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第4話 Fクラス10人(後半)

Day 7。Fクラスの10人の全体像が見えてきた。


 前半の5日間で月島、藤堂、宮本、七瀬、柊のデータは取れた。残りの4人。田中大地、渡辺智也、池田誠、佐々木優。全員の特性を把握しなければ、チームとしての最適解は導けない。


 朝8時。練習室に向かう途中、階段で田中大地とすれ違った。


 田中大地。180cm。Fクラスで最も背が高い。肩幅が広い。胸郭が大きく、横隔膜の発達が著しい。


「おう、篠宮。おはよ」


 声がでかい。廊下で話すと反響する。声圧92。呼気の圧力で音を押し出すタイプだ。制御が効いていない。全力で歌うと音が割れる。アクセルしか踏めない車。


「今日の練習、何やるか知ってる?」


「全体レッスン。矢部トレーナーのダンス指導」


「ダンスかー。苦手なんだよな」


 田中は頭を掻いた。大きな手。指が太い。父親のために音楽の道を選んだと、初日の自己紹介で言っていた。詳しい事情は聞いていない。


 練習室に入ると、渡辺智也がもう踊っていた。


 渡辺智也。170cm。Fクラスで最も小柄。練習室の入退室記録を見ると、この男が毎朝6時に一番乗りで来ている。全体練習の2時間前。誰もいない練習室で、一人で課題曲を繰り返している。


 渡辺の動きを観察した。正確ではない。タイミングがわずかにずれる。体幹が弱く、ターンでバランスを崩す。だが1時間前より今の方が、ほんの少し良くなっている。微細な改善。努力の痕跡が身体に刻まれていく過程が、僕の目には見える。


「あ、篠宮くん。おはよう」


 渡辺は汗を拭きながら笑った。小さな笑顔。疲れているが、満足している顔。


「早いね」


「練習しないと追いつけないから。才能ないのわかってるし」


 淡々としていた。自己評価が正確な人間。壁際に渡辺のタオルが掛けてあった。その下に写真が1枚、クリアファイルに挟んである。家族写真。父親の顔がない。母親と妹が2人。3人とも笑っている。


「母さんがさ、テレビで息子を見るのが夢だって言うんだよね」


 渡辺は鏡に向かったまま言った。聞かれることを気にしていない。むしろ、声に出すことで確認しているような口調だった。


「妹たちにも、お兄ちゃんすごいって言われたくて。……別に才能がなくても、やめなければチャンスはあるって、信じたいんだ」


 全ての数値が平凡。突出した項目がない。それでも毎朝来る。効率で考えれば、限られた時間を苦手分野に集中投下すべきだ。だが渡辺は全てを均等に練習している。戦略的ではない。ただ、やめない。


「渡辺。ターンのとき、軸足の母指球に体重を集めろ。重心が外に逃げている」


 言葉が出ていた。計画にない発言だった。渡辺の練習を分析するのはチーム最適化の一環だが、指導する理由はない。まだチームとしての方針も決まっていない段階だ。


「え、母指球?」


「ここ」


 僕は自分の足を見せた。親指の付け根。渡辺がその通りにターンをやり直した。バランスが改善した。完璧ではないが、崩れなくなった。


「すごい、全然違う! ありがとう篠宮くん!」


「チーム全体の基礎精度が上がれば、僕の負担が減る。効率の問題だ」


 渡辺は嬉しそうに何度もターンを繰り返した。僕はその場を離れた。効率の問題。合理的な判断。渡辺の練習を2時間見ていた人間が言う台詞ではないが、そこには気づかないことにした。


 †


 昼休み。食堂。Fクラスのテーブルは端の方にある。Aクラスが中央。見えない序列が空間に反映されている。


 池田誠が隣に座る前から、僕の耳は彼を捉えていた。食堂に入ってくる途中、池田は無意識にハミングしていた。食堂のBGMに三度上のハーモニーをつけている。本人は気づいていない。隣を歩いていた佐々木が「池田、今なんか歌ってた?」と聞くと、池田は「え、歌ってた?」と本気で驚いていた。


 池田誠。172cm。16歳。地味な顔立ち。目立たない。だがハーモニー適性89。この数値は異質だった。


「池田、昨日の全体練習で合唱パートがあったろ。あのとき、お前の周囲だけ音が変わった」


 池田が驚いた顔をした。


「え、わかった?」


「わかった」


 正確に言えば、見えた。池田が声を出すと、周囲の声のバランスが変化する。音程を自動的に補正する能力。ピッチの微調整を無意識にやっている。個人では目立たないが、グループに入ると全体の音質が上がる。触媒のような存在。


「昔から合唱部だったんだ。一人で歌うのは苦手だけど、みんなで歌うと楽しくて」


 池田は照れたように笑った。だがその笑顔が一瞬だけ揺れた。


「……でもさ、たまに思うんだよね。ソロで歌えたらどうなるんだろうって」


 声が小さくなった。食堂の雑踏に紛れるほどの音量。聞かれたくない本音が、つい漏れた顔をしている。


「合唱だと俺の声って消えるから。溶けるっていうか。それが良いところだって先生には言われたけど、一回くらい、自分の声だけで誰かに届けてみたい」


 池田はすぐに「いや、無理なんだけどね」と笑って打ち消した。個人戦では評価されにくい特性。審査で「何ができる子かわからない」と言われたのだろう。でもチーム戦なら話が変わる。


