第一篇 龍虎大女侠
その一
朝日が昇る。
その恵みの光りに照らされ、きらりと光る剣と刀。
自分に向けて構えられる剣や刀の跳ね返した光りを受け、少女はまぶしそうに眉をひそめる。
「龍お姉さん」
と自分と背中を合わせる女を呼んだ。
女、龍玉はふっと笑って少女に微笑み返す。
小柄ながら紅い服をまとい、清純可憐で人形のよう可愛らしい少女は頬をぷっと膨らませ、自分たちに向けられた剣や刀を、碧い目で睨んでいる。
碧い目。そう、少女ははるか西方の異民族の血を引いているという。
(おやおや)
そんな怖い顔をしちゃ、せっかくの可愛らしい顔がだいなしだよ。と、くすっと龍玉は微笑む。
「笑ってる場合じゃないと思うの」
「まあまあ。いいじゃないの」
「よくない!」
ぷっと膨れた頬を弾けさせるように、少女、虎碧は叫んで腰に帯びている剣を抜いて構え。龍玉も続いて剣を構える。
(もう)
少し後ろを向いて、きっと龍玉を睨む。
ほっそりとして柳の枝のような柔らかさを感じさせる身体に蒼い服を身にまとい、服からのぞく肌は色白く、紅を塗られた赤い唇が艶やかしい。また口元のほくろがいっそう艶やかさを引き立てて。つややかな黒髪がそよ風にふかれてゆるやかに揺れる。
龍玉の口元のほくろのところに、虎碧の頭のてっぺんがくる。
剣を構えるとき、紅蒼二色の服が剣風になびいてゆらりと揺れた。それは風に優しくなでられて舞うように揺れる花のように。
曙光まぶしい草原で、ふたりが背中を合わせて剣を構える様は草原に生ける二輪の花のようで、まるで一服の名画を観ているようでもあった。
それに対し、草原に突然生えたような枯れ草のようなふたりを囲む男どもは、嬉しそうに笑っている。ざっと十人ほど。
男どもは皆粗末な身なりなくせに、目だけはやけに爛々と光って血走っている。それはまるで、獲物を狙う獣のように。
その中で、丸い陰陽の太極図があしらわれた黄色い道士服の男だけが、異彩を放っていた。他の男どものように目を血走らせず、眼光鋭く、ふたりを見据えている。
手に剣を握って。
「この無間道士さまの迦楼羅幇に仇なすとは、恐れを知らぬことよ」
冷笑を含めた物言い。虎碧はその冷気に飲まれまいと、気を引き締め剣を握るてに力を込める。それに対し空気を読まないのか読めないのか、それとも読んだからなのか、龍玉の減らず口が無間道士に飛ばされる。
「迦楼羅? 陰陽の太極図をかかげた道士さまが、仏の教えに出る天龍八部衆のうちのひとつを幇(組織)の名前にするなんて、ごちゃ混ぜもいいところね」
「龍お姉さん、無間道士の無間も仏の教えに出る無間地獄からよ」
「おやそうだったね、ほんと節操のないこと。おまけに人も殺そうとして、名前を不戒真人さまに変えたらどうかしら」
「それが出来るくらいなら、こうしてあたしたちと剣を突きあわせていないわよ」
天真爛漫な龍玉に、すかさず冷静に突っ込む虎碧。結局虎碧も空気を読んでなさそうで、そのあうんの呼吸の良さに、男どもは殺意をみなぎらせながらも苦笑する。
(こいつら、馬鹿か)
まあしかし、馬鹿だろうがなんだろうが、美味そうな獲物が目の前にあることには変わりない。男どもはふたりをにやつきながら、なめまわすようにじろじろ見ている。
「村人に泣きつかれて我らを退治しに来たのだろうが、たったふたりで何が出来る。今心を改めて詫びを入れるなら、命だけは助けてやるぞ」
無間道士は優勢に気をよくし、傲然と言い放つ。そこへ龍玉がやりかえす。
「おやそれはどうも。でも、あたしゃ好みにうるさいんでね。あんたらみたいなむさい男の言うことなんか、聞きたくないってもんだ」
「そうか、わかった」
「わかったから、なんだい?」
「そこまで言わせるな!」
無間道士は剣を采配代わりに突き出し、男どもに向かい、
「かかれ!」
と吼えた。
待ってました! とばかりに男どもは龍玉と虎碧に飛び掛る。とともに、ふたりの双眸がきらりと光る。
龍玉と虎碧も合わせていた背中を離し、男どもに立ち向かう。
剣と刀がきらめき、斬りつけられるのをかわし、あるいは己の剣で防ぎ、虎碧は軽やかに駆け無間道士向かってゆく。
龍玉も同じことを考えているようで、剣や刀をかわしながら、無間道士向かって突っ走っている。無論男どもはふたりをしとめようとやっきになっているのだが、かすりもしない。
「やっ!」
これには無間道士も少しは驚き、ふたりに備え剣を構えなおす。
雑魚なんかほっといて、道士ひとりをしとめるのが上策。それがふたりが咄嗟に考え付いた戦法だった。所詮か弱い村人をいじめるしか能のない盗賊ども、剣を交えるほどのものでもない。
その中で使い手というなら、無間道士ひとりだけ。ならそのひとりを集中的に攻めればよい。
(ええい、使えぬやつらだ)
歯噛みしながら無間道士はまず、小柄な虎碧向かって駆けて、さっと剣を突き出す。その碧い目が剣をとらえるや、相手の剣が眉間に迫るとともに身をかわし無間道士の懐に飛び込み、膝蹴りをお見舞いしようとする。
その素早い動きに驚いた無間道士は慌てて後ろに下がって、膝蹴りから逃れる。そこへ背中に龍玉の剣が振り下ろされる。
さらに驚きどうにか右手に逃れたものの、服の背中には右肩から左下へときれいに切れ目が入ってしまった。
その二
「おのれ!」
無間道士は服に切れ目を入れられたことにかっとなって、龍玉へ激しい刺突を繰り出す。しかし、龍玉は難なくかわしてゆき、かすりもしない。それどころかおどけた笑みさえ浮かべ、ひらひらと舞いでも舞うように、軽やかに身体を動かしている。
「やれるもんならやってみな」
と、あきらかに無間道士を挑発していた。
それを尻目に虎碧はこの隙に、襲い来る雑魚どもを迎え撃ち、片っ端から片付けてゆく。
幼くあどけなさの残る見た目と裏腹に、虎碧の技量高く、雑魚どもの剣や刀などかすりもせず、ひとりまたひとりと斬られていった。
斬る、といっても腕や肩、足のふくらはぎなど、命に関わる急所ははずしている。虎碧は無駄な殺生は好まなかった。
その剣がひらめくたび、雑魚どもの手から剣や刀が面白いようにぽろぽろと落ちてゆく。
(こ、こいつら、強いではないか!)
