acte-014
「婚姻?」
「うん。」
「婚約は?」
「なしで。」
「普通はするものでしょ。」
「うーん。なんかさっさと済ませたいんだってさ。」
肩を竦めるバルク。
呆気に取られたアリー。
ここは別邸の四阿。
アリーとティアナが頻繁に訪れる、お気に入りの場所だった。
別邸に居を移して、二ヶ月。アリーはエマに付いてもらって週三回、淑女教育の見直しを受けている。詳しい経緯は分からないが過去ガヴァネスの経験があるとかで、エリオットが手配してくれたのだ。
それ以外の時間は刺繍の練習をしたり、周囲を散策したりして過ごす。
エリオットを訪ねてくるダビデやバルクも顔を出してくれるので、退屈しない毎日だった。
そこに今日はバルクがひょいっと顔を出した。エリオットのところへ取引の話で立ち寄った帰りらしい。
紅茶を用意した途端バルクが急に「婚姻するわ。」と言い出したのだ。
驚くに決まっている。
「お相手は?」
「うーん、子爵令嬢。」
「あなた、名も知らない方と婚姻するの?」
アリーの声が刺々しくなる。
バルクは慌てて両手を振った。
「いやいやいや。まさか!名前だろ?オリィヴィエ。オリヴィエ・ワイズ。」
「オリヴィエ・ワイズ子爵令嬢様?」
「知ってんの?」
「……いいえ。学生の頃、姉のイザベラ・ワイズ子爵令嬢様にお会いする機会があって聞いたことがあるだけよ。」
アリーは緩く首を振った。
イザベラ・ワイズ子爵令嬢。
アリーが立ち上げた【刺繍の会】の一人が紹介を頼まれた、とお茶会に連れてきたことがあった。
急に押しかけてきて「刺繍が得意なの。」と言い参加したのだが言うほどの腕ではなかった。本人も周りとの差に矜持が傷付いたのか参加はそれきりだった。あと覚えているのは刺繍を刺している間中、妹の悪口を散々聞かされたこと。
その妹の名が確かオリヴィエだった。
「どんな方なの?」
「そうだなぁ。気が強いな。あと手も早い。」
「え?」
「怒ってクッション投げつけられたな、この前。」
「あなた、何やったのよ。」
胡乱な瞳で見つめるアリー。
バルクは呑気に首を捻った。
「いやぁ?褒めたんだけど。つつくとすぐ泣いちゃって可愛いなって。」
変態か。
アリーはうんざりした。
この男、やっぱりクズだわ。
「為人を聞いたのよ。」
ため息をついて紅茶に口を付ける。
バルクは、そっちか!とばかりに瞳を瞠った。
「面白い子だよ。一緒にいると楽しいしな。あと、五年前から華としてデビューしてる。20歳。」
「そうなの。」
と言うことはかなりの腕前だ。ますます興味が湧いてきた。
「いつか会って話してみたいわ。」
「そうだな。気が合うと思うぞ。」
バルクが小さな声で「気が強いしな、二人とも。」と呟いて紅茶を飲んだ。
「あなた、女遊びはどうなのよ。」
飲み込む前に言い放つ。
完全な意趣返しだ。
「ぐっ、げほぉ!」
変な音を立ててバルクが咽せる。
「あら、少しは後ろめたいのね。今までの所業が。」
「あのなぁ。別に浮気しまくってたわけでなし。付き合った女なんていねぇよ?みんな納得尽く!スポーツだよ、スポーツ!」
あんぐりと口が開いた。
言うに事欠いてスポーツ?!運動ですって?!
「あなた、それオリヴィエ様に言ったの?」
「まぁ。正直に話せって言われたし。嘘はだめだろ。」
「……他になんて言ったのよ。」
「うーん。女遊びは素人と、ちょいちょいやったくらいで。それからリヴィに会うまではコルティザンとしかヤってねぇからって。」
「ちょっと待って。コルティザンって何。」
「高級娼婦だよ、貴族専門の。チェスとかできる教養が高いのが売りの。場所によっちゃ夜会にも公然と連れて歩ける娼婦。」
顎が外れるかと思った。
「クッションで済んで良かったわね。」
「ヤキモチだろって言ったら泣き出しちゃってさ。」
でれでれと顔を崩したバルクを見て、まだ見ぬオリヴィエに同情した。
この男、真性の変態なんだわ。
ぷりぷり怒るアリーを見てバルクはハンカチで口元を拭いながら笑った。
やっと昔のお嬢に戻ってきたなぁ。
再会を果たしたルーティスカエでは自分の知っているアリーではなくなっていた。
長く逃げて隠れて生きてきたのだ。ティアナを守り、育てるのは大変だっただろう。もちろん、幸せも感じただろうが怯え暮らすのは精神が疲弊する。強気だった彼女が、随分疲れている気がして悲しかった。
毒舌でやり返すお嬢に戻って欲しい。
そんな気持ちも多少あって、戯けた口調で婚姻の報告をしてみた。
オリヴィエの惚気は本気だけど。
「リヴィってさ。あ、オリヴィエの愛称ね。可愛いだろ?なんて言うか、きゃんきゃん吠える小型犬っていうかさ。そんな感じで構いたくなるんだよなぁ。」
「……。」
「小柄だし、今までの女たちとは真逆のタイプ。細いし。なんつうか薄い?でもそこがまた良いんだよなぁ。」
「はぁ……。」
「すぐ婚姻するにしても半年後くらいになるんだよなぁ。あーどうにか早くならねぇかなぁ?」
「もう帰んなさいよ。」
「えー。つれねぇなぁ。」
「もっと語りたいのに、冷たい。」とバルクは口を尖らせる。
「おっさんがキモいのよ。」
被りかけだった淑女の仮面が完全に剥がれ、アリーは嘆息した。




