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第6話 目の演技と踊りの矜持

13日目。午前の全体練習。


 柊真白のダンスは壊れている。


 壊れているという言い方は正確ではない。フォームが基礎から逸脱している。右足の踏み込みで膝が内側に入る。腕の振りが肩甲骨から始まっていない。体幹の回旋軸がずれている。ダンスの教科書があったら、赤線を引かれる箇所が12カ所ある。


 だが、動きには力がある。


 柊真白。16歳。172cm。独学ダンサー。基礎練習ゼロ。動画を見て覚えた自己流。ダンス: ポテンシャル数値は測定不能。現在の実効値38。柔軟性が異常に高い。バネがある。関節可動域が広く、跳躍時の滞空時間が長い。正しいフォームに乗せたら化ける素材。


「柊、膝の角度を直していい? 踏み込みで内旋してる。外旋方向に15度修正するだけでターンの安定性が上がる」


 柊が振り返った。切れ長の目。短い黒髪。汗が額から顎に流れている。


「いらない」


「膝の内旋は半月板損傷のリスクがある。フォームを修正すれば」


「俺の踊りを壊すな」


 声が硬かった。練習室の空気が凍った。田中が手を止めた。佐々木が足を止めた。宮本が振り返った。


「壊すつもりはない。膝の保護と効率の」


「効率? 踊りに効率って何だよ」


 柊の目が怒っている。僕のステータス透視には感情のパラメータは表示されない。だが目の温度で推測できる。怒り。それも深い。


「俺はこの踊り方で8年やってきた。誰にも教わらず、自分で見つけた。動画を何百本も見て、何千時間も踊って、この身体に染みこませた。それを15度直せって? お前に俺の8年がわかるのか」


 わからない。8年の蓄積は僕の透視では見えない。見えるのは現在の実効値と身体構造だけだ。


「フォームの修正は踊りの否定じゃない。素材を活かすための」


「素材って言うな。俺は素材じゃない。踊ってるのは俺だ」


 柊がスピーカーの電源を切った。音楽が止まった。静寂。


 柊が練習室を出ていった。ドアが閉まる音が響いた。


 9人が残された。


「篠宮、追いかけなくていいのか」


 宮本が聞いた。


「今は追いかけないほうがいい。冷却時間が必要だ」


「冷却時間って、機械じゃないんだからさ」


 宮本の声には苦笑が混じっていた。


 †


 午後。練習室で合唱の練習をした。藤堂のアレンジに基づいたパート分け。月島がメインボーカル。田中がサブ。池田がハーモニー。残り7人がコーラスライン。


 月島が声を出した。3日間のボイストレーニングの成果で、声が安定し始めている。倍音が練習室に広がる。


 田中が合わせた。声量がある。力強い。


 池田が入った。池田のハーモニー適性が発動する瞬間を、僕は初めて明確に見た。池田の声が加わった途端、月島と田中の声の間に橋が架かった。三声のバランスが整った。不協和音が消えた。数値化はできない。だが耳でわかる。池田がいるといないで、合唱の質が明確に変わる。


 だが、全員が入ったとき、問題が起きた。


 田中の声が大きすぎる。


 田中は声量コントロールが課題だった。改善傾向にはあるが、合唱になると力が入る。田中一人の声が他の9人を覆い隠す。月島の繊細な倍音が潰れる。池田のハーモニーが聞こえなくなる。


「田中、声量を7割に」


「7割?」


「全力の7割。周りの声を聴きながら歌って」


 田中が試した。抑えようとしている。だが身体が覚えている全力発声が、無意識に戻る。サビで声量が跳ね上がった。月島が顔をしかめた。池田が声を引っ込めた。合唱が崩れた。


「もう一回。田中、自分の声を録音しながら歌って。客観的に聴いて」


 3回繰り返した。田中の声量は下がらなかった。下がろうとするたびに、身体が抵抗する。声を抑えることは田中にとって「全力を出さない」ことと同義だった。


 4回目。田中が歌うのをやめた。口を閉じた。


「田中?」


「俺が入ると壊れるんやろ。黙ってたほうがいいなら、黙るわ」


 田中の大きな身体が小さく見えた。肩が落ちている。角ばった顎が下を向いている。


「黙れとは言ってない。コントロールの問題で」


「結果は同じやろ。俺の声が邪魔なんや」


 田中がベンチに座った。タオルで顔を覆った。


 宮本が空気を変えようとした。


「田中、お前の声は武器だよ。使い方の問題で」


「宮本こそ何ができるん? お前はいっつも空気変えようとするけど、自分は何ができるん?」


 宮本が黙った。一瞬だけ、えくぼの奥が揺れた。


 何ができるか。宮本自身もわかっていない。カリスマ72。MCの天性。でもそれはステージ上のパフォーマンスとして評価される種類のものではない。宮本の才能は数値に現れにくい。