自らの剣をかわされながら、雑魚どもの有様を見て無間道士は舌を巻く。見た目で侮っていたものの、これはとんでもないやつらが来たものだ、と冷や汗のにじむのを禁じえなかった。
雑魚どもは、虎碧に得物を落とされ、またその剣技に恐れをなし、
「逃げろ、逃げろ!」
とすたこらさっさと尻尾を巻いて逃げてゆく。むしろそのあっけない様に、虎碧自身が呆気に取られてしまった。
(この人たち、こんなにも弱かったの)
と剣をたれ下げるように持って、その背中を見送る。
さて無間道士と龍玉。雑魚どもがわっと逃げ出す様が目に入り、いよいよ危機に陥ったと危機感を募らせ。
「待った!」
と龍玉への攻めの手を止め、一歩後ろへ下がる。
「どうしたの、怖気ついたのかい?」
小馬鹿にするような龍玉の声。右手を下げ、剣の切っ先は地に向けて。左手は腰にかけて。おどけた笑みを浮かべている。
男なら通常その笑みを見て、嬉しそうにしそうなものだが。無間道士はその奥にある真意が見て取れ、全然嬉しくなれない。むしろ悔しさと憎悪をにじませるのみだった。
雑魚を見送った虎碧は用心し、剣の切っ先を向け、その碧い目で無間道士の動きを注視する。
「さっきは悪かった。改心するのはわしの方だ。今後悪さは働かぬゆえ、どうか見逃してはくれまいか」
目を血走らせつつも、無間道士はしぼり出すようなうめき声でふたりに許しを乞う。だがそれへ返される冷たい言葉。
「助けてくれ、って? 村の人たちも、同じことを言ってたと思うけど。それであんたは、どうしたんだっけ?」
と龍玉はその美しい顔に氷のような冷たさをたたえ、たれ下げていた剣をかかげ切っ先を無間道士に向ける。
丸く黒いその瞳が、青白い炎が浮かんだように光る。と同時に一陣の風のように龍玉は駆け出し、その剣が無間道士の胸板を貫いていた。
瞬時に無間道士の目は、痛みと驚愕と恐怖、そして絶望の色をたたえて。胸板を貫く剣と龍玉を交互に凝視する。
龍玉の冷たくも、刺すような瞳はじっと、無間道士が力尽きるのを見守っていた。
「龍お姉さん!」
慌てて龍玉のもとまで駆け寄る虎碧だったが、間に合わなかった。雑魚どもと同様、命まで取る気はなかったようだが、龍玉はそんな慈悲は持ち合わせていなかったようだった。
「こんなやつ、死んだほうがいいんだよ。でなきゃ、また悪さをする」
それが無間道士が最後に聞いた言葉だった。剣が抜かれると、その黄色い道士服をまとった身体はどおっと崩れ落ちるように倒れ、ぴくりとも動かない。
虎碧の碧い目は、哀れそうにその屍を見つめ、剣を鞘におさめ我知らず手を合わす。
ふう、とため息をつき、龍玉はその様子を見守っていた。無間道士の力尽きてから、氷のような冷たさは影を潜めて、変わって。
「優しいね、虎妹は」
剣を鞘におさめ、続いて手を合わす。まあこれくらいはしてやろうか、というくらいの慈悲は少しでも持っていたようだ。
それから合わせていた手を離し、片手を腰に、片手はぶらぶらと遊ばせて。空を見上げる。空には太陽が恵みの光りを降りそそいで、青い空には白い雲が群れをなして泳いでいる。
「こうでもしなきゃ、いけないってことさ。でも手を汚すのは、あたしがやるから、それで堪忍しておくれ」
そう言うとおもむろに、無間道士を討った証にと龍玉はその手に握られていた剣を取りあげ、虎碧に背中を向け歩き出す。
手を合わせ終え、虎碧も龍玉に続いて歩き出す。後ろも振り返らない。
草原にただひとつ残された無間道士のなきがらは、風に遊ぶ草原の草たちにもてあそばれるように、ついばまれていた。
龍玉の持ちかえった無間道士の剣を見て、村人たちは歓喜した。
もうこれで襲われる心配はなくなった。
一年と少し前から村は迦楼羅幇に襲われて、追い返すことも出来ず奪われるがままだった。旅の剣客に退治をお願いしたこともあったが、返り討ちにあったり村が貧しいのを理由に断られたりして。どうしようもないところへ、たまたま通りかかった龍玉と虎碧のふたりに、泣いて頼んだという次第。ふたりが女であれることに不安はあったが、剣を持っていれば誰でもいいと思えるほどに村人は追いつめられていた。
ふたりはそんな村人の期待に見事に応え、無間道士を討ち迦楼羅幇は壊滅させ。村人たちはおおいに喜び、ふたりを、
「龍虎大女侠」
と呼んだ。
たちまちのうちに、今日はめでたいと仕事の手を休めて、陽も高いうちから飲めや歌えやの大騒ぎ。
龍玉と虎碧は村長の邸宅に招かれ、上座に据えられめでたい日の宴の主役となった。
