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1-2 ただの同窓会

金曜の夕方、オフィス街の色が少しだけ金に傾くころ、私は駅前の居酒屋に着いた。

暖簾の前に立った途端、心がひゅっと怖気づく。さっきまで平気だったのに、入口だけが別の世界みたいに見える。


髪も化粧も、会社を出る前にきっちり整えたはずだ。なのに確認しないと落ち着かなくて、ポーチから小さなミラーを出しかけた、その瞬間――


「入らないの?」


背中に落ちた声に、肩が勝手に跳ねた。

振り返ると、金髪のショートヘアにブラウンのサングラス、白Tシャツに黒いジャケット、ハイウエストのデニム。飾り気のない装いなのに、立ち姿が妙に決まっている。


思わず「すみません」と謝って、暖簾の陰に逃げ込もうとして――もう一度、その顔を見る。


「……光?」


サングラスが額に上がり、目尻がやわらかく折れた。

「やっと気づいた。花恋だよね」


高校以来。黒髪で肩まで伸ばしていた彼女の像が、まだ頭の奥に残っている。目の前の金の短い髪に、現実と記憶がいったんずれる。それでも、声も、笑い方も――間違いなく私の初恋の人だった。


「ひ、久しぶり」

「久しぶり。行こ?」


暖簾を片手で持ち上げる仕草が、昔の器用さのまま、少しだけ洗練されている。


一歩くぐると、醤油と炭の香り、ジョッキの当たる音、店員の声がいっせいに押し寄せた。木のテーブルがいくつも並び、コの字に座った輪から懐かしい名前が飛ぶ。


「花恋じゃん!」「え、全然変わってない!」

「ひさしぶり!」


テンプレの台詞が、でも少し嬉しい。私は笑って頭を下げる。光は「席、こっち空いてる」と手を伸ばし、自然に私の居場所を作ってくれた。


「とりあえず生、人数分でー!」

幹事の声。すぐに運ばれてくるジョッキの嵐。

「じゃ、再会に――乾杯!」


輪の真ん中でガラスがいっせいに鳴り、泡が弧を描く。ひと口。冷たい帯が唇に残って、喉を落ちていく。なのに胸の奥だけ、どういうわけか温度が上がるばかりだ。


二十人ほど集まったクラスメイトたちは、もうすでに中間管理職かと思われるような風貌に変化しているものいれば、光のようにスタイリッシュな大人に成長を遂げた

ものもいる。年齢の重ね方は十人十色だ。


テーブルには居酒屋メニューが所狭しと並び、笑いが連鎖する。

誰かが昔のあだ名を持ち出し、別の誰かが黒歴史のバンド名を暴露する。


「花恋、覚えてる? 体育祭のリレーでゴール前でコケたやつ」

「やめて、それもう時効でお願い」

「私、横で笑いすぎて腹筋つった」


光が口元を手で押さえて笑う。肩が私の肩に軽く触れる。触れた部分が、小さく熱を持った。


「光は――変わったね」

「髪の色の話?」

「うん。似合ってる」

「ありがと。花恋は、前より大人」

「それ、雑に褒めてない?」

「褒めてる。ちゃんと、似合ってる」


平熱みたいな声で言われると、逆に誤魔化しが効かない。頬の内側が、さっきの生より温かい。


「で、花恋は何してるの?」と反対側から声が飛ぶ。

「普通に会社員。書類とメールに埋もれてる」

「わかる〜」と同意がいくつも重なる。

「光は?」

「ぼちぼち。来月、ちょっとイベントあってね」

「なに」

「結婚式」


一瞬、テーブルの空気がキラッと明るく跳ねた。

「え、マジで!?」「おめでとー!」

「乾杯し直しだろ、これは!」

空になりかけのジョッキが慌ただしく満たされる。

「ドレス写真ぜったい見せて!」「相手どんな人?」


祝福が四方から飛ぶ。光は両手を軽く振って照れ笑いしながら、「ありがと、ありがと」と受け止めた。


ちゃんと嬉しい。おめでとうって言える。言った……のに

喉に落ちるビールの冷たさだけがくっきりして、胸のあたりは逆に熱い。


光の視線が一瞬だけこちらに流れて、すぐ輪に戻る。その一瞬の温度を、私は喉の奥でゆっくり飲み下した。


「二次会どうする?」

幹事の声が飛ぶ。

「カラオケ行く人ー!」の合唱が上がる一方で、向かいの仲の良かった二人が私と光に目配せした。


「私たち、別のとこ行こっか。駅の反対側の角のバー、あそこ安いし」


会計を手早く済ませ、私たちは先に外へ出る。暖簾を押し分けると、夜の匂いが一段深くなった。油の甘さが風にほどけ、信号待ちの青白い光が頬を薄く照らす。


二次会の店は、駅の反対側の角にある小さなバーだった。入口がやたら暗くて、看板のネオンだけが濡れたみたいに光っている。扉を開けると、スピーカーから低いベース音。一次会の喧騒が、急に遠い世界の話になった。


