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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第一章:灰燼より始まる

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第10話 霧の中の断罪

 騎士団の包囲が徐々に迫り、鎧と鎧がぶつかり合う金属音が戦場を震わせていた。

 アッシュの足取りは重く、左手に構えた魔導銃の銃口には淡い金色のルーンが浮かび上がっている。


 最初の銃声が林の静寂を引き裂いた——

 弾丸は前方の騎士の槍を弾き飛ばし、彼は馬から落ちかけた。


 その隙を突き、アッシュは人垣へ突入する。

 長剣が陽光を浴びて銀の閃きを描き、勢いよく迫ってきた二人の騎士を退ける。


【アッシュ! あたし、助けるよ!】

 脳内に響くリメアの声——慣れ親しんだその声に、アッシュの胸がざわめく。


【ダメだ】

 彼は即座に返す。声には一切の容赦がない。

【隠れてろ。絶対に出るな。俺が何とかする。】


 その決断に、リメアは一瞬だけ戸惑い、悔しそうに尾を振ったが、やがて物陰へと後退する。

 彼の背中を、ただじっと見つめながら。


「やっぱり先手を取りにくるんだな……ノアディス殿下。」

 その声が前方から聞こえる。重みある足音とともに。


 ラッセルが剣を携えて現れる。

 鎧の胸元に冷たい光が反射し、その眼差しはかつてのものとはまるで違う。


 剣が初めて交差した瞬間、火花が二人の間に弾けた。

「竜王を失ったお前など、凡人にすぎぬ。」


 ラッセルは嘲笑するように言い、剣圧を強めてくる。

「やつがいなければ、お前は誰にも勝てやしない。」


 アッシュは無言のまま、彼の肩越しに林の陰を素早く確認し、退路と距離を計る。

 金属の音が鼓膜を叩く中、ラッセルを一閃で退け、すぐさま背後から迫る騎士の突きを受け止めた。


「外側、狭めろ!」


 ラッセルの指示が飛ぶ。

 弓矢と槍が包囲の隙間から一斉に襲いかかった。


 アッシュは跳ねるようにして枯れ木の裏へ身を隠す。

 魔導銃から放たれた符弾が爆ぜ、光と煙が前列の視界をかき消した。


 彼は再び飛び出したが、その瞬間、腰に熱い痛みが走る。

 槍がかすめ、鎧と衣の間を裂いた。血の匂いが煙と混じり、戦場に重く立ち込めた。


 呼吸が重くなり、体が鈍る。だがその時——


 霧が、揺れた。

 遠く、林の奥から巨大な白い影が現れた。

 細く、流麗な輪郭。霜を纏った毛並みが月光を映し、瞳は凍てつく星光を宿す。


 ヴァルフロスト。


 戦場には踏み入らず、林の縁に王者の如く佇む。

 その存在感だけで空気が凍りつき、誰もが息を呑んだ。


「なっ……」

 騎士の一人が震え声を漏らす。握った剣が微かに揺れた。


 アッシュはその一瞬の隙を逃さない。

 素早く林の端に向かって走り出し、行く手を阻む敵を転がすようにかわす。


「逃げる気か?」

 ラッセルが即座に反応し、馬を走らせようとした——

 だが、その前に銀白の巨影がすっと降り立った。


 ヴァルフロスト。


 鼻先から凍てつく霧を吐き、まるでこの地を支配する王者の如く佇んだ。


 馬が嘶き、後退する。

 騎士たちも思わず構えを締め直す——この距離では、誰もヴァルフロストに刃を向けることなどできない。


 アッシュはその隙にリメアのもとへ駆け寄り、彼女を連れて森の奥へと逃げ込んだ。

「なぜ……助けてくれたんだ?」


 彼は振り返り、霧の向こうに立つ影を見た。

 ヴァルフロストは動かず、攻撃もしてこなかった。


 だが今は考えている時間はない。

 彼は奥歯を噛みしめ、息を切らしながら走る。


 そして——


 霧の奥から、あの旋律が聞こえてきた。

 血の中を流れ、骨に染み込むような、古代の龍語の歌声。

 それはすべての音を支配するかのように響き、アッシュの足を止めさせた。


【アッシュ、傷が……!】

 リメアの声が頭の中に響き、彼の意識を現実に引き戻す。


 足元が崩れ、膝を地につく。

 ようやく彼は腰の焼けるような痛みと、鎧の中を伝う血の感触に気づいた。


 急いで鎧を解き、傷口に手を押し当てた。

 淡い青の光が掌から浮かび上がる——応急の治癒魔法だ。


 出血は止められても、回復には程遠い。

 真に傷を癒せるのは、北方教会の聖女が持つ神の祝福の力だけだ。


 彼が顔を上げると、蹄の音は遠ざかり、空の竜影も消えていた。

 ラッセルは追ってこない——だが、彼の目はきっとまだこちらを見ている。


【あの人たち……騎士団?】

【あたしを捕まえに来たの?】


 アッシュはリメアの額に手を当て、低く、静かに言った。

「心配するな。」


 彼は彼女の瞳を見つめ、一語ずつはっきりと告げる。

「もしあいつらが来たとしても……俺は、お前を渡さない。」


 リメアは目を瞬かせ、鼻先がそっと震え、鱗がカサリと鳴った。

 何も言わず、ただ彼を見つめるその瞳は、一瞬たりとも離れようとしなかった。


 アッシュは彼女の頭を撫で、再び低く言った。

「平気だ。」


 しかし——

 霧の向こう、あの龍語の旋律はまだかすかに響いていた。


 アッシュは立ち上がり、剣の柄を強く握る。

 今度は、自分から——あの歌の主を見つけに行く。

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