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追放先の辺境で始めた薬草園が王都を救うなんて聞いてません ~元悪役令嬢の静かな逆転劇~  作者: 渚月(なづき)


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第6話 名前のない処方箋

フィオナの目は、真剣だった。


あたしの弟が、去年の熱病で死にかけたんです、と少女は言った。あの時、薬師さんがいてくれたら。その声に込められた切実さに、私は断る理由を見つけられなかった。弟は助かったけれど今も体が弱い、同じ思いをする家族を増やしたくない。そう語るフィオナの拳は、白くなるほど握りしめられていた。


「朝は薬草園の手入れ、昼は調合の基礎。覚えることは多いけれど、大丈夫?」


「はい!」



弟子ができた。それは思いのほか、私の日常を変えた。


教えるという行為は、自分の知識を整理し直す作業でもある。前世の製薬知識と、この世界の薬草学を、フィオナにわかるように言語化していく中で、自分自身の理解も深まっていった。なぜこの配合が効くのか。なぜこの順序で混ぜるのか。感覚で行っていた工程を、一つひとつ論理に落とし込む作業は、前世の研究発表の準備に似ていた。


フィオナは、驚くほど吸収が早かった。わからないことがあると、納得するまで何度でも質問する。薬草の見分け方もみるみる身につけていった。葉の形、茎の断面、匂い、花の色。五感を使った観察力は学問以上に実践で活きる。その姿勢が、前世の研究室の後輩を思い出させた。


「この薬草とこの薬草を混ぜちゃいけない理由は?」


「片方が胃に負担をかける成分を持っていて、もう片方がその成分の作用を強める性質があるの。別々に使えば薬になるけど、一緒に使うと毒になる」


「つまり、組み合わせで変わるってことですね。料理みたい」


思わず笑ってしまった。確かに、料理と似ている。


「そうね。いい例え。覚えやすいわ」


フィオナの顔がぱっと明るくなった。こんなふうに誰かに教えて、喜ばれる日が来るとは。王都にいた頃は、考えもしなかった。


薬草園は着実に広がっていた。最初は一つの種だったものが、今では二十種類以上の薬草が育っている。アルヴィンが提供してくれた土地のおかげで、計画的な栽培が可能になった。


患者の数も増えている。近隣の村から、馬で半日かけて来る人もいた。


記録帳は三冊目に入った。患者の症例、薬草の生育記録、調合の配合比。すべてが、積み上がっていく。前世の研究者だった頃と同じ、地道な作業の繰り返し。でもその一つひとつが、確かに誰かを救っている。


そんなある日、アルヴィンが珍しく昼間に訪ねてきた。いつもは夜、薪や食料をそっと置いていくだけなのに。今日は小屋の前で足を止め、戸を叩いた。


「少し、話がある」


薬草園の端、川のそばの石に並んで腰を下ろした。彼の横顔を見る。眉間にわずかな皺がある。何か、良くない話だ。川のせせらぎだけが、沈黙を埋めていた。


「宮廷から正式な調査団が来る。今度は宰相の署名入りだ」


「……宰相のヴィクトル閣下が動いた、ということですか」


「ああ。鉱山の件ではなく、『辺境における無許可の医療行為の調査』という名目だ」


名目を変えてきた。鉱山の件で正面から来れば、汚染の問題が公になる。だから、私個人を標的にする方向に切り替えた。巧妙だ。鉱山を守りながら、私を排除できる一石二鳥の手。


「巧いやり方だ。あんたの医療行為を問題にすれば、薬草園そのものを封じられる。鉱山には触れずに済む」


アルヴィンの分析は的確だった。


「いつ来ますか」


「十日後」


十日。その間に、できることをすべてやるしかない。


「アルヴィンさん」


「アルヴィンでいい」


「……アルヴィン。一つ、お願いがあります」


「何だ」


「調査団が来た時に、患者たちの証言を集めてもらえますか。薬で回復した人たちの声を」


「わかった」


即答だった。条件も確認も挟まない。アルヴィンは、いつもそうだ。やると決めたら、それだけ。余計な言葉を費やさない。その潔さに、不思議な安心感がある。


「もう一つ。鉱山の汚染データを、もっと集めたいのですが」


「それも手配する。ヴェルデンの測量士に頼もう。フローレンスの人間が調べるより、第三者の方が証拠として強い」


私が考えていたことを、先回りしている。この人は薬のことはわからないと言ったが、問題の構造を把握する力は鋭い。


「ありがとう……ございます」


最後の「ございます」が、少し遅れた。名前を呼び捨てにした直後の距離感が、まだ掴めない。


アルヴィンは何も言わなかった。ただ、川の流れを見ていた。その横顔に、夕方の光が斜めに差している。


ふと風が吹いて、薬草の匂いが流れた。アルヴィンが小さく息を吸った。


「いい匂いだな」


「薬草園の匂いですよ。月見草が今、一番香る時期で」


「知っている。毎晩、この辺りを通ると匂う」


毎晩。やはり、見回りをしていたのだ。この村のために——いや、もしかしたら。


その考えを振り払って、立ち上がった。


「戻って、調査団への準備を始めます」


「ああ。俺も動く」


並んで薬草園の中を歩いて、小屋の前で別れた。彼の背中が森に消える直前、ほんの一瞬だけ振り返ったのが見えた。


——気のせいだと思うことが、だんだん難しくなっている。


準備は急を要した。


フィオナに基本的な調合を任せ、私は記録帳の整理に集中した。患者データ、治療結果、川の水質記録。すべてを、第三者が読んでもわかるように清書する。フィオナは任された仕事を真面目にこなし、わからないことがあるとすぐに聞きに来た。この子がいてくれることの心強さを、改めて感じる。


マルタには、宮廷時代の知識を借りた。


「調査団が来る時は、正式な書式で記録を提出した方がいい。宮廷の人間は、形式を重んじるからね」


マルタが教えてくれた宮廷式の報告書の書式に従い、データを整理していく。この世界には前世のような標準化されたフォーマットはないが、宮廷にはそれに近い慣習がある。表紙、要約、本文、根拠資料の順に整える。形式を軽んじてはならない。


七日目。アルヴィンが、ヴェルデンの測量士による水質調査の結果を持ってきた。


「上流の鉱山から三リーグの範囲で、水に明らかな異常が見られる。下流に行くほど薄まるが、長期間の摂取で健康被害が出るレベルだ」


「第三者の調査結果……これは強い」


私の検査結果と、ヴェルデン側の調査結果。二つの独立した証拠が、同じ結論を示している。


九日目。すべての準備が整った。記録帳、患者データ、水質調査報告書、そして回復した患者たち自身の証言。


小屋の前に立ち、薬草園を見渡した。月明かりの下で、薬草たちが静かに揺れている。


「大丈夫ですかい」


マルタが、薬湯の入った杯を差し出してくれた。


「大丈夫です。今度は、一人じゃないので」


マルタは何も言わず、ただ頷いた。


——王都にいた時は、一人だった。法廷でも、断罪の場でも。味方はいなかった。


けれど今は違う。


トーマスがいて、マルタがいて、フィオナがいて、村の人たちがいて。


そして、アルヴィンが——


窓の外に、いつもの影が通り過ぎた。今夜の足取りは、いつもより少し遅い。小屋の前で、ほんの一瞬、立ち止まったように見えた。


明日、調査団が来る。


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