追い払い、後続の露払いをなす。

 何者か! と長元の前に立ちはだかる天軍の兵たちであったが、しかし、

「しゃらくせえ! 『大旋風』長元を知らねえかッ!」

 方天画戟唸りを上げて風を切れば。立ちはだかる者これことごとくが、旋風に吹き飛ばされるように、吹っ飛んでいった。

 天軍の一角崩れ、長元を先頭とする騎馬の一団疾風のごとく突き進む。その騎馬の一団の中に、凛たる若者、剣をかかげて威風も堂々、曇天の空にもかかわらず剣光燦と輝かせ襲い来る天軍の者どもを討ち果たしてゆく。

「これは」

 わっ、と郭政の人々から歓喜の声があがる。

 これこそ、他ならぬ周鷲であった。鈴秀に木吉の姿もある。

「若様!」

 人々が声を上げる。その若様という声を上げるたびに、騎馬の一団駆け抜けてゆくたびに、闇の降りた人々の心に、希望の灯火がともった。

「我こそ周思が嫡男周鷲なり。秦覇が手の者よ、我らが来たからには、もううぬらの好きにはさせぬ!」

 血気盛んなる周鷲の声は、騎馬の一団の心を打って。それぞれが、

「我こそ『鉄仮面』空路。義によって周鷲どのをお助け申さん!」

「我、空路の妻『究極淑女』南三零。同じく義によって周若様にお味方いたす」

「『大龍女』龍玉たあ、あたしのことさ。張っ倒されたい物好きなやつは前に出な!」

 と名乗りを上げた。虎碧は、剣を抜き迫り来る天軍の者どもを追い払いつつも無言。もともと大声で名乗りを上げるノリに慣れてはいなかった。

「若!」 

 身動きできぬ黄安尊であったが、周鷲の姿を目にするや思わず声が出る。

 しかも周鷲はただ帰ってきただけではなく、頼もしい助っ人を得たようであった。助っ人たちは、天軍を払い、民をかばい。まさに弱きを助け強きを挫く義気あふれる戦いぶりをこの修羅場の中でしめしていた。

 これを見て忌々しく舌打ちしたのは、慕蓉瞑であった。

 そうするうちに、「大旋風」長元、魯墾に迫り方天画戟をお見舞いする。

 邪魔者が現れ、魯墾はいたく不機嫌そうに魔手を長元にぶつけようとするが、長元も負けてはいない。

「面白え!」

 と馬から飛び降りる。相手が徒歩立ちであるので、彼もまた同じ徒歩立ちで挑もうというのだ。

 魔手暴風となって長元に襲い来れば、こちらは大旋風と方天画戟を振るい旋風巻き起こし。

 暴風と旋風互いにぶつかり合い、くうを揺るがし雌雄を決せんと荒れ狂う。

(しかし)

 長元、今までここに来るまでに見た天軍の暴虐さにその怒りは天を突き上げんがばかりであった。女も子供も、おかまいなし。悲痛な表情で息絶えた女性や子供の姿に、胸をかきむしられそうだった。

(兄貴と姐さんに出会わなきゃあ、おれも天軍みたいになってたのか!)

 唸る方天画戟に負けじと長元は吼えた。

「ゆるさねえ!」

 暴風となった魔手に、長元は真っ向から怒りをぶつけた。

「若はお父君のもとへ。慕蓉瞑はわたくしたちが引き受けました」

 と言うは南三零であった。

 周鷲「承知!」と応えて叫び、鈴秀、木吉とともに父と妹のもとへ向かい。空路と南三零らは慕蓉瞑のもとへと向かった。

「あ!」

 龍玉、長元と戦う魯墾を見てひどく驚く。それもそうであろう、魯墾こそ、かつて自分を捕らえ男相手の商売をさせようとした男たちの、あの頭分であった。

 まさか蜘蛛巣教の信徒であったというのか。

(でも、なんてえひどい様だろうねえ)

 その姿は前よりもひどく禍々しくなっている。邪教にはいると、そうなってしまうのか。と思ったが、もちろんそれが慕蓉瞑の人非人針によるものとはまだ知らない。無論虎碧もこれに気付き、息を呑む思い。

「長元さん、あたしにもやらせておくれ。こいつぁ仇なんだ!」

 と龍玉、魯墾目掛けて馬を駆る。虎碧も続こうかと思ったが、空路と南三零が当たるのは慕蓉四天王の慕蓉瞑。魯墾はともかく太陰魔女・慕蓉瞑相手に二人で足りるか、と危惧しこれに当たることにした。

