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第7話 Fゴッドと揃える仮説

16日目。朝。練習室Fの壁に落書きがあった。


 ホワイトボードの横。白い壁に油性ペンで描かれた丸い顔。棒の手足。頭の上に王冠。目がない。口だけがにっと笑っている。


 その横に文字。


「Fゴッド。Fクラスの守り神。お願いごとは1日1回まで」


 宮本の字だった。


「宮本、壁に描いたのか」


「消灯後に。怒られるかな」


「怒られるだろうな」


「でも必要だと思った。このチーム、最近重いから」


 宮本が腕を組んでFゴッドを見ている。えくぼのある丸顔。片側だけ上がる口角。宮本の表情とFゴッドの表情が少し似ている。


「俺さ、何ができるのかわかんないんだよね。篠宮はコーチングがある。月島は声がある。柊は踊りがある。七瀬は目がある。藤堂はアレンジがある。田中は声量がある。渡辺は努力がある。池田はハーモニーがある。佐々木は笑顔がある。俺は? 器用貧乏で、何一つ突出してない」


 宮本のカリスマ: 72。Fクラスの中で2番目に高い数値。だがカリスマは測定しにくい。ステージ上で発揮される瞬間にしか意味を持たない。


「宮本にはこれがある」


 僕はFゴッドを指差した。


「落書き?」


「場の空気を変える力。数字で測れないから僕のステータスには出にくい。でも昨日まで練習室の空気は重かった。柊が怒って出ていって、田中が黙って、みんなが下を向いていた。今朝、全員がこの壁の前で立ち止まった。佐々木は笑った。渡辺は口角が上がった。池田はFゴッドの顔を5秒くらい見つめてた。空気が変わった」


「それ、俺の力か?」


「宮本以外には描けない。少なくともこのチームでは」


 宮本のえくぼが深くなった。照れている。照れを隠すように、Fゴッドの横にもう一体描き始めた。「Fゴッドの弟。Fゴッドjr」。画力は相変わらずゼロに近い。


 †


 昼休み。練習室に戻ると、壁の落書きが増えていた。


 佐々木がFゴッドの隣に花を描いていた。花びらが5枚。色は塗れないが、形は丁寧だ。


 田中がFゴッドの下に文字を書いていた。「Fゴッドへ。俺の声がうるさくてすんません。でも全力で歌いたいです」。田中の字は大きくて角ばっている。


 渡辺がFゴッドの横にストップウォッチを描いていた。「毎朝一番の男、渡辺智也」。小さな字で真面目に書いてある。


 池田がFゴッドの足元に音符を3つ描いていた。何も書いていないが、音符の形が正確だ。


 藤堂がFゴッドの王冠を少し修正していた。元の王冠より細密な装飾が加わっている。


 柊は何も描いていない。だが練習室に入ったとき、壁を一瞬だけ見た。目線が0.3秒止まった。


 七瀬がFゴッドの目を描き足していた。目だけ。丸い顔に、異常に精密な目が2つ。虹彩の線まで入っている。


「七瀬、目だけ本気すぎないか」


「目は手を抜けない」


 壁がFの歴史になっていく。宮本が描いた落書きから始まった連鎖。10人のうち8人が何かを残した。残さなかった2人のうち1人は柊。もう1人は僕だ。


 僕は何を描けばいいかわからなかった。Fゴッドに願い事をする習慣は非合理的だ。だが10人の落書きが集まった壁は、データでは説明できない何かを持っていた。


 †


 16日目。午後。


 全体練習。僕は1つの結論に達していた。


「個では勝てない」


 練習室に10人を集めた。柊もいる。壁際に立って腕を組んでいる。参加する意思は見せないが、出ていきもしない。


「Aクラスには神楽坂がいる。全ステータス80以上。Bクラスには赤羽がいる。表現力92。個人の実力で上位クラスに勝てるメンバーは、Fにはいない」


 事実を述べた。10人の顔を見た。誰も反論しなかった。


「だけど、揃えを極限まで突き詰めれば、個の差を埋められる可能性がある」


「揃え?」と田中が聞いた。


「フォーメーション。動きのタイミング。呼吸の同期。10人が1つの生き物のように動く瞬間を作れれば、個人技で劣っていても、チームとして戦える」


 藤堂が頷いた。


「篠宮くんの言う通りだと思う。アレンジの段階で、揃えが効果的な構成にしてある。問題は精度」


「精度を上げる。今日からフォーメーション練習を全体練習の半分に充てる」


 反発があるかと思った。だが意外にも、最初に動いたのは渡辺だった。


「やろう。俺、フォーメーション練習のタイム計測するよ」


 渡辺智也。170cm。16歳。全ステータス平凡。練習量トップ。何の突出した才能もないが、誰よりも長い時間を練習に費やしている。渡辺のストップウォッチが、今日から10人の動きの精度を測り始めた。


