距離感、壊れてます。―― 卒業3日前、近すぎる彼女たち ――
初めまして。
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卒業式まであと3日と迫っていた。
イベントを目前とした学校にはいつもと違う浮ついた空気が流れている。
教室の後ろ黒板の隅っこには、
誰が始めたのか卒業までのカウントダウンが日々更新されている。
卒業式で披露する「仰げば尊し」を伴奏者が練習する音も聞こえていた。
そんな卒業ムードが漂うなかでも、
校内が浮足立っていないのは国公立大学を受ける生徒たちの受験がまだ終わっていないからであろう。
今日も生徒たちは、帰りのHRが終わると同時に、塾へいそいそと向かっていった。
一方で、彼――少し癖毛の黒髪の青年・相良ユウトは中堅私立大学の受験を終え、
高校生活で残すイベントは3日後の卒業式だけ。
真っすぐ帰るには名残惜しいが、誘う友人も後輩もいない。
ただ一人、教室に残り黒板の端に描かれた「3」という
高校生活のカウントダウンの数字をぼんやりと見ていた。
この学び舎で過ごした3年間―――。
そして残り3日。今日は何かが起こる気がしていた。
相良ユウトは「3」という数字にいつも翻弄されているからだ。
例えば。
「……また見てる」
隣の席のルミナが身を乗り出し、ユウトの視界に強引に入ってくる。
「そんなに毎日カウントダウンを見てても、面白くないでしょう。
何かやり残したことでもあるの?
たとえば……」
「告白とか」
「数字ばっかり見てても、相手の返事は来ないと思うけど」
「別にそうじゃないよ」
「わかってるわよ。数字を見ながら、誰かのことでも考えているんでしょう」
図星だった。
ルミナは昔からユウトの変化によく気づく。
それは誰よりも近くでユウトのことを見ていたからだ。
二人はいわゆる幼馴染だった。
沈黙に耐えかねて、ユウトはおそるおそる、口をひらく。
「卒業したらさ」
彼がそう言いかけた瞬間、彼女は人差し指を、ユウトの口元にあてた。
柔らかい指の感覚が口元に触れる。
「はい、ストップ」
「……なんで」
「それを聞くのは、卒業式まで取っておくことにするわ」
きっぱりとした口調なのに、声がわずかに揺れていた。
ユウトはその揺れに気づいてしまって、続きを飲み込んだ。
ルミナがユウトの変化に気づくのと同じように、ユウトもルミナの変化には気づく。
何故かと言われればやはりそれは二人が幼馴染だからだ。
だけど。
「あの、少しいいですか」
「「カスミ」」
二人が振り向くとそこには綺麗な黒髪の少女が立っていた。白い肌が彼女の黒髪を一層際立たせている。
彼らの「幼馴染」はお互いだけではない。
彼女――カスミもそろって、3人でずっと腐れ縁。
3人は幼稚園から高校までずっと一緒にいる幼馴染だ。
出会ったきっかけはもはや誰も覚えていない。
別に親同士の仲がいいわけでも、家が特別近いわけでもない。
ただ惹かれあう引力のように、いつも一緒にいる。それは3人にとって自然なことだった。
「カスミもまだ残ってたの」
「はい。二人に伝言があって、探してたんです。
写真部の後輩からお願いされたんです。3年生全員で写真を撮りにきてくれって」
「全員って言っても、この3人だけだけど」
「卒業アルバム?……じゃないわよね。もう卒アル用の写真は撮られたし」
「記録写真ってこと?」
「はい、写真部の活動記録として残したいそうです」
「3人で、一緒に、だよね」
「私達ずっと3人一緒だったから」
カスミは小さくうなずく。
「……3人じゃないと落ち着きません」
その言葉が胸の奥に静かに刺さった。
いつからだろう、3人でいることがこんなにも当たり前になったのは。
3人じゃないと、こんなにも不自然になったのは。
◆◆
彼らは校舎裏に移動した。
3月の風はまだ冷たいが、日差しは確実に春に近づいている。
