第2話 PRISMの檻とF判定
合宿所は都内のビルを丸ごと一棟使っていた。
退院から2日後。4月11日。合宿初日。ルミエール・プロのマネージャーに連れられてビルの前に立った。8階建て。1階がエントランスとスタッフルーム。2階から5階が練習室と会議室。6階から8階が寮。屋上にランニングコースがある。
エントランスに巨大なパネルが立っていた。「PRISM -光を継ぐ者たち-」。50人の練習生の顔写真が並んでいる。僕の顔もある。篠宮蒼。ルミエール・プロ。写真は笑っている。目尻が下がって、唇の両端が自然に上がっている。いつ撮ったものだろう。この身体の前の持ち主が、カメラの前で笑った瞬間。
感動ゲージ: 28。入院中に2減った。
50人が大ホールに集められた。パイプ椅子が並んでいる。壁にカメラが4台。番組収録用。照明が強い。白い光が肌を刺す。空調の音が大きい。床はリノリウムで、靴のゴムが擦れるたびにキュッと鳴る。体育館の匂いに似ている。埃と汗と緊張の混ざった空気。
練習生たちの顔を見渡した。視界にステータスウィンドウが次々と浮かぶ。僕にしか見えない情報。50人分のデータが脳に流れ込んでくる。処理しきれない。目を閉じて、必要な情報だけを拾うことにした。
正面のドアが開いた。鳴海プロデューサー。40代の女性。黒いパンツスーツ。背筋が伸びている。歩き方に無駄がない。元アイドルの身体。ステージで鍛えた体幹がスーツの上からでもわかる。
「おはようございます。PRISMへようこそ」
声が通る。50人が一斉に黙った。
「今日はレベル分け評価です。一人ずつ課題曲を歌って踊ってもらいます。結果でA〜Fの6クラスに分けます」
ホワイトボードに表が書かれた。
「Aクラスは8人。専用練習室。最新の音響設備。個別のレッスンスケジュール。Bも8人。C、D、Eも各8人。設備は順に落ちます。Fは10人。残り物です」
鳴海Pがマーカーのキャップを閉じた。
「クラスは固定ではありません。公演ごとに入れ替えのチャンスがある。ただし最初の印象は大きい。視聴者は最初のクラスで覚えます」
50人の空気が張り詰めた。
†
審査は番号順だった。篠宮蒼は37番。
待ち時間の間、他の練習生のパフォーマンスを観察した。課題曲は全員共通。3分半のダンス付き楽曲。テンポは128BPM。振り付けは事前に映像で配布されている。この身体の筋肉が振りを覚えていた。前の持ち主が練習した記憶が、運動野に刻まれている。
1番。背の高い男が出た。
【神楽坂レイ 18歳】
フィジカル: 84
ボーカル: 82
ダンス: 87
表現力: 81
カリスマ: 91
全ステータス80超え。188cm。黒髪のセンター分け。動き出した瞬間に空気が変わった。技術的には完璧に近い。だがそれ以上に、この男は「見られること」を知っている。カメラの位置を意識した角度調整。客席を想定した視線の配り方。カリスマ91。数字に納得する。
鳴海Pが頷いた。「A」。当然の結果だ。
審査が進む。僕は座ったまま、データを頭の中で整理していた。ステータスの傾向と審査結果の相関。鳴海Pの評価基準は技術の総合値ではない。「その場で発揮したもの」で判定している。数値が高くても本番で出せなければ落ちる。逆に数値が中程度でも、3分半で何かを見せた者は上がる。
「37番。篠宮蒼」
立ち上がった。ステージに向かう。足が軽い。フィジカル91の身体は緊張で重くならない。心拍数は72。やや上昇。だが制御範囲内。
音楽が流れた。
踊った。この身体の筋肉記憶に従って振りをなぞる。同時に、自分の身体を分析する。重心の軸は安定している。着地の衝撃吸収が良い。膝関節の屈曲角度を3度深くすると、次のステップへの移行がスムーズになる。修正。反映。動きが滑らかになった。
歌った。音程は取れている。リズムも正確だ。呼吸のタイミングを4拍ごとに入れる。声帯のテンションを一定に保つ。
3分半が終わった。
鳴海Pが僕を見ている。ペンがクリップボードの上で止まっている。
「篠宮くん」
「はい」
「技術は合格。ダンスの正確性は上位10人に入る」
周囲の練習生が小さくざわめいた。褒められている。だが鳴海Pの声のトーンは平坦だ。
「でもね。マネキンなの」
マネキン。
「動きは正確。音程も取れてる。でもそこに何もない。表情が動かない。何を伝えたいのかが見えない。今のままじゃ客席は動かないよ」
表現力4。数値通りの評価だった。
「Fクラス」
