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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第三章:中立港都市カスティア

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第37話 夜の封鎖

 夜の帳が完全にカスティアを覆い、海面の灯りは風に砕かれた星のように波間にちらついていた。

 波止場には昼間よりも多くの 巡検隊が配置され、鉄甲と火銃が灯りの下で冷たい光を放ち、無言の壁となって港を細かく分断していた。


 遠くから、船の鐘が急を告げるように鳴り響く。海風と人声の合間を縫うその音は、まるで警鐘のように響いた。


 アッシュはリゼリアとリメアを連れ、裏通りを通って西端の波止場へと向かった。

 通りの角では、商人たちが慌ただしく店を畳み、荷車の軋む音と怒号が飛び交っている。


「様子が変ね。」

 リゼリアは低く呟きながら、前方で通行人を止めている巡検隊の一団に目を向けた。

「定例検査には見えないわ。」


 アッシュは返事をせず、懐の箱をぐっと押さえ込む。


 その時――東側で短く爆音が響いた。

 倉庫群の隙間に炎が閃き、すぐさま 巡検隊の怒声が港全体に響き渡る。


「西側封鎖! 誰一人、通すな!」

 爆発音は空気を切り裂く合図のように響き、直後には足音と罵声が入り混じった混乱が迫る。


 アッシュは素早く何者かの気配を感じ取った。彼を狙って向かってくる視線――それが何よりも明確だった。


「……来たぞ。」

 彼は低く言い、左手で魔導銃を、右手で剣の柄を握った。


 一人の黒い影が路地の入り口に現れ、刃が冷たい光を放つ。

 アッシュはすかさず銃を構え、魔力を圧縮した光弾を撃ち放つ。肩を直撃された敵は壁際まで吹き飛ばされた。


 続いて左右から二人が迫る。アッシュは反転しながら剣を抜き、鋼の刃が短剣とぶつかり、火花が散った。


「左へ!」

 リゼリアの声が飛ぶ。彼女は敵の横をすり抜けるように回り込み、片足で荷箱を蹴り倒す。

 木箱と麻袋が倒れ込み、狭い路地を塞いだ。


 リメアが低く鳴き声を上げた。銀の鱗が暗がりに煌めき、口から放たれたのは熱を帯びた白い霧。

 それはわずか一メートルに圧縮された吐息の流れで、迫る敵の足元を狙った。相手は対処しきれず、後退しながら靴底から黒煙を上げた。


 一瞬の足止めにもかかわらず、さらに複数の足音が後ろから迫ってくる。

 アッシュは二発連続で光弾を放ち、暗闇を切り裂いて敵を退けたが、その直後、街角から巡検隊の叫び声が響いた。


「逃がすな! 止めろ!」


「行くぞ!」

 アッシュは敵の一人を弾き飛ばすと、リゼリアとリメアと共に路地を突き抜ける。


 波止場の大通りが目の前に広がる。灯りと人の声が混じり合い、混乱の渦中で、王国とセラウィンの商船上には魔導灯が一斉に灯されていた。

 それはまるで彼らの進むべき航路を示すように、一直線に光を描いていた。


 そのとき、斜面の先に黄金の光が揺れた。

 そこに立っていたのは、一人の金髪の女性。

 彼女は明暗の境界に立ち、海風に揺れる長髪とスカートが、喧騒と硝煙の中で異様な存在感を放っていた。


 その背筋はまっすぐで、背後の商船と掲げられた二つの旗と一体になっているかのようだった。

 護衛たちはすでに武器を抜いて警戒していたが、彼女自身が一歩前に出る。


 海のように澄んだ青い瞳がアッシュを捉え、冷たくも透き通る声が混乱と風を裂いて届いた。


「――こっちへ来て!」


 アッシュの足が一瞬だけ止まる。

 彼女との関係は、今ここで記録に残したくない――何より、港全体が封鎖されている今、誰と行動を共にしていたかが明確に記録される。


 だが、退路はすでに閉ざされていた。

 敵の足音と火薬の臭いが、刻一刻と背後から迫ってくる。


 リゼリアはアッシュを一瞥し、何も言わずにリメアの手綱を握り直す。


 アッシュは息を短く吐き、視線を斜面と追手の間で素早く動かした――

 そして、決断するように叫んだ。


 敵の一人を払いのけると、足を踏み出し、仲間と共に金髪の女性の方へと駆け出した。


 彼らが斜面にたどり着くと、護衛たちはすぐに囲むように陣を作り、防御態勢を取った。


 彼女は一歩前に出ると、巡検隊と追手を鋭い目で見渡し、口調は静かだが一切の反論を許さぬ力を帯びていた。


「私はアルヴィリオン王国とセラウィンの通商使節、フィリシア。この二人は私の客人です。私が連れて行きます――ここでの暴力行為は控えていただきたい。」


 その言葉は、水面に石を落としたように場の空気を変えた。

 一瞬で騒然とした波止場が凍りついたように静まり返る。


 隊を率いていた巡検隊の隊長が眉をひそめ、アッシュとリゼリアを交互に見て、苛立ちを隠さぬ様子で言い返す。

「この二人は、港で発生した事件に関与している可能性がある――」


「拘束が必要なら、港湾条約に基づき、正式な書面を我々の使節団に提出してください。」

 フィリシアの口調は変わらぬまま、しかしその声は確実に巡検隊の口を封じた。

「そして、その申請が認可されるまで、手出しはできないはずです。」


 一瞬、巡検隊の足が止まり、視線の間に逡巡が走る。

 誰かが抗議の言葉を発しようとしたが、仲間に肩を掴まれ、静かに止められた。


 ――この場で衝突を起こせば、外交問題に発展する。

 それは、港だけでなく、連邦全体の責任問題へと発展しかねない。


 見えない緊張が、海風と油煙の中でじわじわと港を包み込む。

 空気が凝縮されたように、全員が息をひそめていた。


 アッシュは護衛の内側で目を細め、静かに彼女を見つめた。

 彼女の言葉には無駄がなく、まるで研ぎ澄まされた刃のようだった。落とすべき瞬間を見極め、的確に振るわれる――


 そういう人間は、立場に関係なく、絶対に侮れない。


 ついに、隊長が渋い顔で手を振った。

「……退け。」


 鎧と武器の音が遠ざかり、やがて海の波音だけが残った。

 張り詰めた空気が、ようやく少し緩んだ。


 フィリシアはアッシュの方へ向き直り、口元に微かな笑みを浮かべた。

「乗って。ここは話す場所じゃないわ。」

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