第26話 盟友なき戦場
軍営の応接室は、沈んだ灯に照らされ、壁際の魔導時計が静かに時を刻んでいた。
晶板の刻印が一つ進むたび、「カチ、カチ」と乾いた音が空気に響く。
アッシュは長机の一方に座っていた。
向かいには鎧を脱ぎ、軍用コートを羽織ったヘルンがいる。
「グロイン一味には、以前から目をつけていた。」
ヘルンは単刀直入に切り出すと、何気ないようで鋭い目線をアッシュに向けた。
「奴……王国で竜輔士だったんだろう? お前、知ってたのか?」
アッシュの表情は変わらない。
「竜輔士の名は覚えてない。ただ、竜に跨っていた騎士たちの名は、忘れていない。」
「はは、さすがは“王子様”ってわけか。」
ヘルンは軽く笑い、そのまま話を続ける。
「だがグロインも、所詮は捨て駒だ。混乱に乗じて逃げたセイラとモラスには追跡部隊を出してある――連中の本拠地が見つかれば御の字だが……組織としては、思ったよりまとまりがないようだな。」
彼はふと、視線を窓の外へ向ける。
まるで何気ない世間話のように、しかし明らかに意図を持って口にする。
「……まさか、人質まで取っていたとはな。」
「……無駄話はやめろ。」アッシュの声が一段冷たくなり、遮った。
「知りたいのは、それだけだ。あの戦いに、連邦はどう関わっていた?」
ヘルンは茶杯を手に取り、ゆっくりと一口啜ってから静かに言った。
「焦るな、若いな。……言えるのは一つだけだ。あの戦では――連邦は、武器を提供しただけだ。」
「相手は王国か?」
アッシュの息が一瞬詰まり、低く問う。
「つまり……アエクセリオンを殺した指示を出したのは、王国の人間だと?」
その問いの瞬間、アッシュの脳裏にはある女の顔が浮かんだ。
あの、何を考えているか読めない笑みを浮かべる女――リゼリア。
ヘルンは茶杯を静かに置き、指先で縁を軽く叩きながら言う。
「ただしな……あの戦いに参加していたのは、王国の人間だけじゃない。」
その言葉は、まるで針のように、静かに二人の間の空気を揺らした。
ヘルンの口元には、かすかな笑みが浮かぶ。
「……殺したかったのは、竜王だけじゃない。お前も、だったのかもしれない。」
アッシュは目を伏せた。その言葉に驚きはなかった。
王族内で、自分の命を狙っていた者がいたことなど、最初から知っていた。
――もしかしたら、アエクセリオンは、自分の身代わりとして死んだのかもしれない。
重たい沈黙が、部屋に数拍分だけ流れた。
「――魔導銃、貸せ。」
不意にヘルンが口を開いた。
アッシュは一瞬、意味が掴めなかった。
「お前のイグニス・ライン、旧型だろう? しかも手入れもされてない。」
ヘルンはあくまで淡々と語る。
「さっきの射撃音を聞いただけで分かった。……貸せ。」
アッシュは少し迷った末、魔導銃を渡した。
ヘルンは机の下から光沢のある工具箱を取り出し、開けた。
中には整然と並んだ細工用のブラシや彫刻刀が収められている。
手際よく銃を分解しながら、ヘルンが言う。
「――なんで手伝うかって?
俺には息子が一人いる。お前と同じくらいの年齢だ。」
彼は手を止めず、ふと目を上げる。
「戦場には……出させないつもりだ。
お前があの小さなヤツを戦わせなかったようにな。」
再び視線を落とし、鎗の整備に戻る。
やがて、最後のネジが閉まり、魔導銃は再び一つの形に戻る。
「調整完了。精度と安定性は、七割まで戻せたはずだ。」
彼は銃をアッシュの前に滑らせながら、無表情で言い放つ。
「……あのガラクタみたいな音は、二度と鳴らすなよ。」
少し間を置いて、付け加える。
「――本当は新型に替えた方がいい。」
アッシュは黙って銃を受け取り、腰に戻す。
「行け。」
ヘルンは言い、少しだけ言葉を添えた。
「……あの竜については、俺は何も保証しない。自分で責任を取れ。」
アッシュは何も答えず、静かに立ち上がり、部屋を出て行く。
ヘルンはその背中を見送りながら、ぽつりと呟く。
「若いな……覚えておけ。戦場では――
“永遠の味方”も、“永遠の敵”も存在しない。」
アッシュの足がわずかに止まる。
しかし彼は振り返らず、扉を押し開けて去っていった。
「カチッ。」
魔導時計の刻印がもう一つ進み、その音が静かな応接室に響いた。
アッシュが軍営の外へ出ると、霧はすでに半ば晴れ、川面には朝日がきらめいていた。
門の前の石段では、リゼリアがしゃがみ込み、リメアの頬についた灰を丁寧に拭いていた。
彼女は気持ちよさそうに目を細め、しっぽを左右に振っている。まるで風呂上がりの猫のようだった。
足音に気づいたリゼリアが顔を上げ、軽く笑って言う。
「話は終わった? あの魔獣たちは救えなかったけど……まぁ、奴らへの打撃にはなったと思うよ。」
だが、アッシュの脳内には、さっきのヘルンの言葉がまだ渦巻いていた。
『 あの戦いにいたのは、王国の人間だけじゃない。』
『 ……殺したかったのは、竜王だけじゃない。お前も、だったのかもしれない。』
彼は分かっていた。どれだけ問い詰めても、この女は本当のことなど言わない。
「……魔女、妙な真似はするな。」
アッシュの声は冷えきっていた。
「次は、お前を本気で殺す。」
それを聞いたリゼリアは――ますます笑みを深くする。
その笑顔には、脅しへの恐れなど一片もなかった。
それどころか、どこか楽しげに問い返す。
「いいよ。じゃあ……次はどこに行く?」




