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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十二章:魔女の地

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第123話 血と火の行き先

 セリスは皮肉を帯びた笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。

「やっぱり東へ行くのね。

 それが一番安全でしょう? 竜王は遠くへ逃れて身を守り、聖女の血脈も生き延びる。」


 アッシュはスプーンを握る指に力を込めた。関節が白く浮かぶ。

 彼は視線を上げ、硬い声で言った。

「……いや。リゼリアは、ここに残ったほうが安全じゃないか?

 セリスさんも、何年もここに身を隠してきたんだろう。」


 その言葉が終わるより早く、セリスの周囲に血紅色の煙が噴き上がった。

 彼女は卓を叩きつけ、椀が弾かれて倒れ、スープが木卓に飛び散る。


「――無理よ!」

 声は鋭く、冗談の欠片もなかった。

「この場所を維持するのに、どれだけ力を使ってると思ってるの?

 他人まで匿え? ふざけないで。

 あんたがどこへ行こうと勝手だけど——リゼは違う。」

 彼女は睨みつける。

「連れ出したのはあんたでしょう。だったら、最後まで責任を持ちなさい!」


 その怒りが本物だと、アッシュは初めて悟った。

 視界の端で、リゼリアが顔色を失い、全身を震わせているのが見える。

 幼い頃の恐怖に引き戻されたようだった。


「……すまない。」

 アッシュは低く言い、倒れた椀を片づけ、鍋から新たに温かいスープをよそう。

 その冷静すぎる動作に、セリスは一瞬きょとんとし、怒気は次第に薄れ、血煙も消えていった。


 アッシュは椀を彼女の前に置き、立ったまま静かに言う。

「確かに、俺は逃げられない。

 ……ただ、リゼリアを連れて進むことで、いつか彼女を傷つけるんじゃないかと、それが怖い。」


「一緒に東へ行くんじゃなかったの?」

 リゼリアの声は、まだ震えを含んでいた。

 アッシュは彼女を見つめ、低く答える。

「セリスの言う通り、東へ行けば一時は安全かもしれない。

 だが戦争が始まれば話は別だ。

 それに……すべての発端は、俺だ。もう目を背けるわけにはいかない。」


「アッシュ……!」

 リゼリアは立ち上がり、彼の腕を掴んだ。

 琥珀色の瞳が強く揺れる。

「一緒だって言ったでしょう?

 また私とリメアを置いていくつもりなの?」

 彼女は胸元に手を当て、震えながらもはっきりと言った。

「進む先が血と炎の道でも、帰る場所がなくても……

 私は、最後まであなたと行くって決めたの。」


 アッシュはその姿を見つめる。

 初めて出会った日の、あの頑なな瞳と何一つ変わっていなかった。


「——はいはい、もういい? 感動ドラマは終わり?」

 セリスが気怠げに腕を組み、芝居を見るような口調で言った。

「さあ、座りなさい。まずはスープを飲み切ること。」


【アッシュ……スープ飲みたい!】

 突然、心声が響く。

 アッシュは一瞬目を瞬かせ、裏庭を見る。

 窓辺からリメアが頭を突き出し、蒼い瞳をぱちぱちさせていた。

 腹を空かせた犬のような顔だ。


 リゼリアは思わず笑い、口元を押さえる。

「スープ欲しいみたい。私、よそう——」

「いい、俺がやる。」

 アッシュは静かに遮り、彼女の肩に軽く手を置いて座るよう促した。

 リゼリアは逆らえず、その背中を見送る。

 彼が鍋の前に立ち、スープをよそって裏庭へ消えていく。


「……『血と炎の道でも、最後まで一緒』……ね。」

 セリスはゆっくりと言葉をなぞり、スプーンでスープをかき混ぜながら、意味深な視線を向ける。

「まるで愛の告白みたいじゃない。」


「そ、そんな……」

 リゼリアは頬を赤らめ、慌てて否定するが、声は次第に小さくなる。

「……私たち、そういう関係には……なれないもの。」

 彼女は伏し目がちに、服の端を握りしめた。

「竜王アエクセリオンのこと……あれは、私の負い目だから。」


 セリスは黙って彼女を見つめた。

 淡琥珀色の瞳から笑みが消え、肯定も否定もしない沈黙が落ちる。

 やがてアッシュが戻り、卓につく。

「セリスさん。外の状況を把握しているな? 教えてくれ。」


 彼女は予想していたように答える。

「王国の竜騎士団は北寄りの小村外で集結中。東へ向かう構えね。

 教国も……国境で動きが活発よ。」


 アッシュは眉を寄せる。

「教国の戦力が分からない。」


「神聖騎士団です。」

 リゼリアが答える。


 アッシュは首を振り、冷静に否定する。

「騎士団だけで竜と戦えるわけがない。

 ……対竜用の魔導兵器があるはずだ。」


 リゼリアは戸惑ったように首を傾げる。

「……聞いたことがありません。」


 その時、セリスが意味ありげに笑った。

「魔法を嫌い、魔物使いを異端とした教国——それは昔の話よ。

 でなければ、どうして竜骨が王国に残っていないと思う?」


 アッシュの眼差しが鋭くなる。

「……符釘。やはり教国が関与しているのか?」

 セリスは答えず、ただ微笑む。

「彼らが……魔獣を使うってこと?!」

 リゼリアの声が震える。


「違う。」

 アッシュは即座に否定し、低く言った。

「もっと悪い。

 ――竜そのものを捕らえ、符釘の実験に使うつもりだ。」


 リゼリアは息を呑み、瞳が揺れる。

「……竜の体に、符釘を打ち込む……」

 重苦しい沈黙が落ちる。

 焚き火の爆ぜる音だけが、寒さを追い払えずに響いた。


 アッシュは勢いよく立ち上がる。

「すぐに出発する。追いつく。」

「で、でも……彼らと話が通じるの?」

 リゼリアが不安を抑えきれず問う。

「考えながら進むしかない。」

 アッシュは即答し、セリスに向かって一礼する。

「助言に感謝する。」


「助言?」

 セリスは冷ややかに笑う。

「何もしてないわ。さっさと行きなさい。静かになるし。」

 そう言って手を振り、思い出したように付け加える。

「乾パンと水筒がある。持っていきなさい。」


 そして不意に、リゼリアへ視線を移す。

 淡琥珀色の瞳に、一瞬だけ柔らかさがよぎる。

「それと——服を替えなさい。」

 リゼリアは驚いて服を押さえる。

 セリスは伸びをしながら、気のない調子で続けた。

「その服、儀式用の聖女服でしょう? 一目で目立つわよ。

 それに薄くて寒そう。——いつまで雪原でそれを着るつもり?」

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