「いやあおふたりのおかげで……」
村長をはじめ村人たちはふたりにしきりに礼を述べながら、酒をつぎ。食べきれないほどの料理が、次から次へと邸宅の使用人たちに運ばれて出てくる。
ふたりが男であるなら、それに加えて村娘に相手をさせるところだ。
つつましやかな虎碧は、もうこれ以上飲めない、食べられないと箸を置き、何も手をつけず。隣でガツガツやってる龍玉を見やった。
柳のようなしなやかな身体つきに似合わぬ飲みっぷりに食いっぷり。見ているだけで、虎碧はなにか腹から込み上げてくるものを禁じえなかった。
それに、
「龍虎大女侠さま」
と呼ばれるのもなんだか気恥ずかしいというか、違和感を覚えるというか。
「そうそう、おふたりはどうしてお知り合われたのですか? よければお聞かせ願いたいのですが……」
「ごめんなさい、酔ったようなのでわたしはこれにて失礼します……」
村長がふたりに聞くのと同時に、虎碧が酔って立ち上がる。顔は青く、碧い目はとろんとしていて、もうこれ以上食べれそうにもなく飲めそうにもなく。
「おお、そうですか。これ、虎碧さまをお部屋に案内してさしあげろ」
と村長は使用人に言って、部屋に案内させる。
虎碧は酔ってふらふらになりながら、使用人に案内されてあてがわれた部屋へゆき、
「ありがとうございます」
といって、部屋にこもり寝具に横たわった。
横たわって、ふと村長や使用人が自分の碧い目をさりげに、もの珍しそうに眺めていたことが脳裏に浮かんだ。
が、酔いはすぐに虎碧の思考をとめさせ、眠りの世界に落とし込んだ。
かたや龍玉は散々飲み食いしながら、
「あれはねえ……」
と、機嫌よく村長にふたりの出会いを語って聞かせていた。
あれは数ヶ月前のこと。
暁がのぼり、下界が陽光をあびて闇夜より救い出された景色が彩られるときのことだった。
木漏れ日さす林の中の道を、紅い服を着た一人の少女が紅い袖を揺らしながら、軽やかに歩いてゆく。
腰には護身用の剣を帯びて、たまに柄を掌でぽんぽんとたたく。
掌の手ごたえを感じつつ、黙々と歩を進めてゆく。
その少女、虎碧を木の陰から覗き込む目。
(ほう、これはなかなか)
口元をきゅっとひきしめ、腰に帯びた剣の柄に、手をかける。
(でも、どうして娘が一人で旅を?)
ふと、疑問が湧く。だがそれを胸の奥に押し込めて、
「ええい、そんなことはどうでもいい。肝心なのは自分の身だよ!」
しゃっ、と剣を抜き。女、龍玉は木の陰から飛び出て娘の前に立ちはだかり、虎碧に襲い掛かる。
「あっ」
虎碧もとっさのことに驚き、すかさず剣を抜いて繰り出される剣をふせぎにかかる。
きん、きん、と軽く金属音が林の中でひびき、ふたりは五、六合渡り合ってから、さっと後ろへと飛びすさって、剣を構え、相手を凝視する。
「まあ」
先に声を上げたのは虎碧の方だった。
(なんて綺麗なひとなの)
年のころは二十二、三か。なかなかの美人だ。しなやかさの中にも強さを秘め、彼女に惹かれない男などいないだろうと思わせる。
なのに、虎碧を見つめるその眼差しは眼光鋭く、まがまがしく笑って、あからさまな悪意が見て取れて。せっかくの美形がだいなしだ。
ぞっとしつつも、虎碧は龍玉に問いかける。
「人違いではないですか。わたしは人に恨まれるようなことをした覚えはありません」
だが龍玉は無言。問いかけにも答えないばかりか、ますます口元をゆがめ、その笑顔はまがまがしくなる一方だ。
そのまがまがしい笑顔を見ると、まるで仏典に出る、子供を食い殺す羅刹女に睨まれたような気になってしまう。
「そこをどいてください。わたしは人を斬りたくありません」
剣先を突きつけ、いつでも飛び出せる構えをし、龍玉にどいてと呼びかける。しかし龍玉はまったくお構いない。
(せっかく見つけた上玉を、みすみす逃してなるものか)
ふっと笑った。虎碧は年のころ十七、八か。清純可憐、という言葉がぴったりあてはまるような美少女といっていい。
しかし彼女の瞳は、碧かった。まるで碧玉を埋め込んだようにも見え、黒髪に白い肌とあいまって、剣を構えて動かないでいると、まるで一体の可憐な人形を観ているようでもあった。
が、はじめてみる碧眼に龍玉は一瞬えっと驚く。碧眼というものなどはじめて見る。はるか彼方には、肌の色髪の色、目の色の違う人間がいると聞くが。虎碧はそのはるか彼方の人間の血を引いているのだろうか。
(ええい、目の色なんか。それよりもあたしの身が大事だよ!)