「1回目のラン。ずれ: サビの入りで0.4秒。全体の同期率は推定68%」


 僕の透視とは異なる方法で、渡辺がデータを取っている。渡辺にステータスは見えない。だがストップウォッチと目視で、動きのずれを拾っている。非効率だが、渡辺自身の方法だ。


 2回目。サビの入りのずれが0.3秒に縮まった。


 3回目。0.2秒。


 5回目で、一瞬だけ全員が揃った。


 その瞬間を、僕は見た。


 10人の足が同時に床を踏んだ。10人の腕が同じ角度で上がった。10人の呼吸が同期した。0.5秒にも満たない時間。鏡に映った10人が、一瞬だけ1つの輪郭に見えた。


 感動ゲージを確認した。17→18。1上がった。


 フォーメーション精度が閾値を超えた瞬間に、ゲージが反応した。10人の動きの同期率が一定値を上回ると、観測上のゲージ回復が発生する。コーチングとは異なる回復経路。フォーメーション精度向上による観測効果と考えるのが妥当だ。


 もう一度確認した。18。間違いない。


 もう1回。全員が揃う瞬間を、もう1回。


「もう一度。最初から」


「え、さっきの良かった?」


「良かった。もう一度やれる」


 8回目で、また揃った。今度は1秒近く持続した。10人の動きが鏡の中で重なり、分離し、また重なる。


 ゲージ: 18→19。1上がった。再現性あり。フォーメーション同期率と回復量の相関が強い。


 10人の中で空気が変わったのがわかった。「Fなんてどうせ」という諦めが、少しだけ溶けている。


 †


 17日目。午前。フォーメーション練習。


 昨日の「揃った瞬間」を再現しようとした。だが再現できない。意識すると身体が硬くなる。揃えようとすると逆にずれる。


 12回走った。渡辺がストップウォッチで計測し続けている。僕がフォームを修正する。藤堂がフォーメーションの動線を微調整する。


 13回目。揃った。0.8秒。昨日より長い。


 14回目。崩れた。


 15回目。柊が少しだけ膝の角度を変えた。15度ではない。5度くらい。自己流を完全に捨てたのではなく、全体に合わせるために微調整した。柊なりの折衷だ。僕に言われたからではなく、自分で判断した修正。


 それに気づいたのは僕だけだった。柊は何も言わなかった。


 16回目。また揃った。1.2秒。過去最長。柊の修正が効いている。全体のラインが自然になった。


 月島が言った。


「なんか、今日は踊りやすい」


 池田が小さく頷いた。


「みんなの息が聞こえる。呼吸が合ってる気がする」


 佐々木は転ばなかった。16回通して一度も。足幅の修正が完全に身体に入っている。


 宮本がFゴッドに向かって手を合わせた。


「Fゴッド、ありがとうございます」


「宮本、Fゴッドは壁の落書きだ」


「信仰の問題だよ」


 感動ゲージ: 19。朝の18から+1。フォーメーション練習中の回復。2日連続。


 「Fなんてどうせ」から「揃えば戦えるかも」に。空気が変わった手応えがある。数値にはならない。だが手応えはある。


 †


 矢部トレーナーは、週1の全体レッスンのために合宿所に来ていた。


 各クラスの練習室を巡回する。30代。短髪。元ダンサー。表情が硬い。PRISM全体の指導を週1で担当しているが、実質的にはAとBに時間を割いている。FクラスにはCの後に寄る程度。


 Fの練習室のドアを開けた。10人がフォーメーション練習をしている。


 矢部の目が止まった。


 動きは粗い。個人技は他クラスに劣る。だがフォーメーションの移動が滑らかだ。10人の移動ラインに無駄がない。衝突を避ける動線が設計されている。ポジションチェンジのタイミングが揃っている。


 あの指導者不在チーム、フォーメーションだけは悪くない。


 矢部は腕を組んだまま30秒ほど見て、何も言わずにドアを閉めた。廊下に出て、首の後ろを掻いた。ダンサーとしての経験が、あの10人の動線に違和感を覚えている。違和感というより、予想外の整合性。個々の技術はCクラス以下だ。だがフォーメーションの精度だけが、不自然なほど高い。誰かが設計している。


 全体レッスンの評価メモに、Fクラスの欄に短く書いた。


「フォーメーション: 要注目」

続き https://aiteller.jp/works/work-012/8

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