表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十一章:封印の儀式

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/138

第108話 砕かれた静寂

 聖堂の鐘が鳴り響き、低く長い余韻を残した。

 アッシュは二人の騎士に両側から押さえられ、大広間へと連行される。


 今日の聖堂は、ひときわ冷えていた。

 焚かれた香の匂いが空間に渦巻き、雪の後の湿った空気と混じり合っている。

 儀式の導入はいつもと同じ──聖典の朗読、聖女の献身と犠牲への賛美。

 そして、竜族と結託する王国、魔と通じる者への非難。 


 アッシュは長椅子に座り、両手を前に縛られたまま、指が白くなるほどに拳を握っていた。 

 昨日と同じ言葉のはずなのに、今日はそのひとつひとつが、骨の奥に響くように重く感じられる。 


(聖女の犠牲……封印の完成……) 

(彼らは彼女の命を、世界の安寧と引き換えにするつもりか……) 


 息が乱れる。

 脳裏には、祭壇の前で静かに祈りを捧げるエルセリアの姿が浮かぶ。

 そしてもう一つ──あの渓流のほとり、両手を広げて笑っていた彼女の笑顔。

(儀式は……いつ行われる?) 

(彼女に、もう一度会えるのか?) 

 やがて儀式が終わり、信者たちは去っていった。 


 アッシュは、騎士たちが迎えに来るのを待っていた。

 だが、誰も来ない。 

 最後には、広い大殿にアッシュ一人だけが残された。

 高い窓の隙間から冷たい風が吹き込み、蝋燭の炎を揺らす。 

 ──今日は、リゼリアの姿も見えない。


 アッシュの胸にぽっかりと穴が開いたような感覚が広がる。

 彼はゆっくりと顔を上げ、遠くの祭壇を見つめた。

 そこには、聖女の像が立っていた。

 両手を組み、優しげで慈悲深い眼差し。

 だが、その微笑みはあまりにも遠く、届かない。 


 息が荒くなる。

 彼は立ち上がり、鎖が鋭く鳴った。 

 足を引きずるようにして祭壇へと歩き出し、膝をつく。 


(見ているだけか……) 

(俺に、どうしろって言うんだ……) 


