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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第五章:王都セラウィン

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第50話 竜の影、そして名を持つ威圧

 烈日の下、馬蹄の音が官道に響き、乾いた土埃が風に舞う。

 アッシュは隊列の後方で馬を進めていた。腕の中にいるリゼリアは少し顔色が悪かったが、それでも手を伸ばして彼のフードを引き上げ、その目立ちすぎる顔を隠す。


「……顔、出さないで」小さくそう呟く。

 アッシュは低く返事をし、それ以上は何も言わなかった。


 その時――

 高空から、重く響く竜の咆哮が落ちてきた。

 瞬間、道の上のすべてが凍りつく。


 数頭の竜が雲の中から急降下し、青銅色の鱗が光を反射して鋭く輝く。

 竜の翼が風を裂き、圧倒的な突風が馬たちを怯えさせた。隊列は止まらざるを得なかった。


「――竜影!」

 護衛たちが一斉に叫び、緊張の中で武器を構える。


 アッシュは眉をひそめ、馬を隊の後ろへと下げながら、静かに剣の柄に手をかけた。

 リメアの尾が軽く揺れ、青い瞳が空に浮かぶ竜たちを鋭く捉える。喉の奥から、低く重い音が漏れた。


 その時、馬車の中の魔導通信器が震え出し、銅の外殻が小さく唸った。

 重々しく響いた声が、空気を切り裂く。


「こちらは天翔部隊第四分隊。本路線の監視を命じられている。車列の身元確認を要求する」


 フィリシアは車窓の布をめくり、表情を一気に冷やす。

 その声には、疑問を許さない威厳が宿っていた。


「またあなたたちか……第四分隊、相変わらず暇そうね」


 一瞬、空気が凍る。

 侍従や護衛たちの顔に緊張が走る。


 その時、まるで空気を裂くように別の声が通信器から入った。

 落ち着いているが、どうしようもなく威厳に満ちていた。


「――やめよ。第四分隊、これはセラウィン王女の正式な車列だ。これに手を出すことは、王女に対する無礼であり、規律の破壊に等しい」


 一同が息を呑む。

 フィリシアの視線が鋭く通信器に向かう。

「……エミール?」


 その声の主は、騎士団の記録官――エミールだった。

「本当に疑うのなら、上官に報告するべきだ。王女の動向を見張るなど、騎士団の職務ではない」


 空の上で竜たちが旋回し、沈黙が漂う。

 ついに、抑え込まれた怒気が混じる返答が返ってきた。


「……了解、エミール殿。しかし、帰国後は本件をゲルハルト団長に報告いたします」

 そう言い残すと、数頭の竜が一斉に高度を上げ、空の彼方へと消えていった。

 その場には、圧迫されたような空気だけが、しばらく残り続けた。


 フィリシアは目を伏せ、長く息を吐いたあと、すぐさま命じる。

「進行を再開。急ぎなさい」


 再び馬蹄が鳴り響き、道に土煙が立つ。

 アッシュは馬を進め、馬車の横へと並んだ。目には重い影が落ちている。


「今の……何があった?」

 彼には通信器の内容は聞こえなかった。ただ、周囲の反応で異常を察していた。


 フィリシアは彼に一瞥をくれ、冷静に言う。

「エミールが先手を打ってくれたの。でなければ、あの第四分隊、本気で車列を止める気だった」


 アッシュは眉間に皺を寄せ、低くつぶやいた。

「記録官が国外に出られる理由……おそらく、何か口実を使って同行したんだろうな。第四分隊も、それに便乗しただけだ」


 一拍置いて、さらに声を潜めて言った。

「記録官は高位ではあるが、あの騎士たちの忠誠先は……やはりゲルハルト団長にある」


 フィリシアの目が一瞬鋭く光る。だが、多くを語らず、ただ短く命じる。

「歩を早めて。日暮れまでに必ず王都に入る」


 リメアが馬車の窓から顔を出し、空をじっと見つめている。

 尾はそわそわと馬車の外板を叩き、今にも飛び出しそうだった。


「出るな」

 アッシュは低く制する。リメアは不満げに鼻を鳴らしたが、しぶしぶ頭を引っ込める。


 その様子を見ていたリゼリアの唇が、ふと淡く弧を描いた。

 何も言わず、ただ心の中で静かに呟く。

 「また……竜か。

 いつか、あの子自身が向き合う時が来るのよね」


 ◇


 夕日が沈みかけ、残光が空を金紅に染めていた。

 長く伸びた影が石畳の道に落ち、車列の進行にあわせてゆっくりと延びていく。


 やがて遠くに、王都の輪郭が現れた。

 灰白色の高い城壁が夕暮れの中で山のようにそびえ、翻る旗には青銀の海鳥が両翼を広げて風に舞っていた。


「……前方が王都です」

 フィリシアが馬車のカーテンをめくり、アッシュとリゼリアに目を向ける。

 その表情は沈着だが、確かな決意が宿っていた。

「入城の際は、馬車の中にいたほうがいいでしょう。そのほうが目立たずに済みます」


 リゼリアはぱちぱちと瞬きをし、何か冗談を言おうとしたが、アッシュの冷たい視線に押し戻された。

 彼は無言でうなずき、彼女を連れて馬車へと乗り込んだ。


 リメアはすでに車内の隅で丸くなっており、光と影の間で目を輝かせ、緊張と好奇の入り混じった様子を見せていた。

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