表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『最後のカッパと僕』  作者: やしゅまる
7/9

第7話:さようならの前に

八月の終わり、蝉の鳴き声が少しだけ弱くなった。夕暮れは早くなり、空気の中に秋の匂いが混じる。


 夏休みの宿題はなんとか終わった。自由研究には「田主丸のカッパ伝説」を選んだ。最初は絵や伝承をまとめただけだったけど、今では、そこに僕だけの物語が加わっている。


 「……トオル、もうすぐ二学期だね」


 川辺でミナミがつぶやいた。彼女は最近、ほぼ毎日ここに来てくれていた。スケッチブックにはケンザブロウの姿が何枚も描かれていて、どれも生きているみたいに優しい。


 「うん。そろそろ……会えなくなるかもしれない」


 僕がそう言った瞬間、背後の水面がぴちゃりと跳ねた。


 「誰が会えなくなるって?」


 ケンザブロウだった。今日は肌の色が少しだけ明るく、皿の水も澄んでいるように見えた。元気そうで、僕はほっとする。


 「わしはな、川におる限り姿を消すことはない。じゃが……人間の心の中から消えたら、それがほんまの“お別れ”じゃ」


 ミナミが言った。


 「そんなの、いやだ。私、ケンザブロウを……ずっと描いていたい。何年たっても、この川を思い出して、あなたのことを思い出すよ」


 ケンザブロウは目を細めて笑った。


 「それで十分じゃ。カッパというのは、誰かの“信じる心”に棲んでおる。わしらが生き続けられるかどうかは、その一念にかかっておるんじゃ」


 「じゃあ……ずっと、思い出していい?」


 僕がそう聞くと、ケンザブロウは静かに頷いた。


 「ええとも。トオル、おぬしはもう一人じゃない。もう“友達なんかいらない”なんて言うなよ」


 言葉が胸に刺さる。でも、それはもう痛くなかった。


 「……うん。ありがとう、ケンザブロウ。僕、きっと……忘れない。いや、絶対に、忘れないよ」


 「わしの方こそ、感謝しとる。トオルと出会えて、ほんとうに、よかった」


 そのときだった。川の水が一瞬、きらりと光った。風が吹いて、葦がざわりと揺れる。


 ケンザブロウの体が、うっすらと透けていく。


 「……ケンザブロウ……?」


 「ふふ……どうやら、わしの役目も終わりのようじゃ。皿の水は満ちた。信じてくれる者がおる。わしはこれで……安心して眠れる」


 「だめだよ……もっと話したいことがあるんだ。僕、やっと誰かを信じられるようになったのに!」


 ミナミが手を握ってくれた。その温かさに、僕は泣きそうになる。


 「……わしは、ずっとこの川におる。姿が見えんでも、声が聞こえんでも、信じてくれるなら、それでええ」


 ケンザブロウの声が、少しずつ風の音に溶けていく。


 「ありがとう、トオル。ありがとう、ミナミ。――わしは、しあわせじゃ」


 そして、その姿は夕暮れの空へ、静かに、やさしく消えていった。


 僕たちはしばらく川辺に座っていた。何も言えなかった。ただ、風が吹いていた。水が流れていた。


 「……行っちゃったね」


 「でも……ほんとうに、生きてたよね」


 「うん。私たちが信じてたもん」


 ミナミがそっとスケッチブックを開いた。そのページには、川と、岩と、ケンザブロウの笑顔が描かれていた。


 「この絵、ずっと大切にする。誰に笑われても、いいよ」


 僕も頷いた。


 「僕も描くよ。次は、僕だけのケンザブロウを。……信じる気持ちを、絵にする」


 夕暮れの光の中で、僕たちは立ち上がった。


 もう、友達なんかいらないなんて、思わない。


 ――きっと、いつかまた会える。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