第1話 発熱
真っ暗ななか音を立てずに階段を下りて、リビングを横切り、台所にたどり着いた。手探りで奥まで行くと、私はレンジフードの照明のスイッチを押した。ジジジと鈍い音がし、一拍遅れて蛍光灯がつく。
このシステムキッチンもだいぶ古くなった。しつらえてから20年以上経っているのだ、当然かもしれない。15歳の自分の目にはピカピカに映ったシンクもカウンターも、今では年季が入った佇まいで鎮座している。
コップに注いだ水道水をひと口飲み、私は冷蔵庫を開けて、中身を物色し始めた。スーパーで2割引きになっていた豚肩ロースの塊肉、セロリ1本、そして古くなりかけていたニンジン。無心で煮込むのにちょうどよさそうだ。
肉の表面に塩をまぶし、適当な大きさに切ったあと、やはり適当な大きさに切った野菜と一緒にストウブの鍋に放り込んだ。水を入れ、ローリエを加えて、ガスコンロに火をつける。最初は強火、煮立ったら灰汁を取って、弱めの中火に。くつくつと煮える音とともに、なんともいえない香りを含んだ湯気が広がっていく。
ぼんやりそれを眺めていたら、廊下側の照明がついた。顔を上げる。リビングの掛け時計は3時前を指している。
階段を降りてきたその人は、扉を開けると、顔だけこちらに覗かせた。
「部屋の電気もつけずに、何やってるの」
暗いところから、私は答える。
「なんか眠れなくて、料理。お兄さんこそこんな時間にどうしたの。もしかして起こしちゃった?」
兄は「いや、自然に目が覚めただけ」と言ったあと、「最近、トイレで起きちゃうようになって。齢かな……」と余計な自虐を付け加えた。
「さすが四十代」
「四十路を笑うとあとで泣くよ。君も、いずれこうなるんだから」
「私はまだ5年は猶予があるってことね」
私の憎まれ口に、「8歳下だもんなぁ」と悔しそうな表情をした兄は、「ともかく、電気くらいつけて料理しなさいよ。気を遣わなくていいんだから」と言い残して去っていった。
寝室のある2階のトイレではなく、わざわざ1階のトイレを使う彼の行動こそが、気遣いに他ならないだろうに。同居を再開してから、兄は1階のトイレを、私は2階のトイレを使うのが習慣になっていた。はっきりと口に出して決めたわけではないけれど、いい齢の男女がふたり、ストレスなく生活するためのちょっとした工夫だった。お互い他人と暮らすことの初心者であった20年前と比べて、私たちはもう十分に大人だった。
トイレから出て上階へ向かったはずの兄が、急に戻ってきて再びドアを開けた。
「気が済んだらはやく寝ること。夜更かしは体に悪いよ、紫野ちゃん」
きょとんとしている私を置いて、今度こそ兄は階段をのぼっていった。
前言撤回。兄の隆之介はまだ、私のことを子どもだと思っているのかもしれない。
私・三崎紫野と兄・香田隆之介は、血がつながっていない。戸籍上のつながりもない。だけど私が彼を兄と呼ぶようになったのは、20年前のこと。姉が婚約者として連れてきたのが彼だった。つまり、私の義理の兄になる人だった。入籍直前に、姉がいなくなりさえしなければ。
姉が出奔したのは突然の出来事だった。ほかの男性の子どもを身ごもっていたことを私は密かに知っていたが、その事情を勘案したとて、姉に捨てられた事実は変わらなかった。姉に捨てられたのは兄も同じだったが、ほかに身寄りがない私を彼は引き取り、帰ってこない姉を一緒に待った。扶養義務などないのに、学費と生活費を負担して、私が大学を卒業するまで7年間もこの家に住まわせてくれた。
恩人。兄のことは、そんな言葉だけではとても言い表せない。保護者、庇護者、救済者。私が罪を贖うべき人。噓つきのみなしごを赦してくれた、どうしようもないお人好し。血のつながりも姻戚関係もない、世界にたったひとりの“お兄ちゃん”。
それでも、それが最初で最後の二人暮らしになるはずだった。私は関東一円に電力を供給するインフラ企業に就職して、転勤ごとに会社の寮や借り上げ社宅に移り住む生活になっていたし、兄もこの文京区の一軒家を離れて、門前仲町のマンションで一人暮らしを始めた。しばらく私たちは、年に1~2回、都内のどこかのお店で待ち合わせて、食事して喋って解散する、そんな程度の関係性を保っていた。大人の異性のきょうだいとして、ごく一般的な距離感の付き合い方だったと思う。