最下位。50人中、最も低い評価。
席に戻った。パイプ椅子の冷たさが太腿に伝わる。隣の練習生が目を逸らした。同情か、安堵か。自分より下がいることへの。背中にカメラの赤い録画ランプの光を感じる。この瞬間も記録されている。最下位を言い渡された16歳の無表情が、いずれ全国に放送される。
感動ゲージ: 28。減っていない。増えてもいない。鳴海Pの言葉は正確な分析であって、感動とは無関係だ。正しいことを言われただけ。正しさに感動は発生しない。
マネキン。鏡のない場所でその言葉を反芻した。28年間の人生で「表情が乏しい」と言われたことは何度もある。研究室の同僚に、学会の後の懇親会で、指導教官に。「瀬川くんは発表は上手いけど、聞いてる人の顔を見てないよね」。そう言われて、意味がわからなかった。データを正確に伝えれば十分ではないのか。
それと同じことが、ステージでも起きている。
動きは正確。でも伝わらない。
†
審査が全て終わった。50人のクラス分けが壁に貼り出された。
Aクラス8人。神楽坂レイ、氷室誠一を含む精鋭。Bクラス8人。赤羽涼介の名前がある。表現力92。僕が見た中で最高値だ。元子役らしい。Cクラス、Dクラス、Eクラス。そしてFクラス10人。
篠宮蒼。Fクラス。10人のリストの中に、僕の名前があった。
他の9人の名前を確認した。月島晴。藤堂圭吾。宮本大輝。七瀬奏。柊真白。田中大地。渡辺智也。池田誠。佐々木優。
9人の顔と名前を照合する。審査中に見たステータスを思い出す。全員に共通しているのは、何かが致命的に足りないこと。だが同時に、何かが突出していること。
凸凹の集団。最下位の10人。
寮の部屋割りが発表された。クラスごとに同室。Fクラスは10人で2部屋。5人ずつ。
ゲージ: 28。残り28日。ここから感動を生み出す方法を見つけなければ、僕は消える。
†
夜。合宿所の自室。二段ベッドが並ぶ狭い部屋。5人。消灯時間を過ぎている。他の4人は寝ている。誰かの寝息が規則的に聞こえる。毛布がこすれる音。窓の外でトラックが通り過ぎた。
スマートフォンでPRISMの配信プラットフォームを開いた。STAGE+。レベル分け審査のダイジェストがもう上がっている。収録から数時間で編集して配信。速い。
コメント欄を覗いた。PRISM専用の掲示板がある。匿名。投稿がリアルタイムで流れている。
【PRISM掲示板 レベル分け感想スレ】
3: 名無しのプリズム民
Aクラスの神楽坂レイ、やばくない? 全部できるじゃん
11: 名無しのプリズム民
氷室の歌声で泣いた。あの声バグでしょ
18: 名無しのプリズム民
Bの赤羽涼介、元子役のあの子か! 表情の引き出しがすごい
上位クラスの話題が中心だ。当然だろう。Fクラスの話をする理由がない。
スクロールした。下の方に、数件。
247: 名無しのプリズム民
Fの177cm、ダンス良かったのに
251: 名無しのプリズム民
>>247 篠宮ってやつ? 技術あるのに表情が死んでる
258: 名無しのプリズム民
やる気出せば化けそうだけどな。もったいない
263: 名無しのプリズム民
フィジカルお化けなのにマネキンって鳴海Pも辛辣すぎw
4件。50人の中で、僕に言及したのは4件。しかも全て「もったいない」系の評価。現時点では投票する理由にならない。
スマートフォンを閉じた。
天井を見た。感動ゲージ28。あと28日。この数字を維持するだけでは足りない。増やさなければ。
PRISMのスケジュールを確認した。第1回公演は約3週間後。クラスバトル。クラスごとにチームとしてステージに立つ。Fクラスは10人で1チーム。会場はノーヴァシアター秋葉原。200席。
3週間。ゲージが毎日1ずつ減るなら、公演時点でゲージは7前後。危険域だ。公演で大きく回復できなければ、その先はない。
つまり、第1回公演が生死の分岐点になる。
そのためにはFクラスの10人で、200人の客席を動かすパフォーマンスを作らなければならない。個人では無理だ。表現力4の僕が一人で何をしても客席は動かない。だがチームなら。10人の凸凹を組み合わせれば、何かが生まれるかもしれない。
計算だ。最適化だ。僕はそれしかできない。
ノートを開いた。「Fクラス戦略メモ Day 2」。明日から、9人のステータスを精密に記録する。誰が何を持っていて、何が足りないか。全員の凸凹を把握して、チームとしての最適解を導く。
それが、表現力4の人間にできる唯一の貢献だ。