 次の瞬間──彼は手首を振り上げ、鎖を祭壇に叩きつけた。 

 重い音が大殿に響き渡る。

 聖像前の蝋燭が揺れ、火の粉と蝋が散る。 

「お前たちの望みは、俺からは得られない!」 

 声は掠れ、ほとんど叫びに近かった。

「殺すなら殺せ!──彼女たちを脅すな!」 


 外の騎士たちが騒ぎを聞きつけて駆け込んでくる。 

 長槍が唸りを上げ、アッシュの胸元を狙う。 

 だが、彼は鎖でその槍を受け止め、力任せに引き寄せると、膝で腹を突いた。 

 最初の騎士が呻き声を上げて地面に倒れる。 


 次の騎士が駆け寄るが、アッシュは鎖を素早く腕に巻きつけ、相手を地面に叩きつけた。

 鎖が床を擦り、鋭い音を立てる。 

 あっという間に、二人を倒した。 


 アッシュは肩で息をしながら立ち尽くす。

 汗が額から流れ、視界がにじむ。

 だが、彼の足は一歩も退かなかった。 

 ──両手は鎖に繋がれたまま。

 それでも、その姿はまるで壁際に追い詰められた獣。

 全身に緊張を漲らせ、視線は氷のように冷たく、鋭い。 


 ──すぐに、次の波がやって来た。 

 外から続々と騎士たちがなだれ込む。 

 槍と盾が一斉に襲いかかり、アッシュはついに地面に押さえつけられた。 

 柄、拳、鋼鉄の靴──あらゆるものが彼の身体に叩きつけられる。

 痛みが波のように押し寄せ、視界が赤く染まる。

 耳にはもう、轟音しか聞こえない。 


 最後の一撃が落ちたとき、彼の手から力が抜け、鎖が石床に当たって乾いた音を立てた。 

 ──そして、意識は闇へと沈んでいった。




 薄暗い光の中で、アッシュはゆっくりと目を開けた。 

 眩しい蝋燭の光が瞳を刺し、視界が白んで見える。 

 ──ここは、あの牢ではない。 


 湿気の染み込んだ壁も、鉄錆の匂いも、薬草の煙もない。 

 彼は柔らかすぎる長椅子に無造作に横たえられていた。

 まるで、自分にはまったく不釣り合いな世界に放り込まれたかのように。 


 両手はまだ鎖につながれたまま。

 金属の冷たさが皮膚に食い込み、まるで刻印のように痛む。 

 手のひらには、祭壇を砕いた時に触れた蝋がこびりついていた。

 乾ききったその跡が、焦げた匂いと共に── 

「これは現実だ」と唯一証明してくれる印だった。 


 全身の筋肉が軋むように痛み、

 肩も背中も焼けつくように熱い。

 胸には鈍い圧迫感が広がり、脚には重たい疲労が染みていた。 

 呼吸をするたびに骨の隙間まで痛みが滲み、思わず唸り声が漏れる。 


「──目が覚めたか」 

 馴染んだ、だが冷たい声が響いた。 

 顔を上げると、向かいの椅子にもたれる男の姿があった。 


 オズモンド──

 完璧に整えられた王族の礼装。

 光沢のある長靴、指一本まで無駄のない動き。


 アッシュよりもさらに明るい銀髪が蝋燭の光を反射していた。

 まるで、「こここそが王族の座である」と言わんばかりに。 


「自由を与えたら、今度は聖堂を壊すか?」 

 オズモンドは、まるで悪戯を叱る教師のように、静かに、皮肉げに言った。

「街中を騒がせたうえ、俺の部下を殺しかけた。」 

 一拍置いて、口元に意味深な笑みを浮かべる。 


「幸い、教国は大目に見てくれたようだ。

 そのままお前を俺に引き渡してくれた。

 でなければ今頃、お前はこの椅子ではなく、血塗れの裁きの台に縛られていただろうな。」 

 そう言って、彼は杯を静かに置いた。


 陶器がテーブルに当たり、鋭く澄んだ音を立てる。

 その音が、まるで判決の鐘のように鳴り響いた。

「──おとなしくしていろ。封印の儀式が終わるまではな。」


 アッシュはしばし沈黙し、やがて顔を伏せる。

 鎖に繋がれた手の甲で、乱暴に頬をぬぐった。

 乾いた傷口が裂け、鋭い痛みが走る。


「……自由?」

 苦笑が漏れる。

 だがその笑いには、どこまでも冷たい諦念が混じっていた。

「これを……自由と呼ぶのか?」 


 オズモンドは眉を上げる。

 その反応を楽しんでいるように見えたが、何も言わず、続きを待った。


「──エルセリアに会わせろ。」

 ついに、アッシュは口を開いた。

 声は掠れていたが、言葉のひとつひとつが、魂を込めて絞り出されたように響いた。

「今……お前しかいない」


 「エルセリア?」

 オズモンドはその名を繰り返し、わずかに驚いたような、だがすぐに冷笑を浮かべる。 

「封印の儀式を担う聖女か。そんなに親しかったのか?

 ……死ぬと分かっていて、それでも会いたいと?」 

 そう言って、オズモンドは手を振り上げ、侍従に命じた。 

「──伝えろ。最後の願いくらい、聞いてやろう。」 


 それから、アッシュに視線を戻し、低く静かな声で言い放つ。 

「だが、これが最後だ。次に暴れたら──

 今度こそ、お前を檻に入れたまま、儀が終わるのを待たせることになる。」


 アッシュは答えなかった。 

 ただ、額に張りついた髪を揺らしながら、息を吐いた。 

 それが「理解した」という沈黙の返答であることは、二人ともわかっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