第65話 囚われの歌と鎖の竜
陽光がリュミエラの中央広場に降り注ぎ、石造りの階段の上では、銀髭の老人が杖を振り上げていた。
声は澄み渡り、群衆のざわめきを貫く。
「――竜は自由だ! 彼らは生まれながらにして空のものだ!
いかなる国家にも、彼らを私有する権利などない!
ましてや、戦争の道具にしてはならん!」
広場がどよめく。
あちこちから声が上がる。
「その通りだ! 竜は王国の財産じゃない!」
「竜が共に歩むなら、それは対等な仲間であって、奴隷じゃない!」
しかし、怒鳴り返す者もいた。
「馬鹿げている! 王国の規律がなければ、竜は災厄と化すだけだ!」
「王国がどれだけの資源を使って竜騎士を育てたと思ってる!? 奴らがいなければ、蛮族に国を奪われていたぞ!」
激しい言葉の応酬。
だが次の瞬間、別の低く太い声がその喧噪を押しつぶした。
黒いマントを纏った男が一歩前に出る。
顔は冷厳、声は鉄のように響いた。
「お前たちは歴史を忘れたのか?
竜王はかつて聖女と契約を結び、この大地を守ると誓った!」
広場に一瞬、沈黙が走る。
男はゆっくりと壇上へと歩み、声を張り上げた。
「だが竜王はその誓いを破った! 結果、聖女は堕ちた――!
彼女の血が大地を赤く染め、それによって我らは秩序を得たのだ!」
ざわり、と空気が震える。
群衆の中から小さな悲鳴と祈りの声。
誰かが膝を折り、十字を切る。
「聖女の犠牲こそ、神聖なる真理!」
男の叫びは更に高まり、拳を突き上げる。
「竜は自由の象徴ではない――災いの源なのだ!
それをこそ、我々は忘れてはならん!」
再び広場が沸騰する。
賛同の叫び、怒号、議論が入り乱れ、熱狂は頂点に達した。
アッシュは群衆の端に立ち、静かにその光景を見つめていた。
眉がわずかにひそむ。
「少なくとも……ここでは、口にできるんだな。」
低く漏らした声は、リゼリアの耳にだけ届いた。
彼女は一瞬、はっとしたように目を瞬かせる。
――そうだ。教国では、こんな言葉は決して許されない。
口にした者は、その日のうちに姿を消すだろう。
リメアは困惑したように、群衆と壇上を交互に見つめていた。
【アッシュ……どうして同じ竜なのに、仲間だという人と、呪いだという人がいるの?】
アッシュは目を伏せ、そっとその頭を撫でた。
返事はしない。
ただ群衆の騒ぎを見据える目が、静かに冷えていく。
――その時だった。
ざわめきの中、ひとりの小柄な影が、すっと彼らの傍をすり抜ける。
リゼリアが何気なく肩の鞄を直そうとした瞬間、軽い手が紐を引いた。
布の擦れる音。
「あっ――!」
振り返ると同時に、黒い影が人混みの中へと消えた。
リゼリアは躊躇なく走り出す。
「リゼ!」
アッシュの声が鋭く響く。
「追うな!」
だが彼女は止まらない。
裾が翻り、白い影が路地へと吸い込まれた。
リメアが短く鳴き、焦燥を帯びて地を蹴る。
鎖が切れ、幼竜の身体がアッシュの脇を駆け抜けていった。
「……厄介だ。」
アッシュは低く呟き、剣柄に手を掛ける。
広場の喧噪が遠のいていく。
彼の目に映るのは、暗い路地へ消えた二つの影だけだった。
狭い裏路地に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わった。
ひやりと冷たい風に混じる薬臭。
――ヒュンッ。
空を裂く音。
「ちっ!」
アッシュが身を翻した直後、短矢が肩を掠め、一本が腕に突き刺さる。
冷たい液体が血脈に流れ込む。
焼けるような麻痺が全身に走った。
だが彼は歯を食いしばり、剣を抜く。
銀光が闇を裂き、悲鳴が飛ぶ。
「どけッ!」
鋼が弧を描く。
一人の刺客が胸甲ごと斬り裂かれ、血が壁に飛び散る。
背後から迫る影を肘で弾き飛ばし、骨の砕ける音が響く。
「近づくな!」
恐怖の叫び。
だが敵は多い。
次の瞬間、両脇の路地から太い鎖が放たれた。
それはリメアの翼と脚を絡め取る。
【アッシュ!】
幼い悲鳴。
竜の尾が石壁を叩き砕くが、鎖は緩まない。
「放せッ!」
リゼリアが叫び、駆け寄ろうとした瞬間、黒い布が頭から被せられた。
「アッシュ!」
最後の声が、闇の中へと吸い込まれる。
「リゼ! リメア!」
アッシュの怒声が響く。
麻痺の痛みに耐え、剣を振るう。
血と火花が散る。
「こいつ、矢を受けてもまだ動くのか!」
「押さえろ! 早く!」
「無理だ、化け物かよ!」
動揺が走る。
恐怖が伝染し、足がすくむ。
「女と竜を先に運べ!」
頭領の怒号。
鎖が鳴り、リメアが引きずられる。
リゼリアも布の中でもがく。
「やめろ――!」
アッシュが剣を振るう。
だが薬が回り、視界が滲む。
それでも一太刀ごとに血を裂き、敵を退けた。
馬車の車輪が鳴る。
二人を乗せたまま、闇の向こうへ駆けていく。
「くそっ……!」
呻きと共に、アッシュは膝をつく。
血と汗が頬を伝う。
遠ざかる車影に銃口を向け――
引き金にかけた指が震える。
だがその瞬間、視界が黒に塗りつぶされた。
意識が、落ちる。




