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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十章:繋がれた記憶と鎖

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間章 記録官の選択

 夜も更け、文書室には一つの揺らめくランプだけが灯っていた。

 エミールは長机の奥に座り、一通の報告書を書き終えたところだった。

 その時、机の上に置かれた魔導通信器が淡い青光を放ち始める。


 これは長距離通信だ。

 メリッサの声が静かに響く。


 「フィリシア様がこの内容をエミール様にお伝えするようにとのことです――ノアディス殿下は教国に護送されています。止めるなら、セラフィア領に入る前しかありません。」


 声が途切れ、光も次第に消えていく。

 部屋は再び静寂に包まれた。


 エミールはゆっくりと手にしていたペンを置き、指先で机を二度叩いた。

 その瞳には深い憂いが宿る。

 「……なぜ殿下が教国の手に?」

 

 机の上に散らばっていた書類をまとめ、一枚の地図に重ねる。

 目を向けたのは、これまでに集めた情報――


 アエクセリオンの遺骨が、北方へと極秘裏に運ばれていたこと。

 それが安置されるのではなく、ある禁術の材料として利用されているという噂。


 さらに、しばらくして市中に大量の新型魔導符釘が出回り、その出所を追った先も北だった。

 エミールの眉間に皺が深まる。

 「竜王の遺骨、北方製の符釘、そして今は殿下の護送……偶然で片付けられるものじゃない。」


 脳裏に浮かぶのは、北方の小国カルデリア――

 かつて竜王が戦死した、あの戦場。


 「教国は……遺骨を奪っただけではなく、殿下までも利用しようとしているのか?」

 彼は深く息を吸い込み、心中のざわめきを押し殺した。


 この件は、上には報告できない。

 

 「第一王子レオネルがこの事実を知れば、即座に身柄の引き渡しを要求するだろう。……最悪の場合、戦争も辞さない。」


 だが王国は、まだ内乱からの立て直しの途中にある。

 今、教国との争いが始まれば、どちらが勝つかも分からない。

 そして、ノアディス殿下はその渦中で政治の駒として――あるいは、犠牲として扱われる可能性が高い。

 

 本来なら、セドリックと相談したいところだが……

 二人は所属が異なり、直接連携する機会はほとんどない。

 自分は騎士団の記録官、セドリックは宮廷の魔導顧問――

 しかも今は非常時。王族はすでにセドリックに疑いの目を向けている。

 「……連絡はできない。」

 

 エミールは一枚の白紙を取り出し、素早く密書を書き上げ、封蝋で固める。

 それを使者に手渡すと、静かに言った。


 「北境にいる古い同志に届けてくれ。

 セラフィア領に入る前に、山賊の皮を被った狼どもを使って護送隊を襲撃しろ。

 殿下を救えなくとも、生存の確認だけは必ず。」


 封蝋が閉じられた瞬間、彼はふと窓の外に目をやる。

 漆黒の夜空に、光はなかった。


 「殿下……どうか、無事でいてください。」

 



 ――十数日後。

 密使が戻り、返書を手渡した。

 エミールは封蝋を解き、文面を素早く目で追う。

 やがて、彼の手が止まり、眉間の皺がさらに深まった。


 「……失敗、か。」


 文中には、はっきりとこう書かれていた――

 彼らが襲撃した護送隊は、厳重な防備体制を敷いており、随行の騎士たちは一個の民兵隊を圧倒できるほどの戦力。

 さらに、複数の高位聖職者が同行しており、魔導を封じる結界を展開していた。


 「撤退路までも見抜かれていたとは……」


 エミールは書簡を静かに閉じ、長く息を吐く。

 胸の奥に重い感情が沈殿していく。

 「教国がここまで徹底しているとは……予想以上だ。」

 

 彼は再び地図を見上げた。

 視線は、北境とセラフィアの国境付近に伸びる道筋に落ちる。

 「殿下……ここから先は、あなた自身に託すしかない。」

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