「もらった!」
龍玉が大喝し。剣を振りかざして、虎碧に飛びかかった。
剣光一閃。一筋の光りが、その胸元めがけてほとばしる。
「破っ!」
剣光が一閃するや、虎碧は掛け声とともに剣筋を見切ってひらりとかわすとともに、己の剣先を龍玉ののどもとに突き出し、寸止めでとめた。
かわすとき、ゆったりとしていて、袖がゆるやかに揺れる様は天女の舞のようでもあった。
そして剣先の冷たさが、喉仏につたわって。龍玉はごくりとつばを飲みこむ。冷たさを感じながら、どっと冷や汗をかいている。
「ああ」
女はうめいて、剣を捨てた。
「終わった、これでなにもかも終わりよ」
目から涙があふれ、さっきの羅刹女のような凶悪な形相から一転、とたんに泣き女に変じた。
「ど、どうしたの? 落ち着いてください、話し合いましょう、わたしはあなたを殺すつもりはありません」
突然のことに驚いて剣を引っ込め、泣く女をなだめるも。龍玉は聞く耳持たずで、構わずに泣き続けている。
(もう、わけのわかんない。なんなのこのひと)
さすがに虎碧の堪忍袋の緒が切れそうになった。突然立ちはだかられたと思いきや、突然斬りかかられて、それで凌げば泣き出して。
泣きたいのはこっちよ、と愚痴りたくもなるものだ。
その時、
「はあっはっは! 上玉ふたりで儲けはたんまり、ってか」
という下卑た笑い声がひびき。虎碧ははっとして笑い声の方を向けば、いつの間にか黒衣の男が手下三人を引き連れて道の真ん中に立っていた。
男は丸坊主の入道頭で、きらりとひかるおでこがなんとも強さと不気味さを感じさせる。後ろの手下三人も同じ黒衣で、こちらはちゃんと髪がある。
龍玉は丸坊主の入道頭を見やって、憎憎しげに睨むとさっと剣を拾い上げ、己の首をかっ斬って自刃しようとする。
「ま、まって。早まらないで!」
虎碧は慌てて女の手を掴んで、自刃をとめる。しかし龍玉は腕を振りほどこうともがき、
「死なせて、あたしを死なせて!」
と叫んだ。
(どうして)
女の声に驚きつつも、腕は放さない。放せばその刃が女の首を切り落とすから、いっそう手に力を込めて放そうとしない。
「馬鹿ね、あんたも一緒に死んだほうがいいよ。あいつらに身売りさせられるんだからね」
「ええ!」
身売り。のっぴきならないことだ。いったいあの男たちとの間で、何があったのだろうか。
それは、男のほうから語られた。
「ふん、おれたちゃこの女を捕まえて男を相手に商売させようとしたのさ。だが女が泣いて許しを乞うからよ、仕方ねえなと、後釜を連れて来い、と言ったわけだ」
「後釜……。わたしが? そのために襲い掛かってきたんですか」
「その通り! だが後釜をつくるどころじゃねえみてえだしな、こうなればおれたち自らで商売道具を仕入れるしかねえな」
商売道具を仕入れる? つまりは、男たちは虎碧を女とともに捕らえ、男を相手に商売させようというのか。
そのために、龍玉は何の恨みもない虎碧に襲い掛からなければならなかった。
(な、なんてひどいことを!)
虎碧の心に義侠の火が、ぱっと灯って、燃え盛った。
その三
下卑た笑い声がひびく。まったくもって耳障りだ。
「お姉さん、ふたりで力を合わせて、こいつらを退治しましょう」
「あんた本気で言ってるの?」
「本気ですよ。わたし、あいつらが許せない」
「無理よ、あいつら凄く強いんだから」
虎碧は碧い目をいからせて、女とともに男と戦おうと言う。しかし、龍玉はひるんでばかりで、しかも、
「無駄なことはよして、潔く自刃した方がまだましだよ。下手に抵抗したら、ひどくいたぶられて、楽に死ねないかもよ」
とまで言う弱気さ。虎碧は龍玉がどれほど男にひどい思いをさせられたのかと思うと、いっそう怒りがつのってくる。
「大丈夫ですよ、ふたりで力を合わせれば、きっと勝てます!」
確信ある虎碧の言葉。龍玉はその言葉の響きに勇気づけられたか、
「わかったわ。どうせ死ぬにしても、ただじゃ死なないよ!」
と剣を構える。虎碧もそのかたわらで剣を構える。
剣を構えるとき、紅蒼二色の服が剣風になびいてゆらりと揺れた。それは風に優しくなでられて舞うように揺れる花のように。まるで一服の名画を観ているようでもあった。
それを見て男たちはますます狂喜した。こうして具合の良い商売道具がふたつも仕入れられることが、嬉しくて仕方がないらしい。
「やろうってのか。いいだろう、てめらの手足の筋を切って、木偶にしてやって。まずはおれたちから味わってやる」
じゅる、入道頭はと口元を手で拭い、
「かかれ!」
と剣を振り上げ大喝一声。
わっ、と男たちが襲い掛かってくる。
虎碧と龍玉は地を踏みしめ、目線をまじえるとともに、男たちに向かって跳躍し剣を繰り出す。
四対二、男たちが有利のようだった。
