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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十二章:魔女の地

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第121話 受け継がれるもの

 セリスは椀の最後の一口を飲み干し、木製のスプーンを置くと、長くため息をついた。


「疲れたわ。休ませて。……話の続きはまた今度にしましょう。」

 そう言って立ち上がり、スカートの裾を床に引きずりながら、扉の前でぴたりと足を止める。

 振り返らずに言い足す。

「一階の部屋は、好きに使っていいわ。でも——二階には上がらないこと。」

 そのまま、彼女の姿は廊下の暗がりにすっと溶けて消えた。


 アッシュは眉を寄せ、目に薄い警戒の色を宿しながら、低く呟いた。

「……何を企んでやがる?」


 リゼリアは椀を抱えたまま、微妙な、どこか複雑な表情をしていた。

「私にも分からない。子供の頃の私は、何も聞けなかった……でも、あの人が私を害することはなかった。」

 アッシュは冷たい目で彼女を見やる。

「だが、あいつはお前に生肉を食わせたり、無理に髪を切らせたりしたんだろう?」


 リゼリアは無意識に自分の髪に触れ、一瞬影を落としたが、すぐに目を伏せ、落ち着いた口調で答える。

「……うん、他にもいろんな実験もされたわ。」

 一拍の沈黙の後、彼女は口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

「でも……ほら、生きてる。」

 そう言って、静かに唇を引き結ぶと、はっきりとした声で付け加えた。

「もし私たちを害するつもりなら、とっくにそうしてたはずよ。今さら待つ理由なんてない。」


 そう言って、リゼリアは棚から大きめの椀を取り出し、スープをよそおうとした。

 しかしアッシュが一歩前に出て、手を差し出し、落ち着いた声で言う。

「……俺がやる。」

 リゼリアは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、やがて微笑み、素直に椀を彼に渡す。

 アッシュは静かにスープを注いだ。



 裏庭では、リメアが爪で地面をひっかきながら退屈そうにしていた。

 二人が出てきたのを見るや、ぱっと顔を上げ、目を輝かせる。


【遅かったよ! もう退屈で死にそうだった……あっ、スープだ!】

 鼻先をスープの湯気に近づけ、尻尾をふりふり揺らしながら、喜びの声を上げる。

【いい匂い……お肉が入ってたらもっとよかったのに。】


 アッシュは思わず笑ってしまったが、すぐに表情を引き締め、沈んだ顔つきに戻る。

 それを見たリゼリアが、そっと尋ねる。

「……何か、気にかかることがあるの?」


 アッシュは少し黙ってから、低く答える。

「……あるに決まってる。」

 その声には、抑えた感情が深くに秘められていた。

「リゼ……お前は最初から、聖女の使命を知っていたのか?」


 リゼリアはわずかに驚いたが、穏やかな声でうなずく。

「うん。……あなたが竜騎士として王国を守ることを当然と思っていたように、私も当然のように受け入れていた。」

 彼女は目を上げ、少しだけ自嘲を含んだ笑みを浮かべる。

「きっと、同じよ。」


 アッシュはその言葉にしばし沈黙し、やがて静かに言葉を返す。

「……確かに、そうかもしれないな。」


 リゼリアは空を見上げる。

 雲の切れ間から差す光が、琥珀色の瞳に金と紅の輝きを映し出していた。

「でも今は……少しだけ、抗ってみたいと思う。」

 そう言って彼を見つめ、はっきりとした声で続けた。

「あなたが……私を、連れ出してくれたから。」


 アッシュは彼女の眼差しをまっすぐに受け、胸が詰まるような思いに駆られながら、視線を逸らして低く応じる。

「……ああ。」


 その時、リメアが突然頭を突っ込み、二人の肩の間に割って入った。

 銀色のたてがみがふわりと触れた。

〈あたしもいるよ! 三人で、ずっと一緒だよ!〉


 リゼリアは一瞬ぽかんとしたが、すぐに笑い出す。

「うん、三人で一緒にいよう。」


 アッシュも、肩の力を抜いたように小さくため息をつき、今回は珍しく反論しなかった。



 リメアを裏庭に寝かせると、二人は一階の部屋へ戻った。

 そこは簡素な部屋で、小さなベッドと壁沿いの長椅子があるだけだった。


 アッシュは長椅子に腰を下ろし、視線でリゼリアにベッドに座るよう促す。

「……『聖女の力』って、具体的にはどんなものなんだ?

 動物と話せること、龍語、歌……それらも全部、聖女の力の一部なのか?」


 リゼリアは目を伏せ、思い出すように言う。

「……私が知る限りでは、癒しだけじゃなく、聖女の力にはもっと幅があるみたい。

 時には、特別に強い力を持つ聖女も現れるらしい……普通の人よりも長命だったという話もあるわ。

 伝承が多すぎて、統一された説はないけど。」


 アッシュの心に、ある名前が浮かぶ。

「……エルセリアは『力に目覚めていない』って言ってた。でも、お前たちは姉妹だよな。

 ということは、聖女の力は血で受け継がれる……?」


 リゼリアはうなずく。

「ええ。聖女は代々、聖殿で育てられてきたの。

 その監督のもと、血の継承と純潔が保たれてきた……」


 アッシュは顔を曇らせ、低く言う。

「……それじゃまるで、金の檻の中に閉じ込められたようだ。」


 リゼリアは首を振り、苦い笑みを浮かべながら答える。

「でもね、それが『当たり前』だと思われている世界では、誰も疑問を持たないの。

 そういうものよ。」


 アッシュはしばらく黙った後、問いを続ける。

「……その後は? 教国に連れ戻されたあと、どうしていたんだ?」


 リゼリアは薄暗い窓の外を見つめながら、遠い記憶を語るように言う。

「その時にはもう、聖女の名はエルに継がれていた。

 私は魔女という名を与えられて、代わりに監視は緩くなった……。

 だからその隙をついて、旅に出たの。数年に一度だけ、こっそり戻ってエルの様子を見に行った。」


 アッシュの声がふと低くなる。

「……じゃあ、あの戦場でお前が現れたのは、誰の指示だった? 今なら……話せるだろ。」


 リゼリアは動きを止め、何かを迷っている様子だった。

 しかしアッシュは追及の手を緩めず、冷ややかな声で言い放つ。

「聖女の使命を果たすためだろ。——アエクセリオンを殺して、心臓の結晶を手に入れる。

 それが、お前たちの言う聖遺物だ。」


 沈黙が二人の間に広がる。

 リゼリアの睫毛がかすかに震え、やがて視線を伏せる。

 否定も肯定もせず、ただ沈黙で答えた。


 アッシュは顔を手で覆い、指の隙間から荒い呼吸が漏れる。

 胸に渦巻く怒りを押し殺し、かすれた声で呟いた。

「……いずれ、リメアはその記憶を受け継ぎ、新たな竜王になる。」


 リゼリアはその言葉に驚き、しばらく黙ってから、静かにうなずいた。

 アッシュは勢いよく立ち上がる。

 リゼリアも何かを言いかけて立ち上がるが、アッシュは背を向けたまま、はっきりと言った。

「……俺はリメアの側にいる。この部屋は、お前が使え。」


 リゼリアが何かを言う前に、彼は扉を開けて出ていった。

 残された部屋には、リゼリアの姿だけが静かに佇んでいた。

 彼の背中が消えていった扉を見つめ、握りしめた指が微かに震えた。

 やがて、その手をゆっくりと解き、唇がわずかに動く。

 聞こえるかどうか分からない、儚いささやきが空気に溶けていく。


「……ごめんなさい。」

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