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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第二章:連邦の影

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第19話 すれ違う視線

 この辺りは街の市場で、屋台の両脇には各地から来た保存食や香辛料が並び、

 商人たちが声を張り上げ、子どもたちが屋台の間を走り抜ける活気が溢れていた。


 アッシュはいくつか保存の利く乾燥食を選び、漬け肉も数袋手に取る。

 その動きは実に手慣れていて、まるで長旅の備えをするようだった。


「急ぐつもりなんだ?」

 リゼリアは傍らで何気ない口調で聞くが、その眼差しにはどこか探るような色がある。


「ここには長居できないって言ったはずだ。」

 アッシュは視線を動かさず、食材を選び続けながら答えた。


 彼女はそれ以上問わなかったが、ふと気づく——

 アッシュはリメアが前に目を奪われていた小さな菓子を一緒に買っていた。

 まるで、それに気づかれないように、さりげなく。


 その間、通りの向こう側をヴァステリア連邦の兵士の一隊が通りかかった。

 二人の兵が何かを囁き合いながら、こちらを一瞥する。


 アッシュは静かにフードのつばを深く被り、足を止めることなく歩き続けた。

 角を曲がり、兵士の姿が見えなくなると、ようやく静かに息をついた。


 リゼリアは彼の背を見つめ、ふと口元に笑みを浮かべる——

 この男、口数は少ないが、警戒心は尋常じゃない。


 これほど長く王国の追っ手をかわして生き延びてきたのは、運なんかじゃできない芸当だ。


 市場での買い物はまだ続いていた。

 呼び込みの声、鍋を叩く音、立ちのぼる湯気——それらが入り混じる熱気の中にいると、ここが国境に隣接した町だということを、つい忘れそうになる。


 アッシュは香辛料を手早く追加しながら、手際よく品を選んでいた。

 一方、リゼリアはゆったりとした足取りで彼の後をついていき、時折露店の店主と世間話をしながら、飴玉やドライフルーツを手に入れていた。どうやら彼女はこうした人付き合いを楽しんでいるらしい。


 歩いていた途中、アッシュはふと足を止める。

 視線の先には、通りの向こうを歩く巡回兵の一団。その徽章はこの町の守備隊のものではない——黒と銀の二本の銃が交差する、ヴァステリア連邦の特務部隊を示す印だった。


 アッシュはすぐに視線を伏せ、あたかも靴紐を結び直すかのように身をかがめ、さりげなく横道へと進路を変えた。


 リゼリアはそれを見て、少し眉を上げたが、何も言わずついていく。


「そこまで慎重に動くのは……顔が割れてるから?」

 彼女は声を落として尋ねる。


 アッシュは一瞥しただけで答えず、代わりに足を速めた。


 そのとき、向こう側の通りから重い蹄の音が響いてきた。

 その音は金属を石畳に叩きつけるような響きを伴い、明らかに軍用の装備を付けた騎獣のものだった。


 アッシュの眉が一気に険しくなる。

 ただの馬ではない、軍の騎乗獣——この町には、通常より遥かに多くの兵が動いている。


「よくないな。ここは軍の動きが多すぎる。一度宿に戻って荷物を置こう。」

 彼は小声でそう言い、リゼリアもそれに従った。


 歩きながらアッシュは続ける。

「お前たちは宿で待て。俺は甲殻獣を連れて町を出る。外で野営して、明日の朝また合流する。」



 宿へ戻ると、アッシュは買ってきた菓子や甘味をリメアに渡しながら、柔らかな声で言った。

「ここでおとなしく待ってろ。」


 そのとき、先に口を開いたのはリゼリアだった。

 その声には、からかうような響きが微かに混ざっていた。


「信用してくれたの? 彼女を私に預けるなんて。」


 アッシュはマントの留め具を締めながら、顔も上げずに答える。

「信用はしていない。」


 一拍置いて、ぽつりと続けた。

「だが、リメアが自分で選べる。……お前が言っただろ、『あなたじゃなく——リメアのために手を貸すわ』って。

 その言葉だけは信じる。」



 夜の帳が下り、城門の前では哨兵の交代が始まっていた。

 アッシュは甲殻獣を連れて城門を通過する。警備兵は彼の手綱と獣を一瞥しただけで、商隊の記録にある獣だと認識し、特に咎めることなく通した。


 城を出たアッシュは、すぐに野営の準備を始めることはせず、高台へと歩みを進めた。

 そこから、灯に照らされた国境の町を遠くに望む。


 風の中に、遠くから角笛の音が混じる。

 そのリズムは短く、急を告げるような響き——通常の交代信号ではない。


 アッシュの眉が僅かに動く。


 その音、彼は軍にいた頃に何度も聞いた。

 あれは……「封鎖・捜索」の合図。


 周囲の地形を確認するのは習慣のようなものだったが、今回彼の心に浮かんだのは別の思考だった。


 ——おかしい。封鎖の方向が、俺の通ってきた道じゃない。


 城壁の裏手では、複数の騎馬部隊が急速に集結していた。

 馬蹄と鎧の音が混ざり合い、地鳴りのように押し寄せてくる。


 そのとき、坂の下から誰かが叫ぶ。

「おい! そこのあんた、逃げろ!」


 声の主は、一人で荷車を押している旅商人だった。

 こちらをはっきり確認する間もなく、彼は息を切らしながら続けた。


「城の中で魔獣連れの反逆者が狩られてる! 見つかったらその場で殺されるぞ!」


 アッシュの眉がわずかにひそまる。

 ——俺を仲間と誤解したか。


 だが彼の視線は、遠くの別の一角へ向けられていた。

 そこには、連邦の軍旗とは別に、いくつかの黒い影が魔獣を引き連れ、城内へと向かって突入しているのが見える。


 アッシュは甲殻獣の首を軽く叩き、手綱を放した。

 獣は小さく鳴き、ゆっくりと身を翻して森の奥へと姿を消した。


 ——狙いは俺じゃない。けど、あの二人が今……動けば……


 マントを握りしめ、アッシュは元来た道を早足で駆け下る。

 その先にあるのは——旅館のある街区。


 彼の指が剣の柄を無意識に強く握る。


 彼はずっと、狙われるのは自分とリメアだと思っていた。

 だが今、この胸騒ぎが告げている。


 ——今回は……リゼリアの方が危ない。

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