にもかかわらず、虎碧はひらひらと男たちの剣をかわし、かすりもしない。
龍玉は多少の攻めを受け、服に数箇所裂け目が走り、白い肌をあらわにしてしまっているのに。とくに入道頭を攻めあぐんでいるようで、防戦一方だ。
後ろをとられないように、互いに背中を合わせて、男たちの剣を防ぐのはいいが、防いでばかりでなかなか攻めに転じられない。そればかりか、
「ああっ!」
入道頭の剣が龍玉の右肩をかすめ、裂け目からは赤い血が流れている。
「お姉さん」
虎碧は攻めをかわしつつ、龍玉の援護にまわろうとする。しかしはばまれてなかなか動けない。
「どうしたどうした、口ほどにもない」
入道頭の馬鹿笑い。勝利を確信して、余裕しゃくしゃくだ。
虎碧と龍玉はぎっと歯を食いしばり、必死に防いでいる。やっぱり相手は強かった。でも、だからといって、おとなしく負けるわけにはいかなかった。せめてもの意地を見せたかった。
男たち四人はふたりを囲んで、円を描くようにまわりながら車掛りで攻め。次から次へと剣はひっきりなしに繰り出される。
(強い)
虎碧は四人組の強さに舌を巻いた。しかし、
(四人だから強いのかも。なら)
「お姉さん、三人はわたしが引き受けるから、残るひとりをお願い!」
と言うや、四人のうちの三人を引き付け、それらと剣を交えはじめた。
「馬鹿、なにやってんだい。無茶だよ」
龍玉は虎碧の無謀とも言える戦いっぷりに驚き、残る一人と剣を交える。
虎碧は入道頭と手下二人を相手にし、苦戦している、と思ったが。ちら、とその方を見て舌を巻いた。
虎碧は三人の剣を蝶のように舞って、ひらひらとかわしてゆく。服の袖もひらひらと、それはまるで風に遊ぶ蝶そのものだった。なかなか攻めに転じられなさそうだが、それでも一見余裕しゃくしゃくと三人を振り回しているようにも見える。
(す、すごい。なにあの娘)
密かに度肝を抜かれる思いをしながらも、残る一人と剣を交えてみれば。
「あれ、案外弱いじゃない」
呆気に取られる思いをした。
(そうか、こいつら四人になったら強いけど、ひとりひとりはそうでもないんだ!)
相手の様子から気配をさっした手下は、龍玉と剣を交えようとせず、慌てて仲間の方へと行こうとする。しかしそうは問屋が卸さない。
「よくもあたしをいじめてくれたわね!」
俄然勢いを増して龍玉は剣を激しく振るい、手下を追いつめてゆく。
くそっ、と手下は毒づきながら龍玉の剣をかわすもままならず、ついに太ももに刺突を食らってしまい、崩れ落ちてしまう。
「三弟!」
入道頭が叫ぶ。入道頭は手下を一弟、二弟、三弟、と呼んでいるようだ。いやそれよりも、虎碧が途端に三人を相手にして一人を残すのを見て、気付かれたか、と思ったが、その通りだった。
「お坊さん、よそ見しちゃダメよ!」
すかさず虎碧の剣が突き出される。今度は蜂が刺すような鋭い突きだ。
なにくそ、と入道頭と手下その一と二はどうにか攻めをよけながら、一斉に虎碧に飛び掛るも、助太刀に来た龍玉が加わってまたも二人と一人に分断される。
「このお、死ねえ!」
怒り心頭の手下その一の激しい刺突が虎碧の眉間に襲い掛かる。しかし虎碧は刺突が眉間に届く直前にさっと身をかがめてかし、同時にだっと駆け出し相手の右肩に剣をお見舞いする。
「うわ!」
悲鳴がひびいて、手下その一は傷口を押さえて後ずさる。そこへ、龍玉のひと突き。今度は左肩に剣先が突き刺さる。
一気に両肩をやられてしまい、手下は戦意を喪失して逃げ出す。すると、暗器(飛び道具)がその頭に突き刺さり、手下その一は驚く間もなく崩れ落ちて、息絶えた。
「お、お前仲間を!」
龍玉が入道頭に叫ぶ。虎碧も呆然としている。
「ふん、役立たずを処分したまでよ」
冷然と言ってのける入道頭。虎碧はたまらず叫んだ。
「ひどい。お姉さんをかどわかした上に仲間まで殺すなんて!」
「それがどうした。この世は強いもの勝ちよ」
「なにが強さよ! あんたなんか弱虫だわ、ひとりじゃまともに戦えなくて、数を頼みにして。なのに簡単に仲間を殺す。そんなの英雄好漢のすることじゃないわ、弱虫よ。弱虫じゃなくてなんなのよ」
入道頭の言い草に、怒髪天を突く勢いで虎碧はまくしたてた。龍玉も「そうだ」と激しく入道頭を批難する。
「うるせえ! ごちゃごちゃ抜かすなら、おれに勝ってからにしろ!」
怒涛のような入道頭の攻撃。ぶぅんと風がうなるような剣のうねりがひびき、虎碧に襲い掛かる。
残った手下一人は龍玉に攻めかかる。
手下はたいしたことはないが、入道頭の攻撃は凄まじい。龍玉は手下と剣をまじえながら冷やっとして、その方を見た。
「破っ!」
虎碧の気合の一喝。剣は一閃し、真っ正面から入道頭の剣とぶつかる。
びしっ!
