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第4話 灰白の目

 午後の陽光が、林の隙間からもれて、小道にまだら模様を描いていた。


 アッシュは先頭を歩き、マントが足元で重たく揺れた。

 そのすぐ後ろ、リメアは半歩遅れて尻尾をゆらゆらさせながらついて行く。


 だが、道の途中でリメアがふと立ち止まり、耳膜がぴくりと震えた。

【……ねえ、聞こえた?】


「何が?」

 アッシュが振り返り、林の奥へと目を向ける。


【地面……動いてる。】

 リメアは頭を下げ、爪先に神経を集中させた。

 遠くで重たい何かが地を踏みしめるような、かすかな振動が伝わってくる。


 次の瞬間――

 茂みが激しく揺れ、狼型の魔物たちが唸りを上げて飛び出してきた。

 灰黒の瘢痕のような模様が毛皮に浮かび、瞳には異様な灰白色の光が宿っている。

 ためらいもなく、まっすぐアッシュとリメアへと襲いかかってきた。


「下がれ!」

 アッシュの動きに迷いはなかった。

 素早く剣を抜き、冷たい光をまとった刃が唸りを上げて閃く。

 最初に飛びかかった一体を、鋭く牽制し、横に弾き飛ばす。


 反転しながら、もう一体の前脚を斬り落とす――

 その一連の動きは、まるで何百回も繰り返してきたような滑らかさだった。


【この子たちの目……なんかヘン!】

 リメアは低く唸り、喉の奥で火をためる。

 そして、ぱっと口を開き、小さな龍炎を吐き出す。

 炎は一匹の魔物を直撃し、煙をあげて転がした。


 そのとき――

 より大きな個体が横から猛スピードで突っ込んでくる。

 ほとんど残像にしか見えない。


 アッシュはマントの下から反射的に魔導銃を抜き取った。

 片手で掲げ、照準を合わせる。


 陽光を受けて、暗金の銃身が一瞬輝き、精緻な彫刻が燭光のように揺らめいた。

 短い気爆音とともに、圧縮弾が発射された。


 銃弾は一直線に狼の脇腹を貫き、巨体を木の幹まで吹き飛ばす。

 焦げ跡と血の匂いが、林の空気を変える。


 他の狼たちは一瞬ひるんだが、何かに突き動かされるように、再び突撃してきた。


〈下がれっ!〉


 リメアが龍語で叫ぶ。

 その声にはまだ不安定な震えがあったが、確かに力も宿っていた。

 数匹の魔物が一瞬だけ硬直する。だが、すぐに正気を失ったかのように動き出す。


「……操られてるな。」

 アッシュが低くつぶやき、腰から短い金属筒を取り出す。

 親指で符紋を弾くと、魔力が反応して一瞬で発光する。


「目を閉じろ。」

 金属筒を狼群の中に投げると、

 白金色の閃光が爆ぜ、甲高い音波があたりに響いた。


 狼たちは本能的に身を縮め、混乱してうろたえる。

 その隙にアッシュは前へ出て、剣の閃きで追撃を封じる。


 閃光が消えるころには、林の中に魔物の姿はなくなっていた。

 焦げた木の煙と、焼けた獣毛の焦臭が、林の空気に漂っていた。


 アッシュは金属筒の外殻を回収し、マントの中へと滑らせた。

 その手つきは、まるで日用品を片づけるかのように自然だった。


【ねえ、あれも軍用の道具なの?】

 リメアが興味津々に首を伸ばす。


「辺境防衛で使われることもあるが、そうそう出回るものじゃない。」

 アッシュは狼の死骸に目を向け、手招きした。

「手伝え。体をひっくり返す。」


 ふたりで協力して一体の死体を転がす。

 アッシュはしゃがみこみ、剣先で肩甲の毛をかき分けた。


 そこに――

 焼け焦げた符印が刻まれていた。


 無理やり刻んだような粗い線。

 その周囲の毛が焦げており、刻印は歪んでいた。


【これ……魔物使いの印?】


「雑すぎるな。

 本来なら数日かけて魔力を安定させるもんだ。これは……せいぜい一〜二回使えればいい方だ。」


 アッシュは砕けた符骨の破片を拾い上げ、表と裏を確認してから、革袋にしまった。

「制御が甘いか、あるいは最初から長く使うつもりがなかったか……」


【じゃあ、だれかがここで……じっけんしてるってこと?】


「その可能性はあるな。」

 アッシュの声は変わらず淡々としていた。

「この辺境じゃ、何が潜んでてもおかしくない。」


 彼は立ち上がり、周囲をぐるりと見渡す。

 斜めに差し込む陽光が、木の影を長く地に伸ばしていた。


「行くぞ。日が沈む前に、寝床を見つけないと。」

 アッシュは剣を鞘に収め、遠くの山脈に目を細めた。

