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追放先の辺境で始めた薬草園が王都を救うなんて聞いてません ~元悪役令嬢の静かな逆転劇~  作者: 渚月(なづき)


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第5話 雨の日に届く沈黙

王都からの使者は、二人の騎士を伴っていた。


村の広場に馬を止めた男は、宮廷の紋章が入った書簡を掲げて声を張った。甲冑の胸当てが午後の日差しを反射して、目に痛い。


「フローレンス王国宮廷の命により、元フローレンス伯爵家令嬢リゼットに出頭を命じる。鉱山事業への妨害、および追放者の規定違反の容疑である」



村人たちの視線が、私に集まった。不安と、怒りと、困惑が入り混じっている。


容疑が「鉱山事業への妨害」。つまり、私が川の汚染を調べていることが、王都に伝わったのだ。しかも「追放者の規定違反」という曖昧な罪まで付け加えて。


背筋が冷たくなる。けれど、足は震えなかった。断罪の日に、散々震えた。二度目の断罪を、同じように受けるつもりはない。もう同じ恐怖に膝を折らない。


「失礼ですが、書簡を確認させていただけますか」


使者は苛立った顔で書簡を差し出した。私は一字一字、丁寧に読む。前世で身についた、契約書や報告書を読む習慣が役に立つ。文面の裏にある意図を読み取る力は、研究者としてではなく社会人として鍛えられたものだ。


——やはり。この書簡には、宰相の署名がない。宮廷薬師ジルベールの進言に基づく、王太子エドガーの命令書。正式な司法手続きを経ていない。


「この命令書には、宰相閣下の副署がありません。辺境の追放者の召喚には、慣例として宰相の副署が必要なはずですが」


使者の表情が、一瞬固まった。


「……それは」


「さらに、追放者の規定には『追放先での生業を妨げてはならない』という条項があります。私は薬師として村の許可を得て活動しています。規定違反には該当しません」


前世の法律知識そのものではないが、論理的に権利を主張する方法は同じだ。この世界の法律は、マルタから借りた古い法令集で確認済みだった。あの分厚い書物を夜ごと蝋燭の光で読んだ日々が、今ここで報われる。


使者は口を開きかけて、閉じた。背後の騎士と目を交わす。


その時、広場の反対側から、低い声が割り込んだ。


「その書簡、俺にも見せてもらえるか」


アルヴィンだった。いつもの外套ではなく、公爵家の紋章が入った正装。肩章が日光を受けて金色に光っている。村人たちの間にざわめきが走る。これまで「時々来る親切な旅人」としか認識されていなかった男の正体に、誰もが息を呑んだ。


「ヴェルデン公爵家のアルヴィンだ。この辺境の実質的な保護者として、発言する権利がある」


使者の顔色が変わった。辺境の追放者を連行するつもりが、隣国の公爵が出てくるとは思っていなかったのだろう。


「公爵閣下、これはフローレンス王国の内政問題でございまして——」


「この村はフローレンス王国の領地だが、住民にはヴェルデン公爵領との交易で生計を立てている者も多い。住民の生活に関わる以上、無関係とは言えない」


アルヴィンの声は静かだったが、有無を言わせない重みがあった。普段の寡黙な青年とは、纏う空気がまるで違う。


これが、領主の顔か。


「この書簡は正式な手続きを踏んでいない。俺からフローレンス宮廷に、正式な照会を行う。それまでは、この村の薬師に手を出すことは認めない」


使者は唇を噛み、しばらく動かなかった。公爵相手に強行すれば、外交問題になる。その計算が、彼の目に見て取れた。


「……宮廷に持ち帰ります」


それだけ言い残して、使者たちは馬を返した。土埃を巻き上げて遠ざかる蹄の音を聞きながら、私はようやく息を吐いた。


肩の力が抜けた途端、膝が震えた。怖くなかったと言えば嘘になる。また、全てを奪われるかもしれないという恐怖は、体の奥に染みついている。断罪の記憶は、ふとした瞬間に蘇って呼吸を浅くする。


「大丈夫か」


アルヴィンの声が、すぐ横から聞こえた。振り返ると、彼は私の顔を覗き込んでいた。近い。いつもの距離より、ずっと。眉がわずかに寄っている。心配しているのだ。


「……大丈夫です。ありがとうございます」


「礼はいい」


いつもの台詞。けれど今日は、その後に言葉が続いた。


「あんたが一人で立ち向かう必要はない」


その声が、思いのほか胸の深い場所に届いた。目頭が熱くなるのを感じて、慌てて視線を逸らした。


「……すみません。少し、驚いただけです」


「驚いたのは俺の方だ。使者の前で法律を持ち出す追放者は初めて見た」


ほんのわずかに、アルヴィンの口元が動いた。笑みとは呼べないほど小さな変化。けれど確かに、そこに温かいものがあった。


村人たちが少しずつ集まってきた。トーマスが声を上げる。


「リゼット殿を、この村は守る。薬で俺たちを助けてくれた恩は、忘れていない」


マルタが腕を組んで頷く。母親たちが、子供の手を引きながら頷く。老人が、痛みの取れた腰をさすりながら頷く。


この人たちが、私の味方だ。


肩書きではなく、実際に手を動かして得た信頼。それが、今の私を支えている。


「ありがとうございます。私は——この村の薬師として、やるべきことを続けます」


声が震えなかったのが、自分でも不思議だった。


夕刻。小屋に戻ると、マルタが待っていた。


「あの使者は、また来るよ。今度はもっと手強い手で」


「わかっています」


「ジルベールは小物だが、その後ろにいるのはあの聖女だ。あの女は頭がいい。正面からは来ない」


マルタの目が、一瞬だけ遠くを見た。宮廷にいた頃の記憶が、過ぎったのかもしれない。


「あんたの薬がこれ以上の実績を作れば、宮廷の立場が揺らぐ。治癒魔法がなくても病は治ると証明されれば、聖女の存在意義がなくなる」


なるほど。セレーナが私を排除した本当の理由は、そこにあるのか。婚約者を奪ったとか、令嬢としての礼を欠いたとか、断罪の理由は表面上のもの。本質は、自分の「聖女」としての権威が脅かされることへの恐怖。


「私は聖女の座を狙っているわけではないのに」


「関係ないさ。あの手の人間は、自分以外が認められること自体が許せないんだ」


マルタの言葉に、私は黙って頷いた。


戦うつもりはなかった。ただ、ここで静かに薬を作って暮らしたかっただけだ。けれど、相手がそれを許さないなら。


薬草園を見る。月見草は花をつけ始めていた。銀葉草も、甘根草も、順調に育っている。この小さな緑が、確実に人を救っている。


私の手には、剣もなければ魔法もない。あるのは知識と、この薬草園と、信頼してくれる人たち。


それで十分だ。


窓の外、村の明かりが一つ、また一つと灯っていく。その光の中に、あの背の高い影が見えた。見回りをしているのだろう。毎晩、欠かさず。


——あの人に、いつか聞いてみたい。なぜそこまで、この村のために動くのかを。


けれどそれは、もう少し先の話だ。


今夜も、記録帳を開く。明日の調合の準備がある。汚染の証拠を、もっと確実なものにしなければ。


ペンを走らせる指先に、迷いはなかった。


翌朝、フィオナと名乗るそばかすの少女が小屋の前に立っていた。両手に摘みたての薬草を抱えて。


「薬師さん、あたしに薬の作り方を教えてください」


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