第24話 炎の中で
「――連邦軍が来たぞッ!」
混乱に満ちた叫び声が拠点の外で炸裂し、魔導火銃の轟音と符能爆発の閃光が続いた。
木製の外壁が衝撃で四散し、煙と焦げた匂いが中庭に押し寄せてくる。
「強すぎる……! もう持たない――!」
誰かが血と煤にまみれて屋内に飛び込んできたが、言い終える前に重い蹴りを食らって吹き飛ばされた。
「てめぇが止めてこい。」
火の光の中で、グロインの黒い呪紋に覆われた腕は、まるで獣の骨の鎧のようだった。
その声は低く、冷酷だった。
「俺には――持って行くべき“もっといいモノ”がある。」
彼は勢いよく手を伸ばし、壁際に蹲っていたリゼリアの淡い紫の長髪をわし掴みにして、容赦なくその身体を引き起こした。
リゼリアはもがくこともせず、ただ静かな表情で、琥珀色の瞳に冷たい光を宿らせた。
「……逃げられないわよ、あなたたち。」
「フン。」
グロインは鼻で笑うだけで、彼女を引きずるようにして出口へ向かう。
「逃げるつもり?」
セイラが扉の前に立ちふさがった。眉間に皺を寄せている。
「ここを見捨てるの?」
抑えた焦りが声に滲んでいた。
グロインが答える前に、モラスがすでにくくっと笑いながら裏手に駆けていく。
「俺、車の準備してくる!」
火の手と爆発音がさらに近づく中、壁の向こうからは連邦軍の短い突撃号が聞こえてきた――。
一方、林道。
【……リゼリア!】
リメアが急に顔を上げた。耳膜がぴんと張りつめ、声には明らかな緊迫感があった。
【彼女、危ない!】
アッシュは彼女を横目で見て、冷たい口調で言った。
「止まれ。」
【助けに行く!】
小さな尾が地面を叩きつけ、彼女はすでに飛び出していた。
アッシュは歯を食いしばって小さく呪い、すぐさま後を追う。
前方にいたヘルンはその様子を横目で見ただけで止めなかった。ただ、片手を挙げ、空気を切り裂くような鋭い声で命じた。
「――全員、一網打尽にしろ!」
霧けぶる林の中、足音が落ち葉を切り裂いていく。
アッシュはリメアの後ろを追い、片手に魔導銃を握る。彼女の銀青の鱗がちらつきながら、地面を這うように滑る速度は驚くほどだった。翼をわずかに広げ、地を蹴るたびに風が巻き上がる。
拠点の柵が視界に入る。火と煙が吹き上がり、連邦軍の号令と魔導銃の轟音が交錯していた。
「――左翼、制圧! 裏門を封鎖しろ!」
ヘルンの声が背後から響く。冷徹かつ的確な命令。
アッシュは振り返らない。知っている――この命令がすべての退路を断つということを。
だからこそ、彼は前へと走る。
【あそこにいる!】
リメアの瞳は火と煙の中で輝き、尾を高く掲げる。狩る前の幼獣のように。
砕けた柵の隙間を抜け、アッシュは一歩踏み込んだ。
まず目に飛び込んできたのは、混乱に満ちた中庭だった。連邦兵と反乱者がぶつかり合い、火花と血が泥に飛び散っている。
その奥――
大柄な男が一人の女性を無理やり引きずって裏門へ向かっていた。
淡い紫の髪が炎に照らされ、燃え上がるかのように揺れる。
アッシュの目が一瞬で氷のように冷たくなる。
――リゼリア。
グロインも背後の気配に気付き、鋭く振り返る。
その瞳に鋼のような冷光が閃いた。
「フン、また死に急ぎか?」
彼は片手でリゼリアの首筋を押さえ込み、もう片手で腰から符釘をびっしり刺した槍を引き抜き、アッシュとリメアに向ける。
リゼリアの目はグロインを越えてアッシュを真っ直ぐ見据えていた。
火と煙の中――琥珀金の瞳は瞳孔近くが紅く染まり、唇には意味深な笑みが浮かぶ。
その笑みには、嘲りにも似た余裕があった。
「どうせ来ると思ってたわ」と言わんばかり。
あるいは「ここで動くな」と何かを伝えているのか――判別できない。
アッシュの眉間がわずかに動き、心の奥でためらいがよぎる。
この女の真意は、どこにある――?
