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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第二章:連邦の影

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第25話 崩れる据点

 セイラの言葉が終わるか終わらないかのうちに、屋外から連邦軍の魔導火銃の一斉射撃音が轟いた。

 火光が壁の影を照らし出し、混乱の中、獣の咆哮と金属の軋む音が交錯する。


 グロインは歯噛みしながら小さく罵声を吐いた。

 リゼリアを掴んでいた手にさらに力を込め、アッシュをけん制するように一歩踏み出す。

「下がれ、さもないと──」


「その機会はない。」

 アッシュが冷然と遮る。

 銃口が急激に下を向き、放たれた符弾がグロインの足元の泥を爆ぜさせた。

 泥水と木片が飛び散り、彼を半歩後退させる。


 その隙を突いてリゼリアは身をひねり、彼の手を振り払った。

 背中で結ばれていた縄もその勢いで緩み、外れる。

 グロインの力は強大だったが、一瞬の油断を突いたアッシュは、すでに間合いを詰めていた。


「……変わらねえな、まったく。」

 グロインは嗤う。声はしわがれ、どこか嘲るような響きを含んでいた。

「相変わらず、正面からの突撃しか能がねえ。」


 彼は槍を振り上げ、アッシュの胸元へと振り下ろす。

 槍の穂先には、符釘が密に埋め込まれ、不気味な光を放っていた。


 アッシュは肩を捻って衝撃を流し、剣を振るって槍を受け止める。

 魔導銃は腰に掛け直し、両手で剣を構えて猛然と圧し掛かる。


 三歩、グロインが下がった。

「ガキが……てめえ、何を──」


 言葉が終わるより早く、彼の背後の壁が爆ぜた。

 その破れ目から、符釘を打ち込まれた甲殻獣が突進してきた。怒号のような咆哮が辺りに響く。


 アッシュの瞳が鋭く細まり、赤く光るその目を見て声を張り上げた。

「……リメア、下がれ!」


 同じ頃、リゼリアは首筋を何かに引っ張られる感覚に襲われた。

 振り返れば、小さな彼女――リメアが衣の襟元を噛み締めている。

 四肢を地面に踏ん張り、低く唸りながら、信じられない力で彼女を引きずろうとしていた。


 次の瞬間、甲殻獣の巨大な影が頭上をかすめて通過する。

 符釘の不気味な光が煙の中に浮かび上がり、リゼリアはすぐにリメアの意図を悟る。


「行くよ!」

 彼女はリメアの首元の鱗を掴み、互いの動きを合わせるようにして壁際を疾走した。

 甲殻獣の突進で開いた戦線の裂け目をすり抜け、一人と一匹は煙の中へと飛び込む。


 グロインがそれに気付き、怒号を上げながら追いかけようとする。

 だが、アッシュの剣が鋭く襲いかかり、その進路を断つ。


「逃げられると思うな!」


 槍が剣を弾き飛ばす。

 そのとき、符釘の先端がアッシュの頬をかすめ、火傷のような痕を残した。


「……その機会はお前にはない。」

 アッシュが冷ややかに言い放ち、剣を繰り出す。

 押し寄せる剣撃に、グロインはその場を離れることができない。


 外では、再び連邦軍の魔導火銃が咆哮し、破片が雨のように降り注いだ。

 リメアはリゼリアの衣をくわえたまま、尻尾を振って道を切り開き、力任せに彼女を煙の外へと引っ張り出す。


 煙の外、リメアはようやく顎を解放し、低く龍語で急かす。

〈まだ走れる?〉


「大丈夫。」

 リゼリアは口元の灰を拭いながら、遠くの炎の中を振り返る。


 ――アッシュの姿が、あの巨躯の男と剣を交えていた。


「……リメア、もう少しゆっくり……!」

 息を切らしながらも、彼女は呟いた。

「彼なら……きっと、大丈夫。」


 そのとき、煙の向こうから冷静な声が響いた。


「動くな。」


 数名の連邦軍兵士が現れ、魔導銃を彼女たちに向けていた。

 銃口の光が淡く揺れ、張り詰めた空気が流れる。


 リメアは低く唸り、一歩前に出る。

 小さな体でリゼリアの前に立ち、翼を広げ、あらゆる脅威を退けようとする。


 だが、隊長格と思しき男が手を挙げ、部下を制した。

「一緒に来てもらおう。」


 リゼリアは目を細め、まだ答える前に、後方から金属と金属が激しくぶつかる音が響いた。



 ――据点中央。


 アッシュとグロインは剣と槍を交錯させ、火花と血飛沫が地を濡らしていた。

 その最中、符釘を打ち込まれた甲殻獣が泥と木屑を巻き上げながら暴れ回る。


 赤く濁ったその目が戦場を睥睨し、咆哮と共に前脚を叩きつけた。

 その衝撃に兵士たちは散り散りになり、戦線は一時的に崩れる。


 アッシュは攻撃をかわしながら、素早く魔導銃を引き抜いた。

 標的は――符釘。


 放たれた弾が見事に命中し、符釘が破裂する。

 甲殻獣はその場で動きを止め、呻き声を上げて壁を突き破り、森の中へと逃げ去った。


 崩れた壁に大きな裂け目が残り、そこから戦場の喧騒が風に乗って押し寄せる。


 そしてその瞬間、整然とした足並みと共に現れたのは、連邦の精鋭部隊。


 その中心から ヘルンが歩み出る。

 その手に握られていたのは、強力な符術式を刻まれた「魔導刺槍」。

 槍の表面には赤い符紋が光り、槍先からは電気のようなエネルギーが走る。


「グロイン。――遊びは終わりだ。」

 彼の一言が、戦場の喧騒を切り裂いた。


 グロインは咆哮を上げて側門へと逃れようとしたが――

 アッシュの剣がその進路を断ち、身動きを奪う。


 次の瞬間、 ヘルンの魔導刺槍から「ヴンッ」と短く唸る音が鳴り、圧縮された符能が放出された。

 槍先から射出された符刃が、グロインの脚の装甲を貫く。


 爆裂音が響き、グロインはその場に膝をついた。


「確保しろ。」


 ヘルンの冷酷な命令と同時に、数人の兵が突入し、符術で拘束具を発動させる。

 グロインは抵抗しようとしたが、ついに力尽きて泥に沈んだ。


 アッシュは一瞥もくれず、煙の中を抜けて外へ歩き出す。



 霧の外。

 リゼリアは足を止め、荒い呼吸を整えながら煙の向こうを振り返った。


 リメアは首を傾げて、どこか得意げな声で尋ねる。

〈……助けられた、でしょ?〉


 リゼリアは睨むような顔をしたが、その口元はかすかに笑っていた。


「うん、よくやったわ。」

 彼女はリメアの額角を軽く撫でてから、小さく付け加える。

「でも次は……もうちょっと早く逃がして。」


 リメアはまばたきを一つし、こくりと首を縦に振った。


 そして――

 そのとき、煙の奥からアッシュの足音が現れる。


 灰と血にまみれた姿で、それでもその瞳はいつも通り、冷静に前を見据えていた。


 三人の視線が交差する。


 言葉はない。

 だが、互いの呼吸と体温と……そこにある沈黙が、すべてを語っていた。


 この混沌は、ようやく一区切りを迎えたのだった。

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