幕間 王子の帰還
八歳の年、彼は辺境へ送られた。
父王の視線も、兄たちの庇護もなく、そばに残ったのはわずかな家臣だけ。
ほとんどの時を、ひとりで荒野に放り出され、獣と相対して過ごした。
アエクセリオンの影はいつも空を巡っていたが、彼に言葉を与えることはなかった。
――まるで、自ら生きる術を掴めと強いるように。
四年が過ぎ、十二歳になった日。
家臣が見慣れぬ正装を着せ、どこか別れを含んだ眼で彼を見た。
問いかける暇もなく、アエクセリオンが翼を広げ、彼を背に乗せて空へ舞い上がる。
雲を切る竜翼の下、王都の輪郭が徐々に姿を現した。
胸がひりつき、指が無意識に握り締められる。
初めて、別の世界へ投げ込まれた気がした。
石畳の広場に降り立つと、幾千もの視線が注がれた。
アエクセリオンは翼をたたみ、身を屈めて彼を降ろす。
靴が冷たい石に触れた瞬間、ざわめきが広がった。
「第七王子……?」
「竜王と一緒に……?」
「さすが王子様。寵愛の証だな、竜が供をするなんて。」
唇を結び、彼は何も言わなかった。
けれどその一瞬、胸の奥で小さな希望が芽生えた。
――もしかしたら、昔に戻れるのではないか。
八歳の頃まで。宮殿の中で、誰かが話を聞いてくれ、笑い合えたあの日々へ。
その錯覚は、長くは続かなかった。
その日のうちに、彼は騎士団の営舎へ連れて行かれた。
団長ゲルハルトは冷然と彼を見下ろし、感情のない声で告げた。
「王子であろうと特権はない。入団を望むなら、規定の試練を受けろ。」
試練場には年長の少年たちが並び、次々と打ちかかってきた。
刃が顔先をかすめても、彼は息を乱さない。
荒野で生死を賭した年月が、避けること、打つこと、そして倒れる前に歯を食いしばることを教えていた。
最後には息も絶え絶え、肩口から血を流しながら、それでも立っていた。
再び、周囲から囁きが起こる。
「……さすが王子、剣が強い。」
「名だたる師匠がいるんだろう。」
「竜王の加護もあるしな、俺たちとは違う。」
ノアディスは目を伏せ、その言葉を黙って受け流した。
誰も知らない。彼は一度も師の剣を握ったことがない。
夜、寮の灯が次々と落ちていく。
喧噪が去り、彼はひとり隅の床に座り込む。背中に冷たい石壁。
――あの「昔に戻れるかもしれない」という感覚は幻だった。
現実は、今まさに始まったばかりだ。
同年代の者たちに囲まれながら、交わせる言葉は一つもない。
ただ黙って闇を見つめ、やがて自分の声の響きさえ忘れていった。
最後に声を出して笑ったのは、いつだっただろう。
もう思い出せない。
それから彼は、言葉を減らした。
人の中にいても沈黙し、隔てを置くようになった。
――それこそが、皆が望む「王子」の姿なのだと。
アエクセリオンは、何も言わない。
けれど、その沈黙があったからこそ、
彼は戦場の殺戮も、同輩の冷淡も耐えられた。
言葉はなくとも、ただ存在してくれることが力だった。
そうして彼は、巨竜と並び立ち――
人々から「王国の英雄」と呼ばれるようになった。
……あの日まで。
その沈黙の支えが、永遠に失われる、その日まで。
――アエクセリオンがいなければ、俺は何者でもない。




