第1話 死と目覚めと30日
読み専でした。今回AIと一緒に頑張ってみました。
最初に意識が戻ったとき、聞こえたのは機械の音だった。
規則的な電子音。心電図モニター。鼻にチューブが刺さっている。点滴。白い天井。蛍光灯が二本、等間隔に並んでいる。視界がぼやけている。瞼が重い。右腕に針が刺さっていて、テープで固定されている。左手首に識別用のバンド。印字された文字が読める。
「篠宮蒼。16歳。男性」
知らない名前だった。
「先生、心拍が安定しました」
「酸素飽和度は?」
「97。呼吸も自発に戻ってます」
女性の声。二人。一人は若い看護師、もう一人は中年の医師。カーテンの向こうで話している。声がくぐもっている。
「搬送から6時間か。よく戻ったね、この子」
「心肺停止が長かったのに。脳に影響がなければいいんですけど」
「意識が戻ってからの反応を見ましょう。ご家族にはもう連絡を?」
「事務所の方が先に来てます。お母様は新幹線でこちらに向かっているそうです」
心肺停止。搬送。6時間。
言葉の断片が脳に染み込んでいく。意味を組み立てようとするが、思考が追いつかない。身体が重い。シーツの糊の匂いがする。消毒液。どこかで空調が唸っている。指を動かそうとした。右手の人差し指がかすかに動いた。点滴のテープが皮膚を引っ張る感触がある。反応がある。この身体は生きている。
僕は瀬川理人だ。28歳。運動生理学の博士号を持っている。国立大学の研究室で筋電図のデータを解析していた。論文は17本。学会発表は32回。友人はゼロ。最後の記憶は研究棟の廊下。午前2時。コーヒーの自販機の前で意識が遠くなった。それだけだ。
それなのに今、僕は病院のベッドにいる。16歳の身体で。心肺停止から戻った身体で。
カーテンが開いた。
「篠宮くん、聞こえる?」
目の前に医師の顔。40代の女性。丸い眼鏡。白衣。ペンライトで瞳孔を確認される。光が眩しい。
「瞳孔反射、正常。篠宮くん、名前を言える?」
「……篠宮、蒼」
声が出た。高い。16歳の声帯。声帯靭帯の長さと厚みが瀬川理人のそれとまるで違う。反射的に喉に手を当てた。甲状軟骨が小さい。
「よかった。覚えてるね。今日の日付はわかる?」
わからない。壁のカレンダーを見た。4月8日。水曜日。
「4月8日」
「正解。大丈夫そうだね」
医師が安堵の表情を見せた。看護師がバイタルを記録している。僕はベッドの上で身体を確かめた。細い腕。でも前腕に筋肉がある。腹筋がうっすら割れている。若い身体。柔軟性が高い。関節の可動域が広い。トレーニングを積んだ身体だ。
そして視界の右上に、半透明のウィンドウが浮かんでいた。
【篠宮蒼 16歳】
フィジカル: 91
ボーカル: 15
ダンス: 22
表現力: 4
カリスマ: 8
感動ゲージ: 30/100
※ゲージは1日に1ずつ減少します
※ゲージがゼロになると存在が消滅します
※特殊能力: 他者のステータス透視
30。
1日に1ずつ減少。ゼロで消滅。
つまり30日。何もしなければ、30日後にこの身体ごと消える。
消滅。存在が。
研究者の脳が即座に計算を始めた。30日。720時間。43,200分。猶予としては短い。だが実験計画を立てるには十分なサンプル数だ。1日ごとにゲージの変動を記録し、どの行動が回復に寄与するか特定すれば、生存戦略を構築できる。
そこまで考えて、手が震えていることに気づいた。
計算では処理できない何かが、胸の奥で膨張している。冷たい。重い。横隔膜のあたりが締まって、呼吸が浅くなっている。心拍数が上がったのがわかる。モニターの電子音のピッチが変わった。名前をつけるなら、恐怖だろう。28年間の人生で、ほとんど感じたことのない感覚だった。研究室で夜を明かしても、学会で質疑に詰まっても、こんな感覚にはならなかった。
消えたくない。
この一語だけが、理屈を突き抜けて脳に焼きついた。消滅。存在がなかったことになる。論文も、研究データも、僕が28年かけて積み上げたものが全て無に帰る。いや、そもそも瀬川理人の人生はもう手の届かない場所にある。今ここにあるのは篠宮蒼の身体と、30日分の猶予だけだ。
†
2時間後。個室に移された。
ベッドの横に私物が置いてあった。リュック。スマートフォン。財布。IDカード。
IDカードを手に取った。「ルミエール・プロ 練習生 篠宮蒼」。写真の少年は笑っている。柔らかい笑顔。黒髪のショートカット。二重。色白。点滴スタンドを引きずって洗面台に立った。鏡を見た。同じ顔。ただし笑っていない。表情が固まっている。人形みたいだ。口角を上げてみた。頬の筋肉が引きつって、笑顔にならなかった。写真の篠宮蒼とは別の生き物が鏡の中にいる。
