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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第十章:繋がれた記憶と鎖

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第102話 終わらぬ審判

 ……鐘の音。


 まただ。

 アッシュはその音で目を覚ました。

 低く、深く――まるで遠くの水面から響くような、重く響く鐘の音が耳奥に染み込んでいく。


 彼は勢いよく目を見開く。

 視界はまたしても白光に覆われ、世界が溶けるようにぼやける。


 (……またここか)


 今度は、起き上がる動作も早かった。

 だが、目の前が暗転するように揺れ、思わずベッドの縁を掴む。

 額から汗が滴り落ち、喉がひりつく。


 (三度目……側堂に行くのを拒んだら、結局扉の前で連れて行かれた……)


 「目が覚めたのですね」

 その声は、予想通りだった。

 アッシュが顔を上げると、そこにはやはりエルセリアの姿。

 翡翠色の瞳に朝の光を映し、表情は冷静で――あまりにも見慣れてしまった光景。

 背後のセイフィナも、いつものように腕を組んで壁に寄りかかっていた。


 アッシュは荒く呼吸を整えながら、低く言った。

 「わかってる。ここは大聖堂の療養室だ」


 エルセリアのまなざしがわずかに揺れる。

 「……知っていたのですね?」


 アッシュは顔を上げ、声を固くした。

 「俺は……あいつに会う気はない」


 エルセリアの歩みが止まり、瞳に探るような色が浮かぶ。

 「教皇使節が来ていると……それも知っているのですか?」


 アッシュは顔を覆い、唇を噛む。

 エルセリアが心配そうに近づこうとする。


 「どうかしましたか? 傷はすでに癒えているはず――痛むのですか?」

 彼女が手を差し出したその瞬間、アッシュは無意識に彼女の手を払いのけた。

 その反応はあまりにも強すぎて、部屋の空気が凍りつく。


 セイフィナがすぐに声を上げた。

 「……聖女様に対して、なんという無礼!」

 冷たく言い放ち、さらに続けた。

 「教皇使節殿は側堂にてお待ちだ。すぐに向かえ」


 アッシュは唇を噛み、震える声で返した。

 「行かないと言ってる……話すことなんかない」


 彼は顔を逸らし、エルセリアを睨みつけるように見据えた。

 そしてその手を掴んだ――あまりにも強く。

 「リメアとリゼリアに会わせろ、今すぐにだ」


 エルセリアはその強さに一瞬驚き、目を見開いた。


 ――パァンッ。

 乾いた音が響いた。

 セイフィナの掌が、アッシュの頬を打ったのだ。


 「落ち着け!」

 その声には怒気と焦りが混じっていた。

 「そんな取り乱し方をして、何も変わらない!」


 アッシュの胸が激しく上下し、目には血走った怒りがにじむ。

 「落ち着けだと……? 俺が妥協すれば、リゼリアとリメアを解放するのか……?」


 そのとき、扉が重く開いた。

 騎士のブーツ音が床を打つ。

 二人の教国騎士が門の両脇に立ち、槍を交差させる。

 そして、使節が現れた――深紅の法衣に身を包み、目は氷のように冷たい。


 「申し訳ありません」

 セイフィナがすぐに膝をついて謝罪する。

 「ノアディス殿下を側堂へお連れする前に、このような事態に……」


 使節は手を軽く振った。

 「構わない。ここでも構わん」


 彼はアッシュの前まで歩み寄り、手を広げる。

 手の中にあったのは、やはり――あの箱。


 「ノアディス殿下」

 その声は、静かで、それでいて全身に圧をかけるような威圧感を持っていた。

 「あなたが聖遺物を携えていた件、すでに承知しているはずです」


 アッシュは歯を食いしばり、胸の内を必死に抑える。

 「……もういい。俺には……開けられない」


 使節の唇がわずかに持ち上がる。

 「殿下。箱はあなたの魔力に反応している。開けられないはずがない。嘘は不要です」


