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第2話 通りすがりの男

 アッシュは砕石が敷かれた山道を下り、山の麓にある小さな村へと足を踏み入れた。

 このあたりの建物は、灰色のスレートと木材で組まれており、煙突からは細い白煙が上がっている。

 空気には干し草と麦の香りが混じり、のどかな朝市の喧騒が村を包んでいた。


 村人たちは道端に露店を広げ、粗挽きの麦パン、塩漬け肉、干した薬草、獣皮で縫われたブーツなどを売っている。


 アッシュは帽子の鍔をそっと押し下げ、顔を影に隠した。

 ――この動きは、もはや彼にとって反射のようなものだった。


 彼は木の扉を押し開け、冒険者ギルドの中へと足を踏み入れる。

 温かな暖炉の熱と、エールとオイルランプの匂いが、彼の鼻を満たした。


 壁際のボードには、任務の張り紙と指名手配書が雑然と貼り付けられていた。

 アッシュはまずカウンターへ向かい、包みをそっと置いた。

 中身は乾燥させた薬草と、干し果実が二袋。


「なかなかの品質ね。」

 カウンターの奥にいた栗毛の女性が笑顔で包みを受け取り、手慣れた様子で計量しながら言った。


「これで宿二日分と、あったかいご飯一食ぶんにはなるよ?」

「いや、全部銀貨に換えてくれ。」

「了解。」


 彼女が帳面に記入しているあいだ、アッシュの視線は壁の隅――指名手配書の掲示板へと移っていた。


 粗い羊皮紙に描かれた何人かの顔の中に、見覚えのある輪郭があった。

 その瞬間、彼の指先がわずかに強ばり、マントの裾を握る手が一瞬硬直した。


 ――ノアディス王子。

 罪状:国家反逆罪。


 硬く冷たい筆跡の下には、王国の紋章を刻んだ封蝋が押されている。

 カウンターの女性が彼の視線を追い、軽く首をかしげた。


「……あら? 知ってる顔でもあった?」


「いや。」

 アッシュは首を横に振り、淡々と答える。

「ただ、こんな辺境の村にまで、ノアディス王子の手配書があるとは思わなかっただけだ。」


「そうよね……」

 彼女は軽くため息をついた。

「あの戦争から、もう半年近くになるのよね。まさか、王国の英雄だった彼が……反逆者になるなんて。

 しかも――あの戦で、私たちは竜王アエクセリオンまで失ったのに……」


 最後の一言は、どこか探るような調子で付け加えられた。

「あなたは、王子が本当に裏切ったと思う?」


 アッシュはほんの二秒、沈黙した。

「……俺たちみたいな平民が、口にすることじゃない。」


 その言葉に彼女は一瞬きょとんとした後、照れたように笑った。

「ふふ、確かにその通りじゃな。」


 銀貨を受け取ると、彼女はアッシュを一度見直して言った。

「見ない顔ね。初めての村?」


「ただの通りすがりだ。旅費を稼いで、日が暮れる前には出る。」


 アッシュは背負い袋を持ち直し、ギルドを後にした。

 扉が背後で閉まると同時に、壁に貼られた手配書が燭光に揺れ、今にも剥がれそうにひらりと揺れた。


 薬草を銀貨に替え、村を出ようとしたそのとき。

 彼は掲示板の近くに立つ二人組の男に目を留めた。

 最初は任務票を見ていたようだが、アッシュが通りすがる際に、彼の腰元に一瞬視線を投げかけた。

 ――それは、マントの裾からわずかに覗く、金属の煌めきだった。


 アッシュはそのまま人気のある通りを歩き、市場へと足を向ける。

 食料商の店先で支払いを済ませると、店主が低い声で囁いた。


「さっきから外の二人組、おまえさんをずっと見てる……気をつけな。」


「分かってる。」

 アッシュは淡々と答え、食料袋を受け取ると、市場を外れて石壁に囲まれた裏路地へと入っていった。


 背後から、靴音がひたひたと近づいてくる。

 その足音は、徐々に早くなっていた。


「おい、そいつ……軍用の魔導銃ではないか?」

 片方の男が笑い混じりに声をかける。

「んなもん、普通の冒険者が持てる代物じゃねぇよなぁ?」


 アッシュは返事をせず、路地の曲がり角でふと立ち止まり、何気ない動作でマントの留め具に手をかけた。

 そして、ちらりと金属の輪郭が覗く。

 ――暗金色の魔導銃。彫り込まれた装飾が、陰影の中で一瞬だけ光を反射する。


 アッシュは身を半分だけ男たちに向け、冷ややかな目で言い放った。

「引き金、軽いんだ。暴発しても知らねぇぞ。……試してみるか?」


 その一言が落ちた瞬間、アッシュの体が閃いた。

 一瞬で壁際に身を移し、肘打ちで一人の胸を抑えつける。

 もう一人が反応する前に、足払いで倒し、地面に叩きつけた。


 狭い路地に短く鈍い呻き声がこだまし、すぐに静寂へと戻った。

 アッシュは地面に落ちた食料袋を拾い上げ、何事もなかったかのように肩へ掛け直す。

 息ひとつ乱さず、マントを整え、路地を後にした。


 地面には、壁にもたれかかりながらうめく二つの影が残されるのみ。


 何事もなかったかのように、大通りへと歩き出す。

 村の外れ、山道の向こう――そこには、リメアが待っている。

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