幕間 竜王に選ばれし少年
辺境都市の軍営を出たあとも、風は相変わらず冷たかった。
正午の陽光が郊外の土道を照らしていたが、その冷気を追い払うには足りない。
遠くの林にはまだ霧が漂い、馬車や旅人がぽつぽつと行き交う。蹄の音、車輪の音が、野に響き渡っていた。
アッシュは列の先頭を歩きながら、ふと掲げられた連邦の軍旗に目をやった。
深紅と金糸が交差するその紋章が、風に翻る中、彼の目にはもう一つの旗が重なって見えた——
王国の金の竜翼旗。かつて、冷たい風の中に堂々と掲げられていたそれが、脳裏に蘇る。
アッシュの足が、ごくわずかに止まった。
脳の奥に、沈めたはずの記憶が無言のまま波打ち始める。
——あの頃、彼はまだ王国アルヴィリオンの第七王子だった。
名目上は王族でも、誰からも期待されていなかった。
母は早世し、父王と兄たちは政務と権力争いに追われ、末弟の存在など誰も顧みなかった。
だが、ある日——
宮廷の外庭に、天を裂くような竜の咆哮が響いた。
誰もが息を呑み、空を見上げた。雲を割って姿を現した巨影。
青き瞳孔を持つ竜が、人々の上に降り立つ。
巨大な翼が閉じられると、空気が圧縮されるような重圧が庭を包んだ。
アエクセリオン——竜王は、静かに頭を垂れ、小さな少年の額に、鼻先をそっと触れさせた。
言葉はなかった。ただ、胸の奥が鳴っていた。
——竜は、「選ぶ」のだ。
その後、何の前触れもなく、彼は離宮へ送られた。
理由は告げられず、ただ「その方が、お前のためだ」と。
馬車は王都を離れ、馴染みのある城壁も、貴族の邸も越えて、誰も住まぬ辺境の地へと向かった。
風は氷の刃のように鋭く、小さな石の屋敷が「新しい家」だと告げられた。
当時、彼は八歳だった。
ここで忘れ去られていくのだと思っていた——
だがある日、空が落ちてくるような曇天の下。
雪に覆われた屋外に、巨大な影が現れた。
低く震えるような竜の咆哮が、胸の奥まで揺らした。
戸を開けると、そこには、晴れた空のような青い瞳が、雪霧の向こうから彼を見つめていた。
アエクセリオンはまた、頭を下げ、額をそっと触れ合わせた。
その鼻息は、雪と風の匂いがした。
あの瞬間、彼は理解した。
——どんな理由で離されたとしても、自分は完全に捨てられたわけではなかった。
……
街角から、リメアの声が現実へと彼を引き戻した。
〈前に人がたくさんいる。馬もいるよ〉
彼女は首を傾けながら、リゼリアに小声で龍語をささやく。
〈でも、ちゃんと馬にあいさつしたんだけどな〉
リゼリアは微笑みながら言った。
「怖がらせちゃダメよ」
アッシュは瞬きをし、自分が立ち止まっていたことに気づく。
何も言わず、再び歩き出した。




