第106話 帰郷の代償
騎士たちは両脇に控えた。
オズモンドはアッシュをじっと見つめ、顔に散った血の跡に目を留めると、まるで他人事のように言った。
「一年ぶりだな、ノア。……見たところ、あまり変わっていないようだな。顔を除いては、だが。」
「馴れ馴れしく呼ぶな。」
アッシュは手の甲で荒々しく口元の血を拭い、鋭い視線を突きつけた。
「やはりお前か。王国の内通者──アエクセリオンを殺すよう仕向けたのは……お前だな?」
オズモンドは眉をわずかに上げ、嘲るように笑った。
「俺か? いや、それは違う。そんな暇人じゃないさ。ただ、絶好のタイミングで──うまく情勢を利用しただけだ。」
そこで一旦言葉を切り、今度はより軽薄な調子で続ける。
「それに……アエクセリオンには感謝しないと。お前を何年も引き取ってくれたおかげで、王都に戻ってきた時には、まともな王子の気品すらない。まるで……野猿だ。」
「黙れ!」
アッシュの声は低く掠れ、握った拳には白く血の気が引いていた。
「その名をお前の口で汚すな……!」
オズモンドはまるでそれを楽しんでいるように、薄笑みを浮かべた。
「いいな。その目だ。昔からお前はそうだった。」
彼は軽く手を振り、アッシュに椅子を示した。
「まあ、せっかくだ。座って聞け。今日はお前を裁くために来たんじゃない──少しは知っておいた方がいいと思ってな。」
アッシュは動かず、鋭く返す。
「お前がそんな情けをかけるとは思えないがな。」
その言葉に、騎士の一人が一歩踏み出し、槍を軽く構えた。空気が一瞬で張り詰める。
だがオズモンドは手を上げてそれを制し、悠然と紅茶のカップを取り、ゆっくりと一口含んだ。
その仕草は挑発にすら見えた。
「情けじゃない。」
オズモンドはカップを置き、淡々と言う。
「これは──お前に用意した、帰還の道だ。封印が終われば、お前とあの竜の末裔は王国に引き渡される。そうして、王国は安心して俺に王冠を譲る。」
アッシュの眉がさらに寄る。胸の奥に何かが詰まるような感覚。
「……俺が戻るとでも?」
オズモンドの口元に皮肉な笑みが浮かぶ。
「戻らないとでも思ってるのか? お前に選択肢があると?」
彼は身を乗り出し、声を潜めて言う。
「ノア……まだわかってないんだな。兄上──レオネルはお前が戻ってくるのを心待ちにしてるよ。反逆者として、堂々と処刑するためにな。」
アッシュの指先が震え、拳がさらに強く握られる。
「……じゃあ、お前は? お前はそれを見届けたいのか。俺が死ぬ姿を。」
「まさか。」
オズモンドはその怒りを楽しんでいるかのように、さらに笑みを深める。
「俺はお前を生きたまま戻すよ。そうすれば、俺がレオネルより優れた王に相応しいと証明できる。」
彼の声はゆっくりと、言葉を噛みしめるように続いた。
「レオネルが処刑を提案した時、俺はそれに堂々と反対する。……その時点で、揺れていた貴族たちは俺の側につくさ。」
オズモンドは椅子にもたれ、指で肘掛けを軽く叩く。
「国の英雄を断頭台に送るなんて、愚の骨頂だ。俺はそんな過ちを犯さない。自分の継承権を、くだらない私情で潰すような真似はしない。」
アッシュの呼吸が荒くなり、目に怒りが宿る。
「俺は封印の儀を許さない。……エルセリアを、そんな形で犠牲にするなんて……!」
オズモンドは薄く眉を上げるも、態度は崩さない。
「愚かなことはやめろ、ノア。お前が暴れれば、もう生きて戻れなくなるぞ。」
その忠告に、アッシュは微かに笑った。疲弊しながらも、冷たく鋭い笑み。
「……それならそれでいい。お前の計画も、全部台無しにしてやる。」