カウンターの奥に四人席が空いていて、私たちはそこに滑り込む。木の丸テーブル。小さなキャンドル。グラスが触れる音が、やけに澄んで響く。


メニューを開いた光が、さらっと言った。


「まず、乾杯しよ。……今日は、久しぶりに会えたし」


会えた。それだけで胸の奥がひくっとする。私は慌ててノンアルを頼みかけて、やめた。


「ハイボール、濃いめで」


自分の声が思ったよりはっきりしていて、逆に怖い。


「花恋、飛ばすね」

向かいの子が笑う。

「今日は長い一日だったから」

言い訳は便利だ。便利すぎて、喉に引っかかったまま消えない。


すぐに運ばれてきたグラスが四つ。氷がカランと鳴る。乾杯の合図でぶつけた瞬間、金属音みたいに心臓が鳴った気がした。


一口。二口。炭酸が舌を刺す。もう一口。


(これなら、言わずに済む。言えない。素面じゃ――絶対に)


「で、恋バナしよ」


宣言したのは右側に座る向かいの子だった。グラスの中のレモンをバースプーンで転がしながら、無邪気に言う。


「一次会じゃ話せなかったやつ。こういう店、恋バナ専用でしょ」

「専用って何」

笑いが起きる。光も笑う。でもその笑い方が一次会より少しだけ静かで、喉の奥に何か隠しているみたいに見えた。


「花恋、旦那さんとはどう?」

飛んできた質問に、私は反射で答えてしまう。

「穏やかだよ。喧嘩も少ないし、いい人」


面白くないくらいに。

口にした瞬間、自分の言葉が自分のものじゃないみたいで、慌ててグラスを持ち上げた。氷が鳴る。鳴ってくれるのがありがたい。


「へえ、いいなー、羨ましい」

「ねー、私なんか彼ピと喧嘩ばっかりでさ」

「わかる〜。私もこの間彼氏がさ〜……」


向かいの子たちの愚痴大会が始まる。愚痴と惚気をつまみに、お酒を流し込む。

このあたりから、記憶の輪郭がどんどん曖昧になる。



「そういえば、光は?」

前振りもなく、光にパスが飛んだ。


光は少しだけ首を傾けて、グラスの水滴を親指で拭う。

「……ぼちぼち。来月、結婚するしね」


言い方は軽い。でも“結婚”のところだけ、舌が一瞬慎重になった気がする。私はその一瞬を拾ってしまい、また飲む。喉が熱くなって、胸が熱くなる。


「光さ、高校のときモテたじゃん」

「それ、捏造」

「捏造じゃないって。体育祭のあと、何人泣いたと思ってんの」

「そんなこと言われても……」


光が困ったように笑って返す。場は軽い。――でも私は知ってる。光は()()ふりが、うまい。


向かいの子が身を乗り出した。


「でさ。高校のとき、光が本当に好きだった人って誰?」

「え⁉ いたの!」


思わず声が大きくなる。

高校時代の光は、恋愛に興味があるようには見えなかったのに。

大声を出して喉が乾いて、丁度手元のグラスで潤す。喉ごしがいい。

「えーと、実は……」


「ちょっと待って!」


ごく、ごく、ごく。――ごごごく。


初恋相手の好きだった人なんて、こんな素面で聞けるわけがない。気づけば自分のグラスが空になっていたので、正面の子のグラスを拝借する。


カシオレ。ジュースみたいに甘くて、ごくごくいける。


体がふわふわする。今の私なら、魔法少女にでもなれそうだ。いや、なれる。


「ちょっと、花恋! 何、私の飲んでるの!」

「そんなのどうでもいいの! 光!好きな人は誰なの! 覚悟は決めた! ばっちこい! ひっく」


最後がしゃっくりで全てが台無しになる。


「目が回ってるみたいだけど、お酒取り上げたほうがよくない?」

「そうだねー……」


向かいの二人の声が遠い。

私は光のほうへ顔を向ける。


言わなくていいのに、口が勝手に走る。


「私は――世界中の誰よりも、きっと……」


そこで、ずどん、と鈍い音がして世界が回転する。


「こりゃだめだ……」

「すいませーん。水とおしぼりくださーい」


明瞭に声が聞こえたのは、そのあたりまでだった。

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