第105話 再び、目覚めの鐘
……鐘の音。
アッシュは再び、あの馴染み深い空気の中で目を覚ました――
薬草の苦味、焚香の煙、低く響く祈りの声。
だが、目を開けた瞬間、彼は違和感を覚えた。
療養室の広さが、以前よりもわずかに広く感じられる。
壁の曲線や窓の高さも微妙に異なっている。まるで、別の場所に移されたかのようだった。
身体にはまだ疲労が残っていたが、外傷はすでにすべて癒えていた。これまでと同じように。
アッシュは身を起こし、白いシャツと濃色のズボンに身を包まれた自分の姿に目を落とす。
無意識に胸元に手を伸ばす。竜鱗は、今も静かに首にかけられており、その冷たい感触に、わずかな安堵を覚えた。
彼は視線を巡らせる。
だが今回は、扉の前にエルセリアの姿も、壁にもたれるセイフィナの姿もなかった。
代わりに入ってきたのは、無表情な一人の主教だった。
彼は軽く頭を下げ、淡々と言った。
「ノアディス殿下。教皇使節殿が、お会いになりたいそうです。」
アッシュは目を細め、すぐには動かなかった。
「リゼリアは? ……それに、俺の竜は?」
掠れた声には、鋭い警戒が滲んでいる。
だが主教の表情は一切変わらず、ただ同じ言葉を繰り返した。
「教皇使節殿が、お待ちです。」
アッシュの指先がわずかに震え、額の血管がピクリと跳ねる。
彼はベッドから立ち上がった。
足取りは重く、だが確かな意志を秘め、扉へと歩みを進める。
その一歩一歩が、見えない罠へと自ら足を踏み入れていくようだった――
彼はすでに、これから待ち受ける「裁き」がどういうものかを知っていた。
側堂の灯火はいつもよりも明るく、
壁に刻まれた聖紋が、まるで炎のように目を刺す。
アッシュは二人の騎士に連れられて堂内に押し込まれ、
膝を強制的に冷たい石の床に着かされた。
高台には教皇使節が端然と腰掛けており、まるでこの時を待っていたかのようだった。
「ノアディス殿下。」
その声は静かでありながら、どこか見えない喜悦を孕んでいた。
「聖遺物をご覧になった以上、それが意味するものもご理解いただけたでしょう。」
使節はゆっくりと立ち上がり、高台から階段を下りてくる。
法衣が床を擦り、低く重い音を響かせた。
アッシュの目前に立ち止まった彼は、わずかに身をかがめ、恩恵でも授けるような口調で言った。
「本来であれば、あなたに説明する必要などない。だが、せっかくここにいるのです。これからあなたが直面する現実を教えて差し上げましょう。」
彼は一つの木箱を取り出し、戦利品でも見せるように蓋を開いた。
深紅の結晶が燭光に照らされ、妖しく輝く。
「封印の儀には、二つの要素が必要です――聖遺物、そして聖女の魂。」
その声は低く、そして冷酷な笑みを含んでいた。
「彼女はその命を捧げ、聖遺物――つまり竜王の心臓結晶――と共に封印の核となる。それが、彼女の存在理由です。」
アッシュの呼吸が一瞬にして荒くなり、胸に重くのしかかる痛みが彼を押し潰す。
脳裏をよぎるのは、祈りを捧げるエルセリアの横顔。
そして――あの渓谷。
陽光のもと、彼女が水辺に立ち、両腕を広げて空と大地を抱こうとしたあの瞬間。
あの笑顔は、「自由」を心から願った証だった。
(彼女は……知っていたのか?
それとも、すでに……覚悟していた?
命をもって、封印を完遂することを――)
アッシュの指が、拳を握り締めたまま掌に深く食い込み、
胸の奥で怒りと絶望が爆発寸前まで煮えたぎっていた。
使節は、その表情の変化を見逃さなかった。
口元に薄い笑みを浮かべ、低く嘲るように言う。
「いい顔だ、殿下。鎖に繋がれた竜……いや、追い詰められた野犬の方が似合っている。」
「忘れるな。お前の居場所は地べただ。跪いているのが、今の貴様に相応しい。」
彼は背を向け、高台へと戻りながら言い放つ。
「その表情を保っておくといい。……すぐに、それを見届ける者が現れる。」
アッシュは顔を上げ、その瞳に冷たい炎を宿しながら言った。
「誰だ?」
使節は直接答えず、彼の怒りを楽しむように笑った。
「すぐにわかりますよ。」
アッシュの心に鋭い痛みが走る。
怒りが頭を駆け巡り、かすれた声が叫びへと変わる。
「リゼを……エルセリアを……リメアを見せろ!
今すぐ……会わせろッ!!」
騎士たちが即座に動き、槍の柄がアッシュの体を打ち据える。
彼は床に叩きつけられ、肩に押し付けられた柄が逃げ場を塞ぐ。
血が唇から流れ、石の床に点々と落ちる。
使節は、もはや抵抗する力もない者を見るように彼を見下ろし、静かに命じた。
「連れて行け。」
騎士たちは容赦なくアッシュの両腕を掴み、半ば引きずるようにして引き立てる。
血は彼の顎と衣の裾を伝い、床に赤い痕を残した。
重い扉が開かれ、外の冷風が吹き込む。
傷口に沁みるその冷たさが、彼を強制的に現実へ引き戻す。
アッシュは息を荒げながらも、次第にその瞳を冷たく沈めていく。
その眼差しは、まるでこの世界すべてを燃やし尽くさんとするかのようだった。
高台の上、使節はそれを見下ろしながら、どこか満足げな表情を浮かべていた――
まるで、次なる「観客」の到着を待ち構えているように。
騎士たちはアッシュを半ば引きずるようにして側堂を出た。
外の風は鋭く、血の気すら凍るほど冷たい。
アッシュは歯を食いしばり、もう抵抗はしなかった。
ただ、押されるままに歩を進めた。
長い回廊を抜け、広々とした聖堂の回廊を通り過ぎ――
やがて、豪奢な装飾が施された応接の間へと連れて来られる。
扉が開かれた瞬間、暖かな灯りと香の匂いが彼を包んだ。
それは先ほどまでの冷気と、あまりにも対照的な空気だった。
室内には、すでに一人の男が待っていた。
天鵞絨の長椅子に優雅に腰掛け、王国貴族の正装を身に纏い――
銀髪はアッシュよりもさらに明るく、燭光の下で眩しく輝いていた。
その瞳は冷たく鋭く、口元にはかすかな笑み。
「弟、ノアディス。」
ゆっくりと、そしてはっきりとした口調で彼は言う。
親しみとも、威圧ともとれるその呼びかけ。
「やっと来たな。」
アッシュは騎士に背を押されて部屋の中へと入る。
ふらつく足取りで顔を上げ、目を見開いた――
第二王子、オズモンド。




