表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放先の辺境で始めた薬草園が王都を救うなんて聞いてません ~元悪役令嬢の静かな逆転劇~  作者: 渚月(なづき)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 辺境の土は冷たくて温かい

辺境の朝は、骨まで冷える。


王都を発って七日。乗合馬車を乗り継ぎ、最後は徒歩で半日。たどり着いた村は、地図に名前すら載っていない小さな集落だった。道中、舗装された街道はいつしか泥の轍に変わり、馬車の車輪が石を弾くたびに背骨に響いた。乗り合わせた商人が「これより先はまともな宿もない」と忠告してくれたが、まともな宿に泊まれるような身分はもう持ち合わせていなかった。



石造りの家々は低く、屋根には苔が這っている。道を歩く人影はまばらで、すれ違う誰もが、私を値踏みするような目で見た。当然だ。追放された元令嬢が、着の身着のままでこんな辺境に現れたのだから。見慣れない旅人に、井戸端の女たちが声を落とす。子供が物陰からこちらを覗いて、目が合うと引っ込んだ。


村の入り口に立つ男が、腕を組んで私を見ていた。日焼けした顔に、人懐こいとは言いがたい表情。肩幅が広く、農作業で鍛えた体格をしている。


「あんたが、王都から来たっていう?」


村長だと名乗ったその男——トーマスは、私の身なりを一瞥してから続けた。


「ここには余分な家も食い扶持もない。何ができる」


問いは簡潔で、容赦がなかった。この村では、肩書きは何の意味も持たない。当たり前だ。私はもう伯爵家の令嬢ではない。


「薬を作れます」


私はそれだけ答えた。トーマスの目が、ほんの一瞬だけ動いた。


「薬師か。……だが、ここにはもう薬草を扱える者がいない。畑も荒れ果てている」


「土と水があれば、育てられます」


沈黙が落ちた。トーマスは腕を組み直し、しばらく私の目を見ていた。嘘を探すような、測るような視線。


「……村はずれに、使われていない小屋がある。そこでいい」


それが、私の辺境での暮らしの始まりだった。


案内された小屋は、壁に隙間があり、屋根は傾いていた。埃の匂いと、かすかな湿った土の匂い。窓の外には、荒れた土地が広がっている。前の住人が出ていってから、相当な年月が経っているようだった。蜘蛛の巣が隅に幾重にも張られ、寝台の布は湿気を吸って重い。けれど絶望はしなかった。雨風をしのげる屋根がある。それだけで、今の私には十分だ。


膝をついて、土を掬った。指の間から、黒い粒がこぼれる。


冷たい。けれど、死んだ土ではなかった。微かに、有機質の匂いがする。前世の知識が、頭の中で回路のように繋がっていく。この土壌なら、酸性を調整すれば薬草は育つ。


懐から種を取り出す。あの日、王都を出る時に握りしめていた、たったひとつの種。前世で「カモミール」と呼ばれていた花の種に似ている。この世界では「月見草」と呼ばれ、解熱と鎮痛に効く。断罪の場に引き出される前、研究室から密かに持ち出した最後の一粒。この種だけは、誰にも渡さなかった。


指先で小さな穴を掘り、種を落とした。土をそっと被せる。


その時、背後で枝を踏む音がした。


「随分と手慣れたものだな」


振り返ると、白髪交じりの三つ編みを揺らした女が、薬草の束を抱えて立っていた。日焼けした肌に、たくましい腕。そして、こちらを見据える目には、ただの好奇心ではない何かが光っていた。


「マルタだ。この辺りで薬草を摘んで暮らしている」


名乗りは短く、愛想はなかった。けれど、差し出された薬草の束からは、丁寧に水揚げされた鮮度が見て取れた。この人は、薬草を知っている。根の切り口が斜めに整えられているのは、水の吸い上げを良くする処理だ。素人のやり方ではない。


「その種、ここの土には合わないよ。石灰が足りない」


やはり。私が土壌を見て考えていたことと、同じ結論だった。


「ええ。だから石灰�ite……石灰を含む石を探そうと思っていました」


危うく前世の用語が出かけた。マルタは眉をわずかに動かしたが、何も言わなかった。


「川の上流に白い岩場がある。あそこの石を砕けば使える」


それだけ言って、マルタは踵を返した。三歩ほど歩いて、振り返りもせずに付け加える。


「明日の朝、迎えに来る。道を知らないだろう」


ぶっきらぼうな声が、冷たい空気の中に白い息と一緒に消えていく。


小屋に戻り、荒れた寝台に腰を下ろした。窓から差し込む夕日が、土に埋めたばかりの種の場所を、橙色に染めている。


王都では、私の知識は「悪役令嬢の不穏な趣味」として断罪の材料にされた。前世の記憶を基に調合した薬を、毒と呼ばれた。聖女の治癒魔法があるのに薬を作るのは、王家への反逆だと。馬鹿げた話だ。けれど、権力者がそう決めれば、それが真実になる。少なくとも、あの都では。


拳を握る。指の関節が白くなる。


でも、ここには治癒魔法はない。聖女もいない。あるのは、病と、薬草と、それを必要とする人々だけ。


ここでなら、私の知識は誰かを救える。


目を閉じると、前世の研究室の白い光が瞼の裏に浮かんだ。あの頃の私は、薬を作ることが好きだった。ただ純粋に。試験管の中で反応が進み、仮説通りの結果が出た時の静かな高揚。この世界に生まれ変わってもその気持ちは変わらない。ようやく、それを取り戻せる場所にたどり着いた。


翌朝。約束通り、マルタは夜が明けきる前に小屋の戸を叩いた。


「支度はいいかい」


「はい」


私は前世の記憶を頼りに、観察項目を頭の中で整理していた。川の上流の地質。周辺に自生する植物の種類。水質。すべてが、薬草園の設計に必要な情報だ。


村を出て、森に入る。マルタの足取りは速く、迷いがない。私は半歩遅れてついていく。朝露に濡れた下草が、足首を冷たく撫でた。鳥の声が高く、空気は清涼で、王都の石畳の記憶が遠くなる。


ふと、マルタが足を止めた。


「あんた、本当に王都の令嬢かい」


「……元、ですけど」


「元令嬢にしちゃあ、足腰がしっかりしてる」


褒めているのか疑っているのか、判断がつかない。マルタは鼻を鳴らして、また歩き始めた。


白い岩場にたどり着いたのは、日が高くなる少し前だった。川のせせらぎの中に、石灰質の白い岩が点在している。指で触れると、粉っぽい感触。間違いない。


石を拾い、小屋に持ち帰る。砕いて、土に混ぜる。あとは水の管理と日光。基本に忠実にやれば、芽は出る。


三日後。土の表面に、小さな緑が頭をのぞかせた。


私は膝をついたまま、しばらくそれを見つめていた。呼吸が、知らないうちに深くなっていた。


たった一つの芽。けれど、それは確かに私の手で育てたものだった。王都での日々には決してなかった手応えが、この小さな緑の中にあった。


指先がかすかに震える。嬉しいのか、安堵なのか、自分でもわからない。ただ、この小さな緑が、私に一つの証明をくれた気がした。


ここで、やっていける。


その夜。寝台に横になりながら、ふと窓の外を見た。月明かりの中に、小屋の前の道を通り過ぎる影があった。大きな体格。トーマスではない。もっと背が高く、まっすぐな姿勢。


影は一瞬、薬草園の方に目を向け、そのまま森の方へ消えていった。


——この辺境に、あんな歩き方をする人間がいるのだろうか。まるで、軍人のような。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