グロインはリゼリアの髪を引っ掴んだまま、混乱の人波の向こう――
銀青色の鱗がかすかに閃く気配を捉えた。
その動きが一瞬止まり、目に貪欲な光が走る。
それはかつて王国軍にいた頃、遠くからしか見られなかった、手が届かぬ存在。
「……竜だ。」
低く吐かれたその言葉には、抑えきれぬ歓喜が滲んでいた。
次の瞬間、彼は高らかに笑い出す。
リメアのいる方角を指差しながら叫んだ。
「今日ってのは最高にツイてるな! 獲物が自分から転がり込んできやがった!」
その笑い声は、嗄れて耳障りで、まるで戦場に鳴り響く邪悪な戦鼓のようだった。
アッシュは混戦の中を突き抜け、魔導銃を構える。
冷たい銃口は、グロインとその背後の者たちにまっすぐ向けられた。
「全員、動くな。」
周囲の喧騒をも押し切るほどの声音で、彼は言い放った。
その視線には一切の揺らぎがない。
「リメア、下がれ!」
だが、小さな彼女は命令に従わなかった。
蒼く輝く瞳に怒りの炎を宿し、口を開く。
胸の奥で急速に圧縮された息が熱を帯び、次の瞬間――
炎のブレスが矢のように放たれた。空気が焼け、空間が唸りを上げる。
グロインはそれを冷笑しながら、身をひねって躱す。
その口元に浮かぶのは、あざけりの笑み。
「その程度か? 戦場でなら、もっと強い炎を腐るほど見てきたぜ。」
彼の背後にいた者たちはすぐに散開し、半円を描いてアッシュたちを取り囲む。
刃と槍の金属が霧の中で閃き、緊張が張りつめる。
グロインはリゼリアの腕を引き寄せ、人質であることを誇示するように見せつける。
硝煙と血の臭いが風に混ざり、銃口と剣先が互いにぶつかりそうな間合いに並ぶ――
一つの判断ミスで、ここはすぐに屍の山になる。
「人質は俺が持ってる。数でも勝ってる。」
その声は低く、確信に満ちていた。
「それに、お前は撃てないだろう?」
その目は鋼のように冷たく、どこか見覚えのある不快な光を宿していた。
「王国の英雄様はな、自国の民を犠牲にしたりはしない……だろ?」
グロインはわずかに前かがみになり、言葉を一語一語しっかりと聞かせるように続けた。
「王国騎士団の《竜輔士》――その肩書き、俺は忘れちゃいねえ。
お前が竜に可愛がられてた“選ばれし者”だった頃、俺は隣の部隊で毎日見てたさ。」
アッシュはその言葉を聞いても、視線を一切逸らさなかった。
指先がわずかに動き――
「……だが、もう俺は“英雄”なんかじゃない。」
その言葉が終わると同時に、銃口が閃き、符弾が空を裂いて放たれた。
グロインの目に一瞬、驚きの色が走る。
彼は咄嗟に身を翻し、弾丸は彼の鎧をかすめて火花を散らす。
「人質がいるのが見えなかったのか!?」
怒声が響く。憤怒に揺れる声で、彼はさらに続ける。
「俺は、俺は――」
「竜輔士か?」
アッシュは冷淡に言葉を被せた。手首は微動だにせず、すでに次の狙いを定めていた。
まるで、先ほどの一撃はただの牽制だったかのように。
「残念ね。」
リゼリアが不意に口を開いた。
その声は風に紛れる刃のように鋭く、静かに嘲る。
「人質の選び方を間違えたみたい。
彼にとって私は“魔女”よ。
むしろ殺したくてたまらない存在でしょうね。」
グロインの眉間がぐっと寄り、舌打ちがこぼれる。
「……セイラ! モラス! 踏ん張れ!」
「踏ん張れだと?!」
セイラは両手を広げて、半ば呆れたように叫ぶ。
「向こうは連邦の精鋭部隊、こっちは王国の英雄よ?
一体何でどう戦えってのよ!?」