人けのない校舎の角を曲がると、写真部の後輩たちが三脚を立てて待っていた。
寒そうに足踏みをしているが、こちらに気づくと嬉しそうに手を振った。
いざ写真を撮られるとなると照れくさくてまごまごするユウト達に
「先輩方……並びはどうしますか?」
と後輩が声をかける。
すると短気なルミナが迷いなくユウトの腕を引いて
「いつも通りでいいわよ」
と即答した。
反対側から、ほとんど同時にカスミが歩み寄る。
――気づけば、真ん中に立たされている。
これはいつものルーティン。
「……近いな」
ユウトがそう言うと、カスミは一瞬だけ視線を伏せてから言った。
「……すみません……でも……」
「でも?」
「……ユウトさんの、隣が……一番安心するんです」
カスミは少し寒そうに顔に手を当てていて、頬は薔薇色に染まっている。
それが寒さのせいなのか、それとも別の理由なのか、ユウトは気づかないふりをした。
ルミナも少し照れたように笑った。
「……ほんと、いいご身分よね」
「本当に」
「でも私達、ユウトが真ん中じゃないと落ち着かない」
二人は仲良さそうに目を合わせて子供みたいに笑った。
少し緊張していた空気が和らいだと思ったのか、後輩が声をかける。
「撮りますよー」
シャッター音。
幼稚園、小学校、中学校、高校――。
新しい人々と出会うなかで3人が疎遠になる機会なんてきっといくらでもあったはずだ。
この3人の距離はきっと偶然じゃない。
ルミナもカスミも、3人でいることを選び続けてきたのだ。
だがその「選び続けてきた距離」が、あと3日で終わるかもしれないことを、
この時のユウトは気づかないふりをしていた。
◆◆
そして卒業式当日。3月3日――。
式次第に印刷された3が並んだ日付を見て、ユウトは小さくため息をついた。
とうとうこの日が来た。また3だ。
卒業式の日程を聞いてから、胸がざわつくような、なんだか居心地の悪い感覚があった。
卒業式はつつがなく終わった。
中学の卒業式とは違って、大した練習の時間も設けられなかったためか
ユウトはどこか他人事のように見ていた。
久しぶりに一番上まで締めたネクタイがやけに苦しく感じる。
式が終わり、教室に戻ると一斉に卒業生たちの緊張がほどける。
それぞれ写真を撮り合って、友人たちと別れを惜しんでいるとユウトは
ようやく卒業の実感がわいてきた。
まだ受験が残っている生徒は早々に学校を後にし、
もうすでに進路が決まっているクラスメイトたちがなんとなく輪になって話す流れとなった。
「相良は大学行ったら一人暮らし?」
「うん、そのつもり。キャンパスがちょっと遠いから」
「いいなー東京の大学に行くやつは」と皆茶化し半分、本音半分でユウトを小突いた。
何を言っても嫌みになってしまいそうで、ユウトは反応に困って、ふへ、と変な笑い方をした。
こういう時にうまい返しができるやつを、彼は心底尊敬していた。
「ところでさ」
クラスのお調子者担当が、思い切って口を開く。
「相良ってルミナちゃんとカスミちゃんとどうなの?」
「どう……って?」
「そりゃ…どっちと付き合ってるわけ?」
周りのクラスメイトたちも「ストレートすぎだろ」と実際はその興味を抑えられないようだった。
それくらい聞きづらい雰囲気がユウトたち幼馴染の間には存在する。
彼らの関係は神聖化されていて、「恋人かどうか」という高校生なら気になって当たり前の質問をすることが、逆に自分たちが幼稚に思えてしまうような野暮な質問のように感じられるのだった。
「付き合うって……」
ユウトは返答に困ってしまった。
クラスメイトたちの視線が自分に集まるが、ユウトは自分へ注目が集まるのが得意ではない。
何と返答したらいいのか、迷っているその時、ポケットの中のスマホが震えた。
メッセージだ。
≪屋上にきてください≫
カスミからだった。
「ごめん、呼び出し」