 練習室が重くなった。柊は戻ってこない。田中はベンチで黙っている。宮本は自分の無力感に触れてしまった。


 ゲージを確認した。18。朝から1減っている。


 †


 14日目。夕方。


 練習室の照明が落ちていた。


 僕が入ったとき、七瀬奏が一人で立っていた。暗い練習室の中央。鏡に映る自分だけを見ている。


 七瀬奏。17歳。176cm。元演劇部。声帯結節で大声が出ない。ボーカルの数値は低い。だが表現力のポテンシャルが高いことを、僕のステータス透視は示していた。


 七瀬は僕に気づいていなかった。


 音楽は流れていない。無音。七瀬は立ったまま、何かを演じていた。手は動かない。足も動かない。身体のどこも動いていない。


 目だけが動いていた。


 目だけで芝居をしている。


 最初、怒りの目。眉間にわずかな力。瞳孔がわずかに収縮する。顎の角度は変わらない。呼吸も変わらない。目だけが怒っている。


 次に、悲しみの目。目尻が0.5ミリ下がる。瞼の開き方が変わる。虹彩の色は同じなのに、光の反射の仕方が変わった。水面が曇るような変化。


 次に、喜びの目。瞳孔が開く。目尻に微かな皺。口角は動かない。なのに、笑っているように見える。目だけで笑うことが可能だと、僕は初めて知った。


 七瀬の目の演技は、赤羽の五段階とは違う種類のものだった。赤羽は筋肉制御の技術。七瀬は内側から出てくる何か。技術というより、体質に近い。声帯結節で声を失った演劇人が、声以外で表現する方法を極限まで磨いた結果。


 表現力の数値が見えた。七瀬の表現力: 42。Fクラスの中で突出して高い。声が出ないのにFに落ちたが、目の表現力だけで42。


 声量は表現力ではない。


 その認識が、僕の中で何かを動かした。田中の声量がチームを壊す。月島の小さな声が空気を変える。七瀬の無音が感情を伝える。音量と表現力は別の軸にある。


 わかりかけている。だが言語化できない。運動生理学の論文で使う言葉では、この現象を記述できない。表現力という変数は、僕の持っている方程式のどこにも代入できない。


 七瀬が僕に気づいた。


「あ、篠宮くん。いつから」


「2分くらい前から。すごかった」


「何が?」


「目。目だけで全部伝わってた。怒りも悲しみも喜びも」


 七瀬が少し驚いた顔をした。


「見てたの? 普通、暗い部屋で目だけ動かしてても気づかないよ」


「僕の目は細かい変化を拾える。七瀬の瞳孔の動きが見えた」


「瞳孔?」


「虹彩の中心にある黒い部分。感情で開閉が変わる。七瀬の場合、怒りの表現で瞳孔が収縮して、喜びで開大していた。制御しているのか、自然にそうなるのか」


「自然に。考えてやってるわけじゃない。演劇部のとき、声が出なくなって、目だけで稽古してた。半年くらい。そしたら演出家に『お前は目だけでいい』って言われた」


 半年間、目だけの稽古。その蓄積が表現力42を作っている。


「七瀬、その力はFチームの武器になる」


「俺の目が?」


「声量がなくても、表現力は伝わる。七瀬がステージで目の演技をしたら、客席の中で何人かは必ず気づく」


 七瀬の目が僕を見た。暗い練習室。蛍光灯が消えた空間。鏡に2人が映っている。


「篠宮くんって、数字で見るよね。瞳孔の収縮とか、声帯の構造とか」


「それしかできないから」


「でも今、俺の目をちゃんと見てた。数字じゃなくて」


 言われて気づいた。七瀬の演技を見ているとき、僕はステータスを確認していなかった。瞳孔の動きを「生理学的現象」としてではなく、「表現」として見ていた。無意識に。


 言語化できない。だが身体が何かを理解しかけている。表現力のステータスを確認した。


 表現力: 5。4から1上がっている。


 理由がわからない。七瀬の目を見ただけだ。何も練習していない。技術を学んだわけでもない。ただ、声量ではない表現力の存在を、身体が少しだけ理解した。それだけの変化。


 感動ゲージ: 18→17。減少は止まらない。表現力が1上がっても、ゲージの回復にはつながらなかった。理解と回復は別の経路だ。


 †


 15日目の夜。


 柊はまだ個人練習に閉じこもっている。全体練習には最低限参加するが、僕との会話を避けている。膝の角度は直していない。自己流のまま踊り続けている。


 田中は声量を抑える練習を独自に始めたが、合唱に参加しようとしない。壁際でタオルを握っている。


 チームはまだ、揃っていない。


 †


 七瀬奏は、寮の自室で天井を見ていた。


 篠宮蒼。あの人は数字で世界を見ている。声帯の構造。瞳孔の収縮率。横隔膜の位置。全部、数値と理論。


 でも今日、暗い練習室で。


 あの人は俺の目をちゃんと見た。数字じゃなくて、目を。


 声帯結節で声が出なくなったとき、演劇部の仲間は優しかった。「大丈夫だよ」「声が出なくても演技できるよ」。優しい言葉だった。でも優しさの裏には「かわいそう」があった。同情の目。七瀬には見分けがつく。目の演技をずっとやってきたから、他人の目に映る感情が読める。


 篠宮の目には、同情がなかった。


 分析があった。興味があった。そして一瞬だけ、言葉にならない何かがあった。数字で説明しようとして、できなかった瞬間の目。あの目は、俺が今まで見た篠宮の目の中で一番人間に近かった。


 この人、俺の目をちゃんと見た。数字じゃなくて。


 七瀬は目を閉じた。明日、もう一度練習室で会えるだろうか。暗い部屋で。

続き https://aiteller.jp/works/work-012/7

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