というものすごい気があたり一体に波紋のように広がって、つぶてのようにぶつかってくる。それは虎碧の剣の一閃からほとばしり出たようだ。
思わず龍玉と手下はたたらをふんでよろけてしまい、互いに後ずさってしまう。
入道頭はというと、剣の一閃と真っ向から己の剣がぶつかり。その己の剣がもろくも真っ二つに叩き斬られてしまっているではないか。剣先はどこだ、と思っていると、自分の目の前を通り過ぎ、どすっと足元に突き刺さる。
柄を握る手はひどくしびれ、がたがたと震えて思うがままに動かせない。
(な、なんだこの娘っこは)
背筋にどっと冷や汗がにじみ、にわかに恐怖を感じ始めてきた。
「くそ、ずらかるぞ!」
忌々しく叫んで、手下とともに駆け足で去ってゆく。虎碧は追わなかった。龍玉は虎碧に気圧されて動けなかった。
入道頭と手下の姿が見えなくなったのを見届け、虎碧は龍玉に笑顔を向けた。だが、その碧い目はどこか悲しげだった。しかしなるほど、これだけ強ければ一人旅も出来るというものだ。
「あんた……」
龍玉の声に応えず、虎碧は剣を鞘におさめ、抱拳しぺこりと一礼すると、歩き出そうとする。
「ま、まって。あたしは龍玉。あんた名前は?」
「虎碧です」
虎碧は歩きながらも少し振り返って、名を名乗る。龍玉は慌てて駆けて虎碧のそばまで来て、一緒に歩く。
「こへき?」
「虎に碧い、って書きます」
「そうなんだ! あたしは龍の玉って書くのよ。まあ、龍虎相まみえる、ってなるんだね。そっかあ、碧い目してるから、碧なんだね」
「そ、そうですね……」
一難さって安心したのか、龍玉のはしゃぎっぷりはまるで子供じみて、年下のはずの虎碧が落ち着いている。
「さっきはすまなかったね、嫌な思いもさせたろうに、助けてくれて」
「いえそんな、悪いのはあいつらですし」
「そお? そう言ってくれるとこっちも助かるよ」
龍玉はくすりと微笑み、言葉を続ける。
「ねえねえ、旅は道連れっていうしさ、ここで会ったのも何かの縁だし。どうだい、あたしもご一緒させてもらっていいかな?」
「ええ!」
この突然の申し出に虎碧は驚き、碧い瞳の目をぱちくりさせている。
「ええ! って、いやかい?」
「いやというか、いきなりなもので」
「まあそりゃ、いきなりすぎたかねえ。でもさ、虎碧ちゃんみたいな強い味方がいた方が、江湖も歩きやすいし。お願い、あたしを助けると思ってさ」
と、愛想よく笑い、仏様を拝むように手を合わせる。
きょとんとしていた虎碧だったが、
(たしかに、このひと誰かがついていないと大変な思いをしそう。さっきの入道頭も仕留められなかったし……。仕返しに来たらそれこそ大変だ)
と思い至り、こくんとうなずいた。
「わかりました」
「よっしゃー、これで一件落着、だね。よろしくね、虎碧ちゃん」
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします。龍お姉さん」
「まあ、お姉さんだなんて、可愛いじゃないの。じゃあなたのこと虎妹って呼んでいい?」
「え、ええ、いいですよ」
龍玉は頼もしい味方がついてくれた嬉しさから、すごくうきうきしている。まるで百万の大軍を得たように。
こうして、成り行きで、虎碧は龍玉と義姉妹になってしまった。
「あれから早何ヶ月か経って」
ぷはーっと碗の酒を飲み干し、得意げに語る龍玉。
「喧嘩もしたけど、なんだかんだで、旅は道連れ世は情けってやつで一緒にいるのさ」
と言いながら豚肉を箸で刺し、口に運んだ。
「なるほど、そういうことがあったんですか」
「あったんだよ~。まあねえ、あの子は良い子だよ」
ふと、無間道士を討ったときのことが脳裏に浮かぶ。ほんとうに良い子だ、虎碧は。それだけに甘さもあるが、だからといって殺生に無頓着な人間にならず、武徳を積んだ女侠になってほしかった。
手を汚さなければいけなときもあるだろうが、それこそあのときのように、自分が代わりに手を汚せばいい。
「これからも、ずっと江湖を旅してゆくんですか?」
と村人の誰かが聞いた。じーっと、龍玉の顔を眺めている。
(あらあら、あたしの顔に見惚れちゃって)
酒で火照って赤くなった顔をほころばせて、
「そうだね。この世に悪のある限り、あたしたちの旅は終わらないってね」
碗にまた酒がつがれ、それをまた飲み干す。
村人たちも酒がかなり入ってご機嫌だ。部屋に篭った虎碧をよそに、陽気に歌い騒いで、今までのうっぷんを晴らしているようだった。
「そうそう」
とまた村人の誰かが龍玉に話しかける。
「あの虎碧さんの目は、またなんで碧いんですかね」
酒で顔は赤くなっているが、その村人の目はなんだか変に据わっていた。が同じく酒が入り、単純に陽気になっていた龍玉は気付かず。
「ああ、あれかい。なんでも父さまは、はるか西方の彼方の人だってさ。あたしもそれ以外は知らない。あまり話したがらないんでね。まあ過去のことを勘ぐるなんて野暮なことにゃ興味ないから、あたしも突っ込んで聞かないけどさ」
という応え。酔った龍玉は何気に出た応えではあったが、過去のことを勘ぐるなんて野暮、というその物言いが村人の気に触ったらしく。ぴくっと眉が、かすかに動いた。
しかしそれも気付かぬ龍玉。
