第97話 燃える倉庫
夜が深く沈み、空気には海の潮と焦げた油の匂いが混じっていた。
セイフィナは狭い路地を抜けながら、彼らを静かに先導する。
やがて辿り着いたのは、木箱が雑然と積まれた貨物場の片隅。
倉庫の入口から揺れる松明の灯りがこぼれ、数人の警備兵が気だるそうに雑談していた。
腰の武器も、どこかいい加減にぶら下がっている。油断しきった空気が漂っていた。
「ここが現場よ」
セイフィナが低く告げる。
「これ以上近づけば、気づかれるわ」
アッシュは頷き、魔導銃を抜いて弾倉を確認した。
そして大きく息を吐く。
リゼリアは木箱の影に身を隠し、息を潜めて倉庫口を見つめていた。
その手は無意識に袖を握りしめている。
リメアは身体を低く伏せ、耳を立て、尾をぴんと張って神経を尖らせていた。
「……今日の警備、前より多いな」
アッシュが声を落として呟く。
「それだけ焦ってるって証拠よ」
セイフィナが冷ややかに笑う。
「間違いなく、ここが本命ってこと」
その時、石畳を軋ませる音が聞こえてきた。
遠くから、蹄と車輪の重々しい響きが近づいてくる。
二頭の長い角を持つ魔獣に曳かれた貨車が、ゆっくりと倉庫へ向かってくる。
魔獣は鼻から白い息を吐き、鉄鎖と車輪がぎしりと音を立てていた。
二人の作業員が前に出て、重たい鉄の扉を開ける。
中から漏れた灯りに、山と積まれた木箱の影が揺れていた。
「……来たな」
アッシュが低く言い、指をトリガーにかける。
目が、獣のように鋭く光っていた。
セイフィナが手信号を送り、彼らは各自の配置についた。
——空を裂く音が響いた。
最初に飛んだのは、セイフィナの放った符矢。
それは見事に門前の警備兵の肩を貫き、男は叫び声とともに崩れ落ちた。
アッシュは木箱を跳び越え、魔導銃を構える。
銃口から放たれた符弾が、別の警備兵を撃ち倒す。
突然の襲撃に警備兵たちは混乱し、慌てて武器を抜いて襲いかかってきた。
アッシュは剣を抜き、一閃。鋭い横斬りで二人を下がらせると、銃と剣を交互に繰り出し、怒濤の勢いで敵を制圧していく。
【任せて!】
リメアが翼を広げ、炎の吐息を吹きつける。
門口に灯されていた松明はすべて吹き消され、倉庫の中は闇に沈む。
響くのは、時折の叫びと、刃がぶつかる金属音のみ。
アッシュは倒れた敵を蹴り飛ばし、剣を引き戻す。
「……中へ入るぞ」
セイフィナが先陣を切り、アッシュがそれに続く。
リゼリアとリメアも、その背を追った。
倉庫の中は木箱が高く積まれ、薬草や金属の混ざった匂いが鼻をついた。
隅に止まっている貨車の前で、魔獣たちが興奮したように蹄を打ち鳴らし、鼻を鳴らしている。
「怖がらないで……」
リゼリアが静かに語りかけ、そっとその首筋を撫でる。
「おとなしいわ。……符釘の痕もない」
アッシュは一瞥し、木箱の前に向き直った。
セイフィナが短剣で蓋をこじ開ける。
中には、血のような刻印が刻まれた符釘が整然と詰められていた。
「やっぱり……これね」
セイフィナが振り返る。
「どうするの?」
アッシュは一瞬黙り、それから低く言った。
「……全部、燃やす」
リゼリアは頷き、魔獣を倉庫の外へと引き出した。
傷つけないように、そっと牽いていく。
アッシュは木箱の下に敷かれていた乾いた藁を抜き、それを箱の上に広げる。
手のひらに淡い符光を宿し、点火しようとした、その時だった。
——外から、足音と怒声が飛び込んできた。
リゼリアが魔獣を連れて扉を出たその瞬間、横から黒い影が素早く飛び出す。
「——っ!」
リゼリアが短く叫ぶ。
手首を掴まれ、力任せに横へ押し飛ばされる。
魔獣は驚いて嘶き、後退し、手綱がするりと彼女の手から落ちた。
「……まずいわね」
セイフィナが低く呟き、素早く入り口へ走る。
次の瞬間、彼女が振り返る。
その顔は険しく、声には怒気が混じっていた。
「セイラだ。しかも部下を連れてる。……魔女が捕まった」
「……リゼリア!」
アッシュの声が鋭く冷え、倉庫を飛び出す。
松明が次々と灯され、外の路地が赤く染まっていく。
鋼がぶつかる音が響く中、あの女の嘲りが夜を切り裂いた。
「やっぱり……来ると思ったわよ、今夜は」
セイラが火の中から歩み出る。
手に引きずる鎖爪鞭が地を擦り、不快な金属音を立てる。
「人質まで手に入れて……今日はツイてるわね」
彼女は口元を吊り上げ、余裕のある笑みを浮かべた。
「……放せ」
アッシュの声が鋭く低く、氷の刃のようだった。
セイラは鞭をくるりと回し、面白そうに言う。
「放せ? なら、そっちが先に武器を捨てなさい。大人しく投降すれば、気分次第で命くらいは助けてあげるかもね?」
リメアが地面に伏せ、尾をぴんと張る。
翼をわずかに広げ、低く唸った。威嚇の音だった。
アッシュは何も答えず、右手を軽く掲げる。
そして、指を——弾いた。
——パチン。
倉庫の中から、炎が爆ぜた。
乾草に引火した火が木箱へと燃え移り、符釘を次々に飲み込んでいく。
紅蓮の炎が夜を照らし、セイラの目が怒りに光る。
「貴様ァ……!」
声が一気に鋭くなり、鞭がぎちりと締まる。
「それがどれだけの価値があるか……分かっててやったのか!?」
アッシュは魔導銃を構え、目を細めて言った。
「どれだけ値打ちがあろうが……存在すべきじゃなかった」
セイフィナが横で肩をすくめ、呆れたように言った。
「……容赦ないわね。人質がいるってのに」
「心配いらない」
アッシュが引き金を引いた。
——砲音が夜を裂く。
符弾が敵の頭上をかすめ、火花を散らす。
相手は反射的に身を引き、手を離した。
その隙に、リゼリアは前に転がるように倒れ込み、地面に身体を打ちつけた。
アッシュは即座に銃を反転させ、次の符弾を放つ。
飛び込んできた別の敵に命中し、後退させる。
セイラは激怒し、笑いながら叫んだ。
「いいわ……戦争ね!」
彼女の部下たちが一斉に突撃する。
鉄靴が石畳を打ち鳴らし、雄叫びが夜に響く。
火光がその顔を赤く照らし、路地は一気に戦場と化した。
リメアが翼を広げ、灼熱の息を吐く。
数人の敵を弾き返しながら、リゼリアのもとへ駆け寄り、その身体をかばうように立ちはだかった。
アッシュが銃を掲げ、鋭く言う。
「気をつけろ、奴らの武器はただの鉄じゃない」
「言われなくても分かってるわ」
セイフィナが片頬を吊り上げ、剣を手に取る。
紅蓮の火が、彼らの影をゆらゆらと映し出す。
——次の瞬間、鎖爪鞭が風を裂いた。