 リメアの安全を、常に考えねばならなかった。


 リメアは素直について行くが、ふと振り返って狼の死体を見た。

 鼻先がぴくりと動き、思わず顔をしかめた。


 焦げた毛と血のにおい――

 それが、彼女の本能に語りかける。

〈この子たち、自分の意志で動いてたんじゃない……〉


 ◇


 夕暮れには、ふたりは辺境の宿駅に到着していた。

 山村よりはずっと賑やかで、荷車や騾馬、旅人たちが広場にあふれている。


 アッシュはリメアを連れて、視線を避けるように裏口から入った。


【しゃべっちゃだめ?】

「声を出すな。俺のそばを離れるな。」


 宿駅の空気は、スープと革、馬の汗の匂いが混ざり合っていた。


 長いテーブルの横を通り過ぎると、ひとりの男がリメアを見て言った。

「お前の魔物、珍しいな……まるで竜じゃねえか。」


「アルビノのロングスロートリザードだ。ただの珍獣にすぎん。」

 アッシュの返答は簡潔だった。


 男は眉を上げたが、それ以上は追及せず。

 アッシュが付け加えた。


「知ってるだろ? 王国じゃ、竜を私的に飼うのは違法だ。

 たとえ従うとしても、騎士団に登録が必要だ。」


 そう言って、リメアを引いてその場を離れようとした。

 だが、別の大柄な男が興味深そうに声をかけてきた。


「そういや、竜と言えばさ――聞いたか? ノアディス王子。あの竜王の繫名者だったってやつ。今は指名手配中だってさ。

 しかも、竜王が死んだ後の、竜の卵まで持ち逃げしたって話だ。」


 その場の何人かが口笛を吹いた。

「おいおい、それって国宝級だろ。どこまで逃げたんだか。」


「戦争の英雄だったくせに、今じゃ反逆者か……」


「もう半年か。卵、そろそろ孵っててもおかしくねぇよな。思い出にでもしたかったのか?」


 アッシュの目がわずかに鋭くなったが、口調は変わらない。

「その手の話は……軽々しく口にするものではない。」


 男たちは笑い飛ばした。

「ここは辺境だぜ? 誰が捕まえに来るってんだ?」

「そういや、その王子も銀髪だったらしいな。お前も同じだな?」


 アッシュは静かに水を飲み干した。

「王国には銀髪なんて珍しくもない。」


 会計のためにカウンターに向かうと、店主が声を低くした。

「最近、魔物が騒がしくてな。街道すら安全じゃねぇ。」


 アッシュは無言でポケットから、先ほど回収した焦げた符骨を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。


 店主の目が細くなる。

「……それに出くわしたのか?」


「途中でな。」


「北も東も、最近は同じだ。妙な噂が立ってるが、まだ大っぴらにはできねぇ。

 あんた、東に行くならあの商隊と一緒に行くといい。護衛も雇ってるみたいだ。」


 アッシュはそのテーブルに目をやったが、首を横に振った。

「結構。ひとりの方が慣れてる。」


 店主は肩をすくめた。

「夜は冷えるぞ。魔物も出る。」


「心配いらない。」


 ◇


 その夜、ふたりは宿駅から半里ほど離れた林の空き地で野営していた。


 アッシュは焚き火を起こし、食料袋から干し肉、野菜、そして一袋の麦を取り出す。


【きょうはスープある?】

「ああ。」


 アッシュは材料を鍋に入れ、こっそり仕入れた塩干を一切れ追加した。

 リメアは火のそばに丸まって、鍋の中で湯気が立ち上るのを見つめる。

 香りが漂ってくると、アッシュは一杯を掬い、彼女に差し出す。


【あついの?】

「気をつけろよ。」


 リメアはふーふー息を吹きかけ、小さくひとくち。

【ん、こんどのは、あんまりマズくないね】


「前のはマズかったってことか?」


【……ちがうもん。】

 リメアは視線を逸らし、耳膜がぴくりと震えた。


 食事のあと、アッシュは荷袋から掌サイズの魔導道具を取り出し、魔力を注いで起動させる。

 淡い光の結界が展開され、夜風と下級魔物を遠ざける。


【また、これかぁ〜】

 リメアは首を伸ばして空気の匂いを嗅ぐ。


「魔力は食うが……夜中に起こされるよりマシだ。」

 アッシュは結界の安定を確認し、薪を整えて言った。

「寝ろ。明日は山越えだ。」


【うん。】

 リメアは丸くなって目を閉じた。

 尾の先が、焚き火の赤に照らされて、ゆらりと揺れていた。

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