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追放先の辺境で始めた薬草園が王都を救うなんて聞いてません ~元悪役令嬢の静かな逆転劇~  作者: 渚月(なづき)


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第4話 熱と手のひらの記憶

熱病の噂は、思ったよりも深刻だった。


薬草園の拡張を始めて一週間。アルヴィンの言葉通り、周辺の集落からも患者が訪ねてくるようになった。症状はどれも似ている。高熱、倦怠感、そして特徴的な咳。



前世の知識を総動員して、共通点を探る。患者の居住地、発症時期、水源、食事。一つひとつ、丁寧に記録していく。疫学調査の基本だ。個々の症例だけでは見えない全体像が、データを並べることで浮かび上がってくる。


気づいたのは、三人目の患者を診た時だった。


全員が、同じ川の下流域に住んでいる。


「この川の上流に、何かありますか」


マルタに尋ねると、彼女の手が一瞬止まった。


「……昔は何もなかった。けれど二年ほど前から、王都の商人が鉱山を掘り始めたと聞く」


鉱山。前世の記憶が、嫌な方向に繋がる。鉱山からの排水が川を汚染し、下流域の住民に健康被害を及ぼす。公害の典型的なパターンだ。前世の日本で起きた悲劇と構造が重なる。


「その商人は、許可を得ているのですか」


「王都の宮廷薬師の推薦状を持っていたそうだ。薬の原料になる鉱石を採掘すると言ってね」


宮廷薬師。ジルベール。その名前が、記憶の底から浮かび上がる。断罪の広間で、私の調合した薬を「毒」と証言した男。あの白手袋の指先が証拠と称する書類を突きつけてきた光景が、鮮明に蘇る。


偶然ではない、と直感が告げた。けれど今は推測でしかない。証拠が必要だ。


「川の上流に行きたいのですが」


「一人では無理だ。山道は険しいし、鉱山の連中は余所者に友好的じゃない」


マルタの言葉に頷く。無謀な行動は、前世でも今の世界でも何も生まない。まずは手元にあるもので、できることをする。


川の水を汲み、沈殿物を観察した。前世なら化学分析ができるが、この世界にはその設備がない。代わりに、薬草師としての方法を使う。


特定の薬草を水に浸すと、含まれる鉱物によって変色する。前世の知識で言えばリトマス試験紙の原理に近い。マルタに教わった「指標草」という薬草が、まさにそれだった。


結果は予想通りだった。川の水は、明らかに通常とは異なる反応を示している。指標草の葉が、みるみるうちに深い紫色へと変わっていった。この変色は、重金属系の汚染物質が含まれている証拠だ。


記録する。数値ではなく、色の変化と、反応の速度を、言葉で細かく。この世界で通用する証拠を作るには、この世界の方法で積み上げるしかない。


「患者さんたちに、この川の水を煮沸してから使うよう伝えてもらえますか」


トーマスに頼むと、彼は難しい顔をした。


「煮沸? 薪がいる。この辺りじゃ薪も貴重だ」


「では、井戸を掘りましょう。川から離れた場所に」


大きな話になってきた。土地も人手も必要だ。私の力だけでは、とても足りない。


その夜、薬草園の手入れを終えて振り返ると、小屋の前にアルヴィンが立っていた。手に薪の束を抱えている。


「……また、置いていくだけのつもりでしたか」


思わず声をかけると、彼はわずかに目を逸らした。暗がりでも、耳がほんの少し赤いのがわかった。


「通りがかっただけだ」


「毎日、通りがかるんですね」


沈黙。虫の声だけが、暗がりの中で鳴っている。それから、彼はふっと息を吐いた。負けを認めたような、小さな吐息だった。


「川のことを、調べているそうだな」


「トーマスから聞きましたか」


「ああ。それで、原因はわかったのか」


私は、今日の検査結果を説明した。川の水の異常。上流の鉱山との関連。そして、宮廷薬師の推薦状の話。


アルヴィンは黙って聞いていた。薪を脇に置き、腕を組んで。表情は変わらなかったが、組んだ腕の力が、わずかに強くなったのが見えた。


「鉱山の調査に、人を出そう」


「危険では」


「俺の領地ではない。だが、この村を守ると決めた。必要なことはする」


その声に迷いはなかった。権力を振りかざすのでも、見返りを求めるのでもない。ただ、やると決めたからやる。そういう声だった。


「……ありがとうございます」


「礼はいらない。その代わり、調査結果が出たら教えてくれ。俺は薬のことはわからない」


「もちろん」


アルヴィンは頷いて、踵を返した。いつものように、まっすぐな足取りで。


その背中を見送りながら、私は自分の心臓がいつもより少し速く打っていることに気づいた。


気のせいだ。と、自分に言い聞かせた。


それから数日、アルヴィンが手配した調査隊が鉱山の周辺を調べた。結果は明白だった。採掘された鉱石の粉塵と排水が、川に流れ込んでいる。そしてその鉱山の採掘許可は、フローレンス王国の宮廷薬師——ジルベールの名前で出されていた。


マルタが、湯気の立つ薬湯を私の前に置いた。


「これで王都に訴えるつもりかい」


「いいえ。王都に訴えても、握り潰されるだけです」


宮廷薬師が関わっている以上、王都の裁定は公平にはならない。まして私は追放された「悪役令嬢」。私の言葉に耳を傾ける者は、あの都にはいない。


「じゃあ、どうする」


「まず、患者を治します。それが一番の証拠になる」


鉱山の汚染が原因なら、汚染されていない水と、解毒効果のある薬草で症状は改善するはず。改善すれば、因果関係の証明になる。


科学は、権力に左右されない。この世界にも、その原則は通じるはずだ。


「変わった令嬢だよ、あんたは」


マルタの声に、初めて温かみが混じった気がした。薬湯を一口含んだ。苦いが、体の芯に染みる味だった。


井戸掘りが始まった。トーマスが村人をまとめ、アルヴィンが資材を提供し、私は場所を指定した。汚染源から十分に離れた、地下水脈の位置を、地表の植生から推測する。前世の地質学の知識が、ここでも役に立つ。特定のシダ植物は地下の水脈の上に群生する傾向がある。その法則は、この世界でも同じだった。


井戸が完成し、きれいな水が確保できた日。患者たちの水源を切り替え、解毒の煎じ薬の投与を始めた。


結果は一週間で現れた。熱が下がり、咳が止まり、顔色が戻っていく。


治った子供の母親が、薬草園の前で頭を下げた。何度も、何度も。


「ありがとうございます、ありがとうございます」


私は首を横に振った。感謝されるために薬を作っているのではない。けれど、その声を聞いた時、鼻の奥がつんと痛くなった。


王都では、誰もこの声を聞かせてくれなかった。


小屋に戻り、記録帳を開く。今日の治療結果。患者の回復経過。水質検査の数値。すべてを、正確に書き残す。これが、いつか必要になる日が来る。


ペンを置いた時、窓の外にアルヴィンの姿が見えた。井戸の側で、子供たちに水を汲んでやっている。公爵の手が、荒い井戸の縄を握っている。あの端正な顔が、子供に何か話しかけて——笑った。


初めて見る笑顔だった。


私の指先が、無意識に胸元を押さえていた。


——今はまだ、この気持ちに名前をつけなくていい。


そう思った矢先、トーマスが息を切らせて駆け込んできた。


「大変だ。王都から使者が来ている。鉱山の件で——あんたを連れ戻すと言っている」


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