陽気さに任せて飲み食いするうち陽は沈み、弓なりに曲がった三日月が空に浮かぶ。そのころになると龍玉もさすがに酔いが回って、虎碧と同じ部屋へと導かれ、これは寝具には寝ず部屋に入るなりそのまま床にごろりと転がって、寝息を立てていた。
その四
邸宅の広間では、宴の後片付けがなされる中、村長をはじめ村人、特に屈強な若者数人がなにやら話をしている。
「あの娘の碧い目。あんな目は初めて見るだよ」
「えれえ遠いところの国じゃ、肌の色髪の色、目の色の違う人間がいるっていうけどよ。で、親父がそうだって? ほんとかのう」
「それはわからねえだが、碧い目なんて、やっぱりおかしいだよ。それに……」
男は声が徐々に大きくなるのに気付き、慌てて言葉をとめて、じっと部屋の方を見た。それを他の男が、用心した小声でつなぐ。
「それに……、娘の身にしては強すぎねえか? と言いたいんだか?」
「んだ。もっと言うならよ、あの龍玉という女、あれは、別嬪すぎやしねえか。とても人とは思えねえだよ」
「それを言うなら、娘の方もまるで仙女さまのようじゃのう」
ふたりの容姿を語り合う男たち。それはふたりを称えているのかといえば、そうではなかった。酒臭いため息をついて、村長は言う。
「やはり、あれは妖女の類なのかのう」
初めて会ったときは碧い目にいささか驚きもしたが、あのときは無間道士の迦楼羅幇をどうにかしたい一心で、剣を携えているというだけで、たまたま通りがかったふたりに泣いて退治をお願いしたものだったが。
内心無理だろうなと思っていただけに、まさか女ふたりだけで無間道士を討ち、迦楼羅幇を壊滅させるとは思いもしなかった。そのときは驚きもし、喜びもしたが。冷静さが戻るにつれ、
(もしやあの娘とあの女は、妖女の類ではないのか)
と虎碧の碧い目がしきりと気になり始めたのだった。そこへ来て、龍玉があまりにもきれいすぎた。男たちは最初見惚れていたのが、その強さを知るとともに恐れと疑いを抱くようになっていた。
妖女は類希なる美しさで男を惑わすものだ。見たことはないが、この村にも、昔から妖怪の人をたぶらかし害することは語り伝えられてきていて。龍玉と虎碧こそが、その妖怪ではないのか、と疑惑は人から人へと伝わり広まっていった。
「今は酒に酔って寝込んどる。やるなら今だで」
ひとり誰かがそう言った。するともうひとりが、
「そうだな、やろう」
「人と違う碧い目に、あの別嬪すぎる女。そういえばあの女、女にしてはよく飲みよく食っていただな」
疑いだせばキリがないもので、そうなればもう何もかもが疑いの種となり、村人の心の中で発芽してゆき。それはとどまるところを知らなかった。
「人を集めろ。酒に酔っている今のうちに倒すのじゃ」
承知、と男たちは人集めのために一旦散っていった。
寝息を立てて床で寝っころがっていた龍玉だったが、がさごそと物音がするのを聞きさっと身を起こせば、
ばん!
と乱暴に戸が蹴破られるではないか。
「な、なんだいなんだい!」
反射的に剣を抜き身構える。寝具で寝ていた虎碧は、戸の蹴破られた音に驚き目覚めて、咄嗟に身を起こし。
その碧い目は、信じられないものを見た。
村人たち十数人が剣や刀といった武器はもちろん、隙や鍬まで手にし、ふたりを怖い目で睨みつけていたのだった。
「どうしたってんだい。夜這いにしちゃやけに物騒じゃないか」
手にした剣を構え、龍玉は歯軋りしながら村人たちに怒鳴るも、何の反応もなく。緊張の糸が空気の中に張り巡らされて、ふたりを縛りつける。
(これは)
突然のことに言葉も見つからず、酒の酔いもまだのこって、ぼうっとした気持ちになるのをどうにか堪えて村人に事の次第を問いかける。
「どうしたんですか、何があったんですか?」
「うるせえ!」
問いかけに返される怒号。このとき、虎碧はすべてをさとった。
(ああ、また……)
と思うと胸が張り裂けそうだった。
「この、妖女め。よくもおれたちをたぶらかして、食い物にしようとしやがったな」
「そんな、私は妖女などではありません」
「嘘をつけ。その碧い目が何よりの証拠だ」
「問答無用、やっちまえ!」
もう話にはならず、村人は血気にはやるにまかせて、一斉にふたりに襲い掛かった。
「ええい、この恩知らずめ!」
龍玉は大喝一声、剣を揮って返り討ちにしようとするも酒がまだ強くのこって、しかも頭がずきずきと痛み、ふらふらとする体たらく。
「ああ、もう。飲みすぎたよ」
と吐き捨てながら、これではまともに剣を扱うことが出来ず、おぼつかない足取りで襲い来る村人たちの攻めをかわすのが精一杯だった。
虎碧も村人の揮う剣や刀、隙や鍬をかわしながら龍玉を助け起こし、隙を見て部屋を飛び出し、邸宅から逃げようとする。しかし、邸宅の中にもまだ十数人からの村人たちがおり、そう簡単に逃がしてもらえそうになかった。
「待ってください、話し合いましょう。私は妖女ではありません。ほんとうです、信じてください」
「騙されるもんか。妖女め」
ふたりの姿を見止めるや、わっと一斉に襲い掛かってくる。虎碧は龍玉を抱えながら、村人たちの攻めをかわし邸宅を駆け抜け出てゆく。
ふたりにあっさり倒された迦楼羅幇に襲われていた村人たちである、龍玉を抱えながらも、逃げるのは簡単なことだった。