 最後の1人。佐々木優は食堂の入り口でつまずいて転んだ。


 佐々木優。170cm。15歳。月島と並ぶ最年少。丸顔。踊ると転ぶ。ダンス19はFクラスでも最下位。バランス感覚が悪い。小脳系の運動制御がやや弱い。


 だが転んだ後の反応が面白かった。


「あはは、また転んだ」


 笑って立ち上がった。膝を打っている。痛いはずだ。でも笑顔。周囲の視線を集めて、恥ずかしがるでもなく、開き直るでもなく、純粋に笑っている。


 表現力42、カリスマ48。Fクラスの中では特別高くない。でもこの男が転んで笑うと、周りも笑う。空気が柔らかくなる。数値化しにくい効果。宮本のカリスマとは別種の求心力。宮本がMCなら、佐々木はマスコットだ。


「佐々木、大丈夫か」


「大丈夫っす! 慣れてるんで」


 慣れている。それがこの少年の生存戦略なのだろう。


 †


 Day 8。夜の練習室。


 全体レッスンが終わった後、僕は一人で残って鏡の前に立った。


 Fクラス10人のデータが揃った。全員のステータスを表にまとめ、強みと弱みを整理した。見えてきたのは、個では勝てないという事実だ。Aクラスの神楽坂レイは全ステータス80超え。あれと個人で張り合う人間はFにはいない。


 だがチームとしてなら。


 池田のハーモニー適性で全体の音を底上げし、月島の声質を核にする。柊の柔軟性をフォーメーションの変化に使い、田中の声圧をサビの一点に集中させる。宮本のカリスマでMC的な求心力を作り、七瀬の目の演技でソロパートの表現を担う。渡辺の安定した練習量を全体の基盤にし、佐々木の人間的な温かさを箱の空気に活かす。藤堂の作曲能力でアレンジの差別化を図る。


 そして僕は何をするのか。


 鏡を見た。篠宮蒼の顔が映っている。整った造形。二重。鼻筋が通っている。客観的に見れば恵まれた容姿だ。だが表情が動かない。口が一文字。眉が水平。目に光がない。


 マネキン。


 鳴海Pの言葉が正確だったことを、鏡が証明している。この顔で感動を生めるのか。この表情で、200人の客席の心を動かせるのか。


 フィジカル91がある。身体は動く。ダンスの精度は上がる。だが精度は表現力ではない。どれだけ正確に踊っても、この顔が変わらなければ、マネキンのままだ。


 表現力: 4。


 28年間の人生で一度も解けなかった問題が、この数字に凝縮されている。


 ノートを開いた。10人の名前を書き出した。それぞれの隣に、数値と一言を添えた。


「月島晴: 声質は50人中トップ3。あがり症の壁を壊せるか」


「藤堂圭吾: 音楽の頭脳。地味だが欠かせない」


「宮本大輝: 空気を作る天才。中心に置くべき」


「七瀬奏: 声なき表現者。目だけで語る」


「柊真白: 未加工のダイヤ。フォームを直せば覚醒する」


「田中大地: 声の爆弾。制御装置が要る」


「渡辺智也: 努力の基盤。やめない強さ」


「池田誠: 音の触媒。グループの秘密兵器」


「佐々木優: 転んでも笑う太陽」


 書き終えて、気づいた。


 全員を素材として評価している。誰が何に使えるか。どう組み合わせれば効率が最大化するか。研究者が実験素材を分類するのと同じ視線で、僕は9人の人間を見ている。


 それは正しいのだろうか。


 いや、正しいかどうかは問題ではない。生き残るために必要なことをしている。感動ゲージを上げるために、チームの最適解を導く。合理的な判断だ。


 感動ゲージ: 22。


 指先が冷たい。ゲージ25以下の身体症状。冷えが末端から始まっている。暖房は入っているのに、指の感覚が鈍い。


 鏡の中のマネキンが僕を見ている。無表情。この顔のまま、あと22日。


 ノートを閉じた。明日から、素材を磨く作業に入る。


 †


 消灯後。1号室。


 暗闇の中で、微かな音が聞こえた。


 月島晴が歌っていた。


 声量はほとんどない。囁くような音量。毛布の中で、口ずさんでいる。メロディだけ。歌詞はない。


 だが声質が異常だった。


 透明で、芯がある。倍音の構成が美しい。声帯の振動パターンが均一で、ノイズが少ない。技術ではない。この声は生まれ持ったものだ。ボーカルポテンシャル85。この暗闘の中で、僕はその数値の意味を初めて体感した。


 月島は歌っていることに気づかれたくないのだろう。音量を極限まで絞っている。それでも声が届く。壁を透過する振動。周波数帯域が人間の聴覚に最も敏感なゾーンに集中している。


 向かいのベッドの下段で、宮本が寝返りを打った。起きている。月島の歌を聴いている。でも何も言わない。


 2号室からも音がした。柊がストレッチをしている。床に身体を押しつける微かな衣擦れ。消灯後も身体を動かしている。


 翌朝5時50分。練習室の前を通りかかると、中に明かりが点いていた。渡辺智也。一番乗り。誰もいない鏡の前で、一人で課題曲を踊っている。昨日と同じ振り。今日は右足のターンが0.3秒速くなっている。


 消灯後の月島の歌。柊の筋トレ。渡辺の早朝練習。


 F寮の夜と朝には、誰にも見せない努力が詰まっていた。表に出さない。評価されない。でもやめない。


 僕はそれを「素材の自主調整」として記録した。合理的な観察。データの蓄積。それ以上の意味はない。


 はずだった。


 練習室の前で立ち止まって、渡辺の背中を見ていた時間が、データ収集に必要な秒数を超えていたことには、気づかなかった。

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