その一言に、オズモンドの笑みが消えた。視線が冷たく鋭くなる。
「ノア……お前のことは、昔から本当に気に食わなかった。」
その蒼灰の瞳が真っ直ぐアッシュを射抜く。
「お前はたった第七位の王子に過ぎないくせに、竜王に寵愛されて……宮廷では誰の目にも止まらなかったくせに、帰ってきたら英雄扱い。」
「民はお前を讃える。王国の希望だと──そう言われるのは、本来なら俺のはずだった。」
そして彼はふっと笑い、先ほどよりも冷たく低い声で言い放つ。
「だが構わない。封印が終わったら、お前は嫌でも見ることになるさ──
あれほど守ろうとした王国が、どれだけお前の帰還を歓喜するかを。」
彼は椅子にもたれ、手を振る。
それが会話の終わりを告げる合図だった。
騎士たちがすぐさまアッシュを引き立てる。鉄靴が石床を叩き、外の冷風が開いた扉から吹き込む。
風にあおられ、アッシュの髪が頬に張り付く。
彼は抵抗せず、ただうっすらと笑みを浮かべながら、足を引きずるように応接室を後にした。
扉の外、風が吹き抜け、火灯がかすかに揺れた。
騎士たちはアッシュを引きずるようにして廊下を進む。石の壁に炎の影が映り、彼の影は引き伸ばされて、まるで処刑場に引かれる獣のようだった。
彼は歯を食いしばり、目を閉じた。胸の奥では、怒りが煮え立ち、今にも破裂しそうだった。
──エルセリアを犠牲にしようとしている。
──心臓の結晶を使って封印を完成させ、その後で自分を帰還の証として送り返すつもりだ。
怒りに喉が締まり、呼吸は火を飲んだように熱くなった。
騎士たちは彼を狭い牢に押し込み、手錠と鉄の環で固定し、重い鉄扉を閉じた。
先ほどよりも寒い空間。壁には祈りの壁画などなく、粗い白石と鉄鎖だけ。床は霜が張ったように冷たい。
アッシュは壁に背を預けて座り、肩で息をしながら胸元に触れた。
……竜鱗は、まだそこにあった。
耳には、今もオズモンドの声がこびりついている。
「竜王の寵愛」「王国の英雄」──
だが思い出す。自分はただ、無理やり戦場に放り込まれ、血と泥の中を這い戻ってきただけの存在だ。
本来なら、第七王子としてセラウィンに婿入りし、フィリシアと平穏な日々を送っていたはずだった。
だが現実は、戦場に引きずり出され、仲間が次々と倒れていき、最後にはアエクセリオンまでも死んだ。
そして今度は、エルセリアが命を捧げ、リメアが奪われ、リゼの生死も分からない。
(アエクセリオン……これが、お前が俺に用意した未来か……?)
後頭部を壁に預け、アッシュは喉を詰まらせるように息を吐いた。
オズモンドのあの声が、毒蛇のように耳元で囁き続ける。
『封印が終わったら、お前は嫌でも見ることになるさ──
あれほど守ろうとした王国が、どれだけお前の帰還を歓喜するかを。』
アッシュは胸元の竜鱗を握りしめ、指の関節が白くなるまで力を込めた。
(だめだ……こんな奴らの思い通りになってたまるか。)
彼の瞼に浮かぶのは、祈りを捧げるエルセリアの姿。
渓谷で両腕を広げ、風にスカートを揺らしながら、空を抱くように微笑んでいた。
(彼女が祭壇で死ぬなんて、そんなの許せるわけがない。
それが運命だとしても、俺は見過ごさない。)
手首を締める鉄環が痛みを与える。それが、逆に決意を強めた。
(たとえ教国と……王国すら敵に回しても――
俺は、彼女たちを取り戻す。)
アッシュは目を閉じ、息を深く吐いた。鼓動をゆっくりと整える。
次にオズモンドに会う時、
もう、ただの捕虜では終わらせない。
封印を壊す。儀式を潰す。
どんな代償を払ってでも──
終わらせてやる。