「お兄さま!」

 今にも魯墾に討ち果たされんとした周菊であったが、この危機一髪の祭に駆けつけてくれた兄の胸に飛び込むように飛びついてくる。

妹妹メイメイ、無事か」

「はい」

 周鷲馬を降りて、妹の無事を見てうなずき、急いで父のもとにかけつける。

 父は、二剣を握りしめ、しばらく姿を消していた我が子をまじまじと見つめていた。

「父上!」

 今にも泣き出しそうに、跪こうとする我が子に、周思は、

「馬鹿者! 同志を捨てて親に甘える子があるか。そなたも急ぎお味方に加勢せよ!」

 と怒鳴った。

 周鷲百雷を受けたように身をすくめ、

「はっ! 申し訳ありませぬ!」

 と急ぎ回れ右をし、虎碧の後姿に続くように慕蓉瞑に向かって駆けた。


その六


 長元と龍玉、魯墾に当たり。空路と南三零、慕蓉瞑に当たる。周鷲と虎碧も、慕蓉瞑に当たろうとした。

 そのとき、慕蓉瞑が口笛を吹けば、

「若様!」

「お相手はわたくしたちが!」

「まあ憎たらしい碧い目の小娘も一緒なの!」

 と、かの三人娘、華と慧と兎が、周鷲と虎碧の前に立ちはだかる。どうやら合図あるまでどこぞで隠れて控えていたらしい。

「ええい、お前ら邪魔だ!」

 と周鷲一喝し三人娘を追い払おうとするが、そこは慕蓉瞑に仕えるだけあり軽々と攻めをかわしては、無手で、拳と掌、脚を繰り出しふたりを翻弄する。

 虎碧も剣を振るって兎に攻めかかるも、すかさず華これを阻み。慧は周鷲を攻め立てながら、巧みに周鷲の足取りを掴んでは自分の方へ自分の方へと引き寄せて、虎碧と引き離そうとする。

(しまった!)

 と思ってももう遅い。

 ふたりの間は開き、とっさに背中合わせに互いをかばうことはかなわず。

「若様、あんな小娘よりもわたくしたちの方のみを見て下さいませ」

 と慧は言い、周鷲と渡り合いながら巧みにその動きを封じる。

 華と兎はというと、

「この憎たらしい碧眼のあばずれ女の女狐め! 若様をかどわかそうったって、そうはいかないわ」

「その顔をずたずたに引き裂いて、目玉をくりぬいてやるんだからッ!」

 と怖いことを言い、唸る拳風、掌風ひびかせ虎碧をしとめようとする。とはいえ、慕蓉麗が認めるその力量は計り知れず、虎碧はあの時慕蓉麗と渡り合ったときよりも余裕を持って、華と兎の攻めをかろやかに、まるで蜜を吸おうとする蝶をからかってそっぽをむく花のように、かわしている。

 強がりを言った華と兎だが、

(なんて娘なの!)

 と内心舌を巻く。

 とはいえ、空路と南三零の加勢に行けぬことはかわらず。これを見た周思、息子が慕蓉瞑のもとへとゆけぬと察し己がゆこうとするが。

「我が君、妖女は我らが」

 と鈴秀と木吉、そしてふたりに介抱され動きを取り戻した黄安尊が言う。

「我が君と重陽公主は城兵を率い、天軍の雑魚どもを追い払い、かつ人民の安全を確保するを第一にはかるが上策かと思われます」

 畏れ多いとかしこまって鈴秀そう言えば、

「……。しかり、鈴秀の申すこともっともである」

 と言い、慕蓉瞑は三人の臣に任せ、自分は娘とともに城兵を整えなおし天軍と当たる。周思も武術の心得あれば、慕蓉瞑のその力量を測れぬことはない。はっきり言って勝てぬ。しかしかといって、臣や我が子のみに危険な思いをさせ己は楽をすることは、自分で自分が許せなかった。

 が、それは太守という立場の者の考え方ではない。己より優れた臣あれば、慕蓉瞑にはそれを遣わし。自分は大局を決すために動く。これが現実的で、確実なやり方だった。

 また騎馬の一団は、長元に周鷲、鈴秀、木吉主従に、虎碧と龍玉、空路に南三零の八人のみにあらず。長元の子分二十数騎もまた、この郭政の街にやって来ているのだ。

 彼らは城兵と協力し天軍の兵と戦っていた。

 空路と南三零、そしてそれに加わった鈴秀に木吉、黄安尊の五人を相手に渡り合う慕蓉瞑。

 赤青の盾をかわし、三振りの大刀をかわしつつ、冷たい笑みをたたえてこれらをもてあそび、隙あらば針を撃ちこみ、あるいは掌を浴びせる。

 五人とてむざとやられず、相手の攻めをかわし互角に渡り合うも、やはり五対一で互角なことに苦い思いは禁じえない。

「さすが慕蓉四天王のひとり、なかなかやるわい」

 空路眉をしかめ苦々しくうめく。それを聞き慕蓉瞑、

「ほほ、お褒めいただき恐縮ですわ」

 と、まんざらでもなさそうに、笑顔の花をさらに咲かせる。が、それにもかかわらず、心の中は苦味が滲んでいる。

(それにしても、大局のなかなか決せぬことよ) 

 と、天軍の兵が周思と周菊率いる郭政の城兵や人民たちに圧されていることに苛立ちを禁じえなかった。

(なぜ、郭政の城兵や人民どもは、あくまでも太守に着いて我らに抗うか)

 わからない。

 人間など、少し強いところを見せればすぐに降参し跪くのではなかったのか。それが、郭政の街に限っては、それがない。

 それは、太守の周思が「王道の君」であるゆえだった、ということは慕蓉瞑はわからず。不可解な思いを抱きながら、五人を相手に渡り合うのであった。


第十一篇 王道の君 了

第十二篇 牙城に牙旗立つ に続く

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