4話
果物屋の少女が来てから数日が過ぎた。グレイヤはその米田舞い込んできた依頼を全部断り、魔法の研究に没頭して日々を過ごしていた。そうして時が流れたある日、数日間静かだったグレイヤの家のドアが叩かれた。
「・・・・・」
グレイヤは何の返事もせず、静かに家にいないふりをした。こうして何も応じなければ、そのうち諦めて帰るだろう、とグレイヤはそう思った。
そのままノックの音を無視して研究を続けていると、ドアの外から微かな話し声が聞こえてきた。
「依頼で出かけてるんじゃないの?」
「まさか、先日来た時、しばらく依頼受けないって言ったんだよ」
「じゃあ」
「ふーむ、そうかも」
声があまりと小さくてよく聞こえなかったが、確かにどこかで聞いたことある声だった。どこで聞いたっけ、とグレイヤ記憶を辿ろうとした、その瞬間、
「魔女様、いませんか」
ドアの外からノックの音と共に大声が聞こえてきた。
「ワタシです。先日依頼にきた果物屋の娘。果物をお届けにきましたので、ドアを開けてください」
「果物のお届け」という言葉を聞いた瞬間、先日家に訪ねてきた少女のことが思い出したグレイヤは、すぐに家のドアを開けてくれた。ちょうどこの前、少女が置いていった果物を食べ切って、新たに連絡入れようとしていたところだった。
グレイヤがドアを開けると、ドアの外に立っていた少女が明るく微笑みながら元気よく挨拶した。
「お久しぶりですね、魔女様。お元気にしてましたか」
「まあまあ。それよりいきなりなんで果物を。まだ連絡してないのに」
「この前お渡しした果物、そろそろ食べ終わる頃がなったかなと思って、お届けに来てみました」
少女は手の果物バスケットを差し出しながら、明るく笑った。グレイヤは無表情のままそれを受け取った。
「ありがとう」
感情のこもっていない、ぶっきらぼうな感謝の言葉だった。それでも少女は嬉しそうに、ニヤニヤと笑っていた。
「ところで、この男は誰」
グレイヤは少女の隣に立っている見知らぬ男を指さしながら聞いた。グレイヤの問いに、少女は待っていたように浮かれた声で答えた。
「前に言った、ワタシが好きな人です。今回、魔女様のおかげで結婚することになりました」
少女はその男の腕に軽く腕を組み、見上げながら笑顔を浮かぶ。
「大好き、イヴァン」
「ボクもだよ、リエ」
少女と男は互いに笑みを交わしながら愛を告げた。そしてそれをすぐ前で見守っていたグレイヤは、首を傾げた。
ーーこの子の名前リエ、だったっけ。いや、違ったような気がする
グレイヤは目を閉じて少女の名前を思い出そうとしばらく考え込んだ。正確に思い出せなかったが、「リエ」ではなかったことだけは確かだった。
グレイヤは淡いピンク色の気配を漂わせる少女に向かって話しかけた。
「あの」
グレイヤの声に、愛おうしそうに結婚相手を見上げていた少女は、グレイヤに顔を向けた。グレイヤは無表情のまま二人を見つめながら聞いた。
「今幸せなの?」
「・・・・・」
グレイヤの質問に、少女は微笑みを浮かべるのみだった。口元は笑っているが、目は虚ろであった。グレイヤはかつてその微笑みを見たことがあった。
そうして短い沈黙が流れた後、少女が口を開いた。
「すごく・・・すごく幸せです。だってイヴァンがワタシだけ見てくれるんですから」
少女はいつものように明るい声で答えたが、なぜかその声には空っぽな気がした。
「・・・ならいい」
グレイヤはそれ以上何も聞いてなかった。特にこれ以上聞きたいこともなかった。
それからグレイヤはその二人を見送り、家の中へ戻った。グレイヤは少女からもらった果物バスケットを机の上に置いた。ちょうど果物をもらったし、グレイヤは一つ食べようと思って、果物のバスケットに手を伸ばした。その瞬間、
「あ、思い出した。あの子の名前」
果物のバスケットからリンゴを取った瞬間、今まで思い出せなかった少女の名前がふと思い浮かんだ。だが
「まあいいか、もうその名を使う少女はいないから」
グレイヤはすぐに少女の本当の名前を頭の中から消し去った。
グレイヤが少女に渡した薬は恋の妙薬でも相手を虜にする薬でもなく、ただ相手の目を曇らせる薬で、薬を飲ませて告白するものの姿が、相手の目には自分が最も好きな人として映らせる、そういう薬であった。
だから今男の目には果物屋の娘の姿が自分が最も好きな人であるリエという少女の姿として映っているのだ。
これが果たしてその少女のことを本当に愛していると言えるのかどうかはわからないが、そこまではグレイヤの領域ではなかった。
少女はどんな手を使ってもあの男と結婚したいって依頼したし、グレイヤはその願い通りに二人を結婚させた。その後はどうでもよく、別に気にもならなかった。
あと何より、
「本人が幸せだって言ってるんだから、別にいいか」
グレイヤは手に取ったリンゴを一口かじった。以前のような甘さはなく、苦みが口の中に広がった。