スマートフォンのロックは指紋認証で開いた。この身体の指紋だから当然だ。
メッセージアプリ。事務所のマネージャーからの連絡が大量に溜まっている。
「蒼くん、PRISM収録は来週月曜からです。体調が戻り次第、合宿所に入ってください」
「レベル分け審査は全員参加必須です。欠席の場合はエントリー辞退扱いになります」
「お母様から連絡がありました。明日お見舞いに来られるそうです」
PRISM。
検索した。「PRISM -光を継ぐ者たち-」。TBN系列。毎週金曜21時。配信はSTAGE+で同時配信。50人の練習生から5人を選び、デビューグループを作るサバイバルオーディション番組。制作はAMTエンターテインメント。MCなし。進行兼審査は鳴海プロデューサー。元アイドルグループ「NOVA」のセンター。
50人から5人。投票で脱落。期間は約5ヶ月。
僕のゲージは30日分しかない。5ヶ月は約150日。5倍足りない。
だが逆に考えれば、感動ゲージには回復手段がある。「ゼロで消滅」と書いてある以上、ゼロにならなければ消えない。問題は回復の条件だ。「感動ゲージ」という名称から推測すると、感動に関わる行動が回復のトリガーになる。
PRISMはアイドルのサバイバルオーディション。ステージに立ち、パフォーマンスで観客の心を動かす場所。感動を生産する装置。
ここで感動を量産するしかない。
そう結論づけた瞬間、胸の奥の冷たい塊が少しだけ軽くなった。方針が立った。計画を組める。変数を特定して最適化する。それは僕が28年間やってきたことだ。未知の環境でも、問題を分解して仮説を立てれば前に進める。
ただし表現力4。
フィジカル91は使える。この身体は運動能力に関しては異常値だ。ダンス22は低いが、フィジカルが基盤にあるなら技術の上積みで伸びる。ボーカル15は厳しい。カリスマ8は壊滅的。
そして表現力4。これが致命的だ。
表現力とは何か。数値の定義がわからない。だが推測はできる。パフォーマンスにおいて「技術」と「表現」は別の軸だ。正確に踊れても、観客の心が動かなければ表現力は低い。僕は28年間、感動した記憶がほとんどない。映画を観ても「構成が論理的だ」としか思えない人間だった。その空白が、4という数字に凝縮されている。
ノートを開いた。篠宮蒼の持ち物の中にあった大学ノート。表紙にペンでイラストが描いてある。星とマイクの落書き。中は白紙のページが多い。最初の数ページに何か書いてあるが、今は読まない。
白紙のページにペンを走らせた。
「生存戦略メモ Day 1」
1. 感動ゲージ: 30。毎日-1。回復条件は未確認
2. PRISMにエントリー済み。来週から合宿。これが生存の場
3. 表現力4が最大のボトルネック。ここを上げなければゲージ回復は見込めない
4. フィジカル91は武器。身体の使い方を知っている。他者の身体も分析できる
5. 他者のステータスが見える。これを何に使えるか
ペンが止まった。
腹が鳴った。病院食はとっくに下げられている。リュックの中を漁ると、コンビニのおにぎりが2つ入っていた。ツナマヨと昆布。迷わずツナマヨを取った。カロリー効率でいえば差はない。だが手が勝手にツナマヨを選んでいた。この身体の記憶なのか、それとも――。考えるのをやめて包みを開けた。海苔の匂い。米の温度はとっくに室温まで下がっている。一口食べた。味がした。当たり前だ。でも、味がすることに少しだけ安堵した自分がいた。
窓の外は暗かった。病室の蛍光灯だけが白く光っている。どこかの病室からナースコールの音が聞こえる。廊下を看護師の靴音が通り過ぎていく。点滴のチューブが腕に繋がったまま、僕は16歳の身体でベッドに座っている。
この身体の持ち主は、心肺停止した。搬送から6時間。医師の言葉を反芻する。
自殺未遂。
直接そう言われたわけではない。だが文脈から推測できる。事務所の練習生が、オーディション直前に心肺停止。事故や病気なら医師の説明はもっと具体的になる。曖昧にされているのは、原因が外傷でも疾患でもないからだ。
16歳の少年が、自分で命を絶とうとした。
その空になりかけた身体に、僕の意識が入り込んだ。
罪悪感を覚えるべきだろうか。わからない。感情の在庫が少なすぎて、適切な反応を選べない。ただ一つだけ確かなことがある。この身体を借りている以上、ゼロにするわけにはいかない。消えるわけにはいかない。
感動ゲージ: 30。
残り30日の命を、どう使うか。
点滴の雫が落ちる音を聞きながら、僕は生存計画の詳細を書き始めた。
お読みいただきありがとうございます。




