第7話 王都からの使者と偽りの聖女
調査団は、七人だった。
先頭に立つ男の胸には、宰相府の紋章。その後ろに、記録官が二人、護衛が三人、そして——白手袋の男。ジルベール。宮廷薬師が、自ら来ている。その顔には勝利を確信した薄い笑みが張り付いていた。
「フローレンス王国宰相府より、辺境における医療行為の実態調査を命じられた。元フローレンス伯爵家令嬢リゼットに、調査への協力を求める」
◇
今回は逮捕ではなく「調査」。前回の失敗を踏まえ、手続きを整えてきたらしい。宰相ヴィクトルの署名もある。正式な書類だ。これを拒否する法的根拠は、私にはない。だから、別の手を打つ。
私は一歩前に出た。背筋を伸ばし、声に揺らぎがないよう意識する。
「協力いたします。ただし、調査は公開で行うことを求めます」
調査団の団長が眉を上げた。
「公開?」
「この村の住民は、私の医療行為の当事者です。密室で行われた調査の結果を、一方的に通達されることに不安を感じるのは当然です。公開であれば、調査の公正さが担保されます」
マルタに教わった宮廷式の言い回し。団長は隣の記録官と目を交わし、しぶしぶ頷いた。拒否すれば、後ろ暗いところがあると見なされる。公開調査を断る理由がない以上、受けるしかない。
村の広場に、簡易の調査場が設けられた。長机が一つ、椅子がいくつか。質素だが形は整っている。トーマスが村人を集め、アルヴィンは——あえて姿を見せなかった。公爵が表に出れば、外交問題に発展しかねない。彼の判断だ。
けれど、広場の端にヴェルデンの紋章を付けた従者が二人、静かに佇んでいる。それだけで、「見ている」という無言の強い圧力になっていた。
調査は、私の医療記録の確認から始まった。
「この記録は、あなたが作成したものですか」
「はい。患者の症状、使用した薬草、調合の配合、投与量、経過、すべて記録しています」
記録帳を差し出すと、団長はページを繰りながら目を細めた。一頁ごとに丁寧に目を通している。この人は、少なくとも誠実に職務を果たそうとしている。
「……これほど詳細な薬師の記録は、宮廷でも見たことがない」
その言葉に、ジルベールの目が鋭くなった。自分が作ったことのない水準の記録を、追放者が持っている。そのことが彼の自尊心を深く刺したのだろう。
「しかし、正式な薬師の資格を持っていない者の医療行為は——」
「お待ちください」
私は、用意しておいた書類を広げた。
「フローレンス王国の法令では、辺境における薬師の活動は、領主または村長の許可があれば認められています。トーマス村長の許可書がこちらです」
トーマスが一歩前に出て頷いた。大きな体でまっすぐに立ち、調査団を見据えている。
「この村に薬師はいなかった。リゼット殿が来てくれなければ、村は終わっていた」
村人たちが口々に頷く。回復した患者が、自分の体験を語り始めた。子供の熱が下がったこと。腰の痛みが消えたこと。長引いていた咳が止まったこと。一人が話すと次の人が続く。堰を切ったように、声が広場に溢れた。
ジルベールの顔から、余裕が消えていくのが見えた。彼の想定では、辺境の追放者が素人療法をしている程度の話だったのだろう。正確な記録と、目の前にいる元患者たちの生の声は、予想外だったはずだ。
「記録を確認する限り、薬師としての活動に問題は見られない」
団長がそう言いかけた時、ジルベールが割り込んだ。
「待ってください。この薬草の調合は、宮廷の認可を受けた処方とは異なります。未知の薬草を使った治療は、危険ではないのですか」
「そのご指摘は当然です」
私は落ち着いて答えた。感情的になってはいけない。ここは、証拠で語る場だ。怒りも悔しさも、全部飲み込む。
「ですので、もう一つの資料を提出します。こちらは、この村で発生している熱病の原因調査の報告書です」
ジルベールの顔色が変わった。
「原因は、上流の鉱山からの排水による水質汚染です。ヴェルデン公爵領の測量士による第三者調査の結果もあります」
報告書を広げる。川の水質データ。汚染範囲の地図。患者の居住地と発症率の相関。そして、鉱山の採掘許可が宮廷薬師ジルベールの推薦状に基づいて発行されている事実。すべて、宮廷の書式に則って整理してある。
広場に、静寂が落ちた。鳥の声すら遠くなったように感じた。
ジルベールの白手袋が、かすかに震えている。
「こ、これは——鉱山と熱病の関連は、証明されたとは言えない」
「水質の異常は二つの独立した調査で確認されています。汚染されていない井戸水に切り替えた患者は、全員が回復しました。因果関係は、データが示しています」
団長が記録官に何かを耳打ちした。記録官がうなずき、報告書を写し取り始める。
ジルベールの額に汗が浮いていた。彼は必死に反論を探している。けれど、正確なデータの前では言葉は無力だ。
「この件については、宰相閣下に報告の上、改めて判断を仰ぐ」
団長の声は、明らかにジルベールではなく、私の方を見て発せられた。調査団の空気が変わっている。
ジルベールが一歩引いた。その目に浮かんでいるのは、怒りと——恐怖。自分の関与した鉱山が問題になれば、宮廷での立場が危うくなる。
調査団が去った後、村人たちの間から安堵のため息が漏れた。
「やったな、リゼット殿」
トーマスが肩を叩こうとして、途中で手を引っ込めた。令嬢だった相手に馴れ馴れしくするのは気が引けるのだろう。
「……叩いていいですよ」
「え」
「肩。遠慮しなくていいです」
トーマスは一瞬きょとんとして、それから遠慮がちに肩を軽く叩いた。その不器用な優しさに、自然と笑みがこぼれた。
夕方。小屋の裏で、薬草の手入れをしていると、足音がした。
「見事だった」
アルヴィンが、木陰から姿を現した。広場には出なかったが、見ていたのだ。
「あの記録帳が、すべてを決めた」
「記録は嘘をつきませんから」
「……あんたらしい」
「あんたらしい」。その言葉に、何が含まれているのだろう。私をどう見ているのか。元令嬢? 薬師? それとも——。
アルヴィンは私の隣に立ち、薬草園を見渡した。二人の間に沈黙が流れる。けれど、居心地の悪い沈黙ではなかった。
風が薬草の香りを運ぶ。月見草の花が、夕暮れの光を受けて淡く輝いている。
「あの花、好きだ」
ぽつりと、アルヴィンが言った。薬草の話をしているのか、それとも別の何かを言おうとしているのか。
「……ありがとう」
何に対する礼なのか、自分でもわからなかった。ただ、その時の彼の横顔が、夕日に照らされてひどく穏やかだったことだけは、覚えている。
その夜。マルタが、低い声で告げた。
「ジルベールは黙っていないよ。あの男は追い詰められると、もっと汚い手を使う。次はセレーナを動かすだろう」
予感は、三日後に現実になった。
王都から届いた書簡。差出人は、聖女セレーナ。内容は——「辺境の疫病救済のため、聖女自らが慰問に赴く」。
善意の仮面をかぶった、最も厄介な一手だった。