 「違う……!」

 アッシュは怒鳴るように言い返す。

 「何度やっても開かないんだ!」


 使節は目を細め、指で軽く合図を送った。

 その瞬間、騎士たちがアッシュを押し倒し、床に押さえつける。

 使節は箱を彼の目の前に差し出し、冷たい声で命じる。

 「開けなさい。自分の目で確かめるのです」

 アッシュは必死にもがき、汗で髪が顔に張り付き、爪が石床を削る。


 「やめろ!」

 エルセリアの声が響く。

 「これ以上は――彼が死んでしまう!」


 使節は微笑んだ。

 「これは裁きです、聖下。見てしまったのは……不運でしたね」


 彼は背後に声をかける。

 「セイフィナ。聖女様を外へ」


 「……了解しました」

 セイフィナは唇を噛み、エルセリアの腕を取り、低く囁いた。

 「……すまない」

 エルセリアは振り返り、目に明らかな迷いと悲しみを浮かべたまま、引きずられるように部屋を出た。


 扉が閉まった直後――

 鉄の槍の柄が重く振り下ろされる。

 低い呻きと、肉が打たれる音が室内に響き――

 アッシュの意識がまた、深い闇へと沈んでいった。

 



 ……鐘の音。


 まただ。

 アッシュは目を開ける。


 何度目かは、もうわからない。

 四度目? 五度目? もっと前から……?


 終わらない悪夢のように、時間だけがぐるぐると回っている。


 部屋は白く、空気は静かで、草薬と香の匂いが漂っている。

 アッシュは額に手を当てて大きく息を吐いた。

 ――傷など、とうの昔に癒えている。確認するまでもない。


 外から足音が近づく。


 「目が覚めたのですね」

 声は変わらず、まったく同じ。

 エルセリアが立ち、セイフィナが壁に寄りかかっている。


 アッシュはもう何も言わず、黙って立ち上がる。

 重い足取りで扉まで進み、振り返りもせずに歩き出した。


 「教皇使節殿は側堂に――」

 セイフィナが言いかけるが、

 アッシュは無言で通り過ぎた。

 


 側堂は変わらず、天井高く、冷たい空間だった。

 教皇使節は高座に座り、箱はいつもの場所で待っている。


 「ノアディス殿下」

 またあの声が響く。

 「あなたが聖遺物を――」


 「……うん」

 アッシュはただ一言、答えた。

 目に光はない。ただ、静かに進み出る。


 箱が目の前に差し出される。

 アッシュは何の抵抗もなく手を伸ばし――


 ――光が、走った。

 箱が反応し、紋が輝き始める。

 彼の魔力を吸い取りながら、静かに目を覚まそうとしていた。


 「やはり……」

 使節の目に、狂信の色が浮かぶ。


 だが、アッシュはそこで手を止めた。

 「……リゼリアとリメアに、会わせろ」

 その声はかすれ、けれど凛としていた。


 使節は眉を吊り上げ、声を冷たく落とす。

 「――ここは、取引の場ではない。あなたの意思など、関係ない」


 そして、さらに冷酷に言い放つ。

 「協力を拒むなら、あなたの“仲間”から始めよう。

 彼女たちも、今や我々の庇護下にある――裁きは、あなた一人のものではない」


 空気が張りつめ、騎士たちが武器に手をかける。

 そのとき。

 アッシュの目に、鋭い光が宿った。

 彼は突然、箱をつかみ――

 目の前の騎士に向けて、思い切り叩きつけた。


 重い音。血飛沫。

 騎士は悲鳴もなく崩れ落ち、床に血が広がる。


 「――ッ!」


 他の騎士たちが殺到し、アッシュを取り押さえる。

 槍が振るわれ、拳が降る。血が飛び散る。


 使節は静かに立ち上がり、彼を見下ろして、言った。

 「……厄介な男だ。だが、それもまた――価値の証明だ」

 そして冷たく命じる。

 「殺すな。連れて行け」


 二人の騎士が、アッシュの腕と脚を掴み――

 まるで荷物のように、血を引きずりながら彼を連れ去っていった。

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