だがそれよりも、村人たちに妖女と呼ばれ襲われたことで、虎碧の心はそれこそ剣や刀、隙や鍬でえぐられたように傷ついた。
これで何度目なのだろう……、と。
邸宅を飛び出し、夜の闇の中を、ひたすら駆けた。息の続く限り駆けた。
三日月や夜空に浮かぶ星たちに、闇夜に隠れて夜空を泳ぐ薄墨色の雲たちは、そんなふたりを静かに見下ろしていた。
やがて水月映える池が現れて、虎碧は後ろを振り向き追っ手がないのを確認すると足を止めて、龍玉から手を離して疲れからぺたりと尻餅をつくように座り込んだ。
酒がまだ残っている中を龍玉を抱えて駆けたおかげで、気持ちも悪かった。それだけに池のほとりは涼やかに感じられ、すこしは気持ちが落ち着いてきた。
龍玉は手に持っていた剣を鞘におさめることすらおっくうで、地面に捨て置き、頭を抱え吐き気をこらえていた。それに猛烈に喉も渇く。
喉が渇くのは虎碧も同じで、ふと指を池の水に濡らせて、すこし舐めてみる。それから両手で水をすくって、喉に流しこむ。
「龍お姉さん、この池の水は大丈夫みたいよ」
「そお? ありがとうねえ」
よろよろと四つんばいになりながら、龍玉は池の水を手ですくい、ごくごくと喉に流しこむ。冷たい水が喉を涼やかにして、潤してくれる。
ふう、と龍玉はひと息ついて、少しは落ち着けたようだ。
だが虎碧は水を飲んで喉を潤しても、気持ちまでは潤わなかった。三日月照らす池に、三日月の水月が浮かび。そのかたわらに、碧い目をした虎碧の顔も浮かんでいた。
(この、碧い目のせいで)
何を思ったか、虎碧は剣を抜いたかと思うと、その剣で己の碧い目を突こうとするではないか。驚いた龍玉は慌ててその手を取り、次いで剣を取り上げる。
「何考えてるんだい、自分の目を潰そうなんて」
「とめないで龍お姉さん。みんなこの目がいけないの。この目さえなければ、村を追い出されることもなかったのに」
「馬鹿なことをお言いでないよ。あれは村の連中の了見が狭いせいさ。虎妹のせいじゃないって」
「でも、でも……」
「でも、じゃない! もう、何かあるとすぐそうやって目を潰そうとする。せっかく親からもらった自分の身体を、粗末にするもんじゃないよ」
取り上げた剣を後ろ手に背中に回し、もう片方の手で虎碧の肩をつかむ。虎碧の慟哭が、伝わってくる。
「誰も碧い目をくれとは頼んでないわ。どうして、どうして私はみんなと違う碧い目に生まれてしまったの。この目のせいで、さっきのような……」
龍玉は虎碧の慟哭を黙って受け止めていた。今は、何を言っても彼女に通じないばかりか、傷つけるかもしれないから。
虎碧は目からとめどもなく涙を溢れさせて、存分に泣き続けた。今まで泣いて泣いて、泣きまくった。それでも涙が枯れることはなかった。傍らで見ていた龍玉は、
(まだ泣ける余裕があるうちは大丈夫だね)
と密かに安堵していた。
「まあなんだね」
安堵し、口が軽くなった龍玉は虎碧に優しく語り掛ける。
「最初はねえ、ほんと成り行きで一緒になったんだけどね。あんたには感謝してるよ、このあたしが、人助けだよ、あはは」
言いながら、空に向かい、あけっぴろに笑った。その笑いに応えるように月は光り、星はまたたいていた。
「孤児で身寄りもなく、この身と剣一つで生きてきて。でも生きてくために手段は選べず、好きでもない男と寝たこともあったさ。そんなあたしが、どういうわけかあんたと一緒にいると、ねえ。おかしいねえ」
(そうだ、龍お姉さんは孤児だったんだ)
ふと、不幸の身の上は自分だけかと思っていた自分を恥じた。互いに一人のときは、君子危うきに近寄らずだったが、出会って行動をともにするようになってから、力を合わせて弱きを助け強きをくじく義侠の行いを旨として江湖を渡り歩いてきた。
しかし、その碧い目のため、助けたはずの弱きからも迫害を受けて逃げ出さざるを得なかったということが、何度あったことだろうか。これは虎碧には衝撃的なことだった。
みんなと違う、それだけの理由で、災いから助けても嫌われて追い出されて。そのたびに目を潰そうとしては龍玉にとめられ。
もはやふたりは一蓮托生の相棒だった。もし離れたら、いったいどうなってしまうのか。まず間違いなく、龍玉はさらに身を汚し。虎碧にいたっては、ほんとうに目を潰しかねなかった。
今の自分があるのは、それぞれの存在があるからだったと言ってもいい。
「行こう」
事態が落ち着いたのを察した龍玉は立ち上がって、虎碧に剣を返し。己の剣を拾い上げて鞘におさめる。
受け取った剣を鞘におさめ、虎碧は涙を拭い、うなずいて立ち上がった。まだ村から近い。追っ手は来ないといっても油断は出来ない。向こうの気持ちがどうあろうと、無益な殺生はしたくはなかったから、これ以上足を止めるのははばかられた。
「まあ、そのうちいいことあるって。頑張っていれば、いい男が見つかるかもよ」
「そうね。でも龍お姉さんの方がすごくきれいだから、男の人はみんな龍お姉さんの方にいっちゃいそう」
「まあ、この子ったら。褒めても何も出ないよ」
「お世辞じゃないって、ほんとだって」
「そお、ありがとね」
ふたりは並んで歩きながら軽口を叩きあい。夜の闇の中に、あはは、という笑い声小さく響いて。しばらくして、笑い声は闇に吸い込まれるようにして聞こえなくなっていった。
第一篇 龍虎大女侠 了
第二篇 邪教 に続く