そんな私たちが、この家に戻ってきて、なぜ13年ぶりに二人暮らしを再開しているのか。これには前段がある。1.5回目とでもいうべき同居が、突発的に発生したのだ。話は3年前、新型コロナウイルスの猛威が日本中を覆っていた頃にさかのぼる。
「もしもし、お兄さん?」
2020年秋、復興事業関連の部署に配属されていた私は、どうしても外せない会議のため、福島から東京に出張に来ていた。マスクも、手洗いも、密の回避も、確実にしていたはずだった。それなのに最終日の夜、ビジネスホテルで悪寒をおぼえてから、喉に激しい痛みを感じるまではあっという間だった。コロナの症状だと直感したのち、誰に助けを求めるか逡巡したあと、私がタップしたのは兄の電話番号だった。
「隆之介です。紫野ちゃん? いきなりどうしたの」
耳に押し当てたスマホから、兄の声が聞こえる。私は極力冷静を装いながら、「だめもとで聞くんだけど。あの家って、今あいてる?」と問いかけた。
「あいてるよ。お正月とか夏休み、資次郎兄さんが家族で帰ってくるときに使ってるけど、基本は無人。どうして?」
資次郎さんは、私は会ったことがないけれど、隆之介のすぐ上の兄だ。綸太郎、資次郎、隆之介。香田家の三兄弟の名前は、文豪にあやかってつけられたと聞く。
「今、出張で東京にいて。無理は承知で、あの家、しばらく使わせてもらえませんか。このまま福島に戻れなさそうで。本当に言いづらいんですけど」喉の痛みをこらえながら、私は言った。「こっちでコロナにかかったみたいで……」
キャー!という反応が、電話の向こうから聞こえた。兄の悲鳴だった。
「もちろんだよ! ていうか、大丈夫!? さっきから声が変だと思ってたんだよ。コロナ! かかっちゃったんだ! 今どこ。何度?」
東陽町のビジネスホテルにいて、喉の痛みと発熱を感じていること、おそらくコロナの症状であろうことを改めて話すと、兄は「ひとりでタクシーに乗れる? いや、僕今からそっちに行くよ。二駅だから! 荷物をまとめることはできる? 大丈夫、僕が行くから」と畳みかけた。
実際に30分後、兄はホテルの下までやってきた。悪寒に震える私が荷物を抱えてタクシーに転がり込むと、同乗した兄は運転手に住所を告げた。車が川向こうへと走り始める。
思いもよらない形で、かつての家に戻ることになった。マスクをつけて、ぼんやりした頭でタクシーの窓の外の景色を眺める。私は思い出していた。15歳の春、荒川近くのアパートを離れて、兄に連れられて、白い一軒家に移り住んだ日のこと。
「大丈夫だよ、紫野ちゃん」
兄の声が聞こえた。兄の発する声音は、いつだって優しい。それを勝手に気まずく感じることも多かったけど、このときは素直に沁みた。目を閉じる。車の振動を数えるともなしに数える。正しいところに導かれる。その確信が、しんどさと喉の痛みを紛らわせた。
久しぶりに戻ってきた一軒家からは、住んでいた頃の家具はほとんどなくなっていて、最低限の家具と寝具だけがあった。毛布にくるまり、なんとか眠ろうとしたけれど、喉の痛みでたびたび目が覚めた。翌日受診した発熱外来でコロナウイルスと診断された私は、会社に連絡して許可を得、隔離期間が過ぎるまでここで過ごすことになった。
「経口補水液、ドアの前に置いておくね。ほかにも欲しいものがあったら教えて」
兄が、寝室の外から声をかけてくる。喉が痛くて声が出せない私は、返事をする代わりにLINEを送った。
《ここまで付き合わせて申し訳ないです。あとはひとりで大丈夫なので、もう帰ってください》
「大丈夫なわけがあるかい」
間髪おかずに兄の声が聞こえた。
「一度家に帰るけど、必要なものを持ってくるから。で、治るまで僕もここに泊まるから」
マジかよ、と言いたいが声が出ない。覚束ない指先で返事を打つ。
《泊まらなくていいです。うつったらどうするんですか》
「39℃も熱がある人を放っておけないよ。僕は1階で生活するようにするから」
《だめだめうつる》
「そのときはそのとき! とにかく病人は何も心配せず、寝てなさい」
《ばか兄》
必死に抵抗しているのに、私だけが文を送っているせいで、夢うつつのひとりごとが連なっているみたいになった。
そのうち、処方された解熱鎮痛薬が効き、本当に瞼が重くなってきた。LINEの画面を開いたまま、私はスマートフォンを握りしめて眠りに落ちた。