ユウトはこの場から離れる理由ができたことに少しホッとする。
「あ、ああ。言いづらいこと聞いて悪かったな」
友人の一人が謝ったが、その実、ユウトの返答が聞けなかったことが少し残念そうでもあった。
彼は友人たちに 落ち着いたらまた会おうと告げ、ひとり屋上に向かう。
卒業式当日の屋上は告白やら記念撮影やらで混んでいるかと思いきや意外にも静かで、
そこにはカスミのほかにもう一人いるだけだった。
ルミナだ。
真逆のタイプながら、不思議なほどに仲がいい二人だったが、
今日は少し二人の間には距離があいている。
その“隙間”がやけに気になった。
二人はぽつりぽつりと会話を交わしているようだったが、
ユウトが現れたことに気づくと少しの間沈黙した。
彼は二人の間に立つ。……二等辺三角形の距離。
「ねえ」
最初に口を開いたのはルミナだった。
「ユウト、今日3月3日なの、気づいてた?」
「そりゃあ…卒業式の日付くらい」
「3月3日に、私達また3人でいるんですね」
3が、3つ。
「なんだか偶然と思えませんね」
風が吹き、制服の裾が揺れる。
卒業式にふさわしく、少し暖かい春の風だ。
いくつも重なった「偶然」。誰かに仕組まれたような、
人間はそんな些細な奇跡に、背中を押されたりする。
カスミとルミナもきっとそうだった。
「……私」
カスミが言葉を切り出す。
「ユウトさんのことがずっと好きでした」
「好き」という言葉に、ユウトは思わず息をのんだ。
たった2文字なのに、世界がすべてひっくり返る。
「……でも今までずっと言えませんでした」
夕暮れに差し掛かろうとしている西日がカスミを包む。
ユウトからは彼女がどんな表情をしているか、見えない。
「言ったら……3人の関係が壊れちゃう気がして」
声は小さく震えているが、しっかりとユウトの元に届いた。
「3人でいる、この関係でなくなるのが怖かったんです」
いつも笑顔で、柔らかいけどどこか飄々としていたカスミが珍しく感情を口にした。
長いこと一緒に過ごしているが彼女の感情が揺れることをユウトはあまり見たことがない。
だからこそ、この告白が生半可な気持ちではないことを彼は察した。
「だから、何も選ばないふりをしてました。本当は選べないだけなのに。
真ん中にユウトさんがいればそれでいいやって、それでいいって思ってました」
声が詰まってうつむくカスミの背中をルミナが優しくなでる。
「……私も同じよ。
好きって言ったら3人で過ごす時間も、今までの想い出も全部変わっちゃいそうだったから。
でも、言うなら今日だって」
そう思ったの、と続ける。
いつもはっきりものを言うルミナの語尾が弱まった。
「もし、もしね。
告白をして、ユウトとの関係を変えることよりも、
3人じゃなくなることのほうがよっぽど怖かったのよ」
二人の視線が、ユウトに集まった。
ユウトは口を開く。
「……二人ともずるいな」
苦笑しながら続ける。
「俺もさ、二人がいない日常を想像できなかった」
二人に一歩近づくと、彼女たちが緊張で少し体が固くなるのを感じたが、
3人の距離はまたいつものように正三角形になる。
「ずるいって言われてもいいです。臆病でもいい……この距離のまま」
カスミは唇を震わせながら、言葉を紡いだ。
「恋して……いいですか」
ユウトははっきりと言った。
「いいよ」
ユウトは二人の手を取って、少しだけ笑った。
「誰かにおかしいって言われても、そんなのもう気にしなくていい。俺もそうする」
ルミナが少し涙目になりながら、嬉しそうに笑う。
「距離感、やっぱりおかしいわよ」
3月3日。
夕暮れに染まった屋上に、3つの影が並んでいた。
いつものように等間隔で、寄り添いながら。
3人で一緒にいよう。
この距離感が変わる日が来るまでは。
離れなければいけない、その時が来るまでは。
≪おわり≫
【前編】・【後編】